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「安保法制と戦死者の祀り方」小林よしのりライジング Vol.130
2015-04-28 18:10153pt野党の無力と国民の無関心によって、集団的自衛権行使を可能にする安保法制の制定に向けた作業は、まさに「粛々と」進められている。(権力は民意を無視するときにこの「粛々と」を使う)
大多数の国民はこの安保法制について漠然とした不安感は抱いているようだが、具体的にはわからない、難しすぎると思っているようだ。マスコミも国民に分かり易く伝えようという意欲が薄く、危機感が足りない。
例えば新聞各紙は、自民・公明両党が他国軍の支援に自衛隊を派遣する際に「 例外なく国会の事前承認を必要とする 」ことで合意したと報じている。
これだけ見れば、「例外なく事前承認」を求める公明党に自民党が譲歩し、自衛隊の海外派遣に一定の歯止めが掛けられたかのように見える。
これは怪しい、きっとどこかにトリックがあるはずだと思っていたが、そうしたら案の定、社長が安倍晋三と会食していない東京新聞だけが4月22日の1面トップで「 『例外なく事前承認』は一部 」と報じた。
そもそも、「安保法制」とは一つの法律のことではない。10個の関連法の改正と1つの新法制定が行われる。そしてここで問題となるのは、以下の2つの法改正と1つの新法である。
〈1〉 武力攻撃事態法改正案
〈2〉 重要影響事態安全確保法案 (周辺事態法改正)
〈3〉 国際平和支援法案 (新法)
この3つの法の名前からして、意味が伝わってこないし、覚えることも出来ない。わざと難しくして、国民を煙に巻こうとしているからだ。
この3つのうち、実は 「例外なく事前承認」とされたのは〈3〉だけ。
〈1〉と〈2〉は「原則、事前承認」ではあるが、 緊急時には例外的に事後承認 を認めることになっている。
ここをはっきりしておかないと、全ての自衛隊海外派遣に事前承認が必要になったかのような誤解を生んでしまうのだが、マスコミはわざと誤解させようとしているとしか思えない。
一応は「例外なく事前承認」となっている〈3〉の「 国際平和支援法案 」だが、これは福島瑞穂が言ったとおり、 実態は「国際戦争支援法案」である。
これまでインド洋への給油艦派遣など、日本の安全には直接関係のない自衛隊海外派遣にはその都度「特措法」を作っていたが、これを「恒久法」にして、 いつでも「 他国での戦争支援 」に、自衛隊を送れるようにしよう というのがこの法律である。
「国際平和支援法案」には「例外なく事前承認」が必要になったと、マスコミは報じるが、いやいやそれは違う。
今までは「特措法」を作ることが、国会の「例外なく事前承認」だったわけで、「恒久法」にして「例外なく事前承認」と言ったところで、それは今まで通りなだけである。特別な縛りをかけたわけでも何でもない。
しかもその国会における事前承認には、「努力規定」とはしているが、7日以内に衆参両議院が可決するという条件が付けられている。
国会は政府に承認を求められてから、最長でも衆院7日、参院7日、合計たったの2週間で結論を出さなければならないのである。
そんな短い期間では十分な情報提供と議論が行われる保証はなく、「見切り発車」になる可能性がある。もう抜け穴は開けてあるのだ。
一方、〈1〉の「 武力攻撃事態法 」は、北朝鮮がミサイル撃ってきたとか、中国軍艦が尖閣に向かってきたとか、直ちに日本の存立が脅かされる事態を想定している。
こういう緊急事態まで「例外なく事前承認」なんて言ってはいられないのは確かで、この場合は事後承認もありうるのは当然とは言える。
ただし、これは本質的に個別的自衛権の問題である。
個別的自衛権を行使するにも現状では様々な不備があるのに、それを放置したまま、集団的自衛権を行使できるように法改正するというのがそもそも本末転倒なのだ。
そして最も問題なのは〈2〉の「 重要影響事態安全確保法案 」である。 -
「福島ルポ:Jヴィレッジに見る原発マネー依存の現実」小林よしのりライジング Vol.129
2015-04-21 15:30153pt引き続き、原発収束作業のつづく福島県双葉郡についてレポートしたい。
前回紹介した、原発のない原発作業員タウン・広野町に建設されている、除染作業員のための宿舎(※)は、あれから2週間、さまざまな利権亡者の妨害をくぐりぬけて荒れ地を均し、コンテナハウスをビシバシ組み立て中。
(※ 第54回「福島ルポ・終わらない収束作業となくならない利権①」を参照)
なんと二階建てだった! 猛スピードで1500名分組み立て中。
窓があるとは言え、コンテナ住まいは狭苦しいだろう。しかし、多くの除染・原発作業員は、大部屋で雑魚寝するか、被災者から借り上げた一軒家に大勢で押しこまれ、男所帯で寝床やトイレの争奪をするという状況。この宿舎は待ち望まれている。
近隣では、この日も除染作業が行われていた。マスクをした作業員たちが、モーター音を響かせながら、ブレードカッターで雑草を刈っている。 事故から4年経っても、いまだ草木を「放射性廃棄物」として扱わねばならないのだ。
広野町の北、楢葉町の海辺にあるすすき野原で行われていたのは、除染作業で使用した放射性物質除染布を土嚢に詰める作業だ。
重機で除染布をつまみあげ、作業員の手作業と連携して土嚢のなかへ詰めていく。
使用済み除染布は、野原に山積み状態。せめて雨が降る前に片づけなければ…。
楢葉町の放射性廃棄物仮置き場。画面左側にも莫大な敷地が広がっている。
楢葉町の放射性廃棄物仮置き場は、もとは稲穂の実る豊かな田園だったそうだ。終わりのない除染作業、覆い尽くすグリーンのシートは、震災直後の遺体安置所の光景を思い出させもした。
今回は、広野と楢葉、この二つの町にある、 原発マネーの代名詞であり、震災後は、原発事故収束の対応拠点となった施設 を訪れた。
◆電源立地地域対策交付金施設「Jヴィレッジ」
火力発電所を抱える広野町、そして、福島第二原発を抱える楢葉町。この二つの町をうまくまたぐように建設された巨大スポーツ施設がある。
東京電力が総事業費130億円で建設し、福島県に寄贈した日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンター『Jヴィレッジ』 だ。
サッカーのことはよくわからないが、世界レベルのトップ選手をトレーニングする特別強化施設らしい。総敷地面積49.5ヘクタール、全11面の天然芝ピッチ、5000人収容のスタジアム、フィットネスクラブ、ホテル、レストランなどが併設されている。1997年の開設以来、日本代表はもとより、各国の代表チームが合宿や大会に利用してきた。
2011.3.11発災以降は、福島第1原発から20km地点にありながら、比較的被ばく線量が低いという条件が重なり、政府と東京電力の管理下に置かれ、事故収束の最重要拠点として使用され続けている。
巨大さ、伝わる? 赤枠がJV。画面中央、薄紫の破線が、楢葉町と広野町の境界。
地図を眺めると、「ここもかよ!」と思う。
原発マネーを効率よく流すために、2つの町にまたがって建設された第1原発、第2原発と同じく、Jヴィレッジもまた、広野町と楢葉町を巧妙にまたぐ立地になっている。
実際に敷地のなかへ入ると、主要施設はほとんど北側の楢葉町にあり、南側の広野町は山林しかない。くねくねと車道を進むと、最南端にようやく巨大なスタジアムが出現するというかなりのムリヤリ感がうかがえるのだが、このスタジアムのおかげで、広野町は「サッカーの町」として胸を張ることができていた。
薄汚れてしまった、物悲しい、サッカーボールのオブジェ…。
ホテル棟。現在は、作業員の放射線防護教育やホールボディカウンター施設等が入っている。
東京電力がJヴィレッジ構想をほのめかしたのは 1994年、Jリーグ設立の翌年 のこと。 -
「日本は主権なき従属国である」小林よしのりライジング Vol.128
2015-04-14 22:35153pt第47回ゴー宣道場「第2弾『新戦争論1』と戦後70年」は4月12日開催された。
創設師範・堀辺正史氏が久々に登壇。『新戦争論1』に収録した対談が大好評の堀辺師範がさらに何を語るかという関心も高く、会場は満員となった。
最初にわしは、 現在の日本では民主主義の基本である「議論」が成立しにくくなっている ことを指摘した。
テレビのコメンテーターも、最近では自分の「意見」を言う人は忌避され、池上彰のように、ただ世の中のことをわかりやすく「解説」する人が好まれている。
いまは人の「意見」なんか聞いたって仕方がないという空気が出来上がっていて、しかもそれは安倍政権誕生以後、特に強まっているのだ。
安倍政権が長期安定政権になることが見えている以上、集団的自衛権でも、原発再稼働でも、辺野古への基地移転でも、どうせ粛々と進められてしまうんだから、反対意見なんか聞いたって虚しいだけという感覚で、もう「議論」が起こらない。民主主義の根幹である議論が成立しなくなっているのである。
こういう時に、何か危ないぞと察知して、人の意見を聞いてみよう、そして自分の頭で考えてみようという人が、これだけ道場にやってきてくれるということは非常に貴重である。とにかくこれからは、モノを考えるチャンスを逃がさない方がいい。そうしなければ、どこに連れて行かれるかわかったものではないと、まず警告しておいた。
民主主義が機能するかどうかは、国民の側の問題である。意見を聞きたくない、議論もしたくないというのでは、国民としての劣化が激しすぎる。 そもそも、日本に民主主義は根付くのか?という疑問が湧いてくる。
これに対して、堀辺師範は日本人全員の感覚が異常になっていると指摘した。
戦後70年の間、日本の民主主義は全く機能していない。その根本の原因は、今なお日本に在日米軍が存在していることにある と堀辺氏は言う。
世論調査では在日米軍基地について、特にそれが沖縄に集中していることに対しては、軽減もしくは撤廃すべきという意見がずっと多数を占めている。しかし日本政府は常にその世論に背いてきた。
それはなぜか。 在日米軍とは、占領軍が名前を変えて今なお居続けているものだからである。
日本はサンフランシスコ講和条約で主権を回復し、独立したことになっているが、これは形式上だけのこと。
講和条約と同時に安保条約が結ばれ、それと共に「行政協定」(現在の「日米地位協定」)が結ばれたが、その際に自衛隊は米軍の指揮下に置かれるという密約が交わされている。 密約は条約と同じで、文書化されていなくても今日まで生きている。
近代国家における主権の重要な部分は、軍隊によって確保されているものである。 それが米軍の指揮下にあるということは、日本人自身が討論をしてものを決めることは原則できないということを表している。
米国にとって些細なことや、見逃してもいいことは日本人の議論で決めることができるものの、 主権の重要な要素である防衛・安全保障については日本人に決定権がない。そういう意味で、日本は未だ主権を失ったままなのだ。
このことが具体的な事実として現れたのが、 2004年、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件 だった。 その時、墜落現場は米軍が封鎖して日本の警察も立ち入れない、治外法権の状態となった。
これは沖縄に限った話ではない。もし仮に米軍機が国会議事堂に墜落したら国会議事堂が封鎖され、皇居に墜落したら皇居が封鎖されて、そこに日本人は入れなくなる。日本全土が潜在的に米国の支配下にあり、主権はないというのが現状なのである。 -
「福島原発:終わらない収束作業と利権問題」小林よしのりライジング Vol.127
2015-04-07 21:30153pt福島県双葉郡。海に面する全8町村のこの郡は、 東京電力 の3つの発電所を抱え、首都圏へと電気を送り続けてきた。
北から、双葉町と大熊町に 第1原発 。富岡町と楢葉町に 第2原発 。そして最南の広野町に 火力発電所 。このうち広野町の火力発電所は、震災後に増設を行い全6機で稼働し、現在も7号機の増設を急いでいる。
地図を眺めると、つくづく、発電所というものは、非常に巧妙な位置に設置されるのだなと感じる。 第1も第2も、原発はふたつの町の境界をまたぐように建てられている。これによって、 ひとつの発電所から、同時にふたつの町へ原発マネーを流すことができる というわけだ。
交付金、固定資産税、核燃料税そして東電からの寄付金……。財源の乏しい町が、効率よく 原発ジャンキー にされていった過程が、生々しく地図上に浮かび上がる。
双葉・大熊・富岡・楢葉の4町には中間貯蔵施設の設置受け入れ要請がなされ、除染廃棄物の搬入がはじまったというニュースも記憶に新しい。
「ウチは、東電の『植民地』から、とうとう『ゴミ箱』になった」――。
地元民の声だ。
◆不思議な常磐道モニタリングポスト
4月3日、曇り。
この日は海から吹き込む湿った東風が非常に強く、東京では桜の花びらが白い空へと吹き上げられていた。
常磐自動車道でいわき市を北上していくと、広野ICの手前に、放射線量を示すモニタリングポストが登場する。この先の帰宅困難区域については、二輪通行不可を予告する案内板もくり返し現れ、ライダーたちは姿を消してゆく。
この日は、0.2~5.5μSv/hかあ……って、どこが0.2で、どこが5.5なん?
測定範囲も数値の幅も広すぎて、一体どう参考にしてよいのかすらわからないこのモニタリングポストは、広野IC~南相馬IC区間に、上下あわせて9つ設置されているもの。サービスエリアに入ると各区間のリアルタイムな測定値を、モニターで見ることもできる。
……できるが、ただ、見るだけだ。
通行中の被ばく線量を計算する方法を紹介したパンフレットも置かれていたが――
広野ICから南相馬IC(49.1㎞)間の空間線量率(μSv/h)を基に、時速70kmで1回通行する際に運転手等が受ける被ばく線量は?
自動車の場合: 0.37μSv
二輪車の場合: 0.46μSv
「もくれんさん。では問題です。
きょうの浪江IC~常磐富岡ICの空間線量は5.36μSvでした。時速100kmで8km走ったところで車が故障して、再発進するまで40分間立ち往生となりました。この間の被ばく線量は何μSvでしょうか?」
わかるかーっ! どこの高校の入試問題だ。サイン・コサイン・タンジェントで悩んでゲロ吐いて、担任の先生に「きみには国語があるから」と励まされたほど数字の苦手な私に、こんな危険な計算を振らないでほしい。事故る。
だいたい、0.2~5.5マイクロシーベルトなら、 『最大5.5マイクロシーベルト』 と表示してくれたほうが目安としてはよっぽど親切だし、 そもそも、線量なんてほんの数十センチ位置をずらすだけでとんでもない差が出る のだから、正確さもあやしいものだ。
難解な数式の並ぶパンフレットなんかサービスエリアで大量に配って、NEXCO東日本、いったい、ドライバーをどうしたいんだよーっ!
すっかりカッカして、広野ICを降りる。今日の目的地は、広野火力発電所近く、海べりの広野工業団地だ。
◆原発のない、原発作業員タウン「広野町」
第1原発から20kmラインのすぐ外側に位置する広野町 は、震災前の人口が5490人。もともと炭鉱の町だったこともあり、火力発電所が誘致された。
事故時は全町避難が指示されたが、風向きが幸いして放射線量が“相対的に”低く、1年後には解除。しかし、町民のうち戻ったのは1300人程度で、転出も多く、生活環境が整わなかった。
戻らない町民の代わりに、続々とこの町を占拠したのは、東京電力の社員と、大勢の原発作業員、そして除染作業員たちだった。 現在、町民の2倍以上にのぼる3000人弱の作業員が暮らす とされている。
福島ルポ②でまた詳しく紹介するが、広野町には、 東京電力が総工費130億円で寄贈した『Jヴィレッジ』と呼ばれる世界規模のサッカートレーニング施設 がある。
Jヴィレッジ内にあるサッカー場の看板。広野は「サッカーの町」だった。
1997年に開設されたJヴィレッジは、代表チームなどの強化合宿や練習試合、児童・学生向けのサッカークラブ育成、住民のフィットネス施設として利用されてきたが、事故直後、その立地条件と線量の低さから国の管理下となり、事故対策本部、自衛隊ヘリの発着場、原発作業員の線量検査を行う入退管理施設などが置かれることとなった。
現在も、Jヴィレッジは東電が借り上げており、原発作業員や作業車両などの一大集合施設となっている。そして、このJヴィレッジが旗印になり、広野町は、 原発が存在しないにも関わらず、 原発事故収束作業の最前線として変わり果てることになった。
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