-
「オルタナティブの第一歩として石破だ」小林よしのりライジング Vol.308
2019-03-26 22:05153pt3月10日の関西ゴー宣道場は、石破茂・自民党衆院議員を招き「石破茂は何を考えているか?」と題して開催した。
これは、石破氏と論争することを目的としたものではない。その目的は、参加者に対しては、とかくテレビではコワモテな印象しか伝わらない石破氏の実はチャーミングな人柄や、自らの主張を緻密なデータと論理を駆使して説明しようとする姿勢を見てもらうこと。そして石破氏に対しては、次期首相候補としてわしらが氏に抱いている期待感を伝えることであった。(以下、敬称略)
その目的はある程度達成できたとは思うが、参加者の反応の中には「私は石破茂を支持しません」というものもあった。
石破氏を支持せよと強要するつもりは全くなく、そんなものは個人の自由だ。ただし、議論はオルタナティブに進めなければいけない。ダメだと言っているだけでは何にもならない。ダメだというのなら、代替案を出してもらうしかないのだ。
石破茂でなかったら、代わりに誰がいいというのか? 誰もいないというのであれば、「安倍晋三でもいい」と言っているのと同じである。
実際、世論調査の「安倍内閣を支持する理由」で必ずトップに来るのは「他に適当な人がいない」「他よりよさそう」なのだ。
安倍がずっと安定的な支持率を維持しているのは、積極的支持層の力ではなく、「どうせ他に誰もいないから」とか「どうせ誰がやっても同じだから」とかいう、消極的な「どうせ」支持が圧倒的に多いからである。
3月15日配信の時事ドットコムニュースによると、時事通信の3月の世論調査では、「次の首相にふさわしい人物」のトップが小泉進次郎で27.2%、次が石破茂で18.9%だという。
小泉進次郎を「次期首相」だなんて推す国民は、あまりに幼稚で話にならない。幼稚で幼稚で幼稚すぎて、ここまで幼稚だともう「赤ちゃん」である。
まだ一度も大臣にすらなっていない、何の実績も積んでいない若造を、どこの誰が一国のリーダーと認めてその指示に従うというのか? こんな全く可能性のない、あまりにも現実味のないことを平気で言う赤ちゃんが国民の27.2%をも占めているのだから、日本人の劣化・幼稚化は果てしがない。
赤ちゃんには、政治などという大人の話に参加する資格はない。おっぱい飲んで寝てろというしかない。
では、野党第一党党首の枝野幸男が次期首相にふさわしいかというと、それもあり得ない。
前述の時事ドットコムニュースの記事には、枝野の名前すら挙げられていない。なにしろ枝野は「次の首相にふさわしい人物」の世論調査で、岸田文雄の5.1%にすら負けているのだ。立憲民主党の政党支持率もわずか4.3%で、政権交代なんてとてもできそうな状況にはない。
しかも、仮に枝野が首相に就任するという奇跡が実現したとしても、それで本当に大丈夫だろうか? 現在、枝野の周りは左翼だらけでがっちり固められてしまっていて、枝野はほとんど身動きが取れない状態ではないか。
いまの枝野が首相になったら、結局はかつての民主党政権とそっくりな左翼政権ができて、現実味のない無責任な政策を乱発した挙句に大失敗という、同じことの繰り返しになるだけだろう。
民主党政権の大失敗が、どれだけ日本に悪影響を及ぼしているかは測り知れない。 -
「キャッシュレス化と国民性」小林よしのりライジング Vol.307
2019-03-19 22:40153pt1月の引越しにともなう出費が、今月のクレジットカードの請求額を跳ね上げている。「頭が痛い」という比喩を超えて、もう皮膚が痛い。払えない金額を使ったわけではないが、借金の返済に長期間苦労しすぎた私は、一定額以上の請求を見ると不安とともに変な体内物質が分泌されて皮下組織をつんつん攻撃するという、強迫観念的な節約神経痛症を患っているのだ。(ほんまやで)
クレジットカードは「借金の積み重ね」と考えるから、使うたび気が重い。なるべく現金で払いたい。現金がすき。現金だーいすき♡ 「デビットカードなら即引き落としだから借金にならないよ」と冷静な顔で言われても、やっぱり現金。財布と相談して、現金という存在を確認しながら、すっきり支払いたい。そして、その消費の実感を節約につなげたいのだ。
……そりゃ本音を言えば、小銭は煩わしいし、財布がぱんぱんになるし、カードは便利だ。要はカードでさっと済ませて、なんの心配もせずにいられる心の余裕を持ちたいだけでもあるのだけど。
そんな節約神経痛症の私の胸に最近引っかかっているのは 「キャッシュレス化」の推進 だ。 政府は、東京五輪、大阪万博を目標に掲げ、「外国人観光客向け」にどんどん「キャッシュレス化」を進めるという。2027年までには、民間のクレジットカード、デビットカード、電子マネーなどによる決済を4割程度にまで増やすそうだ。 キャッシュレス推進論者たちによると、どうやら 日本は世界でもかなりキャッシュレス決済の「遅れている」国 らしい。
■キャッシュレス決済比率(2016年算出)■
韓国 …… 96.4%
イギリス …… 68.7%
中国 …… 60.0%
アメリカ …… 46.0%
日本 …… 19.8%
ドイツ …… 15.6%
野村総合研究所
「キャッシュレス化推進に向けた国内外の現状認識」より
推進論者の意見をまとめると、「世界の潮流はキャッシュレス化」で、「仮想通貨の技術」などが進み、世界はいまや現金なしでの生活が当たり前になりつつある国や地域が増加しており、 「日本を訪れた外国人観光客は、現金主義に不便を感じている」 と言う。
また、キャッシュレスに関してたびたび取り上げられる米国の経済学者ケネス・S・ロゴフの著書『現金の呪い 紙幣をいつ廃止するか』によれば、現金はマネーロンダリングなど地下経済の決済手段として暗躍するものだから、特に高額紙幣については廃止すべきなのだそうだ。えー? と思うが、シンガポールでは約83万円相当にもなる「1万シンガポールドル紙幣」があり、すでに発行中止になったらしい。EUでも約62500円相当の「500ユーロ紙幣」が今年1月から回収されている。「高額の闇取引など、犯罪の対価として使われやすい」というのがその理由で、別名「ビンラディン紙幣」とまで呼ばれていたようだ。 -
「あらゆる差別のない社会は左翼の目標」小林よしのりライジング号外
2019-03-12 19:30102pt今回は「差別なき社会」や「寛容の精神」や「多様性を認める」などの耳障りの良い言葉に疑念を呈しておく。
「寛容」は保守思想の権威・オルテガが重要なリベラルの概念としたものだが、オルテガとて権威主義で捉えてはならない。
「非寛容」も多様性の一つの価値として認めるのが「寛容の精神」ならば、価値相対主義に陥らざるを得ない。オウム真理教の「ポア」も多様性の一つとして「寛容」に認めるなんてことができるはずがない。
そもそも宗教には原理主義的な側面があるので、移民が増える中で、「非寛容」も一つの価値として認めなければならないときだって来るだろう。
3月2日、部落解放同盟の全国大会に、立憲民主党を代表して福山哲郎幹事長が出席し、挨拶をした。
同党のブログにその挨拶の言葉が載っていたが、わしはそれをBLOGOSで読んで、疑問を持った。 福山は、こう言ったのだ。
「われわれが作った党の綱領では、あらゆる差別に反対して断固として戦うことを誓い、一人ひとりがかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、全ての人に居場所のある、ともに支え合う社会の実現を目指すとうたっている」
わしは立憲民主党の綱領を読んでいなかったのだが、綱領には 「私たちは、あらゆる差別に対して断固として闘います」 と明記されていた。
あらゆる差別に対して断固として闘う…そんなことを大した思慮もなく、正義と信じ込んで言われると、わしは不快でならない。
なぜならば、あらゆる差別に対して断固として戦った国こそ、スターリンのソ連であり、毛沢東の中国であり、ポル・ポトのカンボジアであり、その行き着く先は必ず大虐殺だったからだ!
あらゆる差別をなくし、平等にしようとしたら、大虐殺をするしかなくなるというのは20世紀の貴重な教訓であり、特に政治家なら誰でも知っている常識だと思っていたのに、なんと野党第一党にその認識が全くないということに、わしは愕然としたのである。
あらゆる差別をなくし、完全平等を実現しようというのはマルクス主義の思想である。
完全平等が実現するのは完全なる社会主義が達成された世界だけであり、ソ連や中国、カンボジアはそれを目指したのだ。
わしは『戦争論』で、漢字の「左翼」とカタカナの「サヨク」を区別した。
漢字の「左翼」は、マルクス主義に影響され、社会主義国家を目指す者。
カタカナの「サヨク」は、マルクス主義は信奉していないが、無意識に「人権」「平等」「自由」などの価値に引きずられる者である。
あらゆる差別と闘うということを綱領に掲げている立憲民主党は、社会主義国家を目指すマルクス主義の政党と近似性が強い。
枝野幸男代表は立憲民主党を保守だと言うが、これではとても「保守」とはいえず、それどころかカタカナサヨクですらなく、漢字で書く完全な「左翼」といわざるをえない。
立憲民主党は、とっくに「社会党」になっていたのだろうか? -
「権威主義批判を批判する権威主義者」小林よしのりライジング Vol.306
2019-03-05 21:50153pt今回も自称社会学者・倉橋耕平について分析するが、こんな小物を相手にする必要はないと思うかもしれない。
だがこんな小物の精神状態がどうなっているのかを研究すると、意外なことが浮かび上がってくるもので、香山リカとの共通の病気が見えてきたりするのである。
それは「権威主義」である。
「小林よしのりは大学に行ってないから、学問に憎悪を持っている」という香山リカの発言に通じる「学歴主義」「権威主義」の病が、左翼言論人に通底しているという事実が発覚してくる。これが面白いのだ。
「権威主義の否定」は、『ゴーマニズム宣言』の原点であり、重要なテーマである。
権威の一切ない漫画家が、自らの直感と常識を頼りに「ごーまんかます」というところからスタートしたのが『ゴー宣』である。だからこそ、わしはいまも名刺の肩書には「漫画家」としか書かないし、その名刺も特に求められない限り、自分から渡すことはない。
しかし、世間的には名刺の肩書に「評論家」とか書いた方が通りは良いらしいし、世の中には「哲学者」なんて肩書を名刺に書いている人もいれば、よくわからん団体の役職をずらっと並べている人もいる。
そういう、もっともらしい肩書さえつければ信用が置けると考え、その人物の発言内容を疑おうともしない日本人の権威主義に対して、真っ向から戦いを挑んで始めたのが『ゴー宣』なのだ。
ところが、そんなわしに対して「権威主義で何が悪い!」とばかりに噛みついてきた奴がいる。それが、先週批判した自称社会学者の倉橋耕平だ。
倉橋は、ジャーナリスト・安田浩一との対談本『歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う』の中で、こんなことを言っている。ちょっと長めの引用になるので、短く切ってツッコミを入れていこう。
「つくる会」界隈の話に出てくるのが、「学級民主主義」です。小林よしのりはいまでも使っています。ようするに、学校で教えられる理想主義的で「お花畑」な政治観をこの言葉で批判しています。
「学級民主主義」は本質を突いた言葉だと思いますよ。
武力の後ろ盾もなしに話し合いで解決しようなんていう、「理想主義的で『お花畑』な政治観」が、現実の国際政治で通用するわけがないのであって、これは全く正当な批判です。
学校カルチャーにおいて戦後主流とされていた知識だとか権威だとかに対する逆張りとか反抗とか抵抗という思想が、小林らの思想の中心にあります。
はあ? 学校で教えていようが、戦後の「主流」だろうが、間違っているから間違っていると言っているだけで、単に知識や権威に「逆張り」とか「反抗」をしようなんて、そんなくだらない思想はありませんって。
すなわち、教育における権威と規範に満ちた物言いは、実践的なレベルでもちいることができるようなものではなく、無用である。教育者の言っていることなど、そもそも地に足のついていないものだ。そういった小林の判断が透けて見えます。
「教育者の言っていることなど」なんて、全ての教育者を十把一絡げにするような、杜撰なことは言いませんよ。教育の場の「お花畑」な感覚は批判しても、だからといって、教育者の言うこと全部を否定するような、乱暴なことは言ってません。勝手に人の判断が「透けて見え」たことにしないでくれ。
現在の風潮で言うと、学者というものを権威として見なしていて、権威を叩くという名目で学者の説や議論を叩く人がいます。まあ、その権威は学者でも日教組でも左翼でもよいのでしょうけれど。
これではっきりした。
要するに倉橋は、小林よしのりは「権威」を叩くことだけが目的で、「権威」に対する「逆張り」がしたいだけで、「権威」と名のつくものだったら何でも攻撃しているだけだと思っているのだ!
この認識は対談相手の安田浩一も完全に共有していて、こう言っている。
1 / 1