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「『はだしのゲン』表現とイデオロギー」小林よしのりライジング Vol.51
2013-08-27 23:40157pt松江市の教育委員会が市立小中学校図書館に蔵書している漫画『はだしのゲン』を、倉庫などにしまって閲覧に制限をかける「閉架」扱いにするよう指示したことが大きな話題となっている。 新聞各紙の論調は、「閲覧制限はすぐ撤回を」(8月20日付朝日新聞)、「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)、「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)といった調子で、『ゲン』を高く評価した上で、市教委の指示を批判するものが大多数を占めている。 そんな中で、産経新聞は8月22日付の阿比留瑠比記者の記事で『はだしのゲン』について「『閉架』措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない」と非難し、その理由を以下のように挙げている。
「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。 「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。 特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。 「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
なるほど。無茶苦茶な嘘を描いていたんだな。 わしは『はだしのゲン』は「ジャンプ」連載中に読んでいたが、こんなシーンは全く覚えてない。 『はだしのゲン』は「週刊少年ジャンプ」昭和48年(1973)6月25日号から連載が始まった。既に読者アンケートによる人気投票至上主義が導入され、不人気作品は即打ち切りというシステムとなっていた同誌において、『ゲン』は一定の支持はあったものの決して人気作ではなかった。 しかし「アンケート至上主義」を導入した張本人である初代編集長・長野規(ただす)がこの作品を気に入り、人気に関わりなく連載を続けさせたのである。 連載は1年3カ月続いたが、『ゲン』を守っていたのは長野編集長だけだったようで、長野が編集部を離れると連載も終了となる。しかも集英社がその内容にクレームがつくことを恐れて単行本化を躊躇したため、単行本は汐文社という小出版社から発行された。 『はだしのゲン』の連載は1年後左派言論誌「市民」で再開されたが、同誌の休刊で再度中断。さらに1年後、日本共産党の機関誌「文化評論」に連載の場を移すが、原水爆禁止運動における共産党と被爆当事者の対立等の政治的混乱の煽りで打ち切られ、2年のブランクを経て日教組機関誌「教育評論」で連載が続行された。 単行本は全10巻で、そのうち第4巻までがジャンプに連載された分である。 そんな経緯があるので、おそらくジャンプを離れた後の『ゲン』は掲載誌に合わせて、共産党や日教組のプロパガンダ色が強くなり、上記のようなシーンも産まれたのだろうとわしは漠然と考えていた。 ところがスタッフの時浦が今回、全巻を確認して、レポートを出してくれたのだが、作者・中沢啓治は掲載誌に合わせて作風を変えるようなことはしていないという。ジャンプだろうが、共産党や日教組の機関誌だろうが、ほとんど同じ調子で描いていたというのだ。 反戦主義者であるゲンの父親は、ジャンプ連載第1回から「 軍部のやつらが金持ちにあやつられ 武力で資源をとるため かってに戦争をはじめてわしらをまきこんでしまったんだ 」と言い、その後も「 悪いのは軍部・資本家で庶民は被害者 」「 ただし騙されて戦争に協力する庶民も共犯 」「 職業軍人は単なる人殺し 」といった紋切り型の反戦思想の発言を繰り返している。 天皇批判的なセリフも最初から何度も登場しており、「朝鮮人強制連行」も当たり前の事実として語られているという。 そんなのを「週刊少年ジャンプ」で連載していたことが驚きだし、集英社が単行本化を躊躇したのも無理はない……と言いたいところだが、わしには『はだしのゲン』にそんなセリフがあったという印象が全然ない。 原爆投下直後の広島の地獄絵図の光景、皮膚が溶けて垂れさがったまま歩きまわる人々、全身にガラスの破片がつきささっている人、至るところにでき上がる死体の山、川に浮かんだ死体が腐敗してガスが溜まって腹が膨らみ、その腹が破れてガスが噴き出す場面などは鮮烈に覚えている。 戦後になり、飢えに苦しむ中、本人には何の落ち度もない被爆者が差別され、迫害されていく、人の心の酷薄さの描写も印象に強い。 そして戦後の混乱期の中、逆境に負けずにたくましく生き抜こうとするゲンたちの姿も心に残っている。 ところが、天皇批判のセリフとか、軍部や資本家批判のセリフとかは、一切覚えていないのである。 『はだしのゲン』は小学1年の時に広島で被爆した中沢啓治の自伝的漫画だが、中沢は最初から原爆漫画を描こうとして漫画家になったわけではない。むしろ差別を恐れて被爆者であることも公言せず、普通の娯楽作品を描いており、怪獣映画のコミカライズも手掛けている。 転機となったのは母親が死んで火葬した際、骨が残らなかったことだった。放射性物質の影響で骨がスカスカになっていたらしく、小さな骨の破片が点々としていただけだったという。 この衝撃に「ものすごい怒りが込み上げてきた」という中沢はそれ以来、「母の弔い合戦のつもりで」原爆をテーマにした短編を次々発表し、やがてそれが長野編集長の目に止まり、『はだしのゲン』の連載へとつながったのである。 つまり『はだしのゲン』は中沢啓治が作家として、どうしても描かずにはおれなかった「業」が叩き込まれた作品なのだ。 中沢は自分の思いを完全に伝えるため、週刊連載の間もアシスタントを一切使わず、一人で描き上げたという。 だからこそ、中沢自身が体験した被爆直後の惨状や、被爆者差別の過酷さの描写は決して他の誰にも描けない、魂の込められたものとなっており、読んでから40年も経つわしの記憶にもはっきり残っている。 ところが、「 天皇が戦争を始めた 」だの「 天皇が戦争を終わらせなかったから原爆を落とされた 」だのということが中沢に実感としてあるわけがなく(しかも事実として間違ってるし)、これは単にイデオロギーでしかない。 本人は原爆にも、天皇にも、同じように怒りをぶつけて描いたつもりだったろうが、この二つは決定的に違う。それは普通の読者なら無意識のうちに見抜いてしまうものである。 -
「『風立ちぬ』創作者の“業”と若手論客への懐疑」小林よしのりライジング Vol.50
2013-08-20 22:10157pt韓国にも宮崎駿ファンは多いらしいが、 『風立ちぬ』 には「やっぱりな」という馬鹿馬鹿しい反応が続出している。 曰く、「 ゼロ戦を美化している 」「 右翼映画 」「 宮崎駿監督がついにボケた 」という「 戦前の日本は悪 」と決め込んだ批判だ。 日本の作家・表現者は全員「戦前の日本は悪」として描かなければ許さないというのが、韓国人の反日カルト教なのだから仕方がない。 だが驚いたことに日本人にも、この韓国人と全く同じ感性の者がいるのだ。しかも評論家の中に。 『風立ちぬ』の評論を宇野常寛が「ダ・ヴィンチ」9月号に書いているというから読んでみたが、「なんだこりゃ?」と脱力するしかないシロモノだった。 宇野は主人公・堀越二郎や、二郎に自身を重ねているであろう宮崎駿について、以下のように書き連ねて行く。 「 二郎の『美しい飛行機をつくる』夢は、常に戦争の影に脅かされている 」 「 大人になった二郎は軍事技術者以外の何者でもなく、その『美しい飛行機』=ゼロ戦は日本の軍国主義の象徴になってしまう 」 「 彼の考える『美しい飛行機』は戦争のもつ破壊と殺戮の快楽と不可分だったはずだ 」 「 宮崎駿が考える『美しい飛行機』とは大仰で猥雑なカプローニの大輸送機ではなく、スリムでストイックなゼロ戦であり、平和な時代の旅客機ではなく暗黒の時代の殺戮兵器だったのだ 」 韓国人の批判と、全く同じじゃないか! 韓国人が言うならともかく、今どきの日本で、ゼロ戦を「 暗黒の時代の殺戮兵器 」としか思えない若者なんているのか!? といっても宇野は今年35歳の「ポスト団塊Jr世代」で、もはや中年かもしれないが。 ゼロ戦を「 暗黒の時代の殺戮兵器 」とまで決めつける人間がいるとは本当に驚いた。 まさに戦後民主主義サヨク!わしが『戦争論』(幻冬舎)で分類したサヨク以外の何ものでもない! わしの子供の頃には少年漫画誌に『ゼロ戦レッド』『0戦はやと』『紫電改のタカ』などが連載されていたし、グラビアには小松崎茂の迫力ある戦争画や、戦闘機・戦艦の図解等が毎号載っていて、わしは夢中になって読んでいた。 プラモデルまで作るほどゼロ戦が好きだったし、戦時中の誇るべき日本の技術だとずっと思ってきた。 『0戦はやと』はテレビアニメにもなり、脚本と主題歌作詞は駆け出し時代の倉本聰が手掛けている。ただ、このテレビアニメ放送については実は一悶着あったという。 当時(1963年)はテレビアニメの創世期で、手塚治虫が個人プロダクションの「虫プロ」による自主製作で国産初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を成功させたのに続けと、漫画家・吉田竜夫が「竜の子プロダクション」、うしおそうじが「ピー・プロダクション」を立ち上げ、まるで漫画の持ち込みのように自主的にアニメ番組を企画してテレビ局に売り込んでいた。 『0戦はやと』はピー・プロがTBSに売り込み、放送が決まりかけていた。ところが「戦争マンガ放送とはケシカラン、憲法9条違反だ!」という声が挙がり、話が流れてしまった。 この話はテレビ業界に広まり、NET(後のテレビ朝日)も日本テレビも断り、やっとのことでフジテレビでの放送が決まったというのだ。 今となっては「戦争マンガは憲法9条違反」なんて笑い話と思っていたのだが、どうも宇野の思考パターンはこれと大差なさそうだ。 昭和30年代の男の子は、みんな素直にゼロ戦をカッコイイと思っていた。「美しい飛行機」として捉えていた。 「暗黒の時代の殺戮兵器」なんて思っていた子供なんて、誰ひとりいなかったのだ。 国運を賭けた戦争を遂行している最中は、ありとあらゆる分野においてその国の最高レベルの技術が投入される。戦時中に高性能の飛行機を作れば、戦闘機になるのは当たり前のことだ。 平和な時代なら堀越二郎も旅客機を作っただろう。人は生まれてくる時代を選ぶことはできない。自分が生きている時代の中で、与えられた条件の中で、最善を尽くす以外にないのだ。 日本が世界に誇る新幹線の開発には、軍用機開発で培ってきた技術が余すところなく投入された。 開発グループの中心人物だった技術者・三木忠直は、戦時中は戦闘機の設計開発に携わっており、特攻兵器の一人乗りロケット「桜花」の設計も手掛けている。 三木は新幹線開発の際、常々部下に「格好のいい車体を作りなさい。格好の悪いのは駄目だ」と言っていた。そのとき、三木の脳裏には自分が作った爆撃機「銀河」の流線形の機体が常にあったといい、実際に初代の新幹線「0系」は「銀河」を彷彿させるフォルムをしている。 また、超高速で走る車体の揺れを防ぐ技術を開発したのは、ゼロ戦の機体の揺れを制御する技術を確立した松平精(ただし)だった。 堀越二郎の設計だけではゼロ戦は実用化できなかった。空気抵抗による機体の揺れを抑える技術が確立されなければ空中分解のような重大な事故が発生する。これを解決したのが松平精であり、松平は新幹線開発においてもその経験を生かし、画期的な油圧式バネを開発し、安全で乗り心地の良い車体を完成させたのである。 新幹線は、宇野が汚らわしいもののように言う「軍事技術者以外の何者でも」ない人々が「暗黒の時代の殺戮兵器」のように美しい車体を目指し、「暗黒の時代の殺戮兵器」の技術を転用して作ったのだ。 当然、宇野は決して新幹線には乗らないのだろう。 宇野はさらに、映画の堀越二郎が「 物語の結末で、ゼロ戦が軍国主義の象徴になった事実に直面しても 」「 反省もしなければ新しい行動を始めるわけでもない 」と非難している。 このような物言いを見ると、わしは 藤田嗣治 の戦争画を全否定した戦後の左翼文化人の感性を思い出す。 藤田嗣治は「乳白色の肌」と呼ばれた裸婦像で有名だが、戦時中は陸軍などの要請を受け、100号、200号に及ぶ戦争画の大作を次々と手掛けた。 藤田が「 国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いた 」と述べた精密な戦争画は、今なおどんな映画にも表現できないと思えるほどの迫力にあふれた、鬼気迫る傑作である。 ところが敗戦後、空気が一変し、日本美術会書記長・内田巌(戦後日本共産党に入党し、プロレタリア画壇を牽引した画家)らが藤田を「 戦争協力者 」として糾弾。 藤田は「 日本画壇は早く国際水準に到達してください 」との言葉を残してフランスに渡り、フランス国籍を取得して二度と日本へ戻らなかった。 藤田は「 私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ 」と常々言っていた。 その一方、「 私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は世界に日本人として生きたいと願う。それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う 」と語り、フランスに帰化しても生涯日本人であることを意識し、日本に対する愛情を持ち続けていた。 -
「二重低頭外交に向かう日本」小林よしのりライジング Vol.49
2013-08-13 17:50157pt麻生太郎副総理兼財務相の「 ナチスの手口見習ったらどうかね 」発言は、さすがに自民党の御用新聞である産経新聞ですら擁護する気になれなかったようだ。 産経は8月3日の社説で「お粗末な失言であり、撤回したのは当然である」「発言は日本のイメージや国益を損なった。麻生氏は重職にあることを自覚し猛省してほしい」「ナチスの行為を肯定すると受け取られかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった」「『いつの間にか』『誰も気づかないで』憲法が改正されるのが望ましいかのような表現は不適切だ」と批判している。珍しく、実に真っ当な社説である。 ところがこんな麻生の失言まで徹底擁護する、デリカシーの欠けた自称保守言論人がいる。 櫻井よしこ だ。 そもそも麻生の今回の失言は、櫻井が理事長を務める「公益財団法人 国家基本問題研究所(国基研)」のセミナーで飛び出したもので、櫻井はその主催者兼司会者という当事者中の当事者だった。 立場上、擁護しなければならないのかもしれないが、その理屈はあまりにもデタラメだ。 何しろ麻生の発言は正当なもので、朝日新聞が発言を「歪曲」して騒動を起こしたと言い張るのだから! 櫻井は8月5日の産経新聞コラム「美しき勁き国へ」で「 朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない 」と断じ、「 朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした 」と非難している。 完全にネトウヨと同レベル、「都合の悪いことは何でもかんでも朝日新聞の陰謀!」という「朝日新聞陰謀論者」になっている。 しかし今回は産経の社説も朝日とほぼ同じ批判をしているが、産経は「陰謀」じゃないのだろうか? 朝日新聞が過去に政治家の片言隻句を文脈から切り取り、歪曲して「失言」をでっち上げたことがあるのは周知の事実だ。だが今回の麻生の発言は既に全文がネットに上がっていて、正当化しようがないシロモノなのは明白である。 ところが櫻井は「 一連の発言は、結局、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと私は受けとめた 」と言うのだ。 反語的意味????? ほとんどガキの言い訳だ。こんな言い逃れが通じるのなら、言いたい放題暴言吐いて、非難されたら「 それは反語的意味で、真意は、逆のことを言いたかったのだ 」と言えば済むことになってしまう。 ところが「国基研」は団体の見解としても、「あれは反語」だと表明しているのだから、あきれ果てる。 音声で聞くと麻生はいかにも冗談・軽口といった口調で「 あの手口、学んだらどうかね 」と言っており、それに対して会場から笑い声が上がっている。 だが一国の副総理が公の場で 「 ナチスの手口、見習ったらどうかね 」 なんて、たとえ冗談でも言えないことくらい常識のはずだ。しかもこの発言は文字に起こすと冗談とは一切伝わらない。 さらにナチス云々を別にしても、 憲法を「誰も気づかない間に変わった」手口に学んで改正しろというのは、あまりにも不謹慎、不適切であり到底正当化できるものではない。 こんなことを軽率に口にできること自体が、憲法改正について真面目に考えていない証拠であり、冗談めかして言いながら実際には「 誰も知らないうちに、こっそり憲法改正できたらいいな~ 」というのが本音だとしか思えない。 これに笑っていた客席の感覚も異常だし、まして、これが「反語的意味」なんて解釈はどうひっくり返ったって不可能である。 麻生の発言は二重にも三重にも無知が絡まり合っていて、もう一点根本的な誤りがある。朝日も産経も社説で指摘し、東京新聞(8月8日)が詳しく解説していたが、 麻生はナチスの台頭に関する世界史の常識を全然知らないのだ。 麻生は日本の憲法改正論議を「狂騒の中でやってほしくない」としたうえで、「 ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった 」と言っている。 まず第1に、「ナチス憲法」なんてものはない。ナチスは「全権委任法」を成立させて、ワイマール憲法を事実上死文化させたのである。 しかもそれは「誰も気づかない間に」行なわれたのではない。それはまさに狂騒の中での出来事だったのである。 -
「石破茂の『軍法会議』案に潜む自衛隊蔑視」小林よしのりライジング Vol.48
2013-08-06 23:20157pt7月16日の東京新聞の見開き特集記事「こちら特報部」は「石破自民幹事長もくろむ『軍法会議』」という見出しで、4月21日にBS-TBSの番組で放送された自民党・石破茂幹事長の発言を批判した。 3カ月近くも前のBS番組の発言を引っ張り出して大きな記事にするという、あまりにも露骨な参院選向けの自民党へのネガキャン記事だったが、この石破の発言は確かに大問題である。 ただし東京新聞記事は「戦前の恐怖支配の足音が聞こえる」なんてカビの生えたセリフで締めくくる紋切りサヨク論調であり、わしが問題視する論点とは全然違う。 自民党の改憲草案9条2の5項は、こう記している。 「 軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、国防軍に審判所を置く 」 自民党は憲法を改正して自衛隊を「国防軍」にしたがっているわけだが、国防軍が創設された際にはそこに「 審判所 」を置くというのだ。 この「審判所」とは、 軍法会議 (軍事法廷、軍法裁判所などともいう)のことだという。 石破はまず 「『自衛隊が軍でないなによりの証拠は軍法裁判所が無いことである』という説があって… 」と発言している。 これは自称保守派が全員一致でよく言うことだが、例によって自称保守派が全員一致で言うことはまずウソである。 軍法会議は軍隊を構成する「必要条件」というわけではない。実際ドイツには軍法会議はなく、連邦行政裁判所に所属する審判所が審理を行っている。 軍法会議とはあくまでも軍の秩序維持という目的を達成するための装置であり、 なくても軍の秩序が保たれるのなら、なくてもよいのである。 自衛隊の規律正しさは、今や世界的にも評価されている。 それでも改憲してまで軍法会議を設置しなければならないというのなら、なぜ通常裁判所ではだめなのか、その理由を明らかにしなければならない。 よく挙げられるのは、軍事という任務の特殊性による理由である。 例えば軍事作戦の進行中に軍規違反があった場合、迅速に裁判して制裁を加え、一刻も早く軍律を回復しなければならず、通常裁判所で時間をかけて審理するわけにはいかない。 また、軍隊における事件の審理は法律の知識だけでなく、軍事的な専門知識が必要になることもある。医学の専門知識がないと、医療事故の裁判の審理が難しいのと同じである。 さらに、軍の機密保持のため通常裁判所には任せられないという理由もある。 ところが、石破が言う軍法会議が必要な理由はそれとは全く異なるものだった。 石破は、 今の自衛隊員が命令に従わなかった場合、最高刑でも懲役7年 だと指摘した上でこう言った。 「 これは気をつけてモノを言わなければいけないんだけど、人間ってやっぱり死にたくないし、ケガもしたくないし、『これは国家の独立を守るためだ、出動せよ』って言われた時、死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人は、いないという保証はどこにもない 」 そこで軍法会議を設置すれば、命令に従わなかった者にはその国の最高刑を科すことができる。 最高刑が死刑の国は死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年であり、そうなれば自衛隊員だって「 そんな目に遭うくらいだったら出動命令に従おうっていう 」と言ったのである!! わしはこの意見にはかなり呆れてしまった。これって自衛隊員に対して相当侮辱的な発言ではないか? 重罰を科さなければ、自衛隊員は出動命令に従わない可能性があると、石破茂は言っているのだ! ところが石破は侮辱した自覚など、全然ないようで、さらにこう続けた。 「 『お前は人を信じないのか』って言われるけど、やっぱり人間性の本質ってのから目をそむけちゃいけないと思うんですよ。 今の自衛官たちは服務の宣誓というのをして、『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる』っていう誓いをして、自衛官になってるんですよ。でも、彼らのその誓いだけがよすがなんですよ。本当にそれでいいですかっていうのは問わねばならない 」 石破は「どうせいざとなったら、国の独立なんかより我が身かわいさで逃げる」というのが「人間性の本質」だと決めつけているが、確かに左翼的な人間はそういう面があるのかもしれない。 だが、自衛隊員にはそういう本質の発露を心配する必要は99%ないのではなかろうか?わしが取材した範囲では考えられない。 これははっきり言って「 石破茂の人間性の本質 」ではないか?石破は全ての日本人が自分と同じ小心な卑怯者だと、勝手に思い込んでいるのではないか? 石破は、自衛隊には「 督戦隊 」が必要だと言っているに等しい。 「督戦隊」とは敵軍ではなく自軍の兵隊に銃を向ける部隊である。 後方で自軍の兵を監視し、命令に背いて退却したり降伏したりする動きがある場合は、味方なのに攻撃を加え、無理やり戦闘を継続させるのだ。 有名なのはシナ事変の南京攻略戦の際のシナ軍の督戦隊で、退却しようと激流のように押し寄せる兵隊に機関銃の猛火を浴びせ、死体の山を築いたという。 日本軍とシナ軍の士気には天と地の差があった。 日本軍は「国軍」である。志願した軍人はもとより、徴兵による兵隊も、国を守る任務を担うことを名誉として戦地に向かったのである。 水木しげるとか、わしの父のような士気の低い者まで兵隊にとられるようになったのは、大東亜戦争も末期、兵隊の数が圧倒的に足りなくなってからのことだ。 これに対してシナ軍は「私軍」である。各地の馬賊・匪賊の類が軍事力を保有して「軍閥」を形成していったのだ。 日本軍と戦った中国国民軍は中国の「国軍」ではなく「中国国民党」の軍であり、事実上国民党の総統・蔣介石の私兵だった。
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