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記事 10件
  • 「わしは何故プライベート写真を流出されないのか?」小林よしのりライジング Vol.116

    2015-01-14 18:15  
    102pt
    「小林よしのりライジング」
    『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
    毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、小林よしのりに関するWikipediaページを徹底添削「よしりんウィキ直し!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
    【今週のお知らせ】
    ※「ゴーマニズム宣言」(号外)…フランスの週刊新聞社「シャルリー・エブド」がアルカイダ系のテロ集団に襲撃された事件。事件直後から、世界各国が「表現・言論の自由」を掲げテロ集団を非難し、新聞社に同情している。日本でも、朝日から産経まで「表現・言論の自由を守れ」の大合唱である。しかし、宗教のパロディは「表現・言論の自由」の名の下に、無制限に許されるものなのだろうか?
    ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!先生は自他共に認めるモテモテ男であるというのに、何故プライベート写真を流出されないの?増え続けている本や資料の整理はどうしている?著書が図書館に置かれることを正直どう思う?消費税35%にする前にやるべきことがあるのでは?橋本マナミの魅力は何?フランスでの大規模な追悼集会デモ、安倍首相も参加すべきだった?…等々、よしりんの回答や如何に!?
    ※“集合痴”ウィキペディアの記事を徹底的に添削しちゃう大好評「よしりんウィキ直し!」。今回取り上げる項目「相続に関する間違い」では、滅茶苦茶な曲解&不正確な引用による印象操作&基本中の基本知識ゼロな“歴史オタク”が登場!今年も「ウンコ色」に相応しい馬鹿げた記述を、よーしゃなく討伐していきます!
    【今週の目次】
    1. しゃべらせてクリ!・第76回「新年特別企画・よしりんたちをしゃべらせてクリ!の巻〈後編〉」
    2. よしりんウィキ直し!延長戦・第5回「『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論追撃篇(新天皇論)』過去版」
    3. Q&Aコーナー
    4. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
    5. 読者から寄せられた感想・ご要望など
    6. 編集後記
    第76回「新年特別企画・よしりんたちをしゃべらせてクリ!の巻〈後編〉」
      へむ~…
      よしりん企画じゃ年が明けてから、スタッフが順繰りで寝込んでましゅ。仕事始めからスタートダッシュする気まんまんだったよしりんは、ちょっとばかりオカンムリでしゅよ。
     しかしまあ、よしりんにさんざん 「超人ハルク」 呼ばわりされてたみなぼんも、やっぱり人の子だったんでしゅね~。
     配信が遅れても、1週休みになってもいいから養生してくださいなんて、ありがたい読者さんでしゅ。ぽっくん、みなぼんに代わってお礼言うぶぁい。
      どうもありガチョウ~~~!
      そんでは、難題に挑んでクリた皆しゃんの作品、今週も発表でしゅ!
  • 「女系公認派は秋篠宮家を軽んじているのか?」小林よしのりライジング Vol.102

    2014-09-23 19:55  
    102pt
     朝日新聞が過去の記事の誤りを訂正したら、誠実さを評価されるどころかフルボッコの袋叩き状態。世の中、自ら非を認めればよいとは限らないようです。
     自ら非を認めるといえば、先日ウィキペディアで「ウィキペディア」を検索してみたところ、その中に 「問題点」 という章があり、 「記事の信頼性」 という項目にこんなことが書いてありました。
    ウィキペディアの記事の精度は高いとした複数の研究結果がある一方で、記事に対する査読制度がないため、問題ある記述はコミュニティーの自己管理により解決されることに委ねられている。このようにウィキペディアは信用に足る百科事典とは言い難く、ウィキペディアからの引用を学術関連のレポートに載せることは、そのレポートの信憑性そのものに疑問を持たせることでもある。(中略)米国では、学術研究の出典としてウィキペディアの記事を引用した学生が、その内容が史実と異なっていたため落第点をとったとして、ウィキペディアの創設者ジミー・ウェールズに苦情を寄せたという事例がある。これを機に、ジミー・ウェールズはウィキペディアを学術研究の出典として利用するのを止めるよう訴えた。大学機関のいくつかは学生たちにレポート課題においてウィキペディアを引用することを禁止している。また、ディベートなどの正確性の求められる競技などではウィキペディアの情報は用いられていない。
     一応、率直に自らの問題点を書いているわけですが、なぜか誠実さを感じないというか、「自ら非を認めた」というよりは、単なる 「開き直り」 と思えてしまうのは、私だけでしょうか…?
     さて『天皇論追撃篇(新天皇論)』のウィキ直し、今回は「秋篠宮家について」という項目です。
    秋篠宮家について
    『SAPIO』2010年6月9日号で、秋篠宮文仁親王は天皇になるための教育を受けていないと主張。また、秋篠宮文仁親王は高齢での即位が予想され、「例えば80歳の天皇誕生ということになった時、国民の天皇への関心や求心力は保たれるだろうか」と主張。また、秋篠宮文仁親王の在位期間は短いことが予想され、元号が短期間で変わってしまうと主張。また、皇太子徳仁親王が即位した時点で皇太子が空位になることを指摘し、現行の皇室典範に定める、皇太子徳仁親王から秋篠宮文仁親王への皇位継承を批判している。
     ここまでは、SAPIOに掲載し、『新天皇論』第16章「リアルな皇統の危機とは何か?」として収録した作品の内容紹介です。
     これに対する反論が次のように続きます。
     …つか、「百科事典」の記述なら内容紹介だけで十分なのであって、それにいちいち「反論」がくっついていること自体が異常なんですけど!!
    昭和天皇即位(1926年12月25日)から今上天皇の立太子の礼(1952年11月10日)までの期間、皇太子が空位であったことや、大正が14年数か月であったことは全く述べていない。
     この「反論」の内容が、例によって全くケースの違う話を強引に持ってきている、どうしようもなく低レベルな代物なのだから話になりません!
     昭和天皇は御即位の時25歳、香淳皇后は23歳であり、これから皇太子となる男子が誕生することが期待できたから皇太子が空位でもよかったわけで、実際に昭和8年(1933)に継宮明仁親王(今上陛下)が誕生されています。
     それに対して、 現在の皇太子殿下が即位される場合は、これから男子が誕生する可能性は無いと言わざるを得ず、女性皇太子を認めない限り、皇太子不在の状態がずっと続くことになる のです!
  • 「ハリウッド版ゴジラ公開記念!『ウル茶魔マンVSフクロコジラ』」小林よしのりライジングVol.96

    2014-08-12 22:50  
    102pt
    「小林よしのりライジング」
    『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
    毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
    【今週のお知らせ】
    ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!何にエロを見出すのかは後天的なもの?笹井教授が自殺…STAP細胞は本当に実現出来る?嫁いびりは必要?清潔感あふれる大人になる秘訣は?大島優子の写真集「脱ぎやがれ!」はもう入手した?国連で日本が常任理事国入りするにはどうすべき?印象に残ったホラー映画は?最近のディカプリオの演技をどう思う?出版予定だった「恋愛論」はどうなった?…等々、よしりんの回答や如何に!?
    ※ウィキペディアの記事を徹底的に添削しちゃう大好評「よしりんウィキ直し!」。今回は、先月のウィキペディアページにしつこく現われていた「寄付くれ攻撃」を添削!さらにウィキペディアが公開している決算情報を添削したところ、驚くべき事実が判明!寄付を受ける資格はあるのか!?
    ※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてくり!」あぎゃ~~~~~~~~~~~おっ!ハリウッド版ゴジラ公開記念お題でしゅ!「ウル茶魔マンvsフクロコジラ」のMVPは誰でしゅか!?
    【今週の目次】
    1. しゃべらせてクリ!・第56回「決戦!ウル茶魔マンVSフクロコジラの巻〈後編〉」
    2. よしりんウィキ直し!・第25回「ゴーマニズム宣言⑭:『天皇論追撃篇』(新天皇論)⑪」
    3. Q&Aコーナー
    4. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
    5. 読者から寄せられた感想・ご要望など
    6. 編集後記
    第56回「決戦!ウル茶魔マンVSフクロコジラの巻〈後編〉」   ♪帰ってきたぞ、帰ってきたぞ、ウル茶魔マ~~~ン!
      ウルトラマンと帰ってきたウルトラマンは、なじぇ別人かというと、もともとは本当に最初のウルトラマンが帰って来る話にするはずだったのに企画が変わって、タイトルだけ残っちゃったからでしゅ。
     こりが運命の分かれ目、それからウルトラマンはボコボコ増えていっちゃって、いま一体何十人?何百人?
     ウル茶魔マンは、断じて一人ぶぁ~い!
      そんでは後編スタートでしゅ!
  • 「映画『風立ちぬ』が炙り出した心理背景とは?」小林よしのりライジング Vol.59

    2013-10-22 23:40  
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    「「風立ちぬ」をどう見るか?」  映画の感想は人それぞれで、正解があるわけではないが、その感想を通じて製作者や観客の心理背景を探ることは出来る。
     宮崎駿監督最後の長編アニメ映画となった 『風立ちぬ』 ほど、賛否両論、観客に多様な感慨を抱かせる作品も珍しい。
     それは戦前をどう捉えるか、戦争をどう捉えるか、近代をどう捉えるか、日本的なるものをどう捉えるか等々の命題が、製作者が意図せぬままに映画に込められてしまったからであり、観客の側も戦前・戦後の評価が定まらぬままに分裂しているからでもある。
     リベラル・サヨクの評論家が、ゼロ戦に「 暗黒の時代の殺戮兵器 」とレッテルを貼ったが、なにしろ宮崎駿本人が、ゼロ戦の設計者・堀越二郎を主人公にすることに躊躇いを感じているのは明らかだ。
     わしの小学生の頃は、『ゼロ戦レッド』『ゼロ戦はやと』『ゼロ戦太郎』『紫電改のタカ』などの漫画が大人気で、日本の戦闘機が米英機を撃墜する痛快さが少年漫画誌で堂々と描かれており、子供たちは無邪気にそれを楽しんでいた。 
     ゼロ戦や戦艦大和への憧れは、現在の子供たちのガンダムやエヴァンゲリオンなどへの憧れと通じており、子供の頃はわしもゼロ戦のプラモデルを作って楽しんでいたものだ。
     少年漫画誌から戦時中のパイロットの活躍が消えるのは1970年代くらいからであり、朝日新聞や朝日ジャーナルが「日本の戦争責任」を追及し始め、旧日本軍の加害行為を過剰に報道するようになり、学生運動が過激化し、団塊の世代が急激に左翼化していった時代からである。
     兵器マニアの宮崎駿が、テレビアニメにもなった『ゼロ戦はやと』を知らないはずはなく、ちばてつやの名作『紫電改のタカ』を知らないはずもなかろう。
      兵器マニアは宮崎の童心であり、ゼロ戦を「殺戮兵器」と捉える感覚は、70年代以降に芽生えた宮崎のイデオロギーのはずである。
     もちろんリベラル・サヨクの最近の言論人も、70年代以降に形成された空気に汚染された頭脳で、相変わらず自虐史観を唱えているだけのことだ。
      「ゼロ戦はカッコいい!」それは単なる童心であるから、誰に恥じる必要もない。子供アニメを作ってきた宮崎が、大人向けのアニメを作った途端にイデオロギーに嵌ったというのが残念なことだ。
     そもそもゼロ戦を「 殺戮兵器 」というのは間違っている。 ゼロ戦は 戦闘機 であって爆撃機ではない。
     「殺戮」とは民間人を無残に殺す場合に使う言葉だが、 爆撃機は民間人を殺戮する可能性があるものの、戦闘機は敵戦闘機と決闘する兵器であって、民間人殺戮には使われない。
     戦闘機が戦時国際法を違反する可能性は極めて低いのである。
     したがってゼロ戦を描くことに罪悪感を持つ必要などないはずなのに、『風立ちぬ』には堂々たるゼロ戦の勇姿は描かれない。妄想の中のヘンテコな飛行機ばかりが描かれるので、童心を失わないわしとしては物足りない映画である。
     それでも多くの大人が感動したと言うのは、日本人の職人的な気質と、控え目で節操のある純愛が描かれるからであり、戦前の人々の礼節と美しい風景がノスタルジーを誘うからであろう。
     近代化されない美しい風景や、童心でしか見えない日本的な神々や精霊を描くのは、宮崎アニメの特徴なようだが、それが今まで大人の観客も増やしてきた要因となっている。
      ところがまさにその前近代的なものへの憧憬が、近代主義者であるリベラル・サヨクの論客の反発を誘う原因でもある。 
     近代主義的なサヨクは、資本主義や情報社会を、「 時代を支配する重力 」と考えている。だからグローバリズムへの反発も、原発推進への反発もない。それは戦前回帰であり、前近代へのノスタルジーに過ぎず、そんなことを唱えている者は、「 重力に抗って飛ぼうとする 」ジジイとしか映らないのだ。
      だがそもそも飛行機も鳥も重力に抗って「揚力」で飛ぶのであり、もし重力に抗わなければ、墜落して地上に叩きつけられるだけである。
     グローバリズムも原発も重力ではないのだが、もし重力なら、抗って自然の力で軽やかに飛んだ方が良いに決まっている。
     近代主義サヨクは『風立ちぬ』の二郎と菜穂子の関係性も、前近代的なマチズモ・男性優位だと非難する。これは大きな勘違いだろう。
  • 「旧皇族を騙る者の宗教活動」小林よしのりライジング Vol.57

    2013-10-08 23:30  
    157pt
    「旧皇族を騙る者の宗教活動」
     竹田恒泰の影響力が最近、急速に増してきているらしい。
     この「ライジング」の読者にとっては、竹田恒泰といえば生まれも育ちも一般国民であるにもかかわらず自身を「旧皇族」と詐称している「ニセ旧皇族」であり、天皇陛下のご意思に逆らう「男系絶対固執派」であることは周知の事実だろうが、残念ながらこのことが一般には浸透していない。
     竹田が主宰する「竹田研究会」は発足5年ほどで全国16カ所に設立され、会員数は現在2万8千人、9月に発売した新書は1週間で8万部が売れたという。
     朝日新聞WEEKLY「AERA」は10月7日号の特集『日本「右傾化」の真実』の筆頭に竹田を取り上げている。
     全国の「竹田研究会」が定期的に行なう竹田の講演会には重々しさも堅苦しさもなく、「お笑い芸人のライブに、雰囲気は近いかもしれない」という。
     竹田の講演は「肩のこらない口調と、漫談家を思わせる巧みな話術」で笑いをとりながら、「天皇は神の子孫です。私たちはみんな、神の子孫なんです」「日本の特徴は、君民一体という点にあるんです」など、天皇の存在を理由として「日本は素晴らしい」と訴えるもので、参加者は「日本人ってすごい、という気持ちになるんです」「竹田先生のお話を聞くと、自己肯定感を覚える」などと言っているそうだ。
     わしも17年前に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げた頃は「日本に誇りを持とう」というようなことをシンポジウムや講演会で全国あちこち回って言っていたから、なんだか既視感を覚える。
      だが17年前と現在では、世の中の風潮がまるで違うことを強調しておく。
      あの頃は、日本人が世界で一番劣った民族だ、世界一悪い民族だ、謝罪し続けなければならないのだという自虐史観が蔓延していたから、決してそうではないと訴えなければならない必然性があったのだ。
      そして当時それを訴えることには、ものすごいリスクがあった。ありとあらゆる誹謗中傷、バッシングを受け、マスコミ・出版業界から完全に干されてしまう恐れすらあったのだ。
     一例として、わしが『戦争論』を描いた翌年、「AERA」1999年1月11日号に載った特集「日本の不安」の記事を挙げておこう。
     記事は70年代に大ブームを起こした『ノストラダムスの大予言』の影響で「1999年7月に世界が滅亡する」という「終末願望」を持った人々を延々とレポートし、「ノストラダムス・ブーム」に思春期を直撃された世代にオウム真理教に入信した者が多いことなどを紹介している。
     その上で、若い世代は「イデオロギーのような共同幻想に背を向けてしまった」ために「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定できる確信を失った」と断じ、そのような立つ瀬を失った若者の心理の「補償作用」を果たすのが『ノストラダムスの大予言』のような「破滅的あるいは破壊的なドグマ」(ドグマ=宗教上の教義、もしくは独断的な説)だと決めつける。
     奇妙な記事だ。赤軍派や極左のテロ活動によって、イデオロギー(例えばマルクス主義)によって「自分自身の存在を一片の疑いもなく肯定」する若者の方が危険だということは当時もう証明されていたのだが。
     論理に飛躍がありすぎとしか思えないが、そんな話を長々と続けておいて、最後に突然こんなことを言い出すのだ!
      ノストラダムスの役割は90年代、オウム真理教、尾崎豊、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」へと連綿と引き継がれている。
     世紀末の団塊ジュニア世代を震撼させる最強のドグマは、ゴーマニズム宣言のマンガ家、小林よしのりが著した『戦争論』だ。
     もう10万光年ワープしたような飛躍っぷりで、全く意味がわからない!
     尾崎豊まで悪しき者になっている。
     とにかく『戦争論』が『ノストラダムスの大予言』以上の破壊的・破滅的な狂信的危険思想だということにしたかったようだ。
     そして記事はこんな記述で締めくくられている。
     (『戦争論』を読んで) 日本人であることの誇りを感じられるようになったという女子大生(22)もいる。彼女はいままでに教え込まれた太平洋戦争の知識をまるで信用できなくなっている。
     「アジアの国で無闇に謝り続ける政治家と自分をだぶらせて日本人は恥ずべき存在なのだと思い込んでいたけれど、いまは、たとえ負けたにせよ、あの壮烈な戦争を戦い抜いた日本人の子孫であることになんら恥じ入る理由はないと思いを改めています」
     彼女も『戦争論』を読んですぐ、戦争中のファシズムのプロパガンダをテーマにした大学の夏季集中講座を聴講した。そこで、すべての従軍慰安婦に一刻も早く補償を、と説く講師の言葉に釈然としない疑念に捕らわれたという。
     たとえこの世が終末の予言の通りに滅ばなくても、ノストラダムス的ドグマは肥大する。
      かつては「日本人の誇り」なんて言ったら、『ノストラダムスの大予言』と同じ「破壊的ドグマ」だと言われたのである!!
     それが今ではどうだろう? 同じ「AERA」がほとんど「竹田研究会」の宣伝みたいな記事を載せている! 
     記事にはそこに危険性が孕んでいるかのように書こうとしている意図も見えるのだが、結局はそれができず仕舞いに終わっているのだ。隔世の感とはこのことだ。
     高森明勅氏にこの話をしたら、「 17年前、小林さんや『つくる会』の面々がデタラメな攻撃を受けながら必死に種をまいたものを、いま竹田が何の労も負わずに楽々と収穫しているわけですよ 」と言われた。
     なるほど。そういう構図か。
      現在はもうそれほどの自虐史観はない。今ではテレビで毎日のように、日本の文化は外国人が目を見張るすごいものばかりで、他の国がマネしようとしているといった情報が流れている。
     かつては中国・韓国の批判などもってのほかという強固な空気ができ上がっていたのに、今では中国・韓国には公共性がなく、どこか劣等な国だなんてことは普通の主婦の会話にも出てくるし、週刊誌は韓国批判をすれば売れるという状態だ。
     教育現場にはまだサヨク教師が残っているかもしれないが、もうそんなに影響力はないだろう。
     従来は、自分が社会で正当に評価されていないという不遇感や、自分の将来に対する不安感を持っている人が「右傾化」すると言われてきた。しかし「AERA」の記事に登場している「竹田研究会」の会員は平均より多めの収入があり、特に満たされない思いを抱えているわけではないと言っている。
     さらに「AERA」が1千人規模のアンケートを行なったところ、特に不遇感や将来への不安感を持たない層でも、自国に対して誇りを持っている割合が高いという結果が出たという。
     「AERA」にしてみれば、「右傾化」は不遇感や将来不安のはけ口という結果の方が好都合だっただろうが、データに否定されてしまったのである。
     いまは「日本人の誇り」を言っても攻撃してくる者はなく、みんな納得できて、それが普通の人の感覚だと認識される時代になっている。
     それならわざわざ今さら講演会に「日本の誇り」の話を聞きに行く必要もないはずなのに、竹田の講演を聞いて感激している者が増えているというのは、何とも不可解だ。
     本来、天皇とは何なのかといったことは学校で教えるべきなのに、それが一切行なわれていないから、皇室の話が新鮮に聞こえるというのはわかる。
     しかし、だからといってそれで「研究会に参加すると、みんな笑顔で元気になる」などと言っているのはものすごい違和感を覚える。この空気は一体何なのか?
     この「AERA」には竹田のインタビューも載っている。
     だがここで竹田が言っていることは疑問だらけだ。
  • 「東京五輪:汚染水問題はコントロールされていない!」小林よしのりライジング Vol.53

    2013-09-10 18:00  
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    第55回「PART1.汚染水問題はコントロールされていない!」  2020年オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まった。  スポーツが好きで、お祭りが好きで、取らぬ狸の皮算用が好きな人は、はしゃぎたまえ。  プレゼンテーションとか言うらしいが、日本人のしゃべり方がグローバリズムに合わせて、表情もジェスチャーも異様に感情過多になってる姿が、気味が悪いと思うのは、わしだけだろうか?   高円宮久子さまは自然体でさすがだが。  中でも「汚染水対策」に関する安倍晋三の口から出まかせには、あきれてしまった。あれで説得力があったなどと騙される国際社会も日本人も、相当な馬鹿である。 安倍「 私が安全を保証します。状況はコントロールされています 」 わし(おいおい、コントロールされているのか?) 安倍「 汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされています 」 わし( たった0・3平方キロメートル範囲内で、完全にブロックだと?よくも言ったものだ! ) 安倍「 健康問題は今までも、現在も、将来も、まったく問題ありません 」 わし( まったくないものにするとは、なんという悪魔だ! )   原発事故に関する知識と、人間的な誠実さがひとかけらでもあったら、決して口にできないことを安倍は全世界に向け、笑顔で言ってのけたのである!  安倍は「 ヘッドラインだけではなく事実を見てほしい 」と言った。要するにネトウヨの言う「 マスゴミの言うことを信じるな 」と同じ意味だが、全世界に向かって、公式の場で日本の首相が「 日本のマスコミも、世界のマスコミも信じるな 」と言ったのだから、こんな非常識な発言はない。  だが日本のマスコミはこの侮辱にも抗議一つしない。本当に事実を見れば、安倍の言ったことこそ嘘八百であるにも関わらず。    安倍が言ったように、「福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル」は、確かに堤防や水中カーテンで仕切られている。  だが、たとえ「0.3平方キロメートル」で「完全にブロック」されていたとしても、 地上タンクから漏れた高濃度汚染水の全てが、その「0.3平方キロメートル」のエリア内に流出しているわけではない。  汚染水漏れを起こした地上タンクからの排水路には水の流れた跡があり、高濃度の放射線が観測され、その排水路から水が流れた可能性があることは東電も認めている。   そして、その排水路は「0.3平方キロメートルの港内」ではなく、外の海と直接つながっているのである!   さらに堤防や水中カーテンで汚染水を「完全にブロック」などできるわけがなく、東電も「港湾内と外洋を水が行き来している」と認めている。   福島沖の海底には40カ所の放射能のホットスポットが見つかっている。   「0.3平方キロメートルの港内」では1キロあたりのセシウムが74万ベクレルのアイナメが見つかっているが、その港の外の20キロ先で捕れたアイナメからも2万5800ベクレルが検出されている。 また、東京湾でも原発20キロ圏内と同じレベルの汚染箇所が見つかっている。   汚染水については「打つ手がない」というのが現実で、これほど大量の高濃度汚染水が長期間漏れ続けている事態は過去に例がないのだ。  また、「健康問題は今までも、現在も、将来も、まったく問題ない」という発言も、そう言った後に安倍は「 完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している 」と続けている。   つまり、今ごろ「完全に問題ないものにするための対策に着手した」に過ぎず、 過去はもちろん現時点でもまだ「まったく問題ない」状態ではない。 発言が完全に矛盾、破綻しているのだ。  そもそも、安倍晋三は9月3日、IOC総会のたった4日前になってやっと原子力災害対策本部会議を開き、汚染水流出に対処するための基本方針と総合的対策を決定したのだ。  安倍はこれまで汚染水問題をほったらかしにしておいて、 開催地決定の直前にこの問題が浮上し、東京の招致に深刻な影響を与えそうになってから、泥縄式に「基本方針と総合的対策」を決め、「政府が全面的に責任を持つ」と見栄を切ったのである。  もともと、誰も本気で被災地のことなんか考えていない。  東京都の招致委員会は当初、開催理念の中心に「東日本大震災からの復興の象徴となる五輪」を掲げていたが、海外コンサルタントから「復興、復興と言うと、放射能問題など不安を思い起こさせ逆効果になる」と助言され、招致活動で「復興」をアピールしなくなり、今年1月の立候補ファイルでは「復興五輪」の文字が消えた。   ところが、6月に公表されたIOCの評価報告書で電力供給の回復や津波対策が肯定的に記されたのを見て、再び「復興五輪」を持ち出したのだ。   結局被災地のことなど、五輪招致に利用できるかできないか以外は何の関心もないのだ。  だからこそ招致委員会理事長「旧皇族詐欺師の父親」こと竹田恒和も「 東京は水、食物、空気についても非常に安全なレベル 」「 東京は福島から250キロも離れているから安全 」と、 東京が安全ならばよい という本音を漏らしたのである。
  • 「『はだしのゲン』表現とイデオロギー」小林よしのりライジング Vol.51

    2013-08-27 23:40  
    157pt
    松江市の教育委員会が市立小中学校図書館に蔵書している漫画『はだしのゲン』を、倉庫などにしまって閲覧に制限をかける「閉架」扱いにするよう指示したことが大きな話題となっている。  新聞各紙の論調は、「閲覧制限はすぐ撤回を」(8月20日付朝日新聞)、「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)、「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)といった調子で、『ゲン』を高く評価した上で、市教委の指示を批判するものが大多数を占めている。  そんな中で、産経新聞は8月22日付の阿比留瑠比記者の記事で『はだしのゲン』について「『閉架』措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない」と非難し、その理由を以下のように挙げている。
      「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。  「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。  特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。  「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
     なるほど。無茶苦茶な嘘を描いていたんだな。  わしは『はだしのゲン』は「ジャンプ」連載中に読んでいたが、こんなシーンは全く覚えてない。  『はだしのゲン』は「週刊少年ジャンプ」昭和48年(1973)6月25日号から連載が始まった。既に読者アンケートによる人気投票至上主義が導入され、不人気作品は即打ち切りというシステムとなっていた同誌において、『ゲン』は一定の支持はあったものの決して人気作ではなかった。  しかし「アンケート至上主義」を導入した張本人である初代編集長・長野規(ただす)がこの作品を気に入り、人気に関わりなく連載を続けさせたのである。  連載は1年3カ月続いたが、『ゲン』を守っていたのは長野編集長だけだったようで、長野が編集部を離れると連載も終了となる。しかも集英社がその内容にクレームがつくことを恐れて単行本化を躊躇したため、単行本は汐文社という小出版社から発行された。  『はだしのゲン』の連載は1年後左派言論誌「市民」で再開されたが、同誌の休刊で再度中断。さらに1年後、日本共産党の機関誌「文化評論」に連載の場を移すが、原水爆禁止運動における共産党と被爆当事者の対立等の政治的混乱の煽りで打ち切られ、2年のブランクを経て日教組機関誌「教育評論」で連載が続行された。  単行本は全10巻で、そのうち第4巻までがジャンプに連載された分である。  そんな経緯があるので、おそらくジャンプを離れた後の『ゲン』は掲載誌に合わせて、共産党や日教組のプロパガンダ色が強くなり、上記のようなシーンも産まれたのだろうとわしは漠然と考えていた。  ところがスタッフの時浦が今回、全巻を確認して、レポートを出してくれたのだが、作者・中沢啓治は掲載誌に合わせて作風を変えるようなことはしていないという。ジャンプだろうが、共産党や日教組の機関誌だろうが、ほとんど同じ調子で描いていたというのだ。  反戦主義者であるゲンの父親は、ジャンプ連載第1回から「 軍部のやつらが金持ちにあやつられ 武力で資源をとるため かってに戦争をはじめてわしらをまきこんでしまったんだ 」と言い、その後も「 悪いのは軍部・資本家で庶民は被害者 」「 ただし騙されて戦争に協力する庶民も共犯 」「 職業軍人は単なる人殺し 」といった紋切り型の反戦思想の発言を繰り返している。  天皇批判的なセリフも最初から何度も登場しており、「朝鮮人強制連行」も当たり前の事実として語られているという。  そんなのを「週刊少年ジャンプ」で連載していたことが驚きだし、集英社が単行本化を躊躇したのも無理はない……と言いたいところだが、わしには『はだしのゲン』にそんなセリフがあったという印象が全然ない。  原爆投下直後の広島の地獄絵図の光景、皮膚が溶けて垂れさがったまま歩きまわる人々、全身にガラスの破片がつきささっている人、至るところにでき上がる死体の山、川に浮かんだ死体が腐敗してガスが溜まって腹が膨らみ、その腹が破れてガスが噴き出す場面などは鮮烈に覚えている。  戦後になり、飢えに苦しむ中、本人には何の落ち度もない被爆者が差別され、迫害されていく、人の心の酷薄さの描写も印象に強い。  そして戦後の混乱期の中、逆境に負けずにたくましく生き抜こうとするゲンたちの姿も心に残っている。  ところが、天皇批判のセリフとか、軍部や資本家批判のセリフとかは、一切覚えていないのである。  『はだしのゲン』は小学1年の時に広島で被爆した中沢啓治の自伝的漫画だが、中沢は最初から原爆漫画を描こうとして漫画家になったわけではない。むしろ差別を恐れて被爆者であることも公言せず、普通の娯楽作品を描いており、怪獣映画のコミカライズも手掛けている。  転機となったのは母親が死んで火葬した際、骨が残らなかったことだった。放射性物質の影響で骨がスカスカになっていたらしく、小さな骨の破片が点々としていただけだったという。  この衝撃に「ものすごい怒りが込み上げてきた」という中沢はそれ以来、「母の弔い合戦のつもりで」原爆をテーマにした短編を次々発表し、やがてそれが長野編集長の目に止まり、『はだしのゲン』の連載へとつながったのである。   つまり『はだしのゲン』は中沢啓治が作家として、どうしても描かずにはおれなかった「業」が叩き込まれた作品なのだ。  中沢は自分の思いを完全に伝えるため、週刊連載の間もアシスタントを一切使わず、一人で描き上げたという。  だからこそ、中沢自身が体験した被爆直後の惨状や、被爆者差別の過酷さの描写は決して他の誰にも描けない、魂の込められたものとなっており、読んでから40年も経つわしの記憶にもはっきり残っている。   ところが、「 天皇が戦争を始めた 」だの「 天皇が戦争を終わらせなかったから原爆を落とされた 」だのということが中沢に実感としてあるわけがなく(しかも事実として間違ってるし)、これは単にイデオロギーでしかない。  本人は原爆にも、天皇にも、同じように怒りをぶつけて描いたつもりだったろうが、この二つは決定的に違う。それは普通の読者なら無意識のうちに見抜いてしまうものである。
  • 「二重低頭外交に向かう日本」小林よしのりライジング Vol.49

    2013-08-13 17:50  
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    麻生太郎副総理兼財務相の「 ナチスの手口見習ったらどうかね 」発言は、さすがに自民党の御用新聞である産経新聞ですら擁護する気になれなかったようだ。  産経は8月3日の社説で「お粗末な失言であり、撤回したのは当然である」「発言は日本のイメージや国益を損なった。麻生氏は重職にあることを自覚し猛省してほしい」「ナチスの行為を肯定すると受け取られかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった」「『いつの間にか』『誰も気づかないで』憲法が改正されるのが望ましいかのような表現は不適切だ」と批判している。珍しく、実に真っ当な社説である。  ところがこんな麻生の失言まで徹底擁護する、デリカシーの欠けた自称保守言論人がいる。 櫻井よしこ だ。  そもそも麻生の今回の失言は、櫻井が理事長を務める「公益財団法人 国家基本問題研究所(国基研)」のセミナーで飛び出したもので、櫻井はその主催者兼司会者という当事者中の当事者だった。  立場上、擁護しなければならないのかもしれないが、その理屈はあまりにもデタラメだ。 何しろ麻生の発言は正当なもので、朝日新聞が発言を「歪曲」して騒動を起こしたと言い張るのだから!  櫻井は8月5日の産経新聞コラム「美しき勁き国へ」で「 朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない 」と断じ、「 朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした 」と非難している。   完全にネトウヨと同レベル、「都合の悪いことは何でもかんでも朝日新聞の陰謀!」という「朝日新聞陰謀論者」になっている。  しかし今回は産経の社説も朝日とほぼ同じ批判をしているが、産経は「陰謀」じゃないのだろうか?  朝日新聞が過去に政治家の片言隻句を文脈から切り取り、歪曲して「失言」をでっち上げたことがあるのは周知の事実だ。だが今回の麻生の発言は既に全文がネットに上がっていて、正当化しようがないシロモノなのは明白である。  ところが櫻井は「 一連の発言は、結局、『ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ』という反語的意味だと私は受けとめた 」と言うのだ。  反語的意味?????  ほとんどガキの言い訳だ。こんな言い逃れが通じるのなら、言いたい放題暴言吐いて、非難されたら「 それは反語的意味で、真意は、逆のことを言いたかったのだ 」と言えば済むことになってしまう。   ところが「国基研」は団体の見解としても、「あれは反語」だと表明しているのだから、あきれ果てる。  音声で聞くと麻生はいかにも冗談・軽口といった口調で「 あの手口、学んだらどうかね 」と言っており、それに対して会場から笑い声が上がっている。   だが一国の副総理が公の場で 「 ナチスの手口、見習ったらどうかね 」 なんて、たとえ冗談でも言えないことくらい常識のはずだ。しかもこの発言は文字に起こすと冗談とは一切伝わらない。  さらにナチス云々を別にしても、 憲法を「誰も気づかない間に変わった」手口に学んで改正しろというのは、あまりにも不謹慎、不適切であり到底正当化できるものではない。  こんなことを軽率に口にできること自体が、憲法改正について真面目に考えていない証拠であり、冗談めかして言いながら実際には「 誰も知らないうちに、こっそり憲法改正できたらいいな~ 」というのが本音だとしか思えない。   これに笑っていた客席の感覚も異常だし、まして、これが「反語的意味」なんて解釈はどうひっくり返ったって不可能である。  麻生の発言は二重にも三重にも無知が絡まり合っていて、もう一点根本的な誤りがある。朝日も産経も社説で指摘し、東京新聞(8月8日)が詳しく解説していたが、 麻生はナチスの台頭に関する世界史の常識を全然知らないのだ。  麻生は日本の憲法改正論議を「狂騒の中でやってほしくない」としたうえで、「 ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった 」と言っている。   まず第1に、「ナチス憲法」なんてものはない。ナチスは「全権委任法」を成立させて、ワイマール憲法を事実上死文化させたのである。   しかもそれは「誰も気づかない間に」行なわれたのではない。それはまさに狂騒の中での出来事だったのである。
  • 「小林家に見る、親子・家族関係の真実」小林よしのりライジング Vol.47

    2013-07-23 20:45  
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    なんという非情だと思うだろうが、仕方がない。世間体に沿って直ちに帰省し、母の手を取って「 お母さん!最後まで看取ってやるからね! 」などという演技をわしが出来るはずがない。  母がガンになったと言えば、世間的には悲報に感じるかもしれないが、全然気にしなくていい。  60歳のわしに母親がいることが不思議なくらいで、80歳でガンなら普通に寿命ということだ。  医者は「 余命半年、いやいや一年かな 」と言ったらしい。母は早速医者に息子は漫画家の小林よしのりだと言ってるから、その息子が全然病室に駆けつけなくて、きっと怪訝な様子だったことだろう。  どうせ老人のガンはそんなに速く進行しないし、本格的に床に臥せれば、帰省して会ってやろうとは思っている。まだまだその時期ではない。  母は検査入院から退院して2日後にはもうカラオケで大熱唱していた。  娘(わしの妹)から、ガンの様子について、「 レントゲンで見たら、まだ米粒くらいだった 」と聞いた途端に、母は我欲がマックス!きよ友(氷川きよしファンの友達)を呼んでおしゃべりを楽しみ、8月には熊本のコンサートに出かけることを決定、チケット購入を娘に依頼した。  医者は自力で家事くらいやらなければいけないと忠告しているのだが、母はガンで体がつらくて出来ないと言う。   母はガンを口実に家族や親せきに甘えまくって、よりどん欲に快楽を貪る決意を固めたようだ!  妹が母に呼び出され、炊事・洗濯など身の回りの世話をやらされるのに疲れ果てていた。妹にも家庭がある。  母が自分の身の回りのことが出来ないと言うから、妹や親戚一同が探し回り、環境のいい、妹の自宅のすぐ近くの介護施設を見つけて予約を入れた。自分の家に来てもいい、面倒を見てやるという親戚もいた。   だが母はやっぱりわしが買ってやったマンションに戻ってきて、介護施設は解約しろと言う。  なぜ介護施設に移らないのか?   理由は簡単で、氷川きよし以外のことにカネを使いたくないからだ!  介護施設に移れば、貯金を切り崩し、年金を毎月充当しなければならない。今までのように、氷川きよしにカネを注ぎ込むことが出来なくなる!  現在住んでいる広くて、眺望が良くて、快適なマンションは、きよ友の溜まり場と化し、一度会っただけで顔も覚えてないきよ友まで呼んで、宿泊させたりしている有り様だ。  母は今後も全国のきよしのコンサートに駆け回るつもりだろう。  母がきよしのコンサートに行くときは、雨の日も風の日も雪の日も、出待ち、入り待ちまでするから、ものすごい体力を使う。今年6月は2回も上京して、さすがに体調を崩したことから、ガンが発覚したのだ。   父が他界した時、わしも妹も遺産相続を辞退した。したがって母は数千万円の貯金があるし、年金もあるし、住居はわしのマンションだから悠々自適、氷川きよしに湯水のようにカネを注ぎ込んだ。少なくとも1千万以上は注ぎ込んだだろう。いや、2千万かもしれない。  母の浪費癖は、生前の父も大いに懸念していたが、氷川教に嵌って手が付けられなくなった。  いつしか母は、「おカネなくなってもいいやろ?」と言い出した。貯金ゼロになっても最後は面倒見てねと、息子におねだりしているのだ。  はっきり言って、冗談ではない。わしだってスタッフ5人を抱えて、出版不況の中、必死で戦っている。  本が売れるときは数千万の単位で儲かるが、売れないときは数千万の単位で赤字が積み重なっていく。漫画家はバクチのような稼業で、最後は破綻ということだってある身分だ。  母が老後を自力で計画建てられるように、父は貯金を残し、わしはマンションを買ってやり、遺産相続も辞退して、おカネを送ったりしていたのに、カネは全て氷川教のお布施に消えていく。   まるで統一協会に嵌ってお布施を繰り返して、家庭崩壊させた叔母(母の妹)にそっくりだ。   母は、労働力は娘を酷使し、カネは息子にたかり、自分の全財産は氷川教のお布施に使うつもりである。  「そんなことは許されない。貯金のあるうちに介護施設に入れ。」と言うと、 「 子供なんて生むんじゃなかった!子供なんて何の役にも立たない!ガンになったのにカネの話をするなんて!よしのりは私が家も土地もやらんと言ったことをまだ恨んでたんやね! 」 と言い出した。
  • 「『参議院不要論』は正しいか否か?」小林よしのりライジング Vol.45

    2013-07-09 18:15  
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     野党不在の状態は解消されることなく、参院選は選挙戦に突入した。  どうせこのまま自公が過半数を獲得して「ねじれ」を解消し、念願の「決められる政治」を実現することになるのだろう。 そして「間違ったことばかり決められる政治」がこれから3年間続くのだ。  それにしても、衆議院と参議院の勢力分布が食い違えば「 決められない政治 」と言うし、同じだったら「 同じものは二つ必要ない 」と言うし、一体どうしろと言いたいのかさっぱりわからない。  「 参議院不要論 」もかなり昔からあるが、現在それを最も強く主張しているのが日本維新の会・橋下徹だったりするので、こんなのに簡単に同調していいはずがないと思ってしまう。  米国のような連邦制国家ならば、二院制が必要だというのはわかりやすい。各州は半独立国的な主権を持つのに、一院制だと議員数が人口に比例して配分されてしまうから、人口の多い州ほど有利という現象が起きてしまう。   だから米国では人口比で配分する下院と、人口・面積に関係なく各州一律2人の上院という二院制が採られているのだ。   それにしても橋下徹は米国の連邦制を猿マネしたような「道州制」の導入を主張しておいて、議会は一院制にしろと言うのだから支離滅裂である。   では、連邦制国家ではない日本に「二院制」は必要なのか? 「参議院」は必要なのか?  ここはまず、必要か不要かを問う前に「参議院」とは何なのかを問いなおすことから始めよう。  決まり文句として言われるのは、 参議院は「 良識の府 」であるにもかかわらず、現在はその役割を果たしていないという批判だ。  だが参議院が「良識の府」ならば、衆議院は「不良識の府」なのか?  はっきり言ってしまえば、その通りだ。  自民がダメだから民主、それで民主がダメだったからまた自民…と、無責任な「民意」次第でコロコロ変わり、一つの政党が圧倒的多数を占めてしまえば、なんでもかんでもやり放題に暴走するし、逆に複数の政党が拮抗していれば、お互い天下国家を放り出して党利党略の争いに明け暮れる。良識もへったくれもない。衆議院なんてものは「衆愚院」なのである。  ただしこれは、現在の日本に限った話ではない。議会政治なんて古今東西こんなものだ。  言うまでもなく、日本の議会政治は明治時代に始まった。  近代国家建設のために、 憲法制定 と 国会開設 はどうしても達成しなければならない課題だった。   伊藤博文 を中心とする明治政府は、先行する欧米の憲法や議会の研究を重ねたが、議会については当初から一貫して「二院制」を採用すべきとしていた。 また、民間で多く作られた「私擬憲法」も二院制を採る方が多数だった。  明治憲法の起草にも参加した 金子堅太郎 は、帝国議会が二院制を採用した理由を三つ挙げている。   一つは欧米の議会のほとんどが二院制を採用しており、制度的優位が確立していること。  第二の理由は、二院制ならば一院が軽挙妄動に流れたり、過激になったりしないよう抑制できること。  そして第三の理由は、政党内閣が政党本位の法律を作ろうとした場合に、抑止力になることだった。  すなわち二 院制によって、一院がやりたい放題に暴走したり、あるいは党利党略に基づく法律を作ったりしないようにできると捉えたのである。  かくして明治憲法下の帝国議会は「 衆議院 」と「 貴族院 」の二院制となった。  貴族院という言葉くらいは学校で習った覚えがあると思うが、それがどういうものだったのかを知っている人はそんなにいないだろう。   貴族院とは、まさに衆議院の暴走や党利党略を抑制する装置だった。  貴族院議員は、選挙によって「民意」で選ばれる衆議院議員とは全く違う基準で選ばれていた。  まずは「 華族議員 」である。 華族とは旧公家・大名、臣籍降下した皇族などからなる貴族階級であり、「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の5ランクがあった。  そして25歳(大正14年からは30歳)以上の華族が貴族院議員となったのである。任期は公・侯爵が終身。伯・子・男爵は7年で、同じ爵位の者による互選選挙で選ばれた。  さらに、 国家に勳労がある者、学識のある者から勅任された任期終身の「 勅選議員 」 、 帝国学士院(現在の日本学士院)から互選される任期7年の「 帝国学士院会員議員 」 、そして 各府県において土地あるいは工商業において多額の直接国税を納めた者から互選される「 多額納税者議員 」 というものがあった。  他に成年皇族男子は全員終身貴族院議員となる規定もあったが、これは実際には議会に出席しない形式的なものだった。  貴族院議員は、民意を気にする必要が全くなかった。  華族たちは、貴族院議員の身分を始めとする自らの特権は全て天皇から賜ったものであることから、この皇室からの恩寵に応えることこそが使命と感じ、「 皇室の藩屏(はんぺい) 」を自任した。   「 藩屏 」とは垣根のことで、ここでは皇室の側衛、つまり守護者を意味する。 何ものにも与せず、皇室のためだけを考え、国益に立った議論と判断を行なうというのが彼らの行動原理だった。  また、「勅選議員」や「帝国学士院会員議員」は、自らの学識や経験を国のために活かそうという気概に満ちていた。  そして「多額納税者議員」は……これだけは議会で役立つ能力もなく、発言もしないことから「特別席を有する少数の傍聴人」と揶揄され、無用視されることも珍しくなかったという。  貴族院というと権力者の側につき、民衆を抑圧していたかのように思うかもしれないが、実際の貴族院は極めて独立心が強く、政府にも政党にも与しなかった。   初期議会では、藩閥政府を弾劾する建議案を可決して時の内閣を窮地に陥れたこともあり、藩閥政府にとっては民党よりも危険な存在でもあった。 伊藤博文は抑えきれなくなった貴族院を沈黙させるために、天皇の「勅語」を出したことさえある。   政党主義が台頭しても、貴族院は衆議院の政党とは一切関わりを持たなかった。  もちろん人間が集まれば必ず派閥ができるし、議会は最終的には多数決である以上、同志を集めて結集することは不可欠なので、貴族院にも自然といくつかの会派が形成された。   しかし貴族院は衆議院の政党の党利党略とは厳然と一線を画し、あくまでも議論の内容だけで評価する「是々非々主義」の原則を貫いていた。   貴族院は解散もなく、その権能を極限まで発揮すれば、天皇以外誰にも抑えられないため、議員は自制し余程のことがない限り反対は慎むという審議態度を採った。   しかしひとたび議論の中に党利党略を感じると、「猫は変じて虎となり」時の政府と徹底的な抗争を試みたのだった。  もちろん貴族院にも問題がないわけではなかった。幕末・維新を経験した華族に比べ、 その息子や孫へ世襲されると、人物が小粒になっていくことは否めなかった。  また、下級華族は経済的に困窮している者も多く、生活の糧として貴族院議員の地位に就くことだけが目的となってしまう者もいた。   大正デモクラシーの時代になると、貴族院自体が特権階級として批判の対象となった。  さらに、 政党内閣が続くと、時の内閣による勅選議員の人選を通じて貴族院議員にも政党色が強まってくる。 これが進むと衆議院と大差なくなり、存在意義まで問われることが危惧された。  このような課題から貴族院は度々改革を迫られつつ、その使命を果たしていったのだった。