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記事 24件
  • 「戦争写真家ロバート・キャパのこと」小林よしのりライジング Vol.276

    2018-07-10 21:00  
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     今日は、世界中の戦争報道に多大な影響を与えた20世紀を代表する戦場カメラマンを紹介しようと思う。
     
    ●ロバート・キャパ(1913-1954)
     ハンガリーのブダペストに生まれたユダヤ人で、スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線、イスラエル独立とパレスチナ戦争、第一次インドシナ戦争と数々の戦争を文字通りの「最前線」で取材し報じてきた“世界最高の”と冠のつく報道写真家だ。
     これまで仕事でいろんな写真事務所に出入りしてきたけれど、このキャパの肖像写真はあちこちで見かけた。スタジオに、まるで神棚のように飾っている写真家もいた。キャパに憧れ、影響を受けて報道を目指した人は世界中に大勢いるだろう。
     過酷な戦闘のなかで撮った写真に、ちょっとユーモアを交えたキャプションや体験レポートをたくさん添えて残している人物で、写真展ではじっくり目を通したくなる文章も多く展示されていた。まずは代表的な写真を紹介したい。
     
     (C) ICP / Magnum Photos (横浜美術館蔵)
      1944年6月6日撮影、第二次世界大戦、ノルマンディー上陸作戦。
     連合国側のキャンプに同行して招集がかかるのをひたすら待ち、フランスのオマハ・ビーチに上陸するアメリカ軍の第一陣と一緒になって船に乗り込み、大荒れの海へ出発。兵士らと一緒になって、銃弾が雨あられのように降り注ぐなか、大荒れの海に飛び込み、命懸けで上陸しながら撮影したものだ。
     周囲の兵士たちは、海水のなかでどんどん撃たれて死んでゆく。それを撮る。負傷者を救護するために飛び込んだ衛生兵も目の前でたちまち撃たれてゆく。それも撮る。フィルムを交換していると、突如として全身がニワトリの白い羽で覆われ、「誰かがニワトリを殺したのか」とあたりを見渡すと、砲撃に吹き飛ばされた兵士の防寒コートから噴出したものを浴びていたことに気づく。それも、撮る。
     キャパはノルマンディー上陸作戦で134枚を撮影。ところが、ロンドンの『ライフ』誌編集部に届けられたネガを受け取った暗室アシスタントが、編集者から「はやくプリントしてくれ!」と急かされて、興奮して慌ててしまったあまり、現像の過程で温度設定に失敗。なんと98枚ものフィルムを溶かしてしまい(!)、なんとかプリントされた写真は、たったの11点だったという。しかも、ピンボケしたりブレたり、きちんと撮れていないものばかり……。
     ところが、『ライフ』誌は商魂たくましい、というか、まったくふざけてるというか、この事実をまだ戦場にいるキャパに内緒にしたまま、残されたピンボケ写真に
    《その瞬間の激しい興奮が、写真家キャパのカメラを震わせ、写真にブレをもたらすことになった》
     というもっともらしいキャプションを勝手につけて、誌面で大々的に発表。すると、このピンボケブレブレ写真が、戦場の凄まじい衝撃をイメージさせることになり、大変な反響となった。
     キャパ自身も 「戦闘の興奮を伝えるためには、ほんの少しカメラを動かしてみるといい」 と何度も後進の報道写真家たちのために語っており、あえてボケ・ブレで撮った戦場写真は多数残っている。銃弾が降り注ぎ、どんどん人が血まみれで死んでいくなかで、表現のためにカメラを動かしながら撮るなんて、それだけで普通の精神状態じゃないが、キャパの代表作は、こんなユーモラスなタイトルだ。
     
     『ちょっとピンぼけ』(ダヴィット社)
    ●反骨精神と架空の写真家「ロバート・キャパ」
     ロバート・キャパは、本名を アンドレ・フリードマン という。アンドレの出身地ブダペストは、もともとは「ブダ」と「ペスト」の二つの都市が合併した場所だ。
  • 「伊藤詩織『Black Box』と三浦瑠麗」小林よしのりライジング Vol.246

    2017-11-07 20:55  
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     元TBS記者で安倍首相と親交の深い山口敬之氏からのレイプ被害を告発した伊藤詩織さんの著書『Black Box』(文藝春秋)を読んだ。
     
     これまで『週刊新潮』の取材記事と、ご本人の記者会見によって、逮捕状が発布されていた山口氏による性犯罪が警察トップによって握りつぶされていたこと、さらに、山口氏本人が内閣情報調査室の人間に“事後処理”を依頼していたことなど、権力者と性犯罪者の卑劣すぎる共謀関係が報じられてきた。
     この本では、被害を受けた詩織さんが、心の傷を負ってボロボロになりながらも、ジャーナリストとして、自身の身に降りかかったことから逃げることなく、世に問題提起しなければならないという使命感から必死の思いで行動し、書き上げたものだ。
    「伝える」ことが強い目的になっており、事件の全容とその後の山口とのメールのやりとり全文、独自の調査、浮上する疑問点、デートレイプドラッグの実態、性犯罪被害者をめぐる現状、被害にあった時の対処法などが全体としてかなり精細に、丁寧に、冷静に、そして抑制的な筆致でつづられている。
     被害者としての本音を吐露した部分は、本当はもっと痛々しく息苦しいほど濃密な表現を選んでもおかしくなかっただろう。けれど、自己憐憫に陥らないよう踏みとどまり、この事件を“公の問題”としてスポットを当てようとする姿勢は本当に立派だし、並みの勇気ではないと思う。
     なかでも、詩織さんが一番かわいがり、この子の将来を守りたいと思い、記者会見の動機のひとつにもなった、年の離れた妹さんが、その記者会見とその後のネット上の中傷などによって傷つき、拒絶反応を示して連絡をとることすらできなくなったこと、そして、詩織さん本人が事件後の一連の経過のなかで、自死を思わせる心理状態を何度も何度も体験していたことは、読み手としてつらく、胸のつまる思いをした。
     警察の捜査を経て裁判所から発布された逮捕状が、警察トップからの電話一本で執行中止になり、加害者は安倍政権の御用コメンテーターとして各局ワイドショーで大活躍、被害者本人が顔出しで記者会見を行って不公正を訴えているという大事件。
     しかし、なぜメディアはほとんど後追い報道をしなかったのか? 八つ墓村の因習で、女性政治家のスキャンダルには執拗に食いつくのに、なぜ?
    「忖度という空気」の蔓延かと思っていたら、本の中で、 政府から明らかな報道自粛要請があった と明かされており、驚愕した。
      翌日、知人のジャーナリストからも連絡があった。
    「政府サイドが各メディアに対し、あれは筋の悪いネタだから触れないほうが良いなどと、報道自粛を勧めている。各社がもともと及び腰なのは想像がつくが、これでは会見を報道する社があるかどうか……。
     でも、会見はやるべきで、ただ、工夫が必要ですね。しかし、なぜ政府サイドがここまで本件に介入する必要があるのか、不可解」
     矢継ぎ早の連絡に、気持ちが混乱した。
     そんな時、「週刊新潮」の記者に、メディアに対して私の会見に関する報道自粛を求める動きが、水面下で拡がっているらしいと話すと、彼は軽い調子で、
    「ああ、知ってますよ」
     と言った。「だから何?」というようなその姿勢に、私はとても勇気づけられた。
    (伊藤詩織『Black Box』より)
     圧力に負けず、取材を断行したのは、「週刊新潮」の記者だけだったのだ。
     メディア関係者のなかには 「タクシーでホテルに到着した詩織さんには意識があり、自分で嘔吐物を処理しており、歩いてホテルに入っていった。だから合意のもとでの行為なんだ」 というデマをばらまく者もいたという。
     意識不明になった詩織さん(デートレイプドラッグを盛られた可能性がある)が、ぐらぐらのまま山口氏に担がれ、床に足もつかないままホテルに連れ込まれていく様子が防犯カメラの映像として残っており、タクシー運転手、ベルボーイにも目撃されているという事実があるのに、である。
     証拠があるのに確かめもせず、デマを鵜呑みにして言いふらすなど、どこのメディアだ? 職務上もっともやってはならないことだろう。
    ■政府によるあきらかな被害者弾圧
     記者会見を行うと、詩織さんが「共謀罪の審議が長引いて、刑法改正案の審議が遅れている」と発言したのを取り沙汰して、 「共謀罪に言及した政治的な会見だ。バックには民進党がいるらしい」 という憶測がネット上に流れた。その後は、詩織さんのもとに嫌がらせや脅し、誹謗中傷の嵐がやってきたという。
     既に連載第40回「内閣ぐるみ!強姦犯・山口敬之の無罪放免を許すな」で書いたが、詩織さんに対するネットの憶測と誹謗中傷の元凶は、内閣情報調査室が作り上げ、ばら撒いたデマだということが発覚している。政府は「民進党が党利党略のために告発を仕組んだ」というデマをでっち上げ、チャート図を作ってマスコミに配布していたのだ。
  • 「グローバリストが共謀罪を望む」小林よしのりライジング Vol.228

    2017-06-20 18:40  
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     安倍政権及び自民党の不祥事一覧は、さすがにみんな食傷気味のようなので、今回は一旦お休みとする。
     と言っても、代わりに書くのも安倍政権における最新で最大の不祥事、共謀罪についてである。
    「共謀罪」法が騙し討ち的な強行採決で成立した翌日・6月16日付朝日新聞社会面に、共謀罪に反対する高山佳奈子・京都大教授と、賛成する井田良(まこと)・中央大院教授の意見が両論併記で載った。
     二人はわしが民進党推薦の参考人として招致された4月25日の衆院法務委員会で、両隣に座っていた人だ。高山教授は共産党推薦、井田教授は公明党推薦の参考人だった。
     高山教授は、組織的テロは現行法で十分対応できると主張している。 予備罪の範囲は広く、共謀共同正犯を組み合わせれば、犯罪の前段階で広範囲の処罰が可能であり、「共謀罪」を作らずにTOC条約(国際組織犯罪防止条約)を締結できた という。
     また、 277の対象犯罪からは、公職選挙法や政治資金規正法などが抜けており、権力にとってだけ都合よく、極めて恣意的にできている ことも指摘している。
     やはりわしは高山教授の主張に納得する。「共謀罪」法は、全く非常識な法である。その目的はテロ対策ではなく、277の対象犯罪について、犯罪が起こらない前に、共謀段階で捕えようというものなのだ。
     そして、 起きてもいない犯罪で捕えるということは、内心の自由を侵食することであり、内心を知るには監視が必要 ということになるのである。
     一方の井田教授が言っていることは、どう見てもデタラメだ。
     井田は 「条文だけ見てあいまいと言う人が多いが、組織的犯罪処罰法の改正という点を認識すべきだ」 と言う。
     これ、本当に法学者?
     どんな事情があろうが、法律の条文が曖昧でいいわけがない。 条文が曖昧であれば、恣意的な運用ができてしまう ではないか!
     井田は、組織的犯罪処罰法が対象とするのは 「指揮命令系統、継続的・反復的な行動」 などがあり 「重大な犯罪の実行」 を目的とする組織的犯罪集団だけで、これは 「諸外国に例を見ないほど十分な縛りだ」 という。
     井田は、国会の論戦を見ていないのだろうか?
     安倍首相は当初、処罰対象について 「組織的犯罪集団に限定されており、一般の人が対象になることはあり得ない」 と強調した。
     ところがその後、金田法相は 「対外的には環境保護や人権保護を標榜していても、それが隠れみのであって、実態として目的が重大な犯罪等の実行にあれば、組織的犯罪集団と認められる」 と答弁。さらに犯罪集団の構成員だけでなく 「周辺者」 も対象だと説明した。
      もう既に、組織的犯罪処罰法の「縛り」は曖昧にされているのだ。
     
    「隠れみのの団体ではないか?本当は犯罪集団ではないか?奴らと関係がある家族・友人ら関係者にも網を張って監視する必要があるな」 と警察が邪推すれば、一般人が監視されることになる。
      現時点でさえ、どう見ても「組織的犯罪集団」ではない者に対して警察が違法な監視活動を行い、問題となった事例が続出している。
  • 「第3次安倍政権&自民党不祥事 2015年(その1)」小林よしのりライジング Vol.224

    2017-05-17 12:05  
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     先週に引き続き、安倍政権及び自民党の不祥事を羅列していくが、その前に先週書き漏らした事項で、後で気がついたものや、読者から指摘されたものを挙げておく。
    平成25年(2013)
    【4月】
     13日 安倍、日本テレビ『スッキリ!!』に出演。
    「安倍首相が本当に来てくれちゃいましたSP」 と題し、首相再就任後初の全国放送出演(ローカルは1月13日の「そこまで言って委員会」が初)。
      本来、放送業界では首相の影響力や、偏向報道との批判が起きることを考えて、首相は共同会見しか放送しないのが不文律だった。
     ところが、安倍は第1次政権発足当初からテレビ局や新聞、週刊誌などに話をもちかけて単独出演を始め、第2次政権以降はさらに活発にテレビ単独出演を繰り返した。
     しかも批判的意見や質問をぶつける出演者がいる報道や討論番組ならまだしも、『ミヤネ屋』『笑っていいとも!』『ワイドナショー』など、 タレント扱いして好印象だけを視聴者に与えるワイドショーやバラエティに出演して、政権のプロモーション活動をした。 これは、明らかに放送法違反である。
    【5月】
     24日  マイナンバー法が成立。
     国民にとって必要な制度でも何でもなく、ただ、国が国民の情報を厳格に掌握することで、徴税の強化と社会保障給付の抑制をしようという仕組みであり、 国民を監視する手段にもされかねない。
    【9月】
     5日 官房長官・ 菅義偉 、記者会見で 「福島県においても年間被ばく量は1ミリシーベルトの100分の1以下」 と、大嘘発言。
    平成26年(2014)
    【4月】
     20日 安倍、読売テレビ『たかじんのそこまで言って委員会』に出演。
    「私はお国のためなら死ねる」という質問に、「△」の札を上げる。
     パネラーの津川雅彦が「総理になった途端に死ぬ覚悟はできているわけでしょ?」と尋ねるも、 最後まで「死ねる」とは答えずにごまかす。
     こんな腰抜けが靖国参拝しても、英霊は不愉快だろうし、意味はないと思うのだが、どういうわけかネトウヨは安倍の靖国参拝を望む。自分も国のために死ねないからだろう。
    【6月】
     16日 環境相・ 石原伸晃 、福島第一原発事故除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設建設に向けた地元との調整をめぐり、 「最後は金目でしょ」 と発言。
     被災地を軽視する発言と批判され、翌日謝罪。
    【7月】
     1日  集団的自衛権の行使を容認する閣議決定。
     歴代政権が一貫して「違憲」と判断し続け、容認するには憲法改正が必要であるはずの集団的自衛権を、 改憲が困難だからと、一内閣の「閣議決定」で容認してしまった。
     憲政史上最大最悪の禁じ手を使ったとしか言いようがなく、これを以て日本の立憲主義は死んだと言って過言ではない。
     3日 安倍、北朝鮮が拉致被害者の再調査を約束したことを受け、独自制裁の一部解除を発表。
     本来、調査報告を受け取り、中身を吟味した上で初めて一部解除するという方針だったはずなのに、 安倍は北朝鮮が 「かつてない態勢」 で調査に臨むと言っただけで制裁解除を決めてしまった。
      当然ながら北朝鮮は約束を守らず、何一つ引き出せずに制裁だけ緩める結果に。
    【8月】
     6日 安倍、広島平和祈念式典に出席。
     9日 安倍、長崎平和祈念式典に出席。
     広島・長崎ともに式典のスピーチの冒頭部分など、およそ半分が前年のものと酷似していた事が発覚。「コピペで被爆者軽視だ」と批判される。
     9日 衆院議員・ 土屋正忠 が、田上富久長崎市長の平和宣言について、
    「長崎市長は核廃絶について語るから権威があるのだ。集団的自衛権云々という具体的政治課題に言及すれば権威が下がる」
    「政治的選択について語りたいなら長崎市長を辞職して国政に出ることだ」
    とブログで批判。
     だが、平和宣言は市長が単独で起草するものではなく、「集団的自衛権」への言及を求めたのは被爆者協議会会長だった。
     10日 安倍、台風が西日本を縦断して死者・行方不明12名、避難勧告・指示の対象者130万人以上という大災害の中、長野県の別荘で予定通りの夏休み。
  • 「失言にも言霊が宿っていることを忘れるな!」小林よしのりライジング Vol.222

    2017-05-02 18:05  
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     仮にも復興担当相という職にある者が、
    「これ(大震災)がまだ東北で、あっちの方だったから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な、甚大な被害があったと思っている」
    と公の席で発言するなど言語道断だということは、言うまでもない。
     ところがそんな言うまでもないことを、いくら言ってもわからない者がいるのだから、呆れ果てる。
     
     今村雅弘復興相(当時)は4月25日、自民党・二階派のパーティーでの講演で問題の発言を行い、直後に記者から「『東北でよかった』と受け取られかねない」「被災地のことを思っていないのではないか」と詰め寄られ、
    「わかりました。そういうことならぜひ取り消す。たいへんな被害だったということは十分言ったつもりだ。撤回すべきということなら、もちろんあれしておく。真意はそういうことだ」
    と答えた。
     この時点ではまだ強気な表情を崩さず、それほど頭も下げなかったが、安倍首相がその直後に同じパーティーのあいさつで
    「極めて不適切な発言がございましたので、総理大臣として、まずもって、冒頭におわびをさせていただきたいと思う次第でございます」
    と発言すると、態度が一変。
    「私のたいへん不適切な発言、表現について深く反省し、おわびを申し上げる」
    と言って、深々と頭を下げた。
     今村はこの時点では閣僚を辞任する考えはないと言っていたが、翌日辞表を提出。事実上の更迭だった。
     今村は4月4日の記者会見で、福島第一原発事故に伴う自主避難者について、フリーの記者から「帰れない人はどうするんでしょうか」と質問されて 「どうするって、それは本人の責任でしょう。本人の判断でしょう」 と答え、「自己責任ですか」と重ねて質問されると 「それは基本はそうだと思いますよ」 と認めた。
     これに記者が「そうですか。分かりました。国はそういう姿勢なわけですね。責任をとらないと」とさらに追及すると、今村は 「うるさい!」「出て行きなさい! もう二度と来ないでください、あなたは!」 とブチ切れ、会見場を出て行ってしまった。
     これに対して、ネトウヨは記者の方が無礼だとか、実は記者は左翼の活動家だとか言っているが、的外れとしか言いようがない。
     橋下羽鳥の番組でも、橋下らがこれを擁護しようとしていたから、わしは反対しておいた。
     フ リーランスの記者は権力者をイラつかせて、あらかじめ用意された建前の返答を崩して、本音を引き出すくらいのことをやるものであり、むしろそこに価値があると言っていい。
     欧米ではそれが当たり前だが、日本は記者クラブがあるから、政府に厳しい質問をする記者がいない。だから日本の報道の自由度ランキングは世界で72位なんてランクになるのだ。
      大臣の失言を見逃して、ただ政権の公式発表を垂れ流すだけなら、ジャーナリストなんかいらない。政府広報さえあればいいということになる。
     今村が派閥のパーティーで講演の場を設けてもらったのは、この記者会見における不始末に対する名誉挽回のためだったようだが、それが皮肉にも墓穴を掘る結果となった。
     今村はブチ切れ会見や「東北でよかった」発言の際、『エヴァンゲリオン』のキャラクターのネクタイをしていて、それも相当の違和感があった。
     今村はこのネクタイを福島の会社からもらい、復興の「動く広告塔」として着用していると言っていたが、『エヴァンゲリオン』の製作者側によれば、福島の会社と『エヴァンゲリオン』は無関係で、当惑しているという。
     いずれにせよ、『エヴァンゲリオン』など見ているはずもないのに、ウケ狙いでTPOも無視してアニメネクタイをする軽薄さと、失言を繰り返す体質が同根であることは間違いない。
     ところが、こんな失言を擁護する者がいるのだ。
  • 「下着ドロ大臣を見逃していいか?」小林よしのりライジング Vol.154

    2015-11-03 22:15  
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      もしも政治家として有能であれば、下着ドロボーの過去があっても許されるのだろうか?
     高木毅復興・原発事故再生担当大臣のスキャンダルを聞いて、まず浮かんだのはそんな疑問だ。
     高木の場合、30年も前の話で立件もされていないとか、たとえ立件されて有罪になったとしても、刑期が終われば済んだことになるとか言うかもしれないが、わしはそんな「刑法上」のことを言いたいのではない。「モラル」を問題にしているのだ。
     特に「下着ドロ」なんてものはフェティシズムの一種で、基本的に一生変わらない。いまもそういう性癖を持っているはずの人物を大臣にすることに、モラル上の問題はないのかと問いたいのだ。
     例えばわしが過去に下着ドロをやっていたとして、それがばらされたら、それがどんなに昔のことであろうと、信用性を失って、編集部にも「下着ドロにエラそうに政治や道徳について語ってもらいたくはない」という抗議がきたりして、連載を打ち切られるかもしれない。『ゴーマニズム宣言』の性質上、下着ドロの過去は大目には見られないと思う。
     だがそれでもフィクションを創る実力があれば、ペンネームを変えて描くという手もある。それで作品が面白ければ漫画家を続けていくことは可能だろう。
     寺山修司だって、住居侵入容疑で罰金刑を受けた事件を、マスコミが「のぞき」で捕まったと大々的に書き立て、晩年はすっかり「のぞき犯」のイメージがついてしまったが、それによって作品自体の価値が下がるということはない。
     特にミュージシャンは、前科がそれほど問題にならないのかもしれない。小室哲哉は近頃かなり再評価され、活発に活動しているようで、もう5億円の詐欺事件で有罪判決を受けたことなど、なかったかのようになっている。
     覚醒剤などの薬物事件を起こしても復帰は可能で、岡村靖幸は覚醒剤で3回も逮捕され、2年服役しているが、現在は新曲もリリースし、全国ツアーも行っている。
     一方、ASKAは昨年懲役3年、執行猶予4年の有罪判決が確定して以降、ほとんど近況も伝えられず、全CDも回収・販売中止になったままのようだが、近年は違法行為に対する風当たりが強くなったのだろうか? だがそれでも、更生していい作品さえつくれば、再び認められることも十分可能であろう。
     では大臣ならどうだろう?
     政治家の技量があれば下着ドロの過去は不問に付されるか?
      全然そうは思えない!
     やっぱり政治家はアーティストとは全く違う。余人をもって替え難い技量を持つ政治家なんて、いるもんじゃない。大臣の替えなんかいくらでもいるだろう。そもそも政治家は税金で食っているのだ。だったら、下着ドロに大臣をやらせるというのはさすがにやばい。それこそ国民のモラル・ハザードを招くことになる。
     高木毅が下着ドロだったというのは地元や永田町では昔から有名な話だったようで、高木が大臣になるやいなや、「高木といえばパンツだぞ。大丈夫か?」とか、「下着ドロボーを大臣にするとは、官邸の身体検査はどうなっているんだ」と大騒ぎになったという。
     もっとも、高木が下着ドロというのは噂話の域を出ていなかったのだが、週刊新潮が大臣就任の「お祝い」を兼ねて現地で裏付け取材を行い、事件の目撃者や被害者の妹の証言を得て、それが事実だったと報道。大騒動となり、高木は第3次安倍改造内閣の新閣僚中、真っ先に全国に顔と名を知られることとなった。
  • 「憲法に理想や道徳は要らない」小林よしのりライジング Vol.153

    2015-10-27 16:25  
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     それにしても、「憲法9条」がノーベル平和賞をとらなくて本当によかった。
     チュニジアの民主化団体が受賞したのは、「アラブの春」がもたらしたシリアなどの惨状も顧みず、相変わらず中東の歴史・文化を無視して、民主化こそが至高の価値だと信じ切っている西洋の傲慢を感じさせられるので不愉快ではあるが、それでも憲法9条がとるよりはまだましである。
     しかし、これからも毎年毎年、村上春樹のファンと憲法9条信者がから騒ぎするのを、この時期の風物詩としてながめなければならないのだろうか? そう思うと、なんだかうんざりする。
    「憲法9条にノーベル平和賞を」というのは、神奈川県の38歳の主婦が2年前に思いつきで始めた運動だ。
     彼女は20代でオーストラリアの大学に留学したとき、スーダンの難民から、小学生の時に両親を殺され、正確な年齢も知らずに育ったと聞き、平和や9条の大切さを実感したという。
     おいおい、スーダンは憲法9条がないから内戦をやってるのか?
     その後、二人の子供の母親となって「子どもはかわいい。戦争になったら世界中の子どもが泣く」と思ったが、子育てで家を空けられず、集会やデモには参加できないので、自宅でできることはないかと思って始めたのが、この運動なのだそうだ。
     まずはインターネットで見つけたノーベル委員会に、英文で「日本国憲法、特に第9条に平和賞を授与して下さい」とメールを計7回送ったが、なしのつぶて。
     そこで署名サイトを立ち上げ、集めた約1500人の署名を添えてノーベル委員会に送信すると、ノミネートの条件を記した返事が来たという。
     それを読んで初めて、ノーベル平和賞の受賞者は人物か団体に限られ、「憲法」は受賞できないことや、「立候補」は受け付けておらず、国会議員や大学教授、平和研究所所長、過去の受賞者など、ノーベル委員会が依頼する推薦人によって候補者がノミネートされる仕組みであることを知ったそうだ。
     それで、候補者を「憲法9条を保持している日本国民」にして、どっかの推薦人の協力をとりつけて、ノミネートにこぎつけたらしい。
     なんだかツッコミどころ満載の話で、この異常な「ノーベル賞信仰」にもひとこと言いたくなるが、ここで問題にしたいのは、この主婦が憲法9条にノーベル平和賞を受賞させたいと思った理由だ。
     彼女は2012年の平和賞を欧州連合(EU)が受賞したのを見て、
    「EUには問題もあるが、ノーベル平和賞は、理想に向かって頑張っている人たちを応援する意味もあるんだ。日本も9条の理想を実現できているとは言えないが、9条は受賞する価値がある」
    と考えたのだそうだ。
     憲法9条信者は全員、このように 「9条には、人類の理想が書かれている」 と思っているのだろう。
      そもそも、これが根本的な間違いなのである。
      憲法は、「理想」を記すものではない!!
      憲法は、国民が権力を縛る「道具」にすぎない。 道具に「理想」を込めてどうなるんだ?
  • 「衆院解散になぜ大義が必要なのか?」小林よしのりライジング Vol.110

    2014-11-25 20:35  
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     わしもブログに書いたし、多くの識者も指摘していることだが、今回の衆議院解散・総選挙の理由は、安倍晋三首相が「 今なら勝てそう 」と踏んだからだ。
     来年になったらもっと状況が厳しくなるから、まだ支持率が高く、野党の足並みが揃わないうちに解散総選挙に打って出ようとした。それだけである。
     そもそも内閣改造からたった2ヵ月半で解散というのもデタラメだ。文庫化された『天皇論』を読んでほしい。
      新内閣が発足する際には、天皇陛下は首相から人事についての説明を受けた上で、首相、大臣、副大臣ら40枚以上にもなる官記一枚一枚に署名押印するという大仕事をなさるのである。
     しかし安倍はご高齢の天皇陛下に負担をかけることなど何とも思っていない。改造内閣で噴出した政治とカネの問題を、とにかく早くリセットしたいだけだ。 安倍政権の唯一の目標は、政権自身の延命。それしかないのだ。
      よく「解散は総理の専権事項」と言うが、実はこれに憲法上の根拠はない。
     衆議院解散を定める憲法の規定は、7条と69条の二つだけである。
      第7条は、衆議院の解散を「天皇の国事行為」と規定しており、天皇陛下の「解散の詔書」がなければ解散はできないことになっている。
     もちろん国事行為は内閣の「助言と承認」が必要だと第3条に規定されているので、実際に解散を決定するのは内閣総理大臣である。
      では何故、憲法上、内閣総理大臣“単独”の専権事項とされないのか。
     高森明勅氏は以下のように解説している。
    国権の最高機関たるべき国会の衆議院の任期満了前に、
    全議員の資格を奪う解散は、国家にとって重大な意味を持つ。
    よって、それがその時々の首相の私利私欲、党利党略など、
    恣意的な理由によってなされてはならないからだ。
    歴史に担保された「公」の究極の体現者で、
    国民統合の象徴たる天皇の尊厳と神聖を汚すような振る舞いは、
    決してしてはならないという規範意識を、
    政治指導者が普通に備えていれば、天皇の国事行為への
    「助言と承認」にあたり、道を踏み外すことはないはず―
    との前提に基づく仕組みと言えよう。
    従って、この仕組みが有効に機能するか否かは、
    専ら首相の「公共の利益に奉仕する者」としての、
    プライドと嗜みにかかっている。
     それでは、どういう時に首相は衆議院を解散できるのか。
      憲法69条は、衆議院で内閣不信任案が可決されるか、あるいは信任案が否決された場合に、内閣は衆議院を解散して民意を問うか、もしくは総辞職しなければならないと定めている。
     憲法に明文化されている解散の条件はこれだけだ。
     内閣が不信任を突き付けられた場合に行なう解散を「 対抗的解散 」という。
     これに対して、首相が自分の都合のいい時に勝手に解散することを「 裁量的解散 」というが、これを行なう根拠は憲法上にはない。
      ただし、中には「第7条」が根拠だとする意見もある。
     7条によって天皇の国事行為として解散され、その解散は「承認と助言」という形で首相が決めるのだから、事実上、首相が勝手に解散を決められることになっているというのだ。
     そしてこの議論においては、裁量的解散は「7条解散」、対抗的解散は「69条解散」と呼ばれる。
      だが、この「7条解散」という考え方はあまりにも牽強付会であるばかりでなく、実に不敬である。
     上に紹介した、天皇の国事行為とされていることの意味を全く理解せず、天皇は首相の決定にただ「めくら判」を押してるだけで、その存在はオミットしてよいと言っているに等しいのだから。
     現行憲法下で今回23回を数える解散のうち、内閣不信任による対抗的解散は4回しかなく、残る19回は首相の専権事項として発動された裁量的解散である。
      裁量的解散は本来違憲行為であるだけでなく、行政権(内閣)が一方的に立法権(国会)を侵害するものであり、三権分立の原則にも反する。
     ところが司法権(最高裁)が昭和35年(1960)、その合憲性を争った裁判の判決で「 衆議院解散の効力は、訴訟の前提問題としても、裁判所の審査権限の外にある 」として判断から逃げ、そのまま今日に至っているのだ。
      首相が自分に有利な時を狙って自在に行える解散は、対等な競争条件が確保されるべき選挙にふさわしくなく、ここまでフリーハンドで解散権が行使できる国は他にあまり例がない。
      あえてこれを是認するとすれば、解散するにふさわしい明らかな理由があり、総選挙で国民の審判を仰ぐべきだという「大義」が存在するということが絶対的な条件となる。
     今回の解散に当たって「大義がない」という非難が相次いだのも、安倍が必死に「何のための解散か」の理由づけをしていたのも、そのためである。
      ところが安倍シンパには「大義がない」という批判に対して「大義なんか必要ない」と居直る者までいる。
  • 「『吉田調書』朝日バッシングの影に隠れた重大問題」小林よしのりライジング号外

    2014-09-23 12:30  
    102pt
     よく飽きもせず、という感じで朝日新聞バッシングは継続中だが、その論点はもっぱら慰安婦問題の方に集中している。
     9月11日に行なわれた朝日新聞の木村社長の記者会見は、福島第一原発事故の「 吉田調書 」に関する誤報記事の取り消しと謝罪が中心で、慰安婦問題の謝罪はついでという感じだったのだが、逆に「吉田調書」の方にはあまり関心が向かないような状況になっている。
     だが吉田調書報道については、あまり語られていない重大な問題がある。
     朝日が吉田調書を読み間違え、事故発生当時に約9割の所員らが吉田昌郎所長の命令に違反して撤退したとする誤報を出してしまった理由は、やはりVol.98で検証したとおりだった。
     木村社長は記者会見で「 思い込みや記事のチェック不足などが重なったことが原因 」と語ったが、なぜその「思い込み」が起きたかといえば、それは朝日が「脱原発」をイデオロギー化していたからなのだ。
    「脱原発」にせよ「原発推進」にせよ、イデオロギー化すると、情報を自分の都合のいいように捻じ曲げて解釈したり、都合の悪い情報は隠蔽したりする。「原発推進」のメディアが、原発なしでこの夏は乗りきれないと毎年のように宣伝したのも、イデオロギー化によるプロパガンダだった。
      そもそも吉田調書には、もっと注目すべき重大な箇所があったのに 、朝日新聞の大チョンボによって、誤報問題ばかりが注目され、慰安婦問題の陰に隠れてしまっている。由々しきことである。
     公開された「吉田調書」では、吉田元所長は事故当時の菅直人首相についてボロクソに言っている。
    「逃げたと言ったとか言わないとか菅首相が言っているんですけども、何だ馬鹿野郎というのが基本的な私のポジションで、逃げろなんてちっとも言っていないではないか。注水とか最低限の人間は置いておく。私も残るつもりでした」
    「『撤退』みたいな言葉は、菅氏が言ったのか誰がいったか知りませんけども、そんな言葉、使うわけがないですよ。テレビで撤退だとか言って、馬鹿、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」
    「アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」
     さらに、菅氏が首相辞任後、東電が逃げるのを自分が止めたかのような発言をしたことに対しては、
    「辞めた途端に。あのおっさん(菅氏)がそんなの発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが辞めて、自分だけの考えをテレビで言うのはアンフェアも限りない。事故調としてクレームつけないといけないんではないか」
    と批判している。
     さらに、菅政権が設置を決定した政府の事故調(事故調査・検証委員会)の初会合で菅氏が「私自身を含め被告といったら強い口調だが」と発言したことについては、
    「私も被告ですなんて偉そうなことを言ってい たけども、被告がべらべらしゃべるんじゃない、馬鹿野郎と言いたいですけども」
    と怒りを顕わにしている。
     そして、「 あのおっさん 」「 馬鹿野郎 」「 アホみたいな国のアホみたいな政治家 」…と、あまりにもストレートに心情を吐露したこれらの発言を根拠に、菅元首相への批判や責任追及の声が再燃する事態となっている。
      だが、吉田調書だけを根拠に、これを絶対視して誰かを批判したり、責任追及をしたりするようなことは、決してやってはいけないことなのである。
      そもそも、吉田調書を作成した政府の 事故調 というものは裁判や審判とは違い、当事者の責任を追及するための機関ではない。
     航空事故や海難事故などの調査・検証委員会と同様、事故原因を究明して、将来の事故を防ぐための知恵と教訓を得るために設置されるものなのだ。
     菅氏は事故調の初会合で「私自身を含め被告」と言っているが、つまり菅氏も「事故調」とはどういうものなのかをよく理解していなかったことになる。
      事故調が検証の過程で得た調書などは「絶対非公開」が大原則である!
     発言に責任が問われず、非公開であるからこそ関係者は誰をはばかることもなく、何でも差し障りなく発言することが可能となる。
     そうして集めた証言や資料を照合、分析、検証して事故原因を特定し、未来への教訓にしようというのが「事故調」というものなのだ。
     よって、 最終的に得られた事故調の検証結果は開示されなければならないが、 検証過程の聴取記録は「免責かつ非開示」 というのが世界標準の普遍的な原則である。
     吉田氏が暴言気味の言葉まで用いて菅氏を批判しているのも、「絶対非公開」が前提だからだ。
     また、吉田氏が、菅氏がテレビで自分の考えを話したことに憤っていたのも、事故調の調査対象者は非公開で証言し、事故調によって他の証言と照合する等の検証を受けなければならないからである。
     吉田氏を始め他の対象者は皆そのルールを守っていたのに、菅氏だけがテレビで自分の考えを話したことが「アンフェアも限りない」からであり、こんな行為には事故調がクレームをつけなければならないはずだったからである。
      しかも吉田氏は生前、もともと非公開が原則なのに、さらに念を押して公開を望まないという上申書を提出している!
     吉田氏が公開を望まない理由は二つあった。
     一つは、
  • 「安倍政権が掲げる『女性の地位向上』は本物か?」小林よしのりライジング Vol.91

    2014-07-01 19:40  
    153pt
     女性に対して媚びを売ったり、かっこつけようとしてるわけではない。東京都議会の女性蔑視ヤジの光景を見て、これほどまでに男尊女卑は、強烈に生き残っていたのかと驚嘆してしまったのだ。
      男女平等とか、草食男子とか、すべてまやかしだった。
     あの議員たちはジジイではない。わしより若い男たちばかりである。その連中が「公」の場、都議会場で「集団レイプ」のようなマネをしている。
     他の議員は、集団レイプされてる女性を激怒して止めるどころか、次々参加するか、薄ら笑いを浮かべている。
     さらに女性議員もいるにも関わらず、集団レイプを止めようとしない。事件が表沙汰になったあとも、レイプ犯どもを匿っている。
     こんな気色の悪い光景があろうか?全員逮捕して、首を吊るしたいくらいだ。
     議会において、こんな野蛮な事件があれば、世界の報道機関が目を向けるのは当然で、普段「国益、国益」と言っている自称保守、自称愛国者、ネット右翼は「 大した問題ではない 」と鈍感なままである。
     マスコミをマスゴミと呼び、マスコミの逆張りの意見を言うことしか能のないネット右翼は、あろうことか女性蔑視ヤジ議員を擁護し、女性議員の方を叩いている。
     ネット右翼の価値観の基準は「 アンチ・マスコミ 」と「 強烈な男性優位 」らしいが、 男らしさとは何か 、 「マッチョ」とは何か すら考えた気配がない。
     女性蔑視ヤジ男・鈴木議員は、尖閣に上陸して愛国者を気どっていたわけだが、尖閣に上陸したり、好戦的なタカ派発言をしたりさえすれば「愛国者」で、勇敢な「マッチョ」という単細胞な価値判断はうんざりする。
     石原慎太郎や田母神俊雄が「マッチョ」という反知性主義はそろそろ侮蔑されるべきである。
     一度は記者たちに「寝耳に水」ととぼけ、犯人は議員辞職すべきとまで言っていながら、逃げられなくなったら「 誹謗するためではなかった。早く結婚してほしかったから 」とアホそのものの言い訳をして、議員は続けると言い、しかも他のヤジ議員たちの名前は隠し通す。
      この卑怯者のどこが「マッチョ」か?
     報道ステーションが野次の分析をして、明確な音声を抽出していたが、
    「 自分が早く結婚した方がいいんじゃないか? 」
    「 自分が産んでから 」  
    「 先生の努力次第 」
    「 やる気があればできる 」
    「 産めないのか? 」
    ・・・などの暴言が聞き取れ、まるで山賊みたいに、下卑た笑い声が混じっていた。塩村議員が「楽しんでいるようだった」と言っていたが、まさにその通りだ。
     集団レイプを楽しむ男、それを見て見ぬふりする男女しかいなかった。
    「男は弱い女を守るもの」 (フェミニズムから見たら噴飯ものだろうが) という最低限の「マッチョイズム」も発揮されなかった。
     政治家のくせに、晩婚化・少子化という日本の危機を、本気で考えるつもりもなく、「 女がさっさと結婚すればいいだけ 」としか考えてないのは、国家の永続を妨害する国賊である。
     そんなこともわからない人間が「愛国者」であるはずがない。
     これらのヤジ暴言は海外メディアで「 セクハラではなく、女性への差別 」と報道され、日本は女性の人権が軽視されている国として世界中に宣伝されてしまった。
      このイメージは慰安婦問題と確実に結びついてしまう。日本は「女性の人権」を意に介さないタリバンみたいな男に支配された国だと。
     もちろん、河野談話の「見直し」など益々出来ない事態になった。
     これを大した問題ではないと決めつけ、意にも解さないようでは、愛国者からはあまりに遠い。
     皇位継承問題で、「男系絶対固執」を主張してる連中と、今回の都議会の女性蔑視ヤジを支持してる連中は重なっている。
     女性に対するあのような蔑視感覚は、もはや単なるフェミニズムやヒューマニズムの観点から見た悪というだけではない。
      ナショナリズムの観点から見て、男尊女卑は「国賊」なのである!