• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 4件
  • 「山口敬之氏手記『私を訴えた伊藤詩織さんへ』を再読する」小林よしのりライジング Vol.305

    2019-02-26 21:15  
    150pt
     いささか旧聞に属するが、2017年12月号の月刊「Hanada」で、フリージャーナリストの山口敬之氏の独占手記が掲載された。タイトルは「私を訴えた伊藤詩織さんへ」。
     掲載された当時、一読して「なんだ、この被害者ヅラは!」と、ものすごい違和感を覚えた。何しろ本論に入る前にこう書いているのだ。
    事実と異なる女性の主張によって私は名誉を著しく傷つけられ、また記者活動の中断を余儀なくされて、社会的経済的に大きなダメージを負った。  名誉? 記者活動の中断? 社会的経済的に大きなダメージ? 
     え。なに。被害者のつもりなの? 
     もう最初からこんな調子なので、少しも頷くところがない。レイプ被害に遭った女性は、名誉とか経済的ダメージなどとは次元が全く違う苦しみの中にいるんですけど? 
     この記事は、レイプ被害に遭った伊藤詩織さんが記者会見を開き、民事訴訟を起こすことを知ったため、 「自らの見解を『当該女性への書簡』という形で申し述べる」 として書かれた手記である。けれど最後まで気分の悪い違和感だけが残り、熱心にもう一度読み直すという気持ちにはなれなかった。
     ところが今回、小林先生が山口氏から名誉棄損で訴えられた。私も詩織さんの『Black Box』を読み、さらには違和感ありまくりの山口氏の手記(以下、山口手記)を再び読み返すことになった。まったく不愉快だけど、こうなったらいろいろツッコミを入れながら読んでやろう。以下に記すのは、そんな私のツッコミの記録である。
     詩織さんと山口氏は当然のことながら事実認識が異なる(性暴力の有無だけでなく、たとえば山口氏のTシャツの貸し借りの認識の相違やトイレの回数など)。今回は、その事実認識の真偽を明らかにすることが目的ではなく(そもそもそんなことはできない)、あくまでも山口手記の文章に対する私の見解を記していることを最初にお断りしておきたい。ただし、私は詩織さんが書いた『Black Box』の内容を全面的に信用している。彼女が顔と名前をさらして性暴力を告発した勇気こそ、信頼に足るものだと思うからだ。
     山口手記を読んだことがない人もいると思うので、まずはこの記事について概観しておこう。
     山口氏は、詩織さんの性暴力に対する訴えが、検察審査会の「不起訴処分は妥当」とする結論によって刑事事件としては完全に終結したこと、しかし詩織さんが民事訴訟に打って出たので、自分も主張の一部を示すとして、書簡風にそれを綴っている。その主張は、【1】「デートレイプドラッグ」、【2】「ブラックアウト」(アルコール性健忘)、【3】詩織氏特有の性質、【4】あとから作られた「魂の殺人」、【5】ワシントンでの仕事への強い執着、という5つの項目に分けられている。このうち【1】と【2】では、事件当日に飲食店2軒をハシゴしたこと、自分はデートレイプドラッグなど「聞いたことも見たこともない」こと、詩織さんはアルコールの影響で記憶を失うブラックアウトであったのではないかと主張している。その上で、酒に強く、この程度の酒量で記憶をなくしたことはないという詩織さんに対し、【3】詩織氏特有の性質がある、つまり思い込みが激しいのだと記す。また【4】では、「レイプは魂の殺人です」と訴えた詩織さんに対し、その怒りは最初から一貫していないことをあれこれと具体的な事例を挙げて説明している。続く【5】では、詩織さんが仕事を斡旋するよう執拗にメールを送ってきたと困惑気味に記し、挙句に野党議員がこの問題を取り上げ、自分が誹謗中傷にさらされていると被害者ヅラしている。
     以上が、記事の概略である。
    「なぜか」を多用するイヤらしさ
     山口手記で最初に気になったのは、「なぜか~~した」という記述が4か所もあるということ。ほかに似たようなニュアンスで「不思議なことに~~になった」とも書いている。細かいことだけど、こうした言葉の使い方には、書いた本人の意識が透けて見える。
     詩織さんの会見に先立ち、 なぜか 『週刊新潮』がセンセーショナルに報じ、 なぜか 複数の野党政治家が詩織さんの側に立って質問するようになった。そして なぜか 、こうした野党政治家の主張に共鳴する集団(共謀罪反対や反原発を唱える組織)が自分を糾弾するようになった。で、山口氏は言う。 「これはまったくの偶然なのでしょうか?」
     要するに、詩織さんがマスコミと結託し、野党政治家を巻き込み、ある特定の政治信条を持つ人々とつながり、私(と、私が支える安倍政権)を追い込もうとしているのではないか、と言いたいのである。こうした陰謀論めいた書き方は「Hanada」読者の大好物なのだろう。筆が滑ったのか、あるいはあえて書いたのか、 「 どういう思惑と連携があったかは知りませんが 、複数の野党の国会議員や支援者があなたを支援し」 云々と、陰謀が前提になっているかのような記述もある。
  • 「伊藤詩織著『Black Box』事件全容一覧」小林よしのりライジング Vol.304

    2019-02-19 20:50  
    150pt
     ジャーナリストの伊藤詩織さんが実名で顔を出してレイプ被害を訴えたのち、出版された『Black Box』(文藝春秋)。
       この本のなかで、詩織さんをレイプしたとして描かれているY氏は、捜査の末に逮捕状が発布されたにも関わらず、逮捕当日に警視庁上層部からの鶴の一声で「逮捕中止」の“恩恵”を受けている。Y氏は安倍晋三、麻生太郎らと個人的に非常に近しい間柄であり、その様子はY氏本人が出版した『総理』(幻冬舎)につぶさに描かれた。
    ■公私ともに総理と親しいY氏
     
    『総理』(幻冬舎)より抜粋
     7月26日、私は逆風の渦中にあった安倍と東京・富ヶ谷の私邸でじっくり話す機会があった。白いサマーセーターにチノパンというくつろいだ姿でリビングルームのソファに腰かけた安倍は――
     またしばらくの沈黙の後、今度は安倍が口を開いた。
    「お通夜に行くんだけど、一緒に行かないか?」
    「もちろんです。ありがとうございます」
     富ヶ谷の安倍の自宅で待ち合わせをして、安倍の車で中川(昭一)の東京・世田谷の自宅に向かった――
     麻生と安倍。私は何度となく3人で食事をし酒席をともにした。この経験を通じて断言できるのは、永田町広しといえどもこの二人ほど、いわくいいがたい独特かつ特別な関係は見たことがないということだ――
    「本年4月より8%の消費税を国民の皆様に(…中略)」
     安倍は本番さながらに、私に向かって語りかけた。目の前で、現職の総理が解散を宣言している。私はまるで自分が、官邸1階の記者会見室にいるような錯覚にとらわれた――
     翌日日本に向かう政府専用機の機内で安倍が麻生と協議した末に増税時期を最終決断するという段取りになっていた。しばらく考え込んだ安倍は、
    「Yちゃん、ちょうどいいからさ、麻生さんが今何を考えているかちょっと聞いてきてよ」
     これは大変なことになったと私は思った。解散と増税をめぐる、総理と財務大臣の腹の探り合いを私に仲介しろというのだ――
     
     Y氏が出版した『総理』(幻冬舎)には、Y氏が第一次安倍政権退陣後、辛酸をなめている間もずっと安倍に寄り添いつづけた様子とともに「復活を遂げ生まれ変わったスゴイ安倍首相」がたっぷりと描かれている。
     私邸で会う仲であるだけでなく、安倍に誘われて一緒に中川昭一氏のお通夜に出向き、意見を出し合って戒名をつけたり、民主党政権時に起きた東日本大震災で、安倍に誘われて一緒に東日本大震災へ支援物資を運びにいったりと「公私ともに」密着している間柄だ。2014年の「消費増税先送り解散」の際には、前夜に同じホテルに宿泊していた安倍晋三と麻生太郎それぞれから、気楽に部屋に呼びつけられ、それぞれの部屋を往復して、首相秘書官よろしく「首相見解」と「財務大臣見解」の綿密な伝令役まで果たしていた。
    ■「ストップを掛けたのは警視庁のトップです」
     一方、伊藤詩織さんの『Black Box』では、Y氏との生々しい会話やメールでのやりとり、その時の詩織さんの心情とともに、最初に相談した高輪署の刑事の対応、意識がなくなった詩織さんを抱えて部屋に連れ込むY氏が映り込んだホテルの防犯カメラの映像、その際に二人を乗せたタクシー運転手の証言、ホテルの部屋を掃除した記録などひとつひとつ「犯行」と「Y氏の嘘」の証拠を積み重ねてゆくも、逮捕状の執行が止められてしまうという一部始終が記録されている。
  • 「平成のわし、活躍しまくり」小林よしのりライジング Vol.303

    2019-02-12 22:35  
    150pt
     平成って、わしがすごく活躍した時代だったのよ、知ってる?
     先日は保守思想誌「表現者クライテリオン」が「平成の小林よしのり」でインタビューに来たし、今度は西日本新聞が「平成の小林よしのり」でインタビューに来ることになっている。
     それで意識したのだが、平成は、小林よしのりの時代だったのだよ。
     そういえば『おぼっちゃまくん』のテレビアニメ放送開始は、平成元年1月15日だった。
     1989年1月15日のスタートは前年から決まっていたのだが、昭和天皇の御病気で全国を上げての自粛ムードになってしまい、こんなアニメが放送できるのかと危ぶまれた。
     そして昭和64年(1989)1月7日、昭和天皇崩御。
     これはもう放送延期もやむなしかと思っていたら、その後、自粛ムードは予想外に早く解消して、1週間後には世の中の雰囲気もほぼ平常通りに戻り、放送は予定通り開始された。
     そんなわけで、決して意図してそうなったわけではないのだが、『おぼっちゃまくん』は「平成最初のテレビアニメ」となったのだった。
     思えば、手塚治虫が死んだのが平成元年2月9日。手塚は昭和3年生まれだったから、ほとんど昭和と共に生まれ、昭和と共に逝ったようなものだ。
     手塚治虫の昭和が去り、小林よしのりの平成が来た…なんて言ったら、さすがに言い過ぎか?
     その平成も、再来月いっぱいで終わりを迎える。
     そんなわけで、今回は平成のわしの活躍を、年ごとに振り返っておこうと思う。なお、登場する人物の肩書等はすべて当時のものである。
    平成元年(1989)
      テレビアニメ『おぼっちゃまくん』放送開始。
     この年、わしは『おぼっちゃまくん』で第34回小学館漫画賞児童向け部門を受賞した。
     しかし審査員の老漫画家が講評で 「絵は下手だし品はない」「次回からはヒットしているとか、アニメになったとか関係なしに選びたい」 とボロクソ言ったためにブチキレて、受賞スピーチで 「絵が下手で、品のない漫画を描いて漫画賞をもらった小林です。この漫画賞の汚点になるかもしれないのに、わしの作品に賞を与えてくれた審査員の勇気に感謝します」 と皮肉をかました。
     これはかなりの問題になったようで、次回から審査員は総入れ替えになった。
      
    平成2年(1990)
     アニメが大ヒットとなり、『おぼっちゃまくん』を描きまくっていた。
    「コロコロコミック」は月刊誌だが、本誌の他に別冊、増刊にも描いていたし、コロコロの初代担当編集者が移動していた関係で「小学4年生」でも連載、他にも「少年サンデー」や、コロコロの妹雑誌「ぴょんぴょん」(というのがあったらしい)に出張掲載したこともある。
     時はまさにバブル絶頂期で、『おぼっちゃまくん』は完全に時代を捉えていた。
    平成3年(1991)
     この年も『おぼっちゃまくん』を描きまくっていた。
     そして『おぼっちゃまくん』のヒットによって、『東大一直線』をはじめとする過去の作品が続々と新装版で出版されていった。
     一方、 月刊誌「宝島」でも、『おこっちゃまくん』というタイトルの見開き2ページのエッセイ漫画を描いていた が、編集者が作品を全く理解していないので、嫌になって自分で連載を打ち切った。
     すると、「週刊SPA!」の渡邊直樹編集長が「うちで描いてほしい」と言ってきて、これが『ゴーマニズム宣言』につながる。
    平成4年(1992)
      年明けから「週刊SPA!」で『ゴーマニズム宣言』の連載開始。
     スタート時は隔週2ページだったが、評判が良く、11回目から毎週連載になった。
     他愛ないエッセイ漫画的な内容も多いが、後の『差別論』の原点といえる『差別だらけの社会を糾弾せよ!』『青春の差別』はすでにこの年に描いている。
     また、編集者の企みで薬害エイズ訴訟の傍聴に出かけ、怒りでブチキレそうになったという心情も描いている。
     一方で『おぼっちゃまくん』も、1回50ページ・前後編の長編エピソードを描くなど、表現の幅を広げていった。
  • 「運動のなれの果ての狂気」小林よしのりライジング Vol.302

    2019-02-05 20:15  
    150pt
     わしは「運動」が大嫌いである。
     ここでいう「運動」とは、「体育・スポーツ」の「運動」ではない。
    『広辞苑』でいえば4番目の意味で、 「目的を達するために活動すること」 。つまり 「社会運動」 とか 「市民運動」 とかのことである。
     わしは特に、ある政治的主張を掲げて、なんらかの団体行動によって圧力をかける行為を「運動」と認識している。
     右派の運動だろうと、左派の運動だろうと、わしはこれには常に警戒感を抱いている。
     ところがわしは、どういうわけだかすぐ運動に関わってしまう。どうやら、そういう体質を持っているようだ。
     大学の時は、学生運動に関わりかけた。
     きっかけは学費値上げ反対運動だった。友達に貧乏で服が買えずに、いつもジャージで過ごしている奴がいたものだから、このうえ学費が上がったらそいつがかわいそうだと思ったのだ。
     そもそも、どんどん学費値上げをして、新しい校舎を建てたりする必要があるのかと素朴に思ったし、当時は文部省が「期待される人間像」なんてものを提唱していて、我々を権力が資本家にとって都合のいい人間に改造しようとしているのかと、反発を覚えてもいた。
     デモに参加するとブラックリストに載せられて、就職に不利になってしまうので、みんなタオルとヘルメットで顔を隠していた。ところがわしはそんなダサいことをすることが嫌で、普段の恰好のまま加わっていたから、デモの中で目立ってしまって違和感ありすぎだった。
     だが実は「学費値上げ反対」は、別の運動に引っ張り込むための入り口で、デモをしていると、他にどんどん違うシュプレヒコールが上がってくる。そして、次は佐世保に原子力潜水艦が入港するから、反対運動をしようとか誘われるようになった。 
     わしはそのうち、何なんだ、これは? という感覚になってきた。漫画家になる前に本を読むため大学に来たのに、なんでデモなんかやっているのだと思い、 「個の確立が先だ」 と運動から手を引いた。そして読書と漫画制作に没頭し、雑誌に投稿を続けて、漫画家になったのである。
     薬害エイズ訴訟の支援運動は、原告の少年たちが仕事場にやって来て頼まれてしまったから、かわいそうになって、これは「情」の問題だということで始めた。
     けれどもこのとき運動に加わった学生たちは、自分はこれで完全に正義の側にいると信じ、正義に酔いしれ、それがなくなったら、自分のアイデンティティが揺らぐというくらいの感覚にまでなってしまった。
     その有様を見て、わしはもうこれはあかんと思い、国の謝罪を勝ち取り、裁判の和解が確実になったことを見極めた上で、これで運動は終りだ、「日常に戻れ!」と唱えた。
     そうしたら猛反発を受けたので、徹底して運動というものを総括しておかねばダメだと、『脱正義論』を描くことになったのだった。
     ところがそんなことがあったのに、わしはその直後に「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に参加した。
     これは西尾幹二に誘われたのだが、その時は『ゴー宣』で慰安婦問題について描いていたので、なんでこんなに自虐史観で自分の国を貶めることに血道を上げているんだという怒りが、まずわしの中にあった。
     わしの祖父はそんな悪人じゃなかったし、戦争に行って大変な苦労をしたのに、なぜその世代が、まるで犯罪者だったかのように蔑まれなきゃいけないのかという憤りが出発点で、これもまた、祖父の世代に対する「情」の問題である。
     それで、完全に分断されてしまった祖父の世代と孫の世代を繋いで、 「死者の民主主義」 を達成しようと、歴史教科書運動に参加したのである。
     ただし、この時には薬害エイズ運動の教訓があるから、読者を運動自体に参加させることはせず、常に 「よき観客になれ!」 と釘を刺しながらやっていた。
     歴史教科書については、主に「採択」に関して運動が必要となった。