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記事 5件
  • 「老人は孫にカネを贈与するか?」小林よしのりライジング Vol.23

    2013-01-29 23:00  
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     安倍政権は、とにかく国民が貯め込んだ内部留保を吐き出させて、カネを使うように仕向けて景気を活性化させようと目論んでいる。これ自体は悪いことではないのだが、手法は現実的だろうか?
      企業に対しては、社員の給与を増やしたら、その人件費の増額分に応じて法人税を減税するというのだが、すでに一流企業は法人税なんか大して払っていない。   日本の法人税率は高いと言われ続けているが、グローバル展開している巨大企業にはいくつもの抜け道や優遇措置があり、驚くほど安いレベルの税金しか払っていない。  高い法人税を払わされているのは、国内に留まっている中小企業だけである。 そもそも利益が上がらなければ給料を増やせるわけがなく、グローバル化で苦境に立たされている中小企業が、法人税をまけてもらえるからって給料を増やすなんてことがあるわけがない。どこの企業を対象にした政策なのだか、全然わからないのである。  もっと理解できないのは、家庭内に貯め込まれているお金を引き出させようという税制改正だ。   1500兆円とも言われる預貯金や株式などの金融資産のうち、6割近くを高齢者層が握っているという。このお金を吐き出させて孫に使わせようということで、金融機関に子や孫の口座を開設し、教育資金をまとめて預けると孫一人当たり1500万円まで、贈与税を非課税にするという。  こんな話は、100%バカだと思ってしまう。  こんなことを考える奴は、とことん人間というものが分かっていないのだろう。  孫に教育資金として1500万円もポンとやれる人間って、一体貯金をいくら持っているのか?  最低でも1億円は持っていないと、とてもじゃないが1500万円も孫にやれないはずだ。  ただお金を渡して、自分の手持ちのお金がなくなってしまったら、誰が自分の老後の面倒を見てくれるんだ?   悲しい現実だが、現実から目を背けて政治を語るわけにはいかない。 祖父母から見れば、たとえ家族だろうと、金を持っているからこそ面倒を見てくれるのである。 寝たきりになった時に、金も持っていない自分の面倒を、家族が見てくれるわけがない!   人生の最後は、金しか頼りになるものがない、家族にだって、お金がなくなれば見捨てられる、そう考えるのが老人の心理というものだ。歳をとればとるほど、その思いは強くなる。  結構貯金を持っている老人でも、せいぜい額は2000万、3000万程度だろうし、そこから孫の教育費に渡そうとしたら、100万円くらいが限度だろう。   ところが現行制度でも、祖父母が必要に応じて子や孫をその都度援助する生活費や教育費には、贈与税はかからない。 入学金や授業料だけでなく、塾や通学費、下宿先の家賃や生活費など、非課税枠は幅広く、額に上限もない。しかもその他、1年に110万円までは使途に限らず非課税で贈与できることになっている。  もうすでにこれだけ非課税で渡せるのに、なおそれ以上、孫にお金をバカスカ渡したいという老人が日本にどれほどいるというのだろうか? 何の意味がある税制改正なのか、まったくわけがわからない。  孫のために蓄えを吐き出せる老人なんて、本当に限られた富裕層だけだ。大部分の老人にとっては、安心して老後を送り、最期を迎えられるか否かはお金を持っているかどうかにかかっている。  1月20日に放送されたNHKスペシャル 「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」 は、衝撃的な内容だった。   今や、人生の終幕にさしかかりながら、居場所がなく漂流する老人が膨大に存在するという、大変な事態が起きているのだ。   わが国はかつてないスピードで高齢化し、昨年65歳以上の高齢者の数は3000万人を突破した。  そんな中で、国は「自宅での介護」を基本とする方針を進め、これまで高齢者の受け皿となってきた病院の介護ベッドを減らし続けており、5年後にはゼロにする計画である。  しかし、自宅で最期を迎えられる人は多くはない。 介護を必要とする状態になった時に、それを引き受けてくれる家族がいるとは限らないのだ。その場合は介護付きの施設に入るしかないわけだが、現在はその施設の数が圧倒的に不足している。   番組では、一人では歩行も食事も排泄も出来ない88歳の老人が、長期滞在の可能な施設に入れず、自治体の手配で、最長1ヶ月しか滞在できない 「ショートステイ」 の施設を転々と移動することを余儀なくされる様子を追っていた。  その老人は、真面目に80歳近くまで働いて、つつましやかに暮らしてきた人だった。しかし長年連れ添った妻に先立たれ、子供もいない。住み慣れた公営住宅で6年間一人暮らししていたが、熱中症で倒れて入院して以来、介護が必要な状態となり、蓄えも底を尽いた。頼りは月6万数千円の年金のみ。  収 入に応じて安い料金で入れ、年金でもやっていける特別養護老人ホームの数は全く足りず、全国で42万人が空きを待っている。入れるまでは、3年待ちだという。  民間の長期滞在施設は、食事つきで滞在費用が1カ月14万円。年金だけではとても払えない。  結局老人は、不足分を生活保護で補い、民間の施設に入ることになった。しかし生活保護を受給するためには、自宅を引き払わなければならない。ごくわずかな身の回りの品しか持っていけないので、長年の思い出の品なども全て処分され、ほとんど身ひとつ。何もないガランとした施設の部屋がこの老人の「終の住処」となる…。   このように、一人暮らしで年金受給額が年100万円に満たない老人が、現在41.8%にも上るという(厚生労働省「年金制度基本調査」)。 お金がないから家族に見捨てられたのかどうかまでは判断のしようがないが、実際に独居老人の貧困率は非常に高いのである。  年100万円だと、月換算で8万3千円。足りない分は、生活保護に頼るしかない。しかしこの調子で家族の支えがない高齢者がさらに増えていけば、これまでの生活保護制度では対応できなくなるのは時間の問題だ。  国はいま急ピッチで受け皿作りを進めており、サービス付きの高齢者専用賃貸住宅向け住宅を2020年までに60万戸作る計画で、これまで9万戸が完成している。家賃は月額10万円から50万円まで、サービスや場所によって様々。  介護スタッフが常駐し、介護保険を使ったサービスも受けられる。ただし医療施設ではなく、医療スタッフがいないため、認知症などが進んだり、病気で倒れたりしたら出ていかなければならないという。
  • 天皇皇后両陛下の悲願は『女性宮家創設』である!

    2013-01-22 16:30  
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     総選挙に圧勝した直後から、安倍晋三はそれまで大言壮語していたタカ派発言をことごとく封印しにかかった。  「できることしか書かない」 と断言していた政権公約に明記していた「竹島の日」の政府式典開催は、まだ政権も発足しないうちに「見送り」を表明し、尖閣諸島の公務員常駐は当面「検討」に留めるとトーンダウンした。  靖国神社の春季例大祭の参拝も見送り、河野談話を否定する新談話も出す気配がない。  とにかく参院選が終わるまで中国・韓国との間に波風立てるような「厄介事」は先送りという態度だ。  自称保守やネトウヨは、健気にも安倍を信じて我慢する気らしいが、参院選後となれば、なおさら実行不可能になるだけだ。  アメリカ・中国・韓国の間ですでに外堀は埋められつつある。安倍が未だに訪米できないのも、オバマ政権が安倍を同盟相手として危惧しているからだ。  安倍が河野談話を修正したりすれば、オバマ政権は明確な形で抗議声明を発表せざるを得ないだろう。  とにかく安倍晋三や、自称保守・ネトウヨの現実感覚のなさは度を越している。   そんな安倍が唯一断行したことが、野田政権下で進められていた女性宮家創設方針の白紙化である。  とにかくこれさえやっておけば、安倍の支持母体である男系絶対派のネトウヨ・自称保守たちは当面多少のことは多めに見てくれるという魂胆なのだ。皇位継承が側室抜きの男系限定で続くと考えることも、また現実感覚のなさの現れなのだが。  毎年1月1日、皇居・宮殿「松の間」では、天皇皇后両陛下が皇族方や首相ら三権の長などからあいさつを受ける「新年祝賀の儀」が行われる。  当然、今年は安倍が首相としてその場にいたわけだが、安倍は皇后陛下の頭にティアラがなかったことに気付いただろうか?  「週刊女性」1月22日号では、宮内庁関係者がこのように明かしている。 「『頸椎症性神経根症』が悪化されているようです。  一昨年から腕の痛みやしびれを訴えられていましたが、首に激痛が生じることもあるようです。  医師団は首の負担を軽くするための対策を講じており、美智子さまが新年祝賀の儀にティアラをはずして臨まれたのも、その一環です」  皇后陛下が新年祝賀の儀で着用されていたティアラは菊をデザインし、クラウンの高さが7~8センチほどもあり、厚みのあるしっかりした作りで、重さは300グラムほどはあると思われ、かなり首に負担がかかるらしい。しかし、例年着用していたティアラをはずされたのは、かなりの事態であると見なければならない。  同誌の記事が紹介している、美智子さまの知人の発言は重大である。 「ティアラの件をうかがって本当に驚きました。ご辛抱強い美智子さまが決断されたということは、相当のお痛みなのでしょう。  積み重なったご心労も、ご体調悪化の原因になっているのではないかと思われますが、最近、野田政権が進めていた『女性宮家構想』が白紙になってしまったことも、両陛下にとってはご心痛だったと思います」  野田政権が進めていた女性宮家創設が、 天皇皇后両陛下のご意向を受けてのものだった ことは、今や周知の事実となっている。  「女性セブン」1月31日号には、宮内庁関係者のこんな談が載っている。 「‘11年10月に羽毛田前長官が野田前首相と面会したのは、陛下のご意思を伝えるためだったといわれています。  陛下は将来の皇室のことを考えられ、ご自分で伝えられない代わりに、その思いを長官に託されたのでしょう」  実際、女性宮家創設の議論が始まると両陛下は側近に安堵の表情を見せられたということで、こんな皇室関係者の談も載っている。 「美智子さまも親しい知人に〝いろいろありましたけど、たくさんの方々の努力のお陰があって、少しずつ動き始めているようです。これで私たちの気持ちも、少し楽になりました〟と胸の内を吐露されたそうです。  両陛下にとって女性宮家創設は、将来の皇室を考える上で大きな意味をもつものとお考えだったに違いありません。しかし、今回の突然の〝白紙〟の知らせに、両陛下はずいぶん困惑なさっているようです」  この事態を受け、風岡宮内庁長官は 「女性皇族の婚姻後の離脱問題、皇室の実態、課題について現状の説明をしたい」 として、安倍と面会する意向を表明した。天皇陛下のご意思を斟酌した上での行動であることは、もう言うまでもない。  果たして、安倍晋三は天皇陛下のご意思に対して、聞く耳を持っているだろうか? どうも、悲観的にならざるを得ない。   安倍は産経新聞の単独インタビューで 「皇位継承は男系男子という私の方針は変わらない」 と発言している。  本当に尊皇心のある人間なら、皇位継承資格について、一国民の分際で「私の方針」を主張することなど、考えもつかない不敬なことのはずだ。   本来、皇位継承資格を規定する皇室典範は「皇室の家法」であり、最終的に皇位継承について決める資格を持つのは、天皇陛下だけなのである。  ところがGHQが押しつけた憲法第2条では、 「皇位は、世襲のものであって、 国会の議決した皇室典範の定めるところにより 、これを継承する」  とされ、皇室典範は国会が議決する国政問題となってしまった。  さらに第4条で天皇は「国政に関する権能を有しない」とされたため、天皇陛下は皇室典範に関する意見すら表明できなくなってしまったのである。  「大臣」とは天皇の「臣下」のことであり、総理大臣とてあくまでも天皇の臣下である。 そんな安倍晋三が皇位継承問題で「私の方針」などと言えるのは、安倍が大嫌いなはずのGHQの「押しつけ憲法」のお蔭なのだ。   もし安倍が「押しつけ憲法の改正」を本気で望んでいるのなら、まず改憲すべきなのは、9条よりも2条だ!!  護憲論者は必ず「押しつけ憲法だろうと、いいものはいい」と批判するが、もし安倍が憲法第2条を押し戴いて皇位継承問題に「私の方針」を主張し続けるなら、もう護憲派の批判に反論する資格はない。安倍自身が「押しつけだろうと、いいものはいい」と思っているに他ならないことになるのだから。  安倍は天皇陛下のご意思に耳を傾けるつもりがあるのか、それとも一国民の分際であくまでも「私の方針」を押し通すのか。  もし後者であれば、安倍は天皇陛下のご意思よりも、自分の意思の方が尊重されると考えていることになる。   これこそ天皇を蔑ろにした「国民主権」の感覚であり、これこそまさに「戦後レジーム」そのものではないか!  安倍晋三が風岡宮内庁長官と面会し、天皇陛下のご意思を汲み取って行動するか否かに、安倍の言う「改憲」や「戦後レジームからの脱却」、そして「皇室への尊崇の念」がホンモノかニセモノかという、判断の全てがかかっていると言っていい。  それでもあくまでも女性宮家創設白紙の方針を変えないというのなら、安倍は中国・韓国のご意向に配慮して全てのタカ派方針を封印する一方で、 天皇皇后両陛下のご意向だけは無視する ということになる。  民主党政権ですら、ここまでの売国・亡国政権ではなかったのだ!!  もはや安倍を支持し、男系絶対を唱える自称保守の者たちは、何が「尊皇」であり、何が「戦後レジーム」なのか、一切分からなくなっている。というより、もう自分の頭でモノを考えることができなくなっている。  ただ奇怪な信仰だけが出来上がってしまっていて、 安倍晋三を教祖とし、皇統の「男系血脈」を妄信する新たな宗教が発生してしまった。   彼らには「尊皇」はない。 「尊男系血統」 しかないのだ。  野田政権下の内閣官房は女性宮家創設問題について国民に「パブリックコメント」を公募し、その結果を公表した。http://www.cas.go.jp/jp/pubcom/pdf/241218kekka.pdf  前述のとおり、「皇位継承」は本来「皇室の家法」だから、国民の意見を公募すること自体がおかしいのだが、現状の法制度がそういうおかしなものである以上は、手続き上やらなきゃしょうがないのだろう。  このパブコメに投稿するのなら、本来国民が口出しすべきものではないことを前提に、皇室への敬意を保った書き方をするのが尊皇心のある国民というものだ。  ところが、男系固執の自称保守派がやったことは、それとは全く違っていた。   日本会議などが「例文集」を配布し、一人で何通応募してもOKだと煽り、組織票作戦を展開したのである。中には一人で2000件も応募したケースまであったと報道されている。   天皇陛下が決めるべき皇位継承問題に対して、組織票の動員をかけ、「数の圧力」で押し切ろうとしたのだ!  まさに国民主権病、戦後レジームの極致である!!  しかし、内閣官房は意見の内訳について集計を行わなかった。結果報告には 「同一の方が多数の御意見を提出されたり、同内容の御意見を幾度も提出された事例が多く見られ、御意見を提出された方の実数は把握していません」  と書かれている。あまりに露骨な組織票作戦に、数を集計しても無意味と当然の判断を下したのだ。  さらに報告書には、こう書かれている。 「全体的な傾向としては、皇位継承の在り方と切り離して議論を行うという今回の検討の前提に疑義を唱える立場から、論点整理で示された考え方自体に反対するとの御意見が極めて多く寄せられました。なかでも、いくつかの類型による定型文を用いたものが多くを占めていました。」  これは明らかに、 「論点整理」に示されなかった「旧宮家系国民男子の皇籍取得」を検討しろという意見が殺到したということだろう。 しかもその多くが「いくつかの類型による定型文を用いたもの」だったというのだ。  日本会議は、恥ずかしくないのだろうか?  男系固執派は、自分の頭でモノを考えることができないし、自分の考えを文章に綴ることもできない。ただ人が書いたものをコピペして、大量に送りつけるという恥知らずな圧力行動しかできないのだ。  それと正反対の行動をしめしたのが、「ゴー宣道場」に集う門弟たちである。わしはこのパブコメに投稿せよなどとは一切言わなかったのに、全く自発的に投稿し、その後で「こんなのを送りました」とメーリングリストで公表した。  そこには書く人ごとに視点も論理構成も異なり、全く定型文とは違う、自分の言葉が綴られていた。中には、内閣官房の結果報告書に引用された者もいる。  一部であるが、ここで紹介しておきたい。  日本に生まれ、大切に育てられ、そして結婚し家庭を持ち、3人の子供達を生み育て、さらにその子達も家庭を持って子供を育てようとしている、---そんな年齢になった一主婦です。  本当にこのままいくと「皇太子不在」になってしまうことは、恐ろしいことだと思います。ものごころつくかつかないうちから、将来天皇になっていく存在なんだと、空気のように包まれて成長していかれるからこそ、「天皇」は継承されてきているのだと思います。  あれもありこれもあり、どうなるかわからない・・・の環境で、どうして「継承していくことを空気のように当たり前の運命として受け入れる」感覚が育つでしょうか。感覚は急に出来るものではなく、「育まれる」ものだと思います。  また、後からとってつけたような「品」などあり得ません。そこはかとなく光がさすようにあふれてくる生まれついての「品」でなければ、国民は受け入れないでしょう。  それなのに、候補と成り得る方々は、今は宙吊りにされたまま、ものごころつくお歳にとうにさしかかって(すでになって)おられるのです。こんな残酷なことがあろうか・・・と思います。一刻を争う時なのではないでしょうか。---子供はたちまち大人になってしまいます。  長い歴史の中で受け継がれ醸成されてきた日本の国柄。これを安定して受け継いでいくことが、何より重要であり、日本国民の一人として心から希求いたします。  女性宮家を創設し、将来に向けて皇統が断絶することないよう継承可能性の幅を設けた上で---皇位継承は【直系長子優先】(男・女にかかわらず)がふさわしいと考えます。
     皇位継承は直系長子優先がふさわしいと思います。  軍国主義の時代なら、男子優先はやむを得なかったでしょうが、もともと日本は天照大御神を皇祖としていただく国。  日本はもともと儒教がベースの国ではないので、女性天皇を受け入れることができます。愛子様への国民の気持ちは「聖」なるものを感じています。(旧皇族の子孫には感じません)。  また、たとえば愛子様が誕生されたときに、思わず 「あ、女の子か、残念。雅子様、もう一回 がんばれ!」 なんて思ってしまった自分は、なんて残酷だったか。  このままでは 皇太子不在の時代を迎えることになります。  天皇陛下のおっしゃった、 「皇位の継承という点で,皇室の現状については,質問のとおりだと思います。皇位継承の制度にかかわることについては,国会の論議にゆだねるべきであると思いますが,将来の皇室の在り方については,皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。二人は長年私と共に過ごしており,私を支えてくれました。天皇の在り方についても十分考えを深めてきていることと期待しています。』(平成21年11月6日)  また皇后陛下のお言葉 『伝統と共に生きるということは,時に大変なことでもありますが,伝統があるために,国や社会や家が,どれだけ力強く,豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が,社会の進展を阻んだり,伝統という名の下で,古い慣習が人々を苦しめていることもあり,この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。』(平成21年4月8日)  また皇太子殿下のお言葉 『天皇陛下のおっしゃっておられることを真剣に受け止めております。秋篠宮とは様々な事柄について話し合う機会がありますし,今後ともそのような機会を持つことになると思います。将来の皇室の在り方についての私の考えは,前の質問とも関係しますが,その時代時代で新しい風が吹くように,皇室の在り方もその時代時代によって変わってきていると思います。過去から様々なことを学びながら,将来の皇室の在り方を追い求めていきたいと考えています。なお,ご質問のような,皇室の制度面の事柄については,私が言及することは控えたいと思います。』(平成22年2月19日)  皇室と国民とのつながり。  これこそが日本国民の幸せであります。
     東日本大震災の被災地にて、復旧・復興に携わるものです。  平成23年3月16日の今上陛下のおことばを、職場に掲示しています。  3月11日以降、各界各層の様々な方が被災地に来られ、メッセージや支援を寄せて行きました。そのお一人お一人の言葉の全てが、被災地にとって心強い存在であったことは間違いありません。  しかし、先に述べました陛下のおことばは、それらのどんな人の言葉よりも普遍性があり、多くの人々が心から受け入れることができる響きがあります。  その響きの源は、お生まれになったときから国民と向き合う存在であった方、即ち皇統に属して育たれた方のみが育むことができる神性に依るものと思います。  皇室の活動が、陛下のお言葉と同じように敬意をもって国民に受け止められるためには、その活動を担う方々が、婚姻によって皇籍を得られる方を除いては、生まれた時から皇統に属しておられることが絶対的な条件であると考えます。  以上の考えに立った場合、宮家を継ぐことができる男子が悠仁様お一人でしかない以上、今後も安定的に皇室活動が継続されるためには、女性皇族の方に自らの意思により結婚後も皇室に留まっていただく他は無く、そのために女性皇族の方に宮家を創設していただくことは、ごく自然な流れであると考えます。  また、一つの家族の中で皇籍と臣籍が混在することも、家族の絆という面からも大いに難しいと思いますので、女性皇族の結婚相手及びそのお子様が皇籍を得られることも、また自然な流れであると考えます。  従って、今回の論点整理で提示された選択肢からは、1-A案を支持します。  なお、今回の意見徴集の範疇からは逸脱しますが、いわゆる旧宮家の皇籍復帰により皇室活動を維持すること、さらには旧宮家の方々を皇位継承の対象とすることは、先に述べました「生まれたときから皇統に属する方々が持ち得る神性」という観点から、選択肢には成り得ないものと考えます。
     まだまだ紹介したい意見はあるのだが、長くなるのでこのくらいにする。  自分の頭で考えることを放棄し、日本会議の例文集のコピペの意見しか出せないような者たちが大手を振って「保守」を名乗り、天皇陛下のご意思を蔑ろにしている。  「尊男系血統」のニセモノ保守が、確実に皇統を絶やす方向へ誘導しようとしている絶望的な状況の中で、「ゴー宣道場」の門弟たちは、自分の頭で考えてコメントを書き、組織的にではなく、個人個人が自発的に応募する市井の民である。  その意義を考えると、せめて天皇陛下の悲願である「女性宮家創設」が成し遂げられるまでは、「ゴー宣道場」を続けたいという思いも捨てきれない。   「尊皇」も「攘夷」も消滅した日本の中で、せめて天皇陛下を尊崇する「尊皇」だけは甦らないものか?  ごーまんかましてよかですか?   天皇皇后両陛下の悲願は「女性宮家創設」である。   「尊皇」は天皇陛下を尊崇することであり、抽象論としての「男系血統」を尊崇することではない!
  • 「とも~みの『児童手ブラーシカ写真』事件を考察する」 小林よしのりライジング Vol.21

    2013-01-15 16:50  
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    この話題はAKB48の流行の範疇を超えた問題を秘めているので、社会問題として『ゴー宣』で分析しておかねばならない。  AKB48河西智美の児童手ブラ写真が「児童ポルノ」に抵触するということで、グラビアで掲載した「ヤングマガジン」が発売延期になった。  すでに印刷して取次に回していた週刊誌を回収するのは、3億円くらいの赤字になるらしいから、講談社も大変な決断をしたものだ。  どんな写真かと言えば、上のようなデザインだ。  個人的な感覚では、この写真にはポルノを感じない。ウイーン少年合唱団みたいな白人児童がいるからだ。  もし児童が日本人で、鈴木福くんが手ブラしていたら、なお一層エロを阻害されるだろう。ユーモアが漂って、笑ってしまうかもしれない。  白人児童にしたのは、現実感をなくす演出だと思う。日本人の歌手がミュージックビデオや新曲の広告などで、しばしば白人や黒人をエキストラに使うのは、日本国の日常性や現実感をなくすためだ。  とも~みが自分で手ブラしてくれれば、ウヒョッとなれたのに、白人児童がいるので、「いやらしく見ちゃダメよ。これは現実じゃないの。微笑ましいでしょ」と言われてるみたいで、実際そう見るしかなくなる。  ヨーロッパの聖母と天使の宗教画みたいなものかなと思っていた。  とも~みの乳房の豊かさに、母性を感じさせるのが、この写真の目論見なのだろうと思い、エロ的には残念な気がした。  ソロデビュー曲『まさか』のCDジャケットの方がエロくて好きだ。  しかし、世の中には、 「児童手ブラーシカ写真」 でも、ポルノを感じて卑猥な気持ちになる人もいるらしい。  性的な趣味は色々だから、どうしようもないが。  ただわしは、この写真を 「児童ポルノ」 だと認定するのは、無理があると思う。  児童が騙されて、こういう写真のモデルとなり、あとで親が訴えたというのなら、まだ話がわかるが、そういう事情でもなさそうだ。   あきらかにこれは講談社側の 「自主規制」 だろう。  講談社は 「社会通念上、読者に不愉快な感情を抱かせる」 と判断したそうだ。  ヤンマガの読者なんか、もっと刺激的なエロいグラビアを毎週見てるはずだし、エロを刺激する漫画も存分に楽しんでいるだろうに。  血気盛んなヤンマガ読者が、河西智美の「児童手ブラーシカ写真」を見て、「不愉快な感情」を抱くだろうか?  もちろん、「そのガキの手を除けろ!」という意味で、「不愉快な感情」を抱くかもしれないが、「児童ポルノではないか」と目くじら立てるヤング読者なんかいるわけがない。  そんな若者がいたら、 「人権ヤング君」 と名札を貼ってやりたい。  この「児童手ブラーシカ写真」について、奥村徹とかいう弁護士は「児童ポルノ」に抵触すると言い、 「一見して18歳未満の男の子が女性の乳首を触っているように写っている。『2号ポルノ』に該当する行為です」 と言っている。  いやいや、乳首を触っているのかなあ?  とも~みはニップレスを貼ってるでしょ?  乳首を触らせるはずないよ、とわしは即座に思ってしまう。  2号ポルノとは 「児童が他人の性器などを触る行為に関わる姿で性欲を興奮させたり刺激するもの」 だそうだ。  「性器など」とは、性器、肛門、乳首などらしい。   いやいや、乳首が性器だったら、赤ちゃんは性器をくわえて乳飲んでるの?  法律が何と書いていようと、わしは乳首を性器とは思わない。あまりに無茶な定義だ。  奥村弁護士は言う。 「写真では明らかに乳首を触っているように見える。法律上は、男の子が乳首を触らず、乳房だけを触っていればセーフでした。乳首があらわになっていてもセーフでした」  これを読んだときは、つい吹き出してしまった。  「乳首があらわになっていても、乳房だけを触っていればセーフ」って何じゃそりゃ?  じゃ、こういう写真なら「児童ポルノ」じゃなかったのか?
  • 「不景気のせいにしてたまるか!」 小林よしのりライジング Vol.20

    2013-01-08 22:00  
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    わしは新年だからといって明るい話題を書かないぞ!  長らく出版不況が言われていたが、いよいよ断崖絶壁に追い詰められているのかもしれない。   出版社が発行する新刊のなんと7割が返品になる状態だそうで、コンビニでも雑誌が売れないらしい。  地域の中小書店は年間1000店前後も減少している。  出版社、取次、書店のすべてが不況だから、モノを書いて、本を売るという職業が成り立たなくなるくらいの勢いで、本の購読者がいなくなっている。  もちろん、わしの本だってその例外ではない。よしりん企画の収益はここ数年赤字続きで、わし個人の貯金を切り崩して、スタッフにボーナスを出しているような状態だ。  他の著作家に比べて、わしの本が売れないわけではない。『脱原発論』(小学館)も書店の買い取り制で発売したのだが、まもなく完売に近づいているくらいだから、売れる新刊の3割には入っているのである。  それでも漫画というものは、膨大な人件費・経費を必要とするので、現状程度の売れ方では利益が出ないのだ。  まあ、考えて見たら、今まで漫画や文章やらの創作活動で、自分だけでなく、数人のスタッフの給料やボーナスまで払っていたのは、幸運な時代だったのかもしれない。   この事態を不景気のせいにすることは簡単である。   新聞・テレビのようなメディアも、スポンサーや広告収入が減って、青息吐息だろう。自動車産業も電機業界も不況だ。もはや製造業が農業化して、エコ減税などの政府の補助なしでは生き残れないほど、弱体化している。   これが全部、デフレのせいであり、政府の金融財政政策の失敗ということにされている。  安倍晋三が日銀に圧力かけて、2%のインフレ・ターゲットを強いたり、200兆円の公共事業を始めると言えば、年頭の日経平均株価が10700円まで上がったと言って、テレビの司会者やコメンテーターはホクホク顔だ。まだ株主以外は誰も儲かっていないはずだが。  誰もが安倍政権のリバイバルを大歓迎の様子である。  テレビに出てるような奴らは富裕層なんだろうし、マスコミだって景気回復してくれるなら、手を合わせて安倍大明神と拝みたいのだろう。   「景気は気から」 を信じて、信じる者は救われると、視聴者に布教してるのかもしれない。だが、この不況の原因が、単なる「気」のせいだとは、わしは思えないのだが。  わしは株をやらないから、株価が上がっても関係ない。インフレになんかなって、仕事場の家賃が上がったら、もう福岡に引っ越すしかない。   しかし、どいつもこいつも、経済はお上次第ということになって、政府の景気対策に甘えてしまっているのが、虫唾が走る。  ちょっと前まで、経済は一流、政治は三流と言っていたのは、民間の矜持ではなかったのか?   わしは出版不況を不景気のせいなんかにはしない。お上に頼るようになったら、おしまいだと思っている。   出版不況も、単に不況で人々の財布のひもが固くなったというだけの原因ではないだろう。  もしわしが一般サラリーマンだったら、景気の動向に関係なく、もう本や雑誌は買わなくてもいいなと考えたはずだからだ。小説なら単行本は買わずに、文庫本を買うだろう。あるいは図書館で借りるかもしれない。漫画は漫画喫茶で読むだろう。  もっと言うなら、もう歴史的に評価の確定した日本や世界の文豪の小説を文庫で読むだけで、人生が終わるだろうから、現代作家の本なんか読む必要がないのである。   古今東西の天才の創作活動で生み出されたコンテンツが、膨大にあるのだから、現代の中途半端な創作物なんか、要らないのだ。  ましてや雑誌なんか、新聞広告の見出しだけ大げさで、読んでみたら、見出しの刺激に見合う内容とは程遠い。  今やわしの本を含めて、ほとんどの出版物が、無駄なものなのかもしれない。  もちろんわしの本が、現代の「大衆化(マスコミに感化されること)」する人々の歯止めとして、却って必要であるという、ごーまんな信念は持っているのだが。   しかし、人間というのは理不尽なもので、高尚や教養や有益なものだけを好むのではなく、「無駄」な消費も人生の面白味を増やすために必要とする存在なのである。
  • 「あけまちんこ、おめでたまきん」の抱負

    2013-01-01 00:00  
    105pt
    (号外 2013.1.1発行)「あけまちんこ、おめでたまきん」の抱負  「知ってましゅか?よしりんは巳年生まれなんでしゅよ。」「ヘビは恐いぶぁい。巻き付いて、絞め殺して、丸呑みでしゅよ。」「男の人は敵になったらおしまいぶぁい。女の人は近寄ったら危険でしゅよ。 誰もが恐れるよしりんに、ぽっくんギリギリまで接近して、インタビューしましゅた。」「年男のよしりんに、今年の抱負を聞いてみるぶぁ~~~い!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「よしりんは今年、何回ウンコしましゅか?」 基本は365回だが、それ以下になることはなく、その2倍ということもないと思う。「便秘じゃないんでしゅね?」 茶魔ちゃま、正月早々くだらない質問してたら、読者が怒るぞ。「そりでは、今年一番楽しみなことは何でしゅか?」 みるきー(渡辺美優紀)と結婚して、みおりん(市川美織)を生んで、檀蜜を愛人にする初夢を見ること。「そ・・そんなこと夢でも許されましぇんよっ! ぽっくんもみるきー好きなんぶぁいっ!!」 わしは特別なイベントがなくても、毎日楽しいと言えば楽しいんだよ。 朝になったら、わくわくして起きてしまう。楽観的な性格なのかな? 一番の楽しみは、自分の本が出ることだね。「そりではお仕事の話を聞きましゅ。今年はどんな本が出るんでしゅか?」 まず春までに、ライジングの第2巻を出すんだ。 実は昨年末からその巻頭漫画を描き始めていてね。 これは今まで描いたことのない全く新しい素材の漫画で、描き始めたら、どんどんページが増えてしまって、大作になってしまった。 現代日本に通じる、某国の歴史に関する漫画なんだが、絶対、確実に、面白いと思うよ。「へもろそう♪握手券を付けて3type作ればよかとでしゅのに。」 わしはアイドルじゃないから無理だよ。 女性としか握手したくないもの。「自分勝手な人ぶぁい。」「他にも本を出すんでしゅか?」 夏までに「歴史人」で連載している『女性天皇の時代』が新書で出ると思う。 女性や中高生の読者が多い雑誌の連載で、人気をとっているらしいから、反応が楽しみなんだ。「ぽっくん、文字だらけの本は読めんとぶぁ~~~い。」 だったら「SAPIO」で連載している『大東亜論』を、どんどん先まで描き溜めて、夏ごろ第1巻を発売するよ。これは全部、漫画だぞ。「大物の頭山満って人の話でしゅね。そりなら1000冊買いましゅ。」 あ・・ありがと。 現在の日本の政治や言論の状況から言っても、意義ある本になると思うよ。 そして年末までにもう一冊、描きおろしたい本があるのだが、内容は秘密だ。「秘密ってズルイじゃなかでしゅか。」 描くと言ったら、約束を果たさなきゃならないから、描くとも、描かないとも、言わない。「どっかで聞いたことある言い方でしゅね?」「今年は政治はどうなりましゅか?」