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「イデオロギー化が増す日本の危機」小林よしのりライジング Vol.98
2014-08-26 17:30153pt自己の主張をイデオロギー化させる危険について、書いておこうと思う。
イデオロギーは固定化した政治的観念であり、思索の放棄であると定義しておく。思想は思索し続けることであり、イデオロギーと思想を区別しておこう。
わしは皇統の女系継承も大いに賛成と考えているが、イデオロギーではないので、天皇陛下のご真意が違うのなら、変更して構わない。
男系固執派の場合は思索を放棄してイデオロギー化しているので、天皇陛下のご真意を拝察すること自体を拒否する。男系派にとっては、天皇陛下より崇拝するものが「男系血統」であり「Y染色体」なのだ。
マルクス主義者も反戦平和・護憲主義者も、主張がイデオロギー化していて、思索を深めることがない。考えることを拒否している。
しばしば「主張が一貫している」と褒める者がいるが、その主張が時代を経ても正しければ褒め言葉になるが、時代に適応してなかったら皮肉になる。
自分の主張もチェックする柔軟さを持っているべきだし、間違っていたと気付けば転向しなければダメだ。
「イラク戦争は大義なき侵略であり、失敗する」これはわしの主張だったが、今や完全に証明された。
自称保守派はイラク戦争大賛成だったが、まだ過ちを認めない。主張を一貫させてはいけないはずであり、転向すべきだろう。
わしは、原発はぼんやりと安全なのだろうと思っていたが、大間違いだった。その危険性を知ってしまった以上、もう安全だなどとは口が裂けても言えない。見てしまったし、知ってしまった。
今では「脱原発」はわしの主張だが、それでも思索し続けるべきで、イデオロギー化してはいけない。イデオロギー化すると情報やデータの運用を見誤る危険性があるからだ。
産経新聞が「 吉田調書 」の件で朝日新聞を非難している。
吉田調書とは、福島第1原発の事故当時の所長・吉田昌郎氏(昨年7月死去)に、政府の事故調査・検証委員会が聞き取り調査をしてまとめた、400ページに及ぶ「聴取結果書」のことである。
朝日新聞は非公開の吉田調書を入手し、5月20日の紙面で報じた。だがそれが、とんでもない誤報だったというのだ。
朝日の記事は「 所長命令に違反 原発撤退 」という大見出しで、事故当時、吉田所長の待機命令に違反し、所員の9割以上が福島第2原発へ撤退していたことが吉田調書から明らかになったというもので、「 その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた 」と批判していた。
事故当初、現場に残って対応に当たった50名ほどの所員は世界のメディアから「フクシマ・フィフティーズ」と呼ばれ称賛された。ところがその一方で650名もの所員が命令を無視して逃げていたという朝日記事は、その美談を吹き飛ばすスキャンダルとして世界中に報じられた。
米紙ニューヨーク・タイムズ(以下、いずれも電子版)は5月20日、「朝日新聞によると」として第1原発所員の第2原発への退避を「命令違反」として「パニックになった作業員が福島第1原発から逃げ出した」と報じた。
英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ』と呼ばれたわずかな“戦闘員”が原発に残り、ヒーローとして称えられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃げたのだ」と記した。
オーストラリアの有力紙オーストラリアンも「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた」と見出しにした上で、「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」と報じた。
韓国紙・国民日報に至っては、「日本版の“セウォル号事件”」と報道、韓国で4月に起きた旅客船沈没事故で、船長が真っ先に逃げたことと同一視した。
だが実際には、吉田調書のどこをどう読んでも、「所員の9割が所長命令に違反して撤退した」なんてことは書いてなかったのである。 -
「ゴジラの日本的価値観とは?」小林よしのりライジング Vol.97
2014-08-19 11:00153pt現在公開中のハリウッド版 『ゴジラ』 は、快挙である!
ハリウッドでゴジラ映画が製作されたのは2回目だが、前作1998年のローランド・エメリッヒ監督作品はゴジラとは名ばかりの「巨大イグアナ」の群れが暴れ回り、倒されるという映画で、大不評に終わった。
この時は、やはり日本ならではのゴジラの概念は、アメリカ人には理解できないのかと思ったものである。
ところが今回のギャレス・エドワーズ監督は、日本のゴジラの概念を完全に理解し、オリジナルの作品に十分なオマージュを捧げた上で新たな作品を作り上げ、これが全米で受け入れられて大ヒットしたのだ。
こ れは、日本人の「ゴジラ」に込めた文化概念がアメリカ人の感性を侵略したことに他ならず、日本のアメリカへの文化侵略がまた一つ達成された瞬間を我々は目撃したことになる。
ところが、日本にはこのハリウッド版『ゴジラ』を酷評する者がいる。例えば東京新聞8月13日付のコラム「大波小波」は、「 実際に見て驚いた。悪い冗談としか思えない 」とまで書いている。このコラムはこう言う。
本来の日本の『ゴジラ』は、南方で死んだ兵士を悼み、核兵器の脅威を訴えるメッセージを持っていた。日本の映画人よ、一刻も早く本道に戻り、3・11以降の日本人の魂を鎮めてくれる『ゴジラ』を撮りあげてほしい。
本来のゴジラは南方で死んだ兵士を悼んでいた???
ゴジラ映画はわしも小学生の頃から見てきたが、そんなふうに思ったことは一度もない。
今回のライジングは我がスタッフである「怪獣オタク」の時浦の知識を得て、執筆している。
ゴジラが南方で死んだ兵士を悼んでいるというのは、実は評論家の川本三郎が言い始めた意見だそうだ。
川本は『ゴジラはなぜ「暗い」のか』と題したエッセイでこう書いた。
戦争で死んでいった者たちがいままだ海の底で日本天皇制の呪縛のなかにいる……。ゴジラはついに皇居だけは破壊できない。これをゴジラの思想的不徹底と批判する者は、天皇制の「暗い」呪縛力を知らぬ者でしかないだろう。
わしにはイデオロギーの色眼鏡を通した無理すぎる深読みとしか思えないが、この説は民俗学者の赤坂憲雄が『ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?』という論考でさらに発展させ、怪獣マニアの一部に強い影響を与えた。
実際、2001年の金子修介監督作品『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』ではゴジラを「戦争で亡くなった人々の怨念の集合体」として描いている。ただしそれはこの一作のみの設定で、これは決して「本来のゴジラ」ではなく、むしろ例外的なものである。
第一作 『ゴジラ』 の製作者たちの話を見ても、ゴジラを戦没者の魂を悼む存在とする意図など全く出てこない。
だが一方で、反核のメッセージは明確に語っている。 何しろ映画の企画が始まったのが 第五福竜丸事件 の直後だったこともあるし、監督の本多猪四郎は個人の体験からこのようなことをよく語っていた。
原爆……僕が帰ってくる時にね、丁度、いよいよ負けて軍隊引き揚げて帰ってくる時に、広島を通ったんですよね。その時にね、70年間は絶対に此処には草1本生えないということを言われたでしょ。そういうものがやっぱり、気持ちの中にあるんですよね。原爆という物に関する憎しみみたいなものって言うか、こういう物作って、こんな物を次から次にやってたら、えらいことじゃないかという、そういう気持ちが、演出家としてね、あの『ゴジラ』を動かすのに……一つの迷いも出て来なかったわけですよ。 海底で眠っていたジュラ紀の生物・ゴジラが水爆実験によって目を覚ます。完成した映画ではどこの国の水爆実験かは明確にされていないが、香山滋の原作ではゴジラは明確にビキニ環礁からやってきたことになっている。
だが、アメリカの核兵器への怒り、憎しみを表すのなら、なぜゴジラはアメリカを襲わず、よりによって唯一の被爆国である日本を襲うのだろうか?
これでは加害者を明確にしない広島平和祈念公園の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の碑文と同じ「自虐史観」ではないのか?という疑問も湧く。
しかし考えてみれば、ゴジラにとっては、自分を起こした水爆実験をやったのがアメリカ人か日本人かなんてことは、わかるはずがないのだ。
自然界から見れば、環境を破壊しまくる核実験を繰り返す「人間」の存在そのものに怒りが湧くはずで、そこにアメリカ人だの日本人だのという区別はないだろう。
そう、既に多くの人が指摘していることであるが、 ゴジラの本質とは、荒ぶる自然の神の象徴なのだ。
自然災害は相手を選ばずに襲い来る、理不尽なものである。そう思えば、核兵器に対する怒りを表しながら、被爆国・日本が破壊されるという理不尽にも説明がつくわけで、一作目の『ゴジラ』はかなり優れた文明批評を含んだ映画だったのである。
日本人にとって自然は畏怖すべきものであるが、欧米人にとって自然は征服すべきものである。 エメリッヒ監督版では欧米人の自然観を捨てられなかったためにゴジラが「巨大イグアナ」になり、人間に退治されてしまった。
だが今回、イギリス人のエドワーズ監督は、はっきりこう語っている。 -
「ハリウッド版ゴジラ公開記念!『ウル茶魔マンVSフクロコジラ』」小林よしのりライジングVol.96
2014-08-12 22:50102pt「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!何にエロを見出すのかは後天的なもの?笹井教授が自殺…STAP細胞は本当に実現出来る?嫁いびりは必要?清潔感あふれる大人になる秘訣は?大島優子の写真集「脱ぎやがれ!」はもう入手した?国連で日本が常任理事国入りするにはどうすべき?印象に残ったホラー映画は?最近のディカプリオの演技をどう思う?出版予定だった「恋愛論」はどうなった?…等々、よしりんの回答や如何に!?
※ウィキペディアの記事を徹底的に添削しちゃう大好評「よしりんウィキ直し!」。今回は、先月のウィキペディアページにしつこく現われていた「寄付くれ攻撃」を添削!さらにウィキペディアが公開している決算情報を添削したところ、驚くべき事実が判明!寄付を受ける資格はあるのか!?
※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてくり!」あぎゃ~~~~~~~~~~~おっ!ハリウッド版ゴジラ公開記念お題でしゅ!「ウル茶魔マンvsフクロコジラ」のMVPは誰でしゅか!?
【今週の目次】
1. しゃべらせてクリ!・第56回「決戦!ウル茶魔マンVSフクロコジラの巻〈後編〉」
2. よしりんウィキ直し!・第25回「ゴーマニズム宣言⑭:『天皇論追撃篇』(新天皇論)⑪」
3. Q&Aコーナー
4. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
5. 読者から寄せられた感想・ご要望など
6. 編集後記
第56回「決戦!ウル茶魔マンVSフクロコジラの巻〈後編〉」 ♪帰ってきたぞ、帰ってきたぞ、ウル茶魔マ~~~ン!
ウルトラマンと帰ってきたウルトラマンは、なじぇ別人かというと、もともとは本当に最初のウルトラマンが帰って来る話にするはずだったのに企画が変わって、タイトルだけ残っちゃったからでしゅ。
こりが運命の分かれ目、それからウルトラマンはボコボコ増えていっちゃって、いま一体何十人?何百人?
ウル茶魔マンは、断じて一人ぶぁ~い!
そんでは後編スタートでしゅ! -
「不都合な真実『慰安婦問題』真の敵はどこか?」小林よしのりライジング号外
2014-08-12 14:10102pt朝日新聞は8月5日・6日の2日にわたり、「 慰安婦問題を考える 」と題して見開き2面全面を使った大特集記事を掲載した。
特に5日の記事では 『 慰安婦問題どう伝えたか 読者の疑問に答えます 』と題して、朝日新聞が今まで報じてきた慰安婦問題記事を検証している。
慰安婦を「奴隷狩り」のように強制連行したという 吉田清治 の証言を少なくとも16回記事にしたことについては「 虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした 」と全面撤回。
慰安婦が「 女子挺身隊 」の名で戦場に動員されたという表現については、女子挺身隊は「 慰安婦とはまったく別 」であり「 誤用 」だったと認めた。
最初に吉田証言を記事にしてから32年も経過した今になって、ようやく訂正記事を出したわけだが、その理由については同日1面の「 慰安婦問題の本質 直視を 」と題した記事で編集担当記者が「 一部の論壇やネット上には、『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判が起き 」「読者の皆様からは『本当か』『なぜ反論しない』と問い合わせが寄せられるようになり」「読者への説明責任を果たすことが、未来に向けた新たな議論を始める一歩となると考えるから」と説明している。
要するに、自称保守論壇やネット右翼が騒いでいるだけならまだしも、朝日の読者からまで疑問の声が上るようになってしまったために、ついに放置しておくことができなくなったというわけだ。
検証記事は「当時は研究が進んでいなかったからやむを得なかった」「当時は他紙も似たような報道をしていた」という弁解を繰り返しており、往生際の悪い態度が目立つものの、相当の手間暇をかけて紙面を割いて自己検証したことについては、よくやったなあと感心したので、一応評価しておく。
ただし朝日は「慰安婦問題の本質 直視を」と言っておきながら、最も重要な本質から目をそむけている。
そもそも日韓間の戦前・戦中に関する補償問題は昭和40年(1965)の「日韓基本条約」において「完全かつ最終的に」解決していたのだ。
ところが朝日新聞が「完全かつ最終的に」解決していた外交問題を蒸し返し、火をつけ、未だ消火のできない大火事にしてしまった。 それが慰安婦問題の本質であり、その罪は極めて重いという以外にないのだ。
しかも日韓基本条約の交渉は14年間にも及び、その間ありとあらゆる問題が検討されたにもかかわらず、慰安婦に関しては韓国側からも一切議題にすら上らなかったという事実は重要である。
慰安婦はいた。だがそれは「問題」ではなかったのだ。
朝日新聞が大々的に記事にするまでは、日韓間に「慰安婦問題」などというものは存在しなかった。 「問題」でも何でもなかったものを「問題」に仕立て上げたのだから、 「慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ」というのは決して「いわれなき批判」ではないのである。
自称保守やネット右翼は、朝日新聞が自らの慰安婦問題記事の誤報を認めたことに大喜びしながらも、「明確な謝罪をしていない」だの「問題のすり替えと開き直りだ」だのと、さらに嵩にかかって朝日バッシングを強めている。
産経新聞は社説やら、朝日の検証記事を検証するとした記事やらで、さらに非難を強めている。
だが、他紙の誤報をそこまで責めるのなら、産経はイラク戦争開戦前後に「大量破壊兵器の危機」を煽り続け、誤報に次ぐ誤報を流し続けたことについて、いつ検証するのだろうか?
新聞が特定の主張をプロパガンダするばかりで、読者の客観的な視点を封じ、検証や謝罪をしないのは普通のことであり、自己検証をやった朝日の一片の誠実を産経に責める資格などない。
自民党の石破茂幹事長は朝日新聞の報道を国会審議でも検証する必要があるのではないかと発言、与野党からは関係者の国会招致を検討すべきという声も上っている。
また、安倍晋三首相も朝日の報道が日韓関係に悪影響を与えたと非難しているが、そんなことを言うのなら、さっさと河野談話を破棄すればいいではないか。
自称保守の者らは河野談話を「見直すべし」と言うが、見直したって意味はない。わしなら完全破棄するべしと言う。
ところが安倍首相は「 河野談話を継承する 」と言い続けているのだから、朝日新聞の現在の慰安婦問題に対する見解と一緒ではないか。
米国政府は7月に元慰安婦2名をホワイトハウスと国務省にそれぞれ招いて証言を聞き、9月には外交・安全保障担当者も同席した上で再び元慰安婦と面会する予定だという。
安倍首相が本気で慰安婦問題に疑問を持っていて、「性奴隷」ではないと信じているのなら、米国政府の元慰安婦との面会に厳重な抗議をするべきである。 キャロライン・ケネディ駐日大使を官邸に呼びつけて、抗議するのが筋ではないか。
一方、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のピレイ人権高等弁務官も、慰安婦問題の解決を要求し、日本政府の態度を真っ向から批判している。
これにも安倍首相はまったく抗議しない。
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「【佐世保女子殺害事件】必要なのは“エクソシスト”だ!」小林よしのりライジング Vol.95
2014-08-05 20:45153pt長崎県佐世保市で高校1年生・16歳の少女が同級生を殺害し、死体の頭部や手首を切断し、腹部を切り裂くという、何とも猟奇的な事件が起きた。
佐世保市では10年前にも、当時小学6年生の女児が同級生の女児の首をカッターナイフで切りつけて殺害する事件が起き、それ以来、市は「 命を大切にする教育 」を徹底してきたそうだが、それでも再びこのような事件が起き、教育関係者たちは大きな衝撃を受けているらしい。
だが、「命を大切にする教育」なんて全く無意味であることなど、最初からわかりきっていた話ではないか。
佐世保市ではこの10年間、すべての小中学校を対象に、毎年6月を「 いのちを見つめる強調月間 」と定め、1ヶ月間もの長期にわたって「 命を大切にする教育 」を重点的に行なってきたという。
初日は全校で校長が生徒に向けて、命の大切さに関する講話を行い、校内を1週間開放して、道徳の授業を保護者や地域住民にも見てもらえるように公開。
さらに学校ごとに「 命を大切にする教育 」の活動が行われており、比較的多いのは長崎平和公園や原爆資料館の見学や、佐世保空襲の体験者からその様子を聞いて生命の尊さや戦争の悲惨さを学ぼうという企画だそうだ。
他にも命を題材にした本の朗読会とか、思春期の心の健康に関する講演会とか、あるいは地域や保護者との親睦を図るための球技大会、「健康な体作りを目指す」歯みがき指導というものもあるのだとか。
佐世保市の教育委員会は「10年間の取り組みは無駄ではなかったと思いたい。各校は真剣に取り組んできました」と語っている。だが、いくら真剣に取り組もうが、無駄なものは無駄なのだ。
今回の殺人女子高生は、「 人を殺して解剖してみたかった 」と供述している。中 学生の頃に猫を殺して解剖し、人間でもやってみたいと思っていた のだという。
これで連想するのが、平成9年(1997)に神戸市須磨区で「 酒鬼薔薇聖斗 」を名乗る当時14歳の少年が起こした連続幼児殺害事件である。
あの頃、マスコミ・識者はこの事件の「本当の原因」を探るとして、様々な説をばらまいた。「教育」の責任だという声も大きく、当時の文部大臣は「 心の教育の重要性を痛感している 」と異例の談話を発表した。
無責任な珍説も数多く、社会システムの問題であり、専業主婦を廃止すべきだという意味不明な説を言い出す知識人やら、事件が起きた神戸市須磨区を詣でて、そこが人工的なニュータウンだったことがいけないなどと言い出す者やらが続出。
この言論の紊乱状態は看過し難いものがあり、わしは『新ゴーマニズム宣言5巻』の描き下ろし特別編で言論総チェックをやった。今となってはこれも貴重な時代の記録である。
結局、神戸の少年Aの犯行の動機は「性的サディズム」であり、少年は殺人の瞬間、射精していたという身も蓋もない事実が明らかになった。 教育も社会システムも、もちろんニュータウンも何も関係なかったのだ。
さすがに神戸少年A事件の教訓からか、今回は佐世保の街に原因があるなどと言い出す者はなく、これは「 快楽殺人 」であり、教育ではなく精神医学の領域だということは、ある程度了解事項となっているようだ。
ここで問題となるのは、「親の責任」をどう考えるかということである。
週刊文春は、少女は母親が病死して間もないうちに父親が再婚したことを、どうしても許せなかったようだと書き、この家庭環境が凶行の引き金であったかのように示唆した。
だがこれに対して少女の弁護人は「事実と異なる」との見解を発表。接見で少女は「 父の再婚には賛成だった 」「 父を尊敬している 」「 母が亡くなって寂しく、新しい母親が来てうれしかった 」「 すぐに慣れ、仲良くしていた 」と話したという。
そもそも少女の問題行動は、昨年10月に前の母親が死亡するよりずっと以前から始まっている。 少女の異常性は先天性のものであった可能性が高く、もしそうだとすれば、親が原因とも言えない。この少女が全く個人的に脳内に抱えてしまった病気が原因と言うしかなくなってくる。
この種の異常者は、環境にも時代にも関係なく、ある程度の確率で出てきてしまうものだということは認識しておかなければならない。例えば「少年犯罪データベース」には、こんな事件が記録されている。
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