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WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
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WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

2018-01-23 11:46
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    プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは「WAR時代のクリス・ジェリコ」です! 



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    ――今回はクリス・ジェリコが「ライオン・ハート」としてWARに参戦していた頃のお話を伺いたいんですが、イッテンヨンのケニー・オメガ戦はいかがでした?

    小佐野 凄かったねぇ。ライオンはいま47歳でしょ?

    ――その年齢でおかしなことをやってました! というか、小佐野さんはジェリコを「ライオン」と呼んでるんですね(笑)。

    小佐野 WWEではレジェンド扱いされてるけど、いまでもケニー・オメガとあれだけの試合をやっちゃうわけだからね。

    ――縁の深い冬木弘道さんやエディ・ゲレロのムーブを見せたりもして。

    小佐野 WAR時代の必殺技だったライオンサルトを早目に出したのは、いまのファンはどこまで自分のことを知っているのかを探ったんだと思う。それで湧かなきゃやり方を変えたのかもしれないし。「まだ通じるんだな」っていう感触はあったんだろうね。

    ――ライオンサルトへの歓声にニヤリと笑った表情がたまらなかったですよねぇ。

    小佐野 ライオンはWARの頃から人気があったもんね。WWE日本公演でヒールとしてやってきても「Y2J」コールが起きて本人が困ったり(笑)。今回は見事にヒールに徹していて、彼なりにいままでのイメージを変えようとしていた。翌日の後楽園ホール大会に乱入したときも怖かったよ。昔のプロレスラーの雰囲気というか、「目を合わせたらヤバイぞ」っていう緊張感や迫力があった。あの人は、いざとなったら誰でも襲う人だよ。

    ――ジェット・シンと同じ狂気! 

    小佐野 アメリカ人の客が英語でライオンに野次ってたんだけど、そこにも向かっていったしね。邪道が若手レスラーに「ジェリコを止めろ!」と指示して、必死に控室に戻したけど。

    ――昔気質のレスラーってことですね。

    小佐野 昔はマスコミと言えども、レスラー相手にちょっとでも気を許したら襲われちゃうんだよ。いまそんなことをやったら暴行事件になっちゃうんだけど。お相撲さんが仲間内に手を出したら事件になる時代にマスコミにケガをさせたら大問題だよね。

    ――昔の記者会見は異様な緊張感がありましたね。一番ビックリしたのはリングス時代の前田日明記者会見。部屋にひとりひとり大声で媒体名と名前を大声で名乗って入室させられたことがあります(笑)。

    小佐野 それはそれで不思議だね(笑)。自分の経験でいえば、ブッチャーとシンの記者会見が一番怖かった。あの2人が世界最強タッグで組んだときの会見で、宍倉(清則)さんが大流血しちゃったんだけど。暴れたときに割れたコップの破片が当たったのかな。いまだったら完全にアウトだよ。

    ――宍倉さんだけに「生きていることが奇跡」!!

    小佐野 俺もシンのサーベルで殴られたことがあるけど(笑)。いまのファンやマスコミは「プロレスラーは手を出さない」って思ってるだろうし、まぁそれがあたりまえなんだけどね。

    ――昔のプロレスラーは、手を出すことに躊躇いはなかったってことですよね。

    小佐野 ただ、シンも慣れてくると、相手の靴を見て暴れてたけどね。エナメルの靴は、なるべく避けると(笑)。

    ――エナメルの靴は、ヤバイお方が履いてることを学習したんでしょうね(笑)。

    小佐野 そっち方面の話をすれば、テリー・ゴディと歌舞伎町で飲んでるときに、ゴディがバーの扉を壊すほど暴れて大変な騒ぎになったんだから(笑)。

    ――ハハハハハハハハ! 「歌舞伎町」の「バー」というだけで超ヤバイですよ!

    小佐野 怖い関係の方々が出てきて騒ぎを収めるのが大変だった。「不良外国人を帰国させろ」ということで全日本プロレスにも脅しが入って、私も馬場さんに怒られてね(笑)。昔は武勇伝や笑い話になったものがいまは不祥事になるから、プロレスラーの行動も変わってくるのは当然だよね。

    ――話は戻りますが、WARに参戦した頃のジェリコはどんなレスラーだったんですか?

    小佐野 彼とは仲が良かったんですよ。私はその頃『週刊ゴング』の編集長で、WARの会場に行ったときは新しい『週刊ゴング』をレスラーたちに配るんですけど。ライオンは日本のプロレスファンだったから、増刊号の広告を見つけて「このスペシャル・イシューもほしい」とか言い出してね。「日本語は読めないでしょ?」って聞いたら、『ゴング』に載ってるカタカナを読み始めたんですよ。

    ――日本好きが高じてカタカナをマスターしたみたいですね(笑)。

    小佐野 彼はFMWに参戦した経験はあるんだけど、WARで日本に定着するきっかけはウルティモ・ドラゴン。メキシコで試合をしてるときにウルティモに誘われてWARに参戦したんですよ。リングネームは「コラソン・デ・レオン」、意味はライオンの心臓。

    ――だからそのままライオン・ハートに。

    小佐野 ジェリコにとって好都合だったのは、WARに初めて来たのが新日本の業務提携がちょうど切れる94年の2月だったんですよ。新日本のジュニア勢がいなくなったこともあって、ライオンが頭角を表すようになった。ライオンが邪道・外道と仲がいいのは、彼らがW★INGをやめてWARに上がるようになったのはライオンがWARに初めて来たシリーズだったからなんです。WAR同期なんですよ。で、邪道・外道は3月に冬木さんと合流して冬木軍を結成し、翌95年2月にライオンも冬木軍のメンバーになった。

    ――冬木軍に加入して「ライオン道」を名乗ると(笑)。

    小佐野 インターナショナルジュニアヘビー級の初代王者は外道だけど、決勝戦の相手はライオンだったし、初代のジュニアタッグ王者は外道とライオンだからね。

    ――そのときの出会いが今回のイッテンヨンに繋がってるんですねぇ。

    小佐野 ケニー戦のレフェリーは、WAR出身の(レッドシューズ)海野ちゃんだしね。あと今回の試合を受けて、天龍さんがブログで「東京ドームWメインイベントの形で出場したジェリコを見て感慨深く思った」と書いたら、ライオン本人が日本語でお礼を書いていたよね。

    ――「あなたと戦争のために働いている」と返信したやつですね。「戦争=WAR」ということですけど(笑)、WARなくしては語れないドラマがたくさん詰まってたということですね。

    小佐野 ライオンが冬木軍に入ったことは大きいと思いますよ。冬木さんたちはライオンを「外国人」という扱いじゃなくて、仲間として迎えてくれたから。そういうこともあって日本のプロレスを深く理解することができたし、あそこまで人気が出たんじゃないかな。

    ――“ビジネスユニット”ではなかったという。
    小佐野 ライオンはヘビー級でもできる選手で。ライオンサルトがフィニッシュ技で当時はウォールズ・オブ・ジェリコは使ってなかった。ウルティモが嫌がってたのはトップロープからの雪崩式ダブルアーム・スープレックス。

    ――それは痛い!(笑)。

    小佐野 
    ほかには三角飛びのプランチャやミサイルキックを出していたけど、もともとカナダでキャリアをスタートさせてるからルチャっぽくないんですよ。ちょっと骨太な感じで、かなり荒くて危なかっしかった(笑)。

    ――その荒々しさもジェリコの魅力なんでしょうね。

    小佐野 
    余裕のある空中殺法ではない。ウルティモなんかは失敗してもリカバリーできるけど、ライオンは精一杯だったから見ててヒヤヒヤした。そんなに器用なレスラーではなかったんですよ。それくらい荒いほうが迫力があったってことなんだけど。95年の第2回スーパーJカップにはWAR代表として出てるからね。

    ――
    WARジュニアの顔だった。

    小佐野 
    外道とライオンの2人がWAR代表。決勝でライガーが外道を破って優勝したんだけど、ライオンは2回戦で新日本ジュニアの外国人トップだったワイルド・ペガサスことクリス・ベノワと一騎打ち。ライオンは負けたんだけど、クリスと試合をできたことに感激して試合後に泣いたんですよ。

    ――
    憧れのレスラーだったんですね。

    小佐野 
    ライオンはクリスと同じカナダ出身だけど、知り合いではなかったんですね。ライオンが新日本のビデオでベノワの存在を知って憧れるようになって。

    ――
    そんな2人がWCWやWWEに“逆輸入”されてスターになるんですから面白いですよね。

    小佐野 
    ライオンのWAR最後の来日は96年両国国技館2連戦が最後なのかな。このときはライオン道として来日してるし、ビッグ・タイトンも「ビッグタイ道」というリングネームになってるんだけど(笑)。

    ――
    馬鹿馬鹿しいですねぇ(笑)。

    小佐野 
    そのときライオンはWCWでクルーザー級のチャンピオンになっていてね。桜新町のイタリアンレストランで打ち上げがあったときに本人に聞いたんですよ。「WCWでブレイクしてるけど、向こうに行っちゃうの?」って。そうしたら「イエス。デモ、ワタシハ日本ヲ愛シテマス」と言ってくれてねぇ。



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