-
庭について:その45(1,685字)
2023-09-15 06:00110ptトーマス・チャーチは、1948年にダネル邸庭園を設計する。その最大の特徴は「空豆型の湾曲した外縁を持つプール」だ。
今日、湾曲した外縁を持つプールは決して珍しくない。特にカリフォルニアの豪邸には採用されるケースも多いが、その最初のものがダネル邸庭園で、それをデザインしたのがチャーチなのである。
ところで、チャーチは1955年に出版したその代表的著作である『庭園は人々のためにある』の中で、「庭の設計プロセスにおける4つの原則」を述べている。それは以下のようなものだ。
1.「統一感」
家とその庭を自由な流れで統合し、全体としてのデザインを考慮すること。
2.「機能」
屋外のレクリエーションおよび社交エリアと屋内の対応エリアとの関係、および屋外サービスエリアと世帯のニーズとの関係、そこに住む人々を喜ばせ、サービスを提供すること。
3.「シンプルさ」
デザインの美しさと経済的な成功はこれにかかって -
偽物の個人時代:その8(1,779字)
2023-09-14 06:00110pt今の時代の「新しい哲学」を考えてみたい。
新しい哲学のベースとなる、新しく進行している「社会の価値観」は、「メリトクラシー」と、それと合わせ鏡の「教育限界説」だ。今、能力主義社会は加速する一方だし、平行して「教育が機能しない」という考えも徐々に広まりつつある。
これの面白いのは、ほとんどの人が意識していないところだ。メリトクラシーは空気のように当たり前のこととなっていて、誰も進行していることに気づかない。一方「教育限界説」は多くの人にとって受け入れにくいことなので、無意識のうちに無視されている。
しかし現実は、両者の進行が著しい。特にアメリカの先端企業では、メリトクラシーはもちろん、教育限界説も常識になりつつある。アメリカの先端企業を代表する人物のひとり、ピーター・ティールは、学生に奨学金を出す条件の1つに「大学を辞めること」を挙げている。大学に行くと、時間とチャンスを無駄にしてしまうから -
[Q&A]岩崎さんがジャニーズ事務所の次期社長を任されたとしたらどうしますか?(2,384字)
2023-09-13 06:00110pt2[質問]
何かと話題のジャニーズ事務所ですが、思ったより早いスポンサー離れがありました。テレビ局とは違う対応に、へーっと思っています。新社長は、会社側としたら彼しかいなかったのでしょうか、岩崎さんが指揮を執るとしたなら、この騒動をどう治めますか?
[回答]
この問題はあまりに複雑なので、ぼくに指揮を執るのは無理ですね。そもそも、「ぼくが指揮を執るべきではない」と強く思ってしまいます。
この問題の最も複雑なところは、被害者でもある現役タレントが告発すると、自身も大きなダメージを被ってしまうところです。例えば、嵐のメンバーが被害者だった場合、同時に彼らはそれを黙認していた「共犯者」にもなってしまいます。そのため、イメージの低下は避けられません。嵐を起用しなくなる企業は増えるでしょう。
そういうふうに、この犯罪は被害者を巧妙に共犯者に仕立て上げ、ダブルバインドの状態に持っていったところが巧妙で悪 -
アーティストとして生きるには:その21(1,640字)
2023-09-12 06:00110ptここまで、アーティストは「困難な状況を打破するためのメソッドを提示する者」ということを書いてきた。ところで、どの時代にも、その時代特有の困難さがある。そして困難さの厄介なところは、たいていの場合、その困難さの解決方法が見えていないのはもちろん、困難そのものにも気づいていない場合が多いことだ。
例えば、近代化が成し遂げられたとき、人々は歓喜雀躍した。それまで苦労していた「物資の不足」から解放され、豊かな暮らしができるようになったからだ。
しかしそのおかげで、美しさからは縁遠い生活となった。周囲は工場で作られた無骨な鉄製品で埋め尽くされ、生活は味気ないものとなった。それでも人々は、道具の「便利さ」に目を奪われ、「醜い物に囲まれた味気ない生活」という問題に気づけないのである。
あるいは、工場の乱立によって「公害」が発生し、多くの人々が病気になった。それでも、人々は近代化を止めようとはせず、病気の -
石原莞爾と東條英機:その14(1,766字)
2023-09-11 06:00110pt日本の陸軍は、明治維新と共に生まれ、第二次大戦の敗戦と共に消滅する。その歴史は67年ほどであった。
その67年の歴史の中で、陸軍には3つの色濃い「陰湿な体質」が形成された。その3つとは、「暗殺体質」「クーデター体質」「秘密結社体質」である。
順に見ていくと、まず「暗殺体質」は、単純に「気に入らない者は殺してしまえ」という考え方だ。信長の「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」に近い。
この体質は、軍人的というよりは政治家的な振る舞いだ。なぜなら、陸軍が暗殺をするのは、いつも戦争の相手ではなく、意見が対立する同胞だからである。
この「同胞を暗殺する」という体質は、主に幕末に形成された。幕末、日本の開国を巡って、多くの藩、あるいは武士たちが反目し合った。そうして侃々諤々の議論を交わしたが、話し合いはどこまでも平行線を辿った。事態は全く進展せず、滞ってしまった。
このとき、暗殺体質が生まれた。議論を -
庭について:その44(1,950字)
2023-09-08 06:00110ptトーマス・チャーチは、最初は「ボザール様式」の薫陶を受け、伝統的なヨーロッパ風の幾何学的な庭を志向した。「ボザール」とはフランスの国立美術学校のことで、そこで学んだことを誇ったアメリカ人芸術家たちが、自らのスタイルを「ボザール様式」と呼んだことから生まれた意匠だ。
ボザール様式は、なにしろフランスの学校を発祥とするため、その意匠もフランス式だ。つまり庭園は幾何学的で、建築もゴシックである。これが、19世紀後半から20世紀前半にかけて、アメリカで大流行したのだ。
アメリカには、ニューヨークのグランドセントラル駅や公共図書館など、ギリシア神殿を模した巨大な柱廊が特徴の建築がよく見られる。それらは概ねボザール様式で、1900年前後に大流行し、アメリカ全土に次々と建てられた。
チャーチも、はじめはそうした様式に連なるランドスケープからスタートした。しかしすぐに、新たに発展してきた近代建築に興味を惹 -
偽物の個人時代:その7(1,795字)
2023-09-07 06:00110pt「哲学」というのは、学問ではあるが、歴史の中で「発展」するというよりは「変化」するものだ。文学にも近いが、必ずしも新しければ素晴らしいというわけではない。
普通、学問というと化学や物理、あるいは数学などのように、昔に比べ今の方が各段の進歩をしたものと思いがちだ。しかしこと哲学に限ると、この公式は全く当てはまらない。むしろ、廃れたかに見えた古いものが、鮮やかに復活することもある。
いずれにしろ、哲学は時代の流れの中で流行り廃りがある。かつては流行っていたものの今は廃れてしまった哲学の1つに、パスカルの「人間は考える葦である」というものがある。
これは、今は知らないが、ぼくが子供だったときは当たり前のように学校で習った。そうして、子供たちの評判も上々だった。これを述べたパスカルは17世紀人なので、少なくとも300年間、人々をインスパイアしてきた。
ところが、そこから40年が経過した現代において -
[Q&A]理不尽にどう対処するか?(2,098字)
2023-09-06 06:00110pt2[質問]
先日車を運転しているときに、理不尽な煽り運転に合いました。もちろんテレビなどで話題なのは知っており、自分としてはかなり気をつけていたのですが、それでも煽ってくる人はいるのだなと、少なからずショックを受けました。
最終的にはトラブルに発展することなくやり過ごせたのですが、それでも数日は暗い気持ちになりました。真っ当に生きていても、理不尽は避けがたく襲ってきます。
そういう理不尽に対して、ハックルさんはどのように対処されていますでしょうか? よろしければ、参考になるアイデアなどいただければと思います。
[回答]
理不尽は、確かに避けがたく襲ってきますね。ぼくも、いまだに理不尽を感じることはあります。
しかし、量的にはかつてより理不尽を感じることは少なくなりました。少なくなった理由は、世の中を理解するということが増えたからだと思います。
煽り運転も、世の中のことを理解できていなければ理 -
アーティストとして生きるには:その20(1,668字)
2023-09-05 06:00110pt話はそれるが、ぼくは自分がアーティストだと思ったことがない。意識してアートを作ったことがない。ぼくは、自分はエンターテインメントコンテンツの制作者だと思っていた。俗に言う「クリエイター」だと思っていた。
しかしながら、クリエイションを続けるうちに、次第にクリエイションの中にアート要素を見出すようになった。クリエイションを突き詰めるとアートになったのだ。
例えば、比べるわけではないが宮崎駿監督も、はじめはエンタメの面白さを追求していたはずだ。それなのに、エンタメを突き詰めれば突き詰めるほど、アートになっていった。エンタメのその先に、アートが待ち受けていたのだ。
これは、あらゆる分野で起きる現象だ。あらゆる分野のその先に、「アート」というのは必ず顔を出す。
例えば茶道具だって、はじめはお茶を飲むための道具として作られた。だから、追求したのは「どうすればお茶を美味しく飲めるか」ということだ。とこ -
石原莞爾と東條英機:その13(1,629字)
2023-09-04 06:00110pt陸軍士官学校の16期生、永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次は「三羽がらす」と呼ばれた。ちなみに、卒業時の成績は永田が首位、小畑は5位、岡村は6位だった。
この3人には共通項があった。また、仲良くなったきっかけもあった。
それは、ある「デキの悪い後輩」の勉強を見ていたことだ。1期下、17期のある生徒が、陸大を受けるのだけれども2度も不合格になった。そのため、3人が代わりばんこに勉強を見てあげたのである。
そうするうちに、3人は自然と仲良くなった。また、元々「勉強を教えるため」に集まった仲間だから、その場は自然と「勉強会」へと発展していった。そうして、彼らが最も勉強するべきこと、すなわち戦争と陸軍について、議論し、考えを深めていったのだ。
ところで、ピーター・ドラッカーは「最高の学びは教えることだ」と言っている。あるいは、リチャード・ファインマンも全く同じことを言っていて、「先生をしていると何より
2 / 3