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  • 本質的に生きる方法:その5(1,812字)

    2024-10-29 06:00
    110pt
    本質的に生きる方法は、これまでの社会では賢者がしていれば良かった。なぜなら、これまでは愚者の社会だったからだ。

    なぜ愚者の社会だったかというと「文明」の助けがあったからだ。文明は愚者を助け、賢者をそれほど必要としなかった。それでおよそ5000年前から、どんどんと愚者が増えていったのだ。

    文字が発明された5000年前、エジプトでは愚者が増えることが社会問題化されていた。文字の発達によって、ものを覚えることができない愚者が増えたからだ。その現状を見て、ときの王様は「文字というのは悪魔の発明ではないか」と恐れおののいた。

    その後キリスト教が生まれるが、これも基本的には愚者の広がりに対する懸念をベースとしている。「この世界は悪くなり続けている」というのが、キリスト教の基本的な世界観である。つまり、愚者が増え続けているという考えだ。それをなんとか押しとどめるために、キリスト教は存在した。そんなふうに
  • 石原莞爾と東條英機:その59(1,847字)

    2024-10-28 06:00
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    化物と化した戦前の陸軍。その中で石原莞爾はどのような存在だったのか?

    彼は陸軍内で、誰からも文字通り一目も二目も置かれていた。いろいろな理由はあるが、やはりその独特の個性に因るところが大きい。誰に対しても一歩も引けを取らない。しかも満州事変を主導したという実績もある。

    満州事変は陸軍の「心の拠り所」だった。なぜなら、陸軍が日本の歴史を変えた最大のできごとだったからだ。陸軍が主導して、日本の未来を動かしたのだ。何より政府を、そして国民を動かした。これは陸軍の自信につながった。陸軍は政府よりも強力な指導力を持っていると証明することになったからだ。

    しかし同時に過信にもつながった。政府は頼りにならん、陸軍しか日本を救える存在はないという奢りが、後の暴走を招いたのだ。

    つまり石原莞爾は、そんな陸軍の暴走を引き越した張本人ともいえた。だから陸軍の誰にとっても一目置く存在であった。ただし上の者からは目
  • 野球道とは負けることと見つけたり:その2(1,656字)

    2024-10-25 06:002
    110pt
    今回は、蔦文也を主人公とした5話完結のドラマの、構成について書いてみたい。

    第一話「死ねなかった男」

    蔦文也は、特攻隊員だった。

    徳島県三好市池田町の素封家の息子として生まれた文也は、何不自由なく甘やかされて育った。そのため心が弱かった。

    幼い頃から野球が得意で、徳島商業に入学すると、見事甲子園出場を果たす。その後同志社大学に進むも、折からの戦争で学徒出陣をする。そうして特攻隊員になり、出撃を命じられる。

    死の恐怖から、酒ばかり飲んで酔っ払い、数々の失態をくり返す。そうした中でも仲間たちが次々と死んでいき、いよいよ自分の番が来たかと思ったそのとき、不意に終戦を迎える。

    そうして彼は、とうとう死ねなかった。特攻隊では、隊員たちに葉隠の一節「武士道とは死ぬことと見つけたり」をくり返し説いていたが、蔦はとうとう死ぬことを見つけられなかった。

    第二話「サインを出せなかった男」

    終戦後、蔦はすぐに郷