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記事 73件
  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その73(1,762字)

    2022-10-20 06:00  
    110pt
    この連載は、今回で一旦終わりとしたい。
    マンガに限らず、日本全体の歴史を振り返ると、1980年に大きな境目がある。これ以前と以降とで、はっきりと断絶している。
    それに比べると、バブル崩壊などは小さな変化だ。バブル崩壊は、バブルが始まったときにすでに予感されていた。一般には1985年のプラザ合意によってバブルが起こったとされるが、その前からすでに実態経済は縮小が始まっていた。80年代は、実はそれほど上手くいってなかったのだ。
    ただ、60年代までの成長があまりにも凄まじかったので、その余波で好況に見えていただけだ。つまり見せかけの好況だった。その意味でもバブルだった。
    しかしそう考えると、逆に面白く見えるのが80年代の特徴でもある。どこまでも偽物の時代だ。こういう時代は貴重である。
    アメリカでは1920年代(狂乱の20年代)とか1950年代(パスク・アメリカーナ)がこれに当たる。パリでは19世

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その72(1,657字)

    2022-10-13 06:00  
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    団塊世代の女子(団女)というものは、社会的にはそれほど注目を浴びていない。しかしながら、これが社会を変革した度合いは大きい。この層が日本の女性観、恋愛観、家族観、引いては社会観を一変させたといってもいいだろう。
    団女は、言うまでもないが戦後生まれだ。いわゆる「戦争を知らない子供たち」である。そのため、がっつりと戦前の価値観を持っている親との間にはもちろん、少し上の「戦争を知っている子供たち」との間にも価値観のギャップがあった。それも強烈なギャップだ。
    およそ団塊世代ほど巨大な価値ギャップの中で育った子供はいない。同時に、団塊世代ほど「多くの子供」に囲まれて育った子供もいない。
    その意味で、団塊世代は弱点と同時に強さも持っている。その強さが、やがて上の世代に対する隠された反抗心――さらには「恨み」へとつながった。
    この「隠された恨み」が、日本に独特の価値転換をもたらした。団塊世代が大人になっ

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その71(1,485字)

    2022-10-06 06:00  
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    『月とスッポン』の登場人物・藤波正平のモデルは、作者である柳沢きみおの同級生だった。そう考えると、藤波が恋をする星野くんのモデルも、やはり柳沢きみおの同級生だったのではないだろうか。
    そもそも、この『月とスッポン』を読み込むと、主人公の2人、土田新一と花岡世界にはリアリティがない。それは、作者の「読者の妄想を具現化した」という証言からも分かるように、空想の産物だからだろう。どこまでも人工的なのだ。
    それに比べ、主人公ではないため気軽に作った藤波くんや星野くんのキャラは、戯画化されていない分リアリティがある。身近な人物をモデルにしたため、かえって深みを宿したのだ。
    しかも、キャラが動きやすいために話も作りやすく、人気も出た。それでマンガが延命したのだから、なんとも皮肉な話だ。人気を取るために作った主人公より、手を抜いた脇役の方が活躍したのだ。
    70年代は、そういう「価値の転換期」にあったと思

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その70(1,654字)

    2022-09-29 06:00  
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    柳沢きみおは、悩んでいた。鴨川つばめのように、面白いギャグマンガが描けないからだ。自分にはギャグのセンスがないと、たびたび痛感させられていた。それで、毎度アイデア出しに困っていたのだ。
    そんなとき、『月とスッポン』の脇役である藤波というキャラクターに頼った。この藤波は、高校時代の同級生がモデルだった。実在の彼の言動を思い返していると、アイデアは湧き出てきた。マンガの中の藤波が、どんどん動いてくれた。
    そうして、マンガ自体を面白くしてくれた。だから、藤波の話ばっかりになったのだ。『月とスッポン』の後半は、ほとんど藤波が中心で展開していくのだが、それは柳沢きみおがそれだけネタに詰まっていたということだ。同時に、藤波がキャラとして秀逸だったということでもある。
    藤波は、いうならば「前時代の遺物」だった。古い「ガリ勉」の典型だった。だから、そういう言動をし、そういう外見をしていた。それが、「新時代

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その69(1,703字)

    2022-09-22 06:00  
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    柳沢きみおの『月とスッポン』は、1976年から1982年まで週刊少年チャンピオンで連載されていた。単行本は全23巻になる。リアルタイムだと、ぼくにとっては8歳から14歳までの間だ。ちょうど少年から思春期にかけての一番多感な時期だった。
    ただし、さすがに小学生で読むのは早すぎたので、前半はリアルタイムでは読んでいなかった。ぼくは、小4(1974年)からチャンピオンをよく読むようになっていたが、当時、『月とスッポン』はそれほど印象に残らなかった。
    ぼくが『月とスッポン』を集中的に読むようになったのは、高校生になってからだ。つまり1984年以降なので、連載が終わってからということになる。
    連載が終わってから、単行本で読んでいた。単行本を全巻揃え、それを数え切れないほどくり返し読んだ。
    くり返し読んでもちっとも飽きることはなかった。それどころか、読むたびに新しい発見があった。特に後半の展開は、新し

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その68(2,021字)

    2022-09-15 06:00  
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    日本の戦後史を概観すると、やはり「1980年」が最も大きな転換点となっている。ここが転換点になった一番の要因は、若い男女の数が逆転し、恋愛観が決定的に変化したことだ。
    その恋愛観の変化は、日本社会そのもののありようを大きく変えた。世代間ギャップを生み出したのと同時に、今に続く「オタク文化」を生み出した。それが少子化の直接的な原因になり、今の高齢化社会につながったのだ。全ては「1980年の社会転換」から始まった。もちろん、1980年代のバブル経済と、その後のバブル崩壊、そして「失われた30」年も、ここと深く関連している。
    ぼくは1968年の生まれなので、1980年当時は12才だ。だから、「転換前の世界」を知っている一番若い世代ということができるだろう。これより5才下の1973年生まれ以降になると、もう転換前の世界を知らない。
    なぜかというと、1973年生まれは1980年のときに7才だから、小

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その67(1,821字)

    2022-09-08 06:00  
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    マンガというのは、主役よりむしろ脇役が大きな役割を担っている。どういうことかというと、作者は主役は熟慮を重ねた末に設定するが、脇役はそうではない。だいたい思いつきで、何気なく登場させる。
    ところが、そうした熟慮を重ねていない脇役が、作中で意外な活躍を見せることがある。そうなると、作者も描きながら「そもそもこのキャラはどういう来歴なのだろう」とか「どういう性質を持っているのだろう」と、あらためて考えさせられるのだ。そうして、あらためて掘り下げていく。そうしたときに、無類の面白さが生まれるのである。
    その代表的な存在が『子連れ狼』における大五郎だ。彼はそもそも、主人公の殺し屋に似つかわしくない「装身具」として、記号的に配置された。すなわち「子連れの殺し屋がいたら面白いよね」というきわめて安直な発想から、思いつきで生み出された。
    しかし連載が始まってすぐ、この作品も、そして大五郎も人気が出た。と

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その66(2,146字)

    2022-08-25 06:00  
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    ぼくは、マンガ史における柳沢きみおの重要性は以前から感じていたが、それを上手く説明できないことにずっともどかしさを抱いていた。特に『月とスッポン』の重要性や、それ以前に「面白さ」さえ伝えられないことにある種の絶望感さえあった。
    それほど、ぼくは『月とスッポン』を「面白い」と思っていた。文字通り「夢中」で読んでいた。何度くり返し読んだか分からない。特に高校生の頃は、聖書のように毎日読んでいる時期もあった。それは、何回読んでも新しい読後感があるからだ。読むたびに新しい気づきがあった。
    そして、その理由(秘訣)が分からないからこそ、何度も夢中になって読んだということがあった。これは『火の鳥』や『ドカベン』『がんばれ元気』にも通じるところだ。そういった評価の高い歴史的名作と並ぶくらい、『月とスッポン』及びその続編である『正平記』は面白い。この2作は、ぼく自身がどんなに引っ越しを重ねようとも、ずっと

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その65(1,910字)

    2022-08-18 06:00  
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    日本では、1980年から女性が強くなる。その象徴的存在が薬師丸ひろ子なのだが、その割にこのことを知る人は少ない。
    というのも、「強い女性」というと多くの人がフェミニスト的なキャラクターや意思や態度がはっきりしている人のことを思い浮かべるのだが、薬師丸ひろ子の場合はそうではないからだ。彼女は、むしろそのイメージの逆である。フェミニストでないのはもちろん、意思も態度もはっきりしていない。
    そして、そのはっきりしていないところが魅力なのだが、実はそこのところこそ彼女の強さの源泉なのだ。だから、分かりにくいのである。
    薬師丸ひろ子は、分かりにくい。だから、多くの男を魅了した。年上の角川春樹や高倉健や松田優作、また名だたる監督たちはもちろん、同世代や下の世代のファンも魅了した。
    そんなふうに、「分からない」というのは強さだった。その意味で、薬師丸ひろ子は「分からないという魅力」の発見者ともいえた。

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その64(1,687字)

    2022-08-11 06:00  
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    マンガの80年代から90年代までを概観する:その64(1,687字)
    70年代の後半から女性は急に強くなった。当時、そのことにどれだけの人が気づいただろうか。意識的に気づく人は少なかったが、しかし無意識的には実感していた人が多かったのではないだろうか。
    70年代後半から80年代前半にかけて一世を風靡したのが薬師丸ひろ子である。彼女は1964年の生まれで、1978年、14歳のときに映画『野生の証明』でデビューする。
    続けて1980年、『翔んだカップル』でスマッシュヒットを記録した後、1981年の『ねらわれた学園』でも話題になる。
    そして、彼女の人気をなんといっても決定的にしたのが同年公開の『セーラー服と機関銃』だった。これは文字通りの国民的ブームとなって、CMでも象徴的に使われた映画の中のセリフ「カ・イ・カ・ン」は流行語にもなった。
    『セーラー服と機関銃』劇場予告編
    今振り返ると、薬師丸ひろ

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