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記事 63件
  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その63(1,791字)

    2022-08-04 06:00  
    110pt
    1970年代後半は面白い時代だ。
    70年代前半に噴出した「社会の暗さ」がいつの間にか後退し、狂乱の80年代に向けて着々と下準備が整えられるようになった。インフレを契機にみんなの収入が等しく上がって、人々の心は次第に浮つくようになっていった。それが傲慢さにつながるのは80年代だが、まだこの頃は謙虚さを保っていた。そういう境目の時代が70年代後半である。
    そして、その境目をいち早く越境したのが若者たちであった。若者たちが、大人たちの浮かれた内心を察知して、それに先んじて羽目を外し始めたのだ。
    大人たちは、それに対して表面的には眉をひそめたが、結局は黙認した。内心が浮かれていたから、締めつけるだけの気力がなかったのだ。そうして、社会の箍がどんどんと緩んでいった。
    この頃から、恋愛が一つの「ブーム」と化していった。
    それまでの恋愛は、「抑えきれない衝動」のようなもので、ある種の選ばれた者だけがする

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その62(1,893字)

    2022-07-28 06:00  
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    柳沢きみおは1948年の生まれ――つまり団塊の世代である。
    1970年、22歳のとき週刊少年ジャンプでデビューする。その後、ジャンプ専属マンガ家のとりいかずよしのアシスタントを務める。そこで、とりい式ギャグの薫陶を受けたのだろう。しばらくはジャンプでギャグマンガを描いていた。
    1975年にジャンプの専属が解かれ、1976年から週刊少年チャンピオンで『月とスッポン』の連載が始まる。27歳のときだ。
    この作品も、最初はジャンプ的ギャグマンガだったが、次第に変容を見せ始める。きっかけは、登場人物たちが成長していったことだ。最初は中学生だったのだが、高校生になり、最後は大学受験を控えたところで終わる。
    その間に、主人公たちの内面も成長し、勉強や恋愛に対して切実に向き合うようになる。そうなると、単なるギャグマンガでは終わらず、「人間そのもの」を描く文学的な内容へと変容するのだ。
    特に、はじめは脇役に

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その61(2,063字)

    2022-07-21 06:00  
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    マンガは80年代に入って大きく様変わりする。
    70年代に入ったときも、『あしたのジョー』の終わりとともに停滞を迎えたので、大きく様変わりした。そして、そこからの10年間は、試行錯誤の段階を経ながら、最終的には週刊少年チャンピオンが開発した「読み切りの面白さで読者を惹きつける方式」が花を開かせ、定着する。
    それはやがて週刊少年ジャンプに受け継がれる。70年代の後半から、ジャンプがどんどんチャンピオン的なものを取り込んで、より読み切りの面白さに――つまりはアンケート結果を重視する方向へと編集方針を傾けていくのだ。そうして、どの雑誌でも「その週にどれだけ読者を惹きつけたか」が、マンガの面白さの中心的なものとなる。
    その結果、即物的な本能に訴えかけるものがマンガの王道になっていく。80年代にアクションマンガが花開くのは、そのことの結果だ。
    逆にいえば、非アクション的な――文学的なマンガは減っていっ

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その60(1,649字)

    2022-07-14 06:00  
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    1979年から1981年というのは、ちょっと特殊な時代だった。この頃、エレクトロニクス技術が急発達し、さまざまな「未来的商品」が出始めていた。また、それに伴ってコンテンツ業界も少しずつ様変わりをし始めていた。
    中でもYMOの登場はその象徴的なものだろう。音楽の世界にコンピューターが登場し、それが音楽界そのものをも少なからず変えるということが現象として起こったのだ。そのため、多くのアンテナの高い尖った若者がYMOに飛びつき、新しいコンテンツの楽しみ方のスタイルを構築していった。
    マンガ界にもこの動きは飛び火した。その先陣を切ったのは江口寿史だ。彼は当時、週刊少年ジャンプに『すすめ!!パイレーツ』を掲載していた。ぼくは、このマンガを読む中で初めてYMOの存在を知った。江口寿史がYMOの大ファンで、彼らをマンガの中に登場させていたのだ。
    そういうふうにマンガ家が自分の作品内で自分や自分の近況を報

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その59(1,612字)

    2022-07-07 06:00  
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    ぼくは、1979年の12月から1981年の12月まで、丸2年タイのバンコクに暮らしていた。1979年12月(小5の冬休み)までは東京都日野市の程久保小学校に通い、1980年1月から1981年3月までの15ヶ月間、インターナショナルスクール・オブ・バンコク(ISB)に通った。
    その後、1981年4月の中1になるタイミングでバンコク日本人学校に転校した。さらに、1982年の1月から(中1の3学期から)、つくば市にあった私立茗渓学園中学に編入した。
    そんなふうに、この時期だけで4回学校を変わっている。ぼくとしては、思春期の変化とも相まって激動の時期だった。
    そして、この時期はマンガにとってはもちろん、世相そのものが激動していた。しかし、そんなことは同時代を生き、まだ思春期の入口にいたぼくには知りようもなかった。
    今となっては不思議なことだが、当時のぼくは、社会というものを何も知らないで暮らしてい

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その58(1,680字)

    2022-06-30 06:00  
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    1970年代後半の書店というのは、今考えると信じられないくらい加熱していた。沸騰して煮えたぎっていた。
    そこは、「知のテーマパーク」のような活況を呈していた。日本の知の権利をほとんど一手に独占していた。
    1970年代、知は、書店以外に提供する場がなかったのだ。そして70年代後半は、ちょうど日本人全体が知に飢え始めていた時期だった。だから、人々が書店に殺到し始めた。それが、1970年代後半だったのだ。
    1980年代に入ると、そこに目をつける経営者が現れて、書店は大きく様変わりし始めた。続々と大型化していったのだ。
    それまでは、どこの町にも面積が数坪の小さな書店というものがあって、そこが雑誌や書籍の流通を担っていた。しかし、残念ながら在庫量が少ないために、新たな知と出会うというテーマパークとしての役割は果たせていなかった。
    だから人々は、知の楽しみを求めて、大型書店に殺到した。ぼくの場合でいう

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その57(1,904字)

    2022-06-23 06:00  
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    思えばマンガがマンガ家を最も消耗させたのは1970年代後半だろう。小林まことの『青春少年マガジン1978~1983』という作品があるが、これは涙なしには読めない当時のマンガ家の壮絶なドキュメンタリー(回想記)なので、ぜひ読んでほしい。

    青春少年マガジン1978~1983
    このマンガを読むと、そもそも当時のマンガ家は「消耗されて当然……」という過酷な環境の中にあった。そうした環境が「前提」だったので、マンガ家も消耗されることを覚悟しながら描いていた。
    取り分け、ギャグマンガを描いていたのは20代前半の若者が多かったから、まだ分別がついていない分、そうした覚悟を持ちやすいというところがあった。後先を考えず、今この瞬間マンガに全てを捧げようとする傾向が強かった。
    1970年代後半に20代前半ということは、年齢的には1950年代後半生まれということになる。小林まことは1958年の生まれだ。197

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その56(1,823字)

    2022-06-16 06:00  
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    赤塚不二夫が巻き起こした「ギャグマンガ旋風」はすさまじく、直後にフォロワーが雨後の竹の子のように現れた。おかげであっという間に「ギャグマンガ」というジャンルが確立したほどだ。
    ぼくは1968年生まれだが、物心ついたときにはすでにギャグマンガはジャンルとして確立していた。ぼくが本格的にマンガを読み始めたのは1978年頃のことだが、それはまだ『天才バカボン』の大ヒットからほんの10年ほどしか経っていない。マンガ界では、ほとんど『天才バカボン』一作でギャグマンガというジャンルが勃興し、以降、それが当たり前のこととして定着するようになったのだ。
    赤塚不二夫のギャグマンガを最初に受け継いだのは少年ジャンプ誌ではないだろうか。この雑誌の創刊は1968年で、ちょうど『天才バカボン』の大ブームとかぶっている。だから、まだ色がついていなかった分、乗っかっていきやすかった。フォローしやすかったのだ。
    そこで、

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その55(1,730字)

    2022-06-09 06:00  
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    ぼくは最近、1970年代後半についてよく考えている。なぜなら、この時代の捉え方が、とても難しいからだ。
    1970年代後半の日本は、オイルショックの暗さから、バブルの華やかさに急転換した。そういう鮮やかな変容は、他の時代にはあまり見ない。
    ただ、それなりに近い1950年代前半に、同じような急転換がある。それは、戦後の貧しさから、朝鮮戦争による特需へと鮮やかに転換したときだ。
    このとき、手塚治虫の『新寶島』が生まれ、マンガ界そのものも急転換を遂げている。
    では、1970年代後半のマンガ界では何が起こったのか?
    その前に、1970年代「前半」のマンガ界では何が起こったのか?
    それは、一言でいえば、「燃え尽き症候群」である。特に、『あしたのジョー』が終わり、また赤塚不二夫も失速したため、マンガが以前ほどの国民的ブームを巻き起こせなくなっていた。
    この頃、学園紛争や浅間山荘事件、オイルショックなどの

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その54(1,624字)

    2022-06-02 06:00  
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    1977年は、時代の転換点だった。このとき、社会は変わった。また、マンガも変わった。
    では、社会は、そしてマンガは、どう変わったのか?
    今回は、その変容に迫ってみたい。
    1977年を象徴するものはなんだろう?
    そう考えたときに、真っ先に思い浮かぶのが「スーパーカー」だ。1976年から1977年にかけて、日本は空前のスーパーカーブームだった。
    スーパーカーがブームになったことは、オイルショックや高度経済成長の終わりといった暗い世相とはマッチしない。スーパーカーは、バブルの権化のような存在だ。それが、1980年に本格的なバブル経済が幕開けする前、すでに嚆矢として放たれていたのだ。
    1970年代前半は、浅間山荘事件やオイルショック、それに暗い流行歌の影響で、どうしても「暗い時代」と見られがちだ。しかし、よくよく調べてみるとそんなことはなく、きわめて明るい気分も横溢している。特に、70年代後半から

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