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本質的に生きる方法:その18(1,672字)
2025-02-18 06:00会員無料歴史を紐解くと、産業革命――特に鉄道の登場が、人々の生活を一変させたことが分かる。
その変化の大きさは我々の想像以上だ。なにしろ国の「形」を大幅に作り替えたのだから。それは「社会形態が変化した」という比喩的な意味ではなく、文字通り物理的な国土が大きく変わった。鉄道が作りやすいように、地形を徹底的に改造しまくったのだ。
それと同じくらいのインパクトが、AIの登場によって予測される。特に、産業革命で登場したブルーカラー及びホワイトカラーの消滅が予測される。
今、社会ではホワイトカラーの消滅が盛んに叫ばれているが、それよりも歴史的に見て重要なのがブルーカラーの消滅である。ところが、ブルーカラーの消滅はそれほど大きな関心事となっていない。なぜか?
それはブルーカラーがすでに社会の中での存在感を小さくしているからだ。それで、ほとんどの人が気にしていない。それよりも、現在ほとんどの人が就いているホワイ -
本質的に生きる方法:その17(1.768字)
2025-02-11 06:00会員無料「家」とは何か?
人間なら、ホームレス以外は家がある。持ち家と賃貸があるが、いずれにしろ自分が寝起きするという意味では変わらない。
そのため、多くの人が「家」というと「寝る場所」と考える。そしてそこから、「くつろぐ場所」「リラックスする場所」というふうに考える。
そして、ほとんどの人は家にそれ以外の機能を想定しない。働いたり、遊んだりする場所は「家」の外に求める。
これは、今やほとんど常識だろう。しかしながら、この価値観が比較的新しく、しかも崩壊寸前だということは、多くの人が知らない。
というのも、実は仕事をしたり遊んだりする場所を家の外に持つという価値観は、近代以降にできたものだからだ。近代以降、「仕事」という概念が確立し、同時にそれをするための「職場」というものができた。それによって、家と仕事、あるいは遊びが分離されるようになったのだ。そうして人々は、家をただ寝るための場所、リラックス -
本質的に生きる方法:その16(1,658字)
2025-02-04 06:00会員無料「本質的に生きる」ということが、ぼくがこれまで生きてきた中で培ってきた価値観である。それには理由がある。ぼくは元々本質的な生き方をしていなかった。しかしそこに少なからぬ違和感はずっとあった。そしてその違和感を拭うために「どう生きればいいのか?」ということをずっと考えてきた。
そのため、あれこれと試行錯誤してきた。そんな中、引越しを機に大きなヒントをつかんだということは以前にも書いた。ぼくはこれまで住む場所を軽視してきたわけではなかったが、しかし「住み方」というものはおざなりになっていた。それを大きく見つめ直すきっかけが、37歳のときの引越しにあったのだ。
なぜかというと、引越した先がわずか18平米の狭いワンルームマンションだった。そのため必然的に、「住まい方」を工夫せざるをえなかった。ぼくはそれまでにも狭い部屋に住んだことはあった。しかしそのときにはまだ若かったので、工夫をしなくてもなんと -
本質的に生きる方法:その15(1,686字)
2025-01-28 06:00110pt1これからの時代は「本質的」に生きる必要がある。なぜならAIの登場で「表面的」な魅力の価値が損なわれたからだ。病院経営においては、病院の外観を整えることより医療の質が重要になった。当たり前といえば当たり前だが、今までは病院の外観がだいじな時代がずっと続いていたのだ。
そして医療の質を上げるためには、技術を上げるだけではダメになった。なぜなら技術だけならロボットの方が上だからである。そこで医師は「人間力」を上げる必要が出てきた。立派な人間になる必要が出てきた。
ではどうしたら立派な人間になれるのか?
そこにおいて重要な役割を果たすのが「建築」である。なぜなら人間は、建築空間に驚くほどの影響を受けるからだ。そのため立派な人間になるには、いい建築で過ごす必要がある。逆に悪い建築で過ごしていると、凡庸な人間にしかなれない。
では、立派な人間になるために過ごす必要があるいい建築とは何か?
その理想こそ -
本質的に生きる方法:その14(1,829字)
2025-01-21 06:00110ptここ20年くらい、ぼくは建築あるいは空間についてこだわり、研究してきた。なぜかというと、今から20年ほど前に、人間の生き方を決定づけるものこそ「空間」だと気づいたからだ。そして空間を本質的にすれば、本質的に生きられる。逆に空間を非本質的にすれば、非本質的な生き方にしかならないと分かった。
そこからぼくは「本質的な空間とは何か?」ということを追求してきた。それを追求すれば、おのずと本質的な生き方ができるようになれると考えたからだ。あるいは生き方の本質度を上げていけると思った。
生き方の本質度を上げる理由は、そうでないと率直に生きにくいからだ。2010年代までは、はっきりいって「本質」は逆風だった。社会が固着化し、非本質的な生き方の方がずっと有利だった。だから、非本質的な人が世の中にはびこった。今でも、そのときのことを引きずっている人は多い。
しかしまずインターネットがその価値観を根底から覆し -
本質的に生きる方法:その13(1,628字)
2025-01-14 06:00110ptル・コルビュジエとフランク・ロイド・ライトに共通している部分がある。それは「空間の美」を追求しているということだ。だからそれが一つの本質ということもできよう。空間もやはり「美」は重要な目的地なのだ。
ただ、そこに至るまでの二人のアプローチは違う。コルビュジエが「機能美」を追求したのに対し、ライトは「時間の美」を追求した。言い換えると、コルビュジエは「使うこと」を追求したのに対し、ライトは「訪れること」を目指したのだ。
コルビュジエは建築を「使うもの」と規定した。だから「住む」ということにとても適している。これは実際に住んでみなければ分からないだろう。コルビュジエの建築に今でも多くの人が住み続けているのは、住めばそこが魅力的だと分かるからだ。
一方で、ライトの建築は住んでみないとそこが「住みにくい」ということが分からない。ライトの建築に住んでいる人は今では少数だ。しかしそこを訪れる人はたくさ -
本質的に生きる方法:その12(1,747字)
2024-12-17 06:00110ptコルビュジエの有名な言葉に「住宅は住むための機械である」というものがある。これはコルビュジエがその建築において何よりも「機能」を重視したことの証しだ。そして、その「機能」を可能な限り「美」しく見せようとした。つまり「機能美」を追求したのだ。
サヴォア邸には、その思想が十全に表れている。それはピロティ構造の実現と、その「アピール」においてである。
鉄筋は、これまでの石造りや木造には不可能だった「強度」というものを建築に与えた。その結果、建築は高層化、あるいは超高層化が可能になった。それで、経済合理性と相まって、建築は上へ上へと伸びていった。
しかしその結果として人間性が失われてしまった。芸術性も居心地も失われてしまった。これでは犠牲が大きいというので、アール・ヌーヴォーを経てアール・デコにおいて、機能性を伴った高層建築の道が幾人もによって模索された。
しかしこの試みは失敗に終わった。高層建築 -
本質的に生きる方法:その11(2,110字)
2024-12-10 06:00110ptフランク・ロイド・ライトの建築は「アール・デコ」のスタイルがベースにある。「アール・ヌーヴォー」を用いたことはない。それは、近代のテクノロジーに対して、深いところで共感あるいは賛同の気持ちを持っていたからだ。
ただし、それでいながらアール・デコをそのまま踏襲するのではなく、大きな「アンチテーゼ」を提唱している。
それは、アール・デコの建築に特徴的な鉄骨の作り出す「直線」を、アール・デコ自体はエンパイアステートビルディングに代表されるように垂直方向つまり縦に伸びていったのに対し、ライトの建築においては水平方向つまり横に伸ばしていったことだ。
なぜそうしたアンチテーゼを提唱したかといえば、それはアール・デコにおける縦への直線が、デザインにおける大きな「弱点」ともなっていたからだ。
なぜ弱点になっていたかというと、直線が縦に伸びることで、人々に大きな「威圧感」を与えてしまっていたからだ。それによ -
本質的に生きる方法:その10(2,233字)
2024-12-03 06:00110pt
本質的に生きるためには「土」とともに生きることが不可欠だ。また土木と共に生きることが不可欠だ。そう考えると、本質的に生きた人としてまず釈迦やガンジーが浮かび上がる。彼らは土と共に生きた。本質的な活動を発展させる中で、必然的に土へと向かった。
ところで、ここで少し話は飛ぶが、ぼくは建築家のコルビュジエが好きだ。なぜかというと、彼にも釈迦やガンジーと同じ、土の匂いがするからだ。コルビュジエも、釈迦やガンジーに連なる人物だと思う。
ただし、ほとんどの人はコルビュジエのことをそうとらえていない。むしろ土とは逆に、きわめて近代的な「非土」的な建築を作る人物と思われている。
しなしながら、それは端的にいって誤解である。彼ほど土に寄り添おうとした建築家はいないのではないだろうか。比するとすれば、利休だろう。利休の茶室と、コルビュジエの建築はとてもよく似ている。
ところで、このコルビュジエとよく対比さ -
本質的に生きる方法:その9(1,670字)
2024-11-26 06:00110pt
ぼくが糸島に来たきっかけの一つに、ぼく自身が「土」のことをよく知らなかった――ということがある。数年前、ぼくは「土について全くの無知である」ということに気づかされた。そして驚愕した。これだけ知識に溢れたぼくが、あらゆる知識の中で最も重要ともいえる「土」について何も知らないというのは、狂気の沙汰としか思えなかったからだ。
たとえていうなら、デッサンをしないで絵を描いていたようなものである。キャッチボールをしないまま、野球をしていたようなものだ。基本のキをすっぽかして、表面ばかりをなぞっていたのである。
土は知識の一丁目一番地である。人間の知識はまず土を知ることから来ている。土への知識なくして文明も文化もない。そのことに気づいて、自分はなんと無知だったかということに気づかされた。50歳くらいのときのことである。
それで糸島に来て土の勉強を始めた。庭を作っているが当然農業にも興味を持った。さ
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