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記事 45件
  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その45(1,576字)

    2021-09-07 06:00  
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    あらゆる情報の中で、最も重要なのが「生きるとは何か?」ということについての情報ではないだろうか。
    というのも、そもそも人間は「生きている」ことがほとんど全ての基本だからだ。生きているからこそ、さまざまなことができる。その逆に、死んでしまっては何もできない。
    我々が情報を必要とするのも、生きているからこそだ。死んでしまっては、情報も無価値だろう。
    つまり、情報を摂取したり、情報リテラシーを身につけたりすることにおいても、まずは生きていることが前提となる。だから、「生きるとは何か?」ということについての情報を最低限知っておかなければ、情報リテラシーを身につけても意味がないのだ。そこが間違っていると、全てを間違えてしまうのである。
    そこで、次回からは「生きるとは何か?」ということについて書いていきたい。これは長くなるので、この連載はここで一旦終了することとする。
    終了する前に、いくつか整理してお

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その44(1,645字)

    2021-08-17 06:00  
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    「死ぬほどの体験」というのは、人を確実に変える。目の曇りを取り除かせ、世の中の実相を見られるようになる。
    ぼくは、昔から「死ぬほどの体験をした人のドキュメンタリー」を見るのが好きだ。そういう人は、やはりどこか違う。
    例えば、小児癌患者のドキュメンタリーなどは特に印象に残っているのだが、そこでは子供がどんどん透明な存在になっていく。虚飾が剥ぎ取られて、人間の芯がむき出しになっていくのだ。
    人間の芯は透明である。それは、人間が本質的には「筒」のようなものだからだ。
    人間は、本質的には「声の増幅機関」であり、メガホンに近いと言えよう。入ってきた声を、少し大きな音に変換してアウトプットするだけの存在だ。
    だから、芯がない。芯がないのが人間の芯なのだが、それがすなわち透明という意味だ。
    死ぬほどの体験をした人間は、どんどん透明になっていく。つまり、メガホンの通りが良くなるのだ。おかげで、向こう側が透

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その43(1,769字)

    2021-08-10 06:00  
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    詭弁に惑わされず、洗脳から脱し、曇りのないフィルターを手に入れるためにはどうすればいいのか?
    ぼくの体験から言えば、これはなかなか難しいことなのだが、「死ぬほどの体験をすること」だ。死の際まで追い詰められることである。
    ぼくは、死の際まで追い詰められたことがあった。30歳くらいのときに離婚し、自殺未遂を2度した。5年間くらい希死念慮にとらわれ、暗黒の中を彷徨った。
    そのときに、自分が当たり前と思っていたことが、実は当たり前ではなかったと気がついた。例えば、ぼくは元妻や裁判所や自分の両親、そして社会に殺されかけたのだが、「そんなことはあってはならない」と考えていた。世間の常識では、そんなことはあってはいけないはずだった。学校でもそう習った。
    後年振り返ると、確かに両親はそのような詭弁は用いなかった(特に母親は用いなかった)。しかしながら、接したあらゆる情報は、「イジメは許されない」と告げてあ

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その42(1,664字)

    2021-08-03 06:00  
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    人間社会は、我々が想像するよりももっとえぐい。そして強固な原理に則って運営されている。
    「人が人を間引く」というのも、そのえぐくて強固な原理の一つだ。そもそも、人間の攻撃性(他殺性)にはえぐいものがある。それは、戦争に端的に表れるが、戦争が起こっていない国、戦争がない社会でも、えぐい人殺しが日常茶飯事で行われている。
    「人殺し」というのは、ナイフで刺したり、拳銃で撃ったりなどという分かりやすいものだけではない。古今東西、最も合法で、最も効果的な殺人は「社会の無視」である。特に「村八分」は分かりやすい。
    ただ、村八分はあまりにも強力な殺害方法なので、依然として合法ではあるけれども、今ではする人が少なくなった。また、グローバル社会になって、以前よりも「村」が存続しなくなった分、成立する可能性も低くもなった。
    しかしそれでも、村は依然としてあるし、従ってそこにおける「八分」もなくなってはいない。

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その41(1,743字)

    2021-07-27 06:00  
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    世の中には、敵を作らない人も多い。しかし、実はその人たちにも敵がいる。
    誰かというと、「敵を作る人」だ。敵を作らない人は、敵を作る人とも仲良くなろうとはしない。敵を作る人を憎み、これを排除しようとする。社会から抹殺しようとする。
    実は、「敵を作らない」というのは、一つの「戦い方」なのである。敵を社会から抹殺する方法の一つなのだ。
    20世紀後半、この戦い方が人類の――取り分け日本人のマジョリティとなった。理由は簡単で、第二次大戦の厄災を通して、「戦う」という戦い方が拒絶されるようになったからだ。日本人にはもう、「戦う」ということが許されなくなった。その代わりに、「戦わない」という「戦い方」が蔓延するようになったのだ。
    この問題は、実は人類にとっても根深い。狩猟採集時代、人々は戦争こそ起こさなかったが、それはそもそも他の部族との距離的な隔たりが大きく、戦争が起こらなかったからだ。また、それ以上

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その40(1,618字)

    2021-07-13 06:00  
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    この連載では、「情報リテラシーの身につけ方」について考えてきた。その過程で、浮かび上がった基本となる考え方がある。
    それは、人間はそもそも失敗するようにできている、ということだ。これを前提として認識しておかないと、そもそも情報リテラシーは身につかないだろう。
    そして、世の中には「失敗を前提とする」ということをよしとしない集団がいる、ということも、しっかりと認識しておかなければならない。なぜなら、彼らは我々の敵であって、「失敗するようにできている」という前提を否定しようと、攻撃をしかけてくるからだ。我々の失敗を許さず、失敗を縦に追い詰めようとしてくるからだ。
    もしその攻撃に屈してしまったら、我々は失敗できなくなる。そして失敗できなくなると、情報リテラシーも失われてしまう。そうして誤った情報を鵜呑みにしてしまい、やがて身を滅ぼすことになるのだ。
    そこで、ここでは二つのことが重要になってくる。

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その39(2,009字)

    2021-07-06 06:00  
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    人間は、間違う。これは他の動物にはないきわめて個性的な特徴だ。
    例えば、人間はぶつかる。物にもぶつかるが、人間同士もぶつかる。何にもぶつかったことがない人間は、この世に一人もいないのではないだろうか。
    それに対して、鳥はぶつからない。もちろん、ごく希にぶつかる鳥もいるが、それは高速で走る電車や車だったり、あるいは透明なガラスだったりと、かなり避けがたいものに限る。自然のものはもちろん、鳥同士ぶつかるということはまずない。だから、死ぬまで何にもぶつからない鳥も少なくないだろう。
    これは当たり前のように思える一方、驚くべきことでもある。なぜなら空というのは三次元だから、前後左右だけではなく上下にも気を配らなければならない。それゆえ、ぶつからないことの難易度は人間よりも格段に高い。それにもかかわらず、鳥はぶつからないのだ。
    それに対し、人間は基本的に地表を二次元的に移動している。それにもかかわら

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その38(2,020字)

    2021-06-29 06:00  
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    人には、そして人の人生には、必ず「敵」が存在する。
    その敵は、いつでもどこでも一定数現れ、一時的にはあなたを窮地に追い詰める。しかしながら、そこで窮地に追い詰められるからこそ、あなたは前進できる。そこで窮地に追い詰められるという経験を得ることによって、むしろ能力を開花させ、あるいは身につけ、存続の可能性が広がる。
    逆にいえば、人はこの敵がいるからこそ存続できている。その意味で、敵はあなたに、そして我々の人生に欠かせない存在なのだ。
    では、「敵」とは何か?
    それは「誤る人間」のことである。それも、「非合理性」に基づいて誤る人間だ。さらに言えば、誤ったまま反省せず、そこから出てこない人間である。
    人間と他の生物とを区別する特徴はいくつもあるが、そのうちの一つに「非合理性」がある。人間は、今のところ地球上のどの生物よりも非合理的である。この非合理性は、人類の誕生以来ずっと付き纏ってきた。
    人間の

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その37(1,679字)

    2021-06-22 06:00  
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    情報リテラシーを身につけるには、失敗を活かすようにしなければならない。
    そのためには、子供のようないい加減さが必要なのだが、それを担保してくれるのが「言い訳力」である。言い訳の上手い人ほど、子供のようないい加減さが保たれ、それによって失敗が可能になり、情報リテラシーを高いレベルで維持できるのだ。
    では、言い訳はどのようにすれば上手くなるのか?
    基本は「話をそらす」ことだが、しかしたいていの人はこの概念自体は知っている。そのため、言い訳をするとき誰もがとりあえずは話をそらそうとするのだが、しかしほとんどの人はそらし方が下手なため、かえって相手の怒りを買う。典型的なのが、いたずらをして怒られたとき、「だって○○ちゃんもしていたから」というものだ。
    この「そらし方」の何がいけないかというと、「予測が可能」ということである。「想定内」なのだ。おかげで、相手も返答をあらかじめ用意できるので、言い訳と

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  • 情報リテラシーはどうやったら身につくのか?:その36(1,533字)

    2021-06-15 06:00  
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    ぼくは、恥ずかしながら40歳くらいまで「言い訳をする」ということができなかった。真正直な人間で、嘘をつけなかった。
    しかし、自分の人生が上手くいかない理由を分析するうちに、やがて「他者に嘘をつかないからでは?」と思うようになった。実際、自分が知っている人生が上手くいっている人は、他者に平気で嘘をついていた。しかも、その嘘がばれてもひょうひょうとしていた。要はいい加減なのである。適当なのだ。
    そのため、やがて「適当さがないと自分はこの先生きていけない」と考えるようになった。そうして、意識的に嘘をつくようにした。いい意味で他者を軽んじるようにした。自分の都合を優先させるようにしたのだ。言い方を変えれば、自分をもっとだいじにするようにしたのである。
    そうしたところ、人生が上手く回り始めた。これはぼくにとってコペルニクス的転回だった。たとえは古いが挫折した「ガリガリの共産主義者が資本主義の急先鋒へ

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