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記事 9件
  • 映画のサンプリングについて研究する:その9「なぜ映画のサンプリングは『パクり』と非難されないのか?」(1,964字)

    2020-02-06 06:00  
    110pt
    「デジャ・ビュー」という現象がある。初めて見る景色なのに、以前に見たことがあるように思ってしまう感覚のことだ。あるいは、夢で見たことがあるような感覚のときもある。日本語だと「既視感」という。
    このデジャ・ビューという現象は、いまだにどうして起こるのか、よく分かっていない。脳の中で起こっているのだが、その仕組みがよく分かっていないのだ。人間の脳は、これだけ科学が発達した世の中でも、依然として分からないことが多い。
    そして「映画」は、この「デジャ・ビュー」とよく似ている。
    まず、我々はいまだに「映画とは何か」がよく分かっていない。文化的な側面からは説明できても、なぜ脳がそれを魅力的に感じるかは説明が難しいのだ。
    また、すぐれた映画というのは、デジャ・ビューに似ている。なぜか、以前に見たことがあるような気がするのだ。あるいは、夢で見たことがあるような気もする。つまり、既視感を覚えさせるのである。

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その8「映画と音楽の違い」(1,817字)

    2020-01-30 06:00  
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    キューブリックの作品は、1970年代半ば頃からくり返し模倣されるようになった。特にときどきの若い監督に模倣された。
    彼らの多くは子供の頃にキューブリックの深甚な影響を受けており、いざ監督になってみると、どうしても影響を受けたシーンを模倣してみたくなるからだ。サンプリングしたくなるのである。
    すると、そのサンプリングもまた成功した。例えば、キューブリックの『バリー・リンドン』には格闘シーンがあるが、普段は滑らかな、あるいは定点撮影を多用するキューブリックが、ここではなぜか手持ちカメラを用いている。そうして、視点が大きく揺れている。いわゆる「ブレ」ている。まるで酔いそうなほどだ。
    この格闘シーンの手持ちカメラは、しかしその後、格闘シーンのある種の定番となった。多くの監督が、もはやサンプリングしているという意識すらなしに、この手持ち撮影によるブレた映像を格闘シーンに用いるようになったのだ。
    こう

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その7「映画史上最高の監督は?」(1,616字)

    2020-01-23 06:00  
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    映画はおよそ120年の歴史がある。その長い歳月の中で、最高の映画監督を一人選ぶとしたら、おそらく多くの人がスタンリー・キューブリックの名前を挙げるだろう。理由はいくつかあって、一番は彼の映画が後世に多大な影響を与えた――ということだ。キューブリックほど映画という文化に大きな爪痕を残した存在は他にいない。彼の影響の大きさを示す例の一つとして、例えば彼が『2001年宇宙の旅』(以下『2001』)を作らなければ、映画史上最大のヒットシリーズである『スター・ウォーズ』も生まれなかった――というものが挙げられる。ルーカスは、『2001』の特撮を模倣もしくは発展させる形で『スター・ウォーズ』を撮影した。だから、もし『2001』がなかったら、『スター・ウォーズ』は今ほどソフィスティケートされた作品にはなっていなかっただろう。そのため、当然今ほどのヒットにもなっていなかった。キューブリックが最高の映画監督

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その6「『真夜中のカーボーイ』をサンプリングしたことの意味」(2,112字)

    2020-01-16 06:00  
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    『フォレスト・ガンプ』は、サンプリングに満ちあふれた映画だ。その内容はというと、主人公のガンプが、アメリカ(とそれにまつわる国)の、さまざまな年代(主に50年代から80年代)のさまざまな場所を駆け巡る――というものである。
    そういう構造になっているから、いろんな映画からサンプリングがしやすい。逆にいえば、サンプリングを目的としたからこそそういう構造にした、ともいえる。主人公がさまざまな年代のさまざまな場所を駆け巡るという設定にすれば、過去の映画のいろんないいところを、きわめて自然な形でサンプリングできるからだ。
    その映画の中盤で、ガンプは1971年暮れのニューヨークへ行く。そこで、「ダン中尉と再開するシーン」が展開される。画面は、見ているテレビに1972年になった瞬間の映像が流れるシーン。
    ただ、この映画を俯瞰で見てみると、そこで「ガンプとダン中尉が道を渡るシーン」が必要なかったのと同様に

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その5「『フォレスト・ガンプ』がサンプリングした映画」(2,011字)

    2019-12-24 06:00  
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    『フォレスト・ガンプ』の中で、ダンとフォレストはニューヨークの道を渡る。このとき、タクシーに轢かれそうになったダンが「I’m walking here!」と怒るのだが、このシーンにはサンプリングした元ネタがある。それは『真夜中のカーボーイ』だ。1969年の作品で、ジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンの二人が主演している。
    『真夜中のカーボーイ』では、ニューヨークの横断歩道を二人が渡ろうとするシーンがある。そのとき、タクシーが突っ込んでくるのだが、それに轢かれそうになったダスティン・ホフマンが「I'm walking here!」と怒るのである。

    このシーンはとても有名になった。なぜかといえば、これは見ると一目瞭然なのだが、そもそも印象的ではある。強烈に惹かれるところがある。ただ、これも話の筋とは関係ない。単にタクシーに轢かれそうになっただけで、それ以前のストーリーとは関わりがないし、そ

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その4「最初の意識的なサンプリング映画としての『フォレスト・ガンプ』」(1,799字)

    2019-12-17 06:00  
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    夢というものは、現実を再構成して新しい物語にする。だから、それは現実がベースになっていながら、現実とは少し違っている。また、そのベースとなる現実も、あくまでも自分の見た現実、つまり「印象」によるものだから、本物の現実とは少し異なる。
    そういうふうに、夢は現実をベースとしながら現実とは少し異なった様相を示す。映画におけるサンプリングは、これと似たような構造を取る。まず元ネタというものが現実として存在するが、それを見たときの印象をもとに後世の人間が再現するから、元ネタ(現実)とは少し違ったものになる。モノマネ芸人が、元ネタを模倣しながらも特徴を誇張するなどアレンジを加えるために、元ネタとは異なってくるのとよく似ている。
    そして不思議なことに、モノマネというものは元ネタと少し違っていた方が似ていると感じる。それと同じでサンプリングも、元ネタと少し異なっていた方が、かえって元ネタの存在を強く我々に

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その3「サンプリングは正確でない方がいい」(1,742字)

    2019-12-10 06:00  
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    映画『戦艦ポチョムキン』は、映画におけるモンタージュ手法を確立した作品として歴史に残った。そして乳母車は、そんな『戦艦ポチョムキン』の象徴である。『戦艦ポチョムキン』というと、誰もが乳母車を思い出す。逆に『戦艦ポチョムキン』の他のシーンを忘れても、乳母車だけは記憶に残っている。
    映画『アンタッチャブル』において、監督のブライアン・デ・パルマはそれを「印象的に再現」してみせた。「印象的に」というのは、そのサンプリングが厳密なものではなかったからだ。そこでは、ただ「銃撃戦の場面で乳母車が階段を転げ落ちる」というモチーフしか一致していない。登場人物や画面構成、展開や結末は何一つ一致していない。両者を見比べると、むしろその不一致さが際立つくらいである。
    おそらくデ・パルマ監督は、『アンタッチャブル』を撮影する際にあえて『戦艦ポチョムキン』を見返したりはしなかったろう。むしろ、記憶だけを頼りにそのシ

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その2「『アンタッチャブル』と『戦艦ポチョムキン』」(1.785字)

    2019-12-03 06:00  
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    ぼくが映画のサンプリングを最初に意識したのは1987年に公開された映画『アンタッチャブル』(現代『The Untouchables』)においてだ。
    「アンタッチャブル」とは「触れてはいけない」という意味で、禁酒法の時代、マフィアのドンだったアル・カポネを逮捕しようと、合衆国財務省の捜査官たちは不可侵的な捜査(マフィアからの賄賂を受け取らないという意味)を行ったため、こう呼ばれた。そんな彼らの活躍を戯画化して描いたのが本作品である。もともとはテレビの連続ドラマとして大ヒットしたものを、リバイバル的に映画化したのだ。
    この作品の中に、乳母車が階段を転げ落ちるシーンが描かれている。これは、映画『アンタッチャブル』を見るとすぐに分かるのだが、非常に意識的に、目立つように描かれている。わざわざスローモーションまで使ってたっぷり乳母車を見せている。
    ぼくは、大学生のときに映画館でこの作品を見て、そこに

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  • 映画のサンプリングについて研究する:その1「群衆に紛れて逃げる」(1,841字)

    2019-11-26 06:00  
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    人には既視感というものがあって、そこに訴えかける――というコンテンツの作り方がある。その昔、山口百恵のプロデューサーをしていた酒井政利さんが、何かのインタビューで「ヒットする曲は初めて聞いたときに『どこかで聞いたことがある』と思わせる」と語っていて、なるほどなと膝を打った。
    映画においてもそういうことがある。先日、岩崎夏海クリエイター塾で映画『ジョーカー』についての議論をしていたとき、塾生のSさんが「この映画は既視感を覚えるシーンに満ちているのが魅力だ」と話していて、なるほどと思わされた。
    そこでSさんは、例えばジョーカーが犯罪を犯して街へ逃げると、そこにはピエロの格好をした群衆による暴動が起きていて、ジョーカーはそれに紛れてまんまと逃げおおせる――そのシーンを既視感を覚えると語っていた。
    それを聞いて、ぼくははっと気づかされた。確かに、この映画は既視感に満ちたシーンが連続しているのだが、

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