• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 35件
  • トヨタ生産方式について考える:その35(1,569字)

    2022-09-23 06:00  
    110pt
    2
    これからの時代に、トヨタ生産方式はますます重要になるだろう。
    なぜなら、これからますます機械が進化するからだ。そうなると、人間の仕事は「機械を作ることだけ」のようにも思えるが、実はそうではない。機械と生産とを結びつける――という仕事が残る。あるいは、その結びつけ方を工夫する、という作業が残る。
    これはもう、どこまでもいっても残る。絶対に残る。未来永劫、なくならない。
    例えば、新しい3Dプリンターが発明されたとする。しかし、「これで何を作るか?」ということは、機械には決められない。あるいは、「もっといいものを作れるよう、どう改善したらいいか?」を決めるのは、人間しかできないのだ。
    そして、改善の方向性を決めるのは、機械を「作った」人物ではない。それは機械を「使っている」人物である。機械を作った人は、機械を使っている人の情報量にはかなわない。だから、改善点は「機械を使っている人」にしか見つけら

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その34(1,579字)

    2022-09-16 06:00  
    110pt
    トヨタ生産方式の象徴ともいえるものが「かんばん」である。そのため、「かんばん方式」などともいわれている。かんばんを使って生産の流れを作り出すからだ。
    では、かんばんとは何か?
    それは、第一に「後工程が前工程に引き取りにいく」ということである。そのため、最初は「スーパーマーケット方式」とも呼ばれていた。
    従来からの工場は、工程順に生産していく。前工程が作ったものを後工程に持っていく。それを後工程は加工し、さらに後工程へと回す。そういうリレーで成り立っていた。
    しかし、これはきわめて効率が悪い。なぜなら、前工程が後工程の都合を考えずに作ってしまうからである。そうして、つかえたり、必要なときになかったり。最大の問題は、「作りすぎ」を防げないことだ。
    これを解消し、「必要なものが、必要なときに、必要なだけ届く」という状況を、大野耐一は作ろうと思った。それで、加工する部品に「かんばん」を取りつけた。

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その33(2,271字)

    2022-09-09 06:00  
    110pt
    現代では、多くの人がコミュニケーションを誤解している。多くの人は、「怒ってはいけない」と思っている。あるいは、「褒めるのがいい」と思っている。
    これらは、実際は逆なのだ。人は、怒らないと伝わらない。また、褒めたら伸びない。
    ぼくは、本当に長い歳月をかけて、コミュニケーションについて研究した。その結果、結局上記の結論に至った。
    実際、怒らずに人を褒めている親や教師や上司の下で、伸びた子や生徒や部下はいない。一人もいないのだ。そのことは、多くの人が指摘している。にもかかわらず、この誤解は広まり続ける一方だ。
    正しいことは、えてして伝わらない。しかしそれは、もはや当たり前のことともいえる。これまで歴史の中で、何度も繰り返されてきた。
    では、なぜ正しいことは伝わらないのか?
    それは、多くの場合で正しいことが「不都合」だからだ。自分にとって不都合であるが故、人々は正しいことを評価できない。
    例えば、

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その32(2,275字)

    2022-08-19 06:00  
    110pt
    1
    大野耐一がいなければ、トヨタ生産方式はトヨタに根づかなかった。またトヨタ生産方式がトヨタに根づかなければ、トヨタは今頃潰れていたかもしれない。
    というのも、現在社長の豊田章男が2009年にトヨタの社長に就任したとき、トヨタはリーマンショックやアメリカでのリコール問題でボロボロだったからだ。豊田章男はこれを解決し、トヨタを再生させる必要に迫られた。
    そのとき、豊田章男が頼りにしたのがトヨタ生産方式だった。なぜなら、彼自身若い頃に工場で働き、トヨタ生産方式の薫陶を受けていたからだ。そこで、トヨタ生産方式の凄まじい威力を身をもって体験していた。
    だから、経営がピンチに陥ったこのときも、トヨタ生産方式に賭けたのだ。この伝家の宝刀を用いることで、難局を乗り越えようとした。そうして実際、幾多の難局を乗り越えてきた。
    その後、豊田章男は新たな課題に直面する。それが、ガソリン自動車から電気自動車への転換で

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その31(2,169字)

    2022-08-12 06:00  
    110pt
    トヨタ生産方式最大の謎は、「なぜそれがトヨタに根づいたのか?」ということである。そのことの直接的な答えは「大野耐一がいたから」や「大野耐一がそれを根づかせたから」ということになるのだが、では、大野耐一はなぜトヨタ生産方式をトヨタに根づかせることができたのか? これは、答えるのがとても難しい問いだ。
    トヨタ生産方式は、その理論や仕組み、あるいはカンバンやアンドンなどの具体的なアイデアなら、理解が比較的容易だ。しかし、それを実践するとなると、「言うは易く行うは難し」で、とても大変なのである。
    しかしトヨタは、これを実行し、実現した。大野耐一が、それを成し遂げた。彼が、たった一人でトヨタ生産方式という実行が極めて難しい生産方式――マネジメントを、トヨタに完全に根づかせることに成功したのだ。
    ところで、この動画を見てほしい。
    香川編集長 トヨタ生産方式 取材フル (生産量を「100倍」にしたトヨタ

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その30(1,740字)

    2022-08-05 06:00  
    110pt
    トヨタの前身、豊田織機を創業した豊田佐吉は放任教育の中で育った。また、その息子でトヨタ自動車の創業者となった豊田喜一郎も放任教育の中で育った。
    豊田喜一郎の息子は元トヨタ社長の豊田章一郎で、さらにその息子が現在の社長の豊田章男だが、いずれも放任教育の中で育ったという。トヨタには、四代にわたって放任の血が脈々と受け継がれている。そして、この放任教育がトヨタ生産方式を生み出し、また育んできたのだ。放任教育は、トヨタ生産方式と非常に相性がいい。
    では、なぜ放任教育がトヨタ生産方式に結びついたのか? その両者の関係は?
    トヨタ生産方式の二本の柱は「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」である。これはそれぞれ、豊田喜一郎と豊田佐吉が編み出した。
    喜一郎は戦後のトヨタの工場にジャスト・イン・タイムを導入した。佐吉は自分が発明した自動織機に糸が切れたら自動で止まる機構を取付け、機械そのものに「働く力」を付

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その29(1,878字)

    2022-07-29 06:00  
    110pt
    豊田佐吉と豊田喜一郎の父子は、必ずしも円満な関係ではなかった。
    というのも、喜一郎の実母は喜一郎を生んですぐ、出て行ってしまったからだ。出て行った理由は、佐吉が研究に没頭するあまり、家庭を全く顧みなかったからというもの。佐吉は、子供にもそうだが、妻にも無関心だった。
    家庭を顧みない男性は、当時はけっして珍しくなかっただろう。それでも妻が生んだばかりの子供を置いていってしまうのだから、よっぽどだったのだ。
    またこれ以降も、佐吉が家庭を顧みるようになったという話はない。だから、喜一郎はおそらく父不在の中で育ったのだ。
    喜一郎は、実母が出て行ってからしばらく父方の祖父母に育てられた。しかし父が再婚し、母違いの妹が生まれると、また佐吉に引き取られた。そうして、新しい母や妹と暮らし始めた。
    一緒に住むようになってからも、父は仕事に忙しかった。また今度の母は、父の仕事を手伝っていた。そのため、喜一郎は

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その28(2,039字)

    2022-07-22 06:00  
    110pt
    今回は、豊田織機の創業者である豊田佐吉と、その息子でトヨタ自動車の創業者である豊田章一郎について考えたい。
    豊田佐吉は、1967年(慶応3年)の生まれで、ぎりぎり江戸時代人である。静岡で育ち、父は大工と農業をしていた。
    佐吉の生家は、お金持ちではなかったが、子だくさんでも養子や奉公に出したりはしなかったので、貧乏でもなかった。この頃、大工は尊敬される仕事だったので、比較的裕福な方ではあったのだろう。
    佐吉が物心ついたときにはもう明治だったので、当時できて間もない小学校に通った。卒業すると、父について大工見習いとして働き始めた。
    しかし18歳の頃になると、発明家を志すようになる。というのも、ちょうど西洋文明が田舎にも届き始めた頃合いで、それに触発されたのだ。社会が工業化するようになっており、そこで自分も何かしたいと考えたのである。
    その頃、工業は「家内制手工業」がほとんどで、紡績や織物作りも

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その27(1,853字)

    2022-07-15 06:00  
    110pt
    2
    現代に生きる我々にとって「服」はあまりにも安価であり、おかげでほとんど「使い捨て」るような存在となっている。そのため、ありがたみはきわめて薄く、その本質的な価値をほとんど感じられない。
    しかしほんの150年前まで、それは宝物のような存在だった。必需品でありながら供給が全然足りていないため、きわめてありがたかった。
    なぜ供給が足りないかといえば、製造がきわめて困難だったからだ。そのため、とても高価だった。服一着には、今の軽自動車くらいの価値があった。だから、生涯に所有できる服はせいぜい10着といったところだったろう。
    これを、現代人にも分かりやすいものでたとえるとどうなるか?
    例えば、日本人にとって「水」はとても安価だが、しかし砂漠の民にとってそれはきわめて高価なものだ。あるいは、地球上ならどこでも空気はただで手に入るが、宇宙へ行くとそれは極めて貴重になる。
    そんなふうに、150年前までの服

    記事を読む»

  • トヨタ生産方式について考える:その26(1,830字)

    2022-07-08 06:00  
    110pt
    子供の頃に、歴史で確か「工場の進化」の授業をしていた気がした。しかし、そこでは「家内制手工業」や「工場制手工業」「工場制機械工業」などの用語を教えるくらいで、その本質的な意味合いや、社会との関係性は一切語られなかった。
    しかし、今思うとそもそもは歴史的に重要だから、そのことを教えていたわけだ。学校の授業では、その重要性が一切伝わってこなかった。工場の進化と、上で述べた工場の進化の中の「工場制機械工業」の出現が、いかに重要な社会変革をもたらしたかというのは、学校ではちっとも教えてくれなかったのである。
    しかし、歴史を知ればするほど、人類はこの工場制機械工業の出現で、その生態を大きく変化させたということが分かる。工場制機械工業こそ、今のところ、人類史における最も大きなインパクトを持った発明ということができるだろう。インターネットのインパクトも大きいが、今のところ、工場制機械工業はそれをはるかに

    記事を読む»