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偽物の個人時代:その25(1,885字)
2024-01-18 06:00110pt2これから来る「本物の個人時代」は、どのようなものになるだろうか?
その前提として、まずは「世界中がフラットになる」ということがある。「フラット」とは、同じ言葉を話し、同じ食べ物を食べるという意味だ。
これは、「昔の日本」と「今の日本」の違いを考えると理解しやすい。100年前、青森県民と鹿児島県民は違う言葉を話し、違う食べ物を食べていた。しかし今は、両者とも同じテレビで見た同じ言葉を話し、同じイオンで買った同じ食べ物を食べる。
その一方で、100年前の青森県民同士は、皆均質だった。鹿児島県民同士もそうである。ところが今の青森県民には、いろんな人がいる。鹿児島県民にもいろんな人がいる。
そんなふうに、過去から未来に向けて、地域性が薄れる一方、個人の個性は際立っている。それはトレードオフの関係なのだ。
この現象が、これから世界を舞台に進む。世界中のどの国のどの地域も似たような言葉を話し、似たよう -
偽物の個人時代:その24(2,122字)
2024-01-11 06:00110pt今が「偽物」の個人時代である大きな理由の一つとして、多くの人が「自動化された言葉」を使い、従って「自動化された個人主義」を生きている、ということがあるだろう。
つまり、本人は「本物」の個人主義のつもりなのだが、それは単なる真似に過ぎないので、「偽物」の個人主義になってしまっている、ということである。本当に「本物」の個人主義なら、他人の真似ではなく、その人固有のものになっていくはずだ。
では、なぜ人はその人固有の生き方ができないのか? その最大の理由は、有史以来、それがずっと必要なかったから、というものになるだろう。およそ100年前まで、人は、その人固有の生き方をする必要が全くなかった。
その人固有の生き方に価値があるということを最初に明示した人のひとりに、ココ・シャネルがいる。彼女はおおよそ140年前の生まれである。日本の暦でいうなら明治生まれだ。
彼女が、今からちょうど100年前頃、「そ -
偽物の個人時代:その23(1,805字)
2023-12-28 06:00110pt偽物の個人時代を抜け出すためには、「自動化された言葉」から脱却する必要がある。自分の言葉で話す必要がある。
では、自分の言葉で話すにはどうすればいいか?
それには、小津安二郎の映画を見るのがいいだろう。なぜなら小津映画の出演者たちは皆、自分の言葉で話すよう演技指導を受けているからだ。そうして彼らは、「自分で自分を演じる」という術を身につけている。
では、「自分で自分を演じる」という術を身につけるにはどうすればいいか?
最も基本となるのは、「上手く話そうとしない」ということだ。小津映画の出演者たちも、上手さは全く求められなかった。むしろ、「上手さへの執着」を捨てることを求められた。上手くなろうとしないよう要求された。
そこで、上手く話さないようにするにはどうすればいいか?――ということについて考えてみたい。
それにはまず、「他人に良く思われたい」という執着を捨てることである。「他人からどう思 -
偽物の個人時代:その22(2,134字)
2023-12-21 06:00110pt「自動化された言葉」を話す人は世の中に多い。というより、自動化された言葉から完全に自由な人はひとりもいないだろう。
というのも、そもそも言葉というのは誰かが作ったものを借りているだけなので、それを使っているだけで、それこそ自動的に、借り先のニュアンスや意味合いを借りてくることになる。そうなると、自動化は避けられないのだ。
そこで、ポイントとなるのはそれを借りるときに咀嚼しているかしていないかということになる。「咀嚼」とは、具体的にいえば「言葉の定義」を腹落ちさせるということである。言葉が指し示すものを、自分の中できちんと了解している、ということだ。それをした上で話すと、自動化された言葉になりにくい。
ところで、小津安二郎の映画の特徴として、「役者が同じようなセリフを3度以上くり返す」というものがある。例えば――
A「そうかな」
B「そうだよ」
A「そうだな」
B「そうさ」
A「うん、そうだ -
偽物の個人時代:その21(1,817字)
2023-12-14 06:00110pt小津安二郎は、役者たちに自然な演技をしろ、と求めた。あるいは「普通にすればいい」と言った。「自分のままでいろ」と言った。
それに対して杉村春子は、「そんな難しいことはない」と言った。自然に、普通に、自分のままでいることこそ、役者にとっては一番難しいことなのだ、と。
これは、小津安二郎の映画に出ていた全ての俳優が抱えていた共通の難題だった。例えば『東京物語』に大坂志郎が出ているのだが、彼は普通でいることができなかった。どうしても、演技のクセというものが出てしまうのだ。
大阪は、この映画の中で最も小津からダメ出しをされた。そして大坂志郎がしていた役は、本来なら佐田啓二がするはずだった。しかし佐田のスケジュールの都合で、大坂志郎になったのだ。
そして小津は、いざ起用はしてみたものの、やっぱり大坂志郎の演技に納得がいかなかった。そうして、これに懲り、二度と起用しなかった。以降は、なんとしてでも佐田 -
偽物の個人時代:その20(1,670字)
2023-12-07 06:00110pt1今の若者には佐田啓二が必要だ。なぜかというと、そこには今の時代に必要な(あるいは欠けている)、一つの「立ち振る舞い」というものがあるからだ。
ところで、佐田啓二は小津安二郎に多用された。また小津安二郎は、未来に対して鋭敏な感覚を持っていた。彼の作品群は、どれも作られてから60年以上経過するが、驚くほど現代的――つまり当時にとっては未来的な価値観に満ちている。
小津は、「脱近代」というものに対する深いこだわりがあった。中でも晩年のカラー作品には、「近代」への疑問がそこここに投げかけられている。
例えば『秋刀魚の味』には、当時豊かさあるいは新時代の象徴だった「会社」「工場」あるいは「団地」に対する微細な違和感が綴られている。それは目をこらさなければ見えないほどに小さなものなのだが、それらへの否定的な価値観が、暗喩的に発露している。
また『お早う』でも、プレハブ住宅に同種の違和感を投げかけている -
偽物の個人時代:その19(1,817字)
2023-11-30 06:00110ptここまで「偽物の個人時代」について考えてきた。そこで分かったのは、それが「偽物」である最大の要因こそ、若者における「恋愛の不足」であるということだ。
これはほとんどの人が理解できていないのだが、今、多くの若者が、恋愛不足と「それを自覚できないこと」に悩んでいる。というのも、今の若者はある種のマインドコントロールのように「個人主義」にとらわれており、深層意識では「したい」と思っている恋愛を、表層意識では「したくない」と思うようになっているのだ。
そのため、多くの若者が疑似恋愛に逃げ込んでいるのだが、そこは決して安住の地ではない。むしろ煉獄のような場所で、恋愛したい気持ちをかえって刺激され、精神のバランスを崩壊させられてしまう。ホストにハマって人生を狂わせる若い女性の急増が、そのことを端的に物語っている。
ところで、恋愛食物連鎖において、ホストは最強の捕食者である。ホストこそが百獣の王ライオン -
偽物の個人時代:その18(1,917字)
2023-11-23 06:00110pt偽物の個人時代における最大の懸案は「恋愛」だろう。恋愛の問題を解決しないまま、個人時代を始めてしまった。だから、いつまで経っても恋愛が、問題の火種としてくすぶっている。
人は、個人時代を求めている。それでいながら、恋愛も求めている。しかし、個人主義と両立できる恋愛の形が、今のところない。だから、多くの人がその板挟みに苦しめられている。その矛盾を解消しようと、あの手この手を尽くしている。
その試行錯誤が生み出した最大の文化が「オタクコンテンツ」だ。オタクコンテンツは「疑似恋愛」として機能するため、個人主義と恋愛とを擬似的に両立できた。
ところが疑似恋愛には、最終的に「疑似のままやめづらい」という欠陥のあることが、近年露呈した。それがさまざまな業界――ジャニーズ、宝塚、ホスト、フィギュアスケートなど――でさまざまな事件を起こし、今、限界を迎えつつある。
疑似恋愛は、特に女性にとってハードルが高 -
偽物の個人時代:その17(2,054字)
2023-11-16 06:00110pt「恋愛」をめぐって、今の日本は混乱している。諸外国は詳しくは知らないが、先進国は概ね似たような状況にあるだろうと推測できる。
例えばアメリカでは「インセル」が問題になっている。インセルとは、「involuntary(不本意)」と「celibate(禁欲)」を合せた言葉。つまり、「はからずも禁欲生活を強いられている者」のことで、別の言い方をすれば「非モテの若い男性」となる。
このインセルが、よく銃の乱射事件などを起こす。つまり、アメリカでも恋愛できない若い男性が苦しんでいる。これは日本と同じだ。
そうしてアメリカでも、インセルは日本のマンガやアニメ、ゲームを楽しんでいる。これはフランスやドイツをはじめとするヨーロッパの先進国もやっぱり同じである。日本のオタクコンテンツは、今や世界の先進国中で大人気なのだ。
あらためていうまでもないが、オタクコンテンツは「恋愛不調」と深い相関関係にある。若者が -
偽物の個人時代:その16(1,515字)
2023-11-09 06:00110pt恋愛は、何のために「ある」のか?
生物学的に考えると「婚姻を促すため」という答えになりそうだ。もっというと「性交を促すため」だ。恋愛があるおかげで、性交に対して積極的になり、結果として子供が生まれ、子孫を残しやすくなる。子孫を残すことは遺伝子の究極の願いなので、これは理に適っている。
実際、高齢化して子供を生めない状態になると、多くの人が恋愛意欲を減退させる。しかしながら、近年は高齢者の恋愛意欲がなかなか減退しないという傾向も見られる。子供を生めなくなる40代以降にも、恋愛をすることが珍しくなくなった。
あるいはその逆に、「若者たちが恋愛しなくなる」という現象も見られる。そのため、性交の機会も減り、少子化は加速するというわけだ。
そう考えると、恋愛というのは必ずしも「本能的にするもの」ではないということになる。俗に、人間の三大欲求は「食欲」「睡眠欲」「性欲」だといわれるが、上記2つと比べる
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