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記事 9件
  • 正解はあります:その9(1,595字)

    2020-11-19 06:00  
    110pt
    1995年を境に「友だち」の価値は大きく変わった。
    では、1995年に何が起きたのか?
    それは、Windows95が発売されたのだ。これをきっかけに、パソコンが爆発的に普及した。それに伴って、インターネットも爆発的に普及した。そうして、情報が一気にフラット化し、きわめて安価で手に入るようになったのだ。
    情報が安価で手に入れば、人は友だちに助けてもらわなくても生きていける。だから、友だちに気を遣って人生を間違わなくても良くなったのだ。むしろ、正しくしないと生きていけない世の中になった。
    そもそも、友だちは人を間違わせる存在である。もしあなたの親友が間違ったことをしていたら、あなたはそれを指摘できるだろうか?
    もちろん、指摘できる人と指摘できない人がいるだろう。「友だちだからこそ指摘する!」という人もいるだろう。
    しかし、仮にあなたが間違った友だちに間違いを指摘できたとしても、その後に100パ

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  • 正解はあります:その8(1,792字)

    2020-11-12 06:00  
    110pt
    正解に辿り着くためには、大変な労力を要する。
    しかし、今の時代は正解に辿り着かないとなかなか気持ち良く生きていけない。途中まで生きていけたとしても、晩節を汚す。
    余談だが、最近ではネットで晩節を汚す人をよく見る。炎上して晩節を汚しているのだ。そして炎上する人というのは、たいてい正解に辿り着こうともしないまま、「正解は人それぞれ」などと誤ったことを言っている。
    だから、炎上したくなければ、晩節を汚したくなければ、たとえ大変な労力をはらってでも正解に辿り着くべきだ。しかし、それにはやはり労力がいる。正面突破するのは困難だ。
    そのため、事前に障害物をある程度取り除いておいた方がいい。そうして、なるべく労力をかけずに正解に辿り着けるようにするのがベターだ。
    そこで、次に問題になってくるのは「障害物を取り除く方法」なのだが、ここまで見てきたように、それは一つには「好きなことを貫く」、二つには「苦しさ

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  • 正解はあります:その7(1,859字)

    2020-11-05 06:00  
    110pt
    正解に辿り着くためには、「苦しさを楽しむ」というのが有効だ。
    では、どうすれば苦しさを楽しめるか?
    一番は、筋トレをすることだ。筋トレをしていると、苦しさを楽しめるようになる。
    ではなぜ筋トレをしていると苦しさを楽しめるのか?
    それは、筋トレを終わった後、必ず「筋肉を躍動させたこと」の喜びを実感できるからだ。そして、「苦しさの先に喜びが待っている」という現象も実感できる。それを、頭ではなく全身で感じることができる。これが、筋トレの一番の効用だ。
    そして、筋トレを継続していると、「苦しさの先に喜びが待っている」という構造を心から信頼できるようになる。すると、次第に苦しい時間も楽しい時間に変わるようになる。終わった後に喜びが待っていると分かると、その喜びが段々前倒しになって、筋トレをしている最中にも大きな喜びを味わえるようになるのだ。苦しいのに楽しい――そんな矛盾した時間を、これも実感として味

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  • 正解はあります:その6(1,666字)

    2020-10-29 06:00  
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    人生は苦しい。これは「正しい」ことであり、異論の余地がない。
    そして、苦しい人生を楽しむには、「苦しさを楽しむ」しかない。この矛盾した領域に、無意識的にでも辿り着かないと、充実した人生は歩めない。意識的に到達できると、人生はずいぶんと楽なものになる。
    ただし、そこには落とし穴がある。それは、その苦しさが自分が選択したものでない限り、あまり意味がない――ということだ。
    他の人から「楽しむためには苦しさが必要だ」などと洗脳され、本当は苦しいことなのに「これは楽しい」と自分を騙しながら生きていると、やがて心身を疲弊して病気になったり、最悪の場合は死んでしまったりする。
    その逆に、自分で選択した苦しさだったらどんどん健康になる。その意味では「健康かどうか」が一つのバロメーターになるだろう。
    ぼくは一昨年、15キロの減量を体験したが、その間は厳しい食事制限と毎日の激しい運動とで本当に大変だった。正直

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  • 正解はあります:その5(1,710字)

    2020-10-22 06:00  
    110pt
    最初の妻と離婚した後の5年間、ぼくは自分の好きなことを貫いた。則ち、小説だけを書き続けた。
    理由は単純で、小説が書きたかったというだけだ。しかし、それで他の仕事ができなくなり、年収は95万円まで落ち込んだ。生活が、これ以上下はないというくらいに落ち込んだ。そうして今度は、生活の苦しさから死にそうになった。
    しかし、それでも仕事をしなかった。ただ小説を書き続けていた。
    なぜかといえば、死んでもいいと思っていたからだ。また、死ぬことはそれほど悪くないと思っていた。それよりも、生きていることの方がよっぽど苦しかった。
    生きていることは必ずしもいいことばかりではない。それが、ぼくがこの期間の人生を通じて得た価値観だ。
    そして、その価値観は今でも変わっていない。だから、『もしドラ』がヒットしても、結婚して最愛の子供が生まれても、「あのとき死ななくて良かった」とは思わない。心底から思わないというだけで

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  • 正解はあります:その4(1,692字)

    2020-10-15 06:00  
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    今回は、「どうすれば労力をかけずに正解に辿り着けるか?」ということについて考えてみたい。
    世の中には、正解がある。ないと信じ切っている人も少なくないが、彼らは自分の矛盾に意識の層では気づいてない。そのため、深層心理に不安定なところがある。だから、議論をすると彼らはすぐに論点をずらす。論点をずらしたら、彼らは「正解はある」と心の奥底では知りながら、そのつらい現実から目を背けようとする卑怯者だと認識して良い。そういう人とは何を話してもムダなので、その時点で対話を切り上げた方がいいだろう。
    そうした人間も含めて、「正解がない」と考える人間は怠惰なのだ。「正解はある」という現実があまりにも過酷なので、そこから目を逸らしている。目を逸らすとその過酷さと向き合わなくとも良いので、いくらか楽になる。
    しかし、そういう人間は今楽をしている分、後で大変になる。死ぬ前に大変になるのもそうだが、人生の後半で何も

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  • 正解はあります:その3(1,718字)

    2020-10-08 06:00  
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    今回は、「正解はない」という価値観が広まった経緯について見ていきたい。
    ……といっても、結論はシンプルだ。それは「終戦」だ。終戦で、この考え方は日本に一気に拡散し、また瞬く間に定着してしまった。
    そうなった理由の推察も、とても容易だ。戦前戦中、日本には「正解はある」という価値観が当たり前にあった。その中で、「鬼畜米英」「八紘一宇」「進め一億火の玉だ」などの「誤った価値観」が称揚された。これが「正解」だと、政府や大人たちは盛んに喧伝した。
    ところが、それが終戦でひっくり返った。大きな誤りであったと認めた。
    つまり、180度ひっくり返ったのだ。文字通りのコペルニクス的転回だ。
    おかげで、昨日まで「鬼畜米英!」と叫びながら竹槍を突き刺す練習をしていた子供たちは、次の日から進駐軍に「ギブミーチューインガム」と英語でねだる羽目になった。
    そうした強烈な「裏切り」の体験は、子供たちの心のうちに「二度と

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  • 正解はあります:その2(1,780字)

    2020-10-01 06:00  
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    「正解」はなぜなくなったのか?
    また、いつからなくなったのか?
    「正解はない」という考え方は、我々の骨身に染みている。この言葉は、疑ったことのない人がほとんどだろう。あるいは、「正解はある」といわれても、ピンと来ない人も多くいるに違いない。
    そこで今回は、そもそも「正解はある」とはどういうことか――ということについて、かいつまんで説明してみたい。
    ぼくが最初にこの言葉に疑問を持ったのは、父親との関係の中だった。まだほんの幼いときの話だ。だから、もう50年近く前になる。その頃から、この考え方に疑問を持っていた。
    疑問を持つきっかけは、しごく分かりやすいものだった。父親が、「相手の意見を尊重しなければならない」とぼくに言った。しかし一方で、彼は「ぼくの意見」は尊重していなかった。
    あるいは、父親は「相手の気持ちを考えなければいけない」と言った。その一方で、ぼくの気持ちを全然考えていなかった。

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  • 正解はあります:その1(1,702字)

    2020-09-24 06:00  
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    「正解はない」という言葉が便利に使われるようになって久しい。
    「子育てに正解はない」
    「芸術に正解はない」
    「プログラミングに正解はない」
    最近では「科学に正解はない」という言葉ですら普通に受け入れられている。逆に、この言葉が当てはまらないのは「数学」と「テスト」くらいなものだろうか。
    しかしぼくは、以前からこの言葉が好きではない。「考え方は人それぞれ」という言葉も然りだが、こういう言葉を使っている人は必ずといっていいほどポテンシャルが低く、社会に何の貢献も果たしていない。
    いや、それどころか非常に見えにくくはあるものの、「社会を停滞させている」という意味で大きな害悪さえ与えているのではないかと考えるようになった。
    なぜかというと、みんなこの言葉に抵抗できないからである。抵抗できないからこそ、能力がない人間の言い分けに便利に使われるのだ。結果として、彼らが失敗の責任を取る必要がなくなり、悪

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