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記事 24件
  • 劣化する人:その14(1,813字)

    2024-03-12 06:00  
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    劣化する人は「努力する人」である。では「努力する」とはどういうことか? あるいは「努力する人」とはどういう人か?
    この答えは、意外にも「頭が良い」というものだ。頭が良い人は努力する。逆に、頭が悪い人は努力しない。
    なぜかというと、努力というのは「損して得取れ」という投資行動だからだ。それは長期的な利益を見込んでのことである。
    そして、頭の良い人は長期的な視野に立てるが、頭が悪い人は短期的な視野にしか立てない。だから、努力ができない人はたいてい頭が悪い。逆に、努力する人はたいてい頭がいいのである。
    しかしながら、その頭の良さが命取りになるというのが、なんとも皮肉な話だ。努力は、「長期的」には得なのだが、「超長期的」には、やっぱり損なのである。40歳以降にエフェクトしなくなるので、人生を狂わせてしまうことになるのだ。
    劣化する人というのは、たいてい努力家だ。40歳までに努力を積み重ねてきた。だ

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  • 劣化する人:その13(1,659字)

    2024-03-05 06:00  
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    『ギフト―僕がきみに残せるもの』というドキュメンタリー映画の中で、印象的なシーンがある。
    ALSを患った元NFL選手のスティーブ・グリーソン氏は、選手時代に死をも恐れない勇敢なプレーで有名だった。球際に強く、猛スピードで突っ込んで行くのだ。特に、所属していたニューオリンズ・セインツの地元がハリケーンによる洪水に見舞われたとき、復興した最初の試合で劇的なパント・ブロックを決め、ファンに強烈な印象を残した。
    グリーソン氏は、NFLの選手としては体が小さく、体力もいくらか劣っていた。しかしそれを類い希なる精神力でカバーした。ものすごい努力家だったし、それ以上に試合での集中力が凄まじかった。
    特にパント・ブロックの名手として有名だった。パント・ブロックとは、相手のキッカーに頭から突っ込んで行って、蹴り出されるボールをブロックすることだ。渾身の力でキックする相手に対し、全速力で頭から突っ込んで行く。

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  • 劣化する人:その12(1,806字)

    2024-02-27 06:00  
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    「劣化」というのは、一つの老化現象でもあるといえよう。教育が機能するのは、体力がある40歳までだ。40歳以降に体力が衰えたとき、受けた教育が機能しなくなり、劣化するのである。
    そう考えると、能力における「体力」は、きわめて重要な役割を担っているといえるし、40歳以降は、むしろそれに頼らないことが必要になるともいえるだろう。
    ところで、「老化」や「体力の衰え」ということについて、ぼくに強烈なインパクトを与えたドキュメンタリー映画があった。それは『ギフト―僕がきみに残せるもの』だ。
    ギフト―僕がきみに残せるもの ― Amazon
    内容は、スティーブ・グリーソンという米アメフトNFLの一流選手だった人が、引退直後の34歳のときにALSと診断され、そこからの闘病生活を自分で自分を撮影しながら記録したものである。
    自分で自分を撮影したのは、もし自分がALSで死にゆくなら、病気が分かった当時妻のお腹の

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  • 劣化する人:その11(1,625字)

    2024-02-20 06:00  
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    イチローは面白い。彼は「劣化しない人」の典型であるが、同時に典型的な「意志の弱い人間」でもある。
    これは、一般的なイメージとは真逆である。一般は、イチローほど「意思の強い人間」はいないと見ている。
    ところが、実態は逆なのだ。イチローは意志が弱い。だからこそ、劣化から遠い立場にいる。その逆に、かつてオリックスで先輩だった門田博光は、意思の強い人間の象徴だ。彼は40歳を越えてもホームラン王を取るなど活躍したが、現役の時からアルコール中毒と糖尿病を患い、引退したときにはボロボロの体だった。その意味で、「劣化する人」ともいえよう。
    こういう人は、努力でのし上がった。逆に劣化しない人は、努力ではのし上がらない。ところで、イチローはたゆまぬトレーニングを続けたことで有名だが、それは努力ではないのか?
    実は、努力ではない。イチローのトレーニングは、趣味なのだ。もっというと、生きる目的である。イチローが一

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  • 劣化する人:その10(1,708字)

    2024-02-13 06:00  
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    ケチな人は劣化しやすい。なぜなら「意志が強い」からだ。
    意志が強いと、若いうちは成功する。しかしその反動が40歳以降に来るので、「劣化」したように見えるのだ。
    逆に、意志の弱い人は劣化しない。最初から意志の弱さがハンデとしてあるため、天賦の才能がなければ成功できない。だから、40歳以降に活躍できなくても、「劣化した」とはならないのである。
    こうしてみると、「劣化する人」の反対の「劣化しない人」というのは、「才能があるのに意志が弱い人」ということができるだろう。才能があるのに意志が弱い人は、若い頃からほどほどの努力で能力を発揮できる。だから、40歳を越えて教育効果が切れたり体力が衰えたりしても、才能だけでなんとかやっていけるのだ。
    また、意思の強い人には隠された重大なハンデもある。それは、心が頑なになって「自信過剰」に陥りやすいということである。
    なぜ自信過剰になるかというと、若い頃からちや

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  • 劣化する人:その9(1,622字)

    2024-02-06 06:00  
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    「ケチ」というのは劣化する人の一典型だ。すなわち、劣化した人にケチが多い。
    ところで、「ケチ」とは何か?
    定義するなら、それは「一般より金離れの悪い人」ということになるだろう。松本人志氏や厚切りジェイソン氏などが、その代表格である。
    そして、ケチの大きな特徴は、それを規定するのが「他者」ということだ。松本人志氏も厚切りジェイソン氏も、自分がケチだという自覚はあっても、意識はそれほど強くないだろう。他者から指摘されて、はじめて意識するくらいである。
    なぜ意識しないかといえば、松本人志氏も厚切りジェイソン氏も、ケチであることに引け目を感じていないからだ。両氏に限らず、ケチであることに引け目を感じる人は、早晩ケチをやめる。だから、ケチというのはほとんどの場合で、そのことに引け目を感じていない。
    そのため、ケチというのは一般的には少数派である。なぜなら、やめるのは簡単な一方、続けるのはそれなりに難

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  • 劣化する人:その8(1,993字)

    2024-01-30 06:00  
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    松本人志氏の話題が止まらない。彼が炎上した一番の理由はホワイト化社会だ。昔は常識だったことが、今は非常識になった。昔は許されていたことが、今は許されなくなった。その変化を、彼は表面的には知っていただろうが、本質的には気づいていなかった。だから炎上したのである。
    では、なぜ価値観の変化に気づかなかったのか? その最大の理由は、「変化に気づきにくい環境で生きていた」ということだろう。同じ価値観の人たちに囲まれ、彼らとしか交流していなかった。そういうエコーチェンバー効果があったのだ。
    松本人志氏は現在60歳だ。彼のそうした「浦島太郎化」は今から15年位前の、およそ2010年辺りから始まっていたと思う。つまり、彼が45歳のときだ。そのときから、彼はほとんどものを考えなくなり、同じものの縮小再生産で生きていた。
    そのため、一般的な「劣化する人」とは違う。一般的な劣化する人は40歳から始まるが、彼の場

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  • 劣化する人:その7(1,825字)

    2024-01-23 06:00  
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    ものごとにはなんでも「外面」と「内面」とがある。「表層」と「深層」と言い換えてもいい。「短期的」「長期的」などという区分けもある。二元論に帰するわけではないが、物事を単一のモノサシでとらえ、そのどちらかに比重を置く――という選択は、誰もが無意識にしていることだ。
    その際に、ほとんどの人が「内面」ではなく「外面」を取る。「深層」ではなく「表層」を重視する。「長期的」ではなく「短期的」にものごとを考える。なぜかというと、その方が圧倒的に楽だからだ。しかしこれが、結局劣化の原因となる。
    例えば、礼儀作法というものが存在したとき、これについて「なぜ礼儀作法があるのだろう?」と考える人は少ない。1割にも満たないだろう。なぜかというと、考えるのが大変だからだ。
    しかし、考えることのメリットは、実は途方もなく大きい。そして、これからのAI時代は、そのメリットを取らないと、むしろ苦しい時代になる。考えない

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  • 劣化する人:その6(1,543字)

    2024-01-16 06:00  
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    みなさんは「自分の能力をどう配分するか?」ということについて考えたことがあるだろうか?
    おそらく、頻繁に考える人は劣化しないし、考えない人は劣化する。人間は、それほど多くの能力を同時には保有できない。ある能力が伸びれば、ある能力が縮む。そういうトレードオフとなっている。
    そして、人はその「伸ばす能力」を選択することができる。だから、自分の能力配分をある程度デザインできるのだ。これこそが、人間という種が持つ大きな特徴であり、また才能といえよう。
    ぼくが好きな話の一つに、「ニホンザルは世界最北端の猿」というものがある。ニホンザルより北には、野生の猿は生息していない。
    逆に「日本最南端のリンゴ」という話もある。富山県より南では、リンゴは温かすぎて栽培に向かない。ぎりぎり富山県が、商品化に耐えうる品質を保証できる。
    リンゴ生産の最適地は、いうまでもなく青森県だ。だから、青森県に行くと「石を投げれば

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  • 劣化する人:その5(1,755字)

    2024-01-09 06:00  
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    「考えるかどうか」というのは、もしかすると「劣化するかしないか」の大きな分かれ目かもしれない。つまり、考える人は劣化しないし、考えない人は劣化する――そういっていいのではないだろうか。
    では、考える人と考えない人とを分けるものは何か? 一つ大きくいえるのは、いい意味での「痛みへの鈍感さ」だと思う。特に「分からない」という痛みを感じにくいという体力。考える人になるためには、それが必要なのではないだろうか。
    考える人は、総じて鈍感だ。取り分け、心が鈍感だ。普通の人が傷つくようなことでも、なかなか傷つかない。そういうタフネスさを有している。だから、考える人になるには、痛みに鈍感になる必要があるだろう。
    では、どうすれば痛みに鈍感になれるのか?
    それは、「人の目を気にしない」ということだと思う。人の目を気にする人は、傷つきやすい。一方、人の目を気にしない人は、鈍感で傷つきにくい。
    ところで、なぜ人

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