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[Q&A]なぜ大学はリアルの授業を再開しないのか?(2,972字)
2020-09-16 06:00110pt[質問]
東京の大学では、後期も遠隔授業のところが結構あるみたいです。クラスター発生で受験者数が減ることを恐れているのかもしれませんが、もう再開してもいいのでは、と思っています。ハックルさんは、大学の遠隔授業続きについてどう思いますか?
[回答]
大学は、以前から「存在価値の急速な低下」に悩まされていました。それを誰よりも分かっているのは、大学関係者たち本人だと思います。政府の援助も年々薄くなり、志望者数も減る一方。また就職率も下がっており、いいことなしです。あらゆる面で、「大学は社会に不必要だ」というのをひしひしと感じています。
そういう中で、全ての大学関係者が考えているのは、「大学の数が多すぎる」ということです。大学の数が多すぎるから、大学の価値がますます低下している、と。
だから、大学の数が減れば「希少性」が高まって、価値が上がると考えています。これは、ある意味正しい。希少じゃないも -
クリエイター塾の塾生を募集します(1,897字)
2020-09-15 06:00「岩崎夏海クリエイター塾」というのを月に一度、年12回、月末の土曜日午後に開講している。もう5年くらいしている。今ではすっかり習慣化してしまったが、12回が終わると、期の入れ替えがあって、その都度に新規の塾生を募集している。
新しい期が2020年10月から始まる。また、それに先だって9月末に無料でお試し版の講義をする。もしご興味がおありになれば、ぜひ参加してほしい。
今回は、岩崎夏海クリエイター塾はどんなところか、またそこでどんな講義が行われ、どのような効果が得られるのか、についてお話ししたい。
岩崎夏海クリエイター塾は、塾生がだいたい10人前後である。これを言うとあれだけれど、8割がリピーターで新規が2割ほどである。2割ほど辞められる方もいるが、新しく入ってくる方もいるので、だいたいこの数字で推移している。
ここから分かるのは、岩崎夏海クリエイター塾は、馴染む人には何度でも来たい場所だが -
大坂なおみさんへの反応で分かった日本人のグローバル感覚の決定的な欠如(1,851字)
2020-09-14 06:00110pt大坂なおみさんが全米オープンで優勝して、彼女のBLM活動がまた注目を浴びている。
多くの日本人には理解しにくいが、彼女は別にとんがってBLM活動をしているわけではない。むしろ空気を読んでしている。
今、アメリカではBLMに参加しない方がむしろマイノリティで、とんがった存在となる。それを避けるために、彼女はきわめて穏当な施策として、BLMを訴えている。
おそらく、大坂さんはBLMのことをよく知らないはずだ。なぜなら、彼女はBLMを切実に感じる環境では育っていないからだ。そもそもアメリカ人ではないし、両親もアメリカ人ではない。だから、アメリカのBLMをそのまま肌感覚として実感するのは難しい立場にあるのだ。
それでも、彼女が積極的にBLMを訴えているのは、むしろ日本人的な気質による。つまり空気を読んでいるのである。彼女は空気を読むのがきわめて上手い。インタビューの受け答えも当意即妙でそつがない。 -
SF宇宙戦争は現代の「ボクシング」(1,598字)
2020-09-11 06:00110pt我々は、深層心理では戦争をしたい。しかし表層心理では、戦争をしたくない。そういう引き裂かれた状況にある。
その引き裂かれは、1945年を境に大きくなったが、それ以前からもあることはあった。「戦争が悪」というのは、1945年に決定づけられた価値観ではあるものの、それ以前も「長く続くことは好ましくない」とされていた。
実際、徳川家康は戦争を嫌っていた。そのため、彼の治世では「戦争が起きない世の中(天下太平」)が目指された。おかげで、江戸時代の260年間は戦争が起きなかったのだ。
今の日本も、75年間戦争が起きていない。戦争が起きていないと、平和に感謝する気持ちもありつつ、なんともいえないモヤモヤも生じる。心に鬱屈が溜まってくる。やり場のない暴力衝動が鬱積してくる。そして、それをなんとか解消したいという欲求が自然と沸き起こる。
ゲームは、おそらくそういう狭間に生まれた社会的ソリューションだ。面白 -
戦争を完全に過去のものにしたアニメ(1,656字)
2020-09-10 06:00110pt戦争の概念は1945年のたった一年で激変した。それまでは地震的なとらえられ方(たまにある怖いけど避けようのないライフイベント)だったのが、オウム真理教事件みたいな二度とあってはならない厄災に変わってしまった。
ぼくも含め、現代に生きる人はこの戦争が地震のような「あって当たり前のもの」だった時代を知らない。だから、そのことをなかなか想像しづらいのだが、しかしその残滓は、昭和の時代まで残っていた。
ぼくが子供の頃、街にはまだ「模型屋(プラモデル屋)」が普通にあったのだが、そこでの主力商品は依然として軍用機だった。ゼロ戦か戦艦大和が多く、ドイツのティーガー戦車もよく売れていた。
ぼくも、小さい頃はよく軍用機のプラモデルを作った。何がきっかけだったかは忘れたが、クラスメイトが作っていたのを真似たのだと思う。ただし、それほど興味があったわけではなかったから長続きしなかった。それでも、小学校高学年まで -
[Q&A]人生でやめた方がいいものは何か?(1,509字)
2020-09-09 06:00110pt[質問]
大きな台風が来ました。糸島は大丈夫だったでしょうか?
[回答]
糸島は大丈夫でした。災害って事前に危険だと喧伝されるとみんなしっかり備えるのか被害が少ないですが、そうでないときに被害が大きくなりますよね。今年でいえば人吉市の川の氾濫は大変な被害でした。
ぼくはこれまで災害で深刻な被害に遭ったことはないです。たまたま運が良かっただけでしょうけど、それでも台風というのは不思議な災害だなと思いました。地震と違って事前に来ることが分かっているのに、それでも死んでしまう人がいるんですよね。結局、人間にとっては日常は死よりも重要だと、あらためて思わされますね。
[質問]
秋の食べ物で好きなものは何ですか?
[回答]
よく考えたら、ぼくはこれまであまり季節感のない生き方をしてきました。季節にかかわらず、好きなものを食べてきました。
ですが、糸島に来るとスーパーで売っている果物が変わるので、季節 -
戦争とは何か?(1,703字)
2020-09-08 06:00110ptゲームとは「戦争のシミュレーション」であるという話の続きを書く。
まず、戦争について考える。
戦争とは何か?
それは、答えを誤っている人があまりにも多い問いである。なぜかというと、戦争のあり方は時代と共に大きく変化してきたので、我々は今、古代の戦争をほとんどイメージできなくなっているからだ。
例えば、江戸時代の日本には260年間戦争がなかった。そのため、戦争というと「合戦」というイメージが、人々の脳裏には長らく定着していた。
合戦にもさまざまなスタイルがあるが、基本は開けた平野で両軍がぶつかり合い、槍で突き刺し合うことだ。当時、「市街戦」はほとんど行われなかった。
これはヨーロッパも同様で、19世紀まで市街戦はほとんどなかった。映画『バリー・リンドン』の舞台は18世紀だが、そこでも開けた荒野で両軍が鉄砲を手に行進し、合戦する様子が描かれている。
これが19世紀の終わり頃になると、蒸気機関の -
ネットで限定有料公開された映画『れいわ一揆』を見た(1,854字)
2020-09-07 06:00110ptこれを書いているのは2020年9月6日(日)の朝なのだが、今晩から明日にかけて、ぼくが住む福岡県糸島市、つまり九州北部にも台風が襲来するらしい。
なんでも観測史上最大規模の台風だそうで、どのような被害が出るか分からない。風速が85メートルとも予測されているが、それくらいになるとアスファルトさえはがれるらしい。ぼくの人生もどうなるか、全く予断を許さない。明後日になっても無事に生きることを願うばかりだ。
昨日スーパーに行ったのだが、印象的だったのは水とカップラーメンが売り切れていたことだ。人は、非常食としてとりあえず水とカップラーメンを確保するらしい。これは九州に限らず、おそらく日本全国でそうだろう。そう考えると、カップラーメンがいかに日本文化に深く根づいているかというのが分かる。
ぼく自身は、カップラーメンは大学生以降ほとんど食べたことがない。高校時代はおなかが空いときに仕方なく食べていたが -
なぜぼくは左翼の人にイライラするのか?(1,976字)
2020-09-04 06:00110ptこれはYouTubeでも話したのだが、ある左翼の人が、安倍首相の辞任を嘆いたユーミンに対し「死ねばいいのに」という趣旨の投稿をFacebookにして炎上した。
このある左翼の人は、父親が早大の学長でありながら、自分は京都精華大の常勤講師である。つまり、格下の大学に所属しているだけではなく、そこで教授はおろか准教授にさえなれていない。父親の足下にも及ばないような地位に甘んじているのである。
その意味で、とても苦しい立場にいる。その苦しさは、我々の想像を絶しているだろう。この人は、いうなれば現代の没落貴族だ。おそらく、大学教授を一種の特権的な立場と考えているから、自分もそこを目指したのだ。自分も当然そこに所属すべきと考えていた。
ところが、運命の綾でそれを果たせずにいるから、悶々としている。しかし、自分ではそうした階級意識を持っていると自覚できず、むしろ「反差別的な人間」と自認しているから、教 -
テレビゲーム・電卓ゲームの誕生(2,261字)
2020-09-03 06:00110ptラルフ・ベアは「テレビをハック」した。ブラウン管というどこの家庭にもある「既存のもの」を使って、新しい魅力的な製品を考案したのだ。オデッセイというテレビ接続型ゲーム機を発明したのである。
これは衝撃だった。何より「テレビを使える」というのが魅力だった。それまで受動的だった「ブラウン管の映像」を、自分でコントロールできるとこの衝撃にユーザーは酔いしれた。そのため瞬く間に広がり、日本では「テレビゲーム」という呼称が定着するまでになった。
ラルフ・ベアのオデッセイに収録されていたゲームの一つを真似、ブッシュネルは「ポン」を開発する。1972年のことだ。これはアーケードゲームだった。
その後、訴えたベアと和解すると、今度は家庭用のポンを1974年に発売する。ここでも、ベアの「テレビを使う」というアイデアを真似たが、ビジネスモデルを真似ることはアイデアの盗用にはならなかった。この頃、ジョブズが40番
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