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  • 野球道とは負けることと見つけたり:その6(1,599字)

    2024-11-22 06:008時間前
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    蔦文也は1923年の生まれである。ぼくが好きな『二十四の瞳』という映画に出てくる12人の少年少女は、1921年生まれの設定である。

    そのため文也は、彼らより2学年下ということになる。また、場所も徳島と小豆島でそう遠くない。だから『二十四の瞳』を見れば、文也の少年時代の日本、文化というものがなんとなく体感できる。

    『二十四の瞳』の主人公で、12人の子供たちの先生である大石久子は、1907年生まれの設定だ。明治40年である。そのため、青春時代を大正デモクラシーの中で過ごした。大正の好景気の中で育った。「モボ・モガ」の文化である。

    大石先生が月賦で買った自転車に乗っているのを、小豆島の女性たち(生徒の母親たち)ははじめ、良く思わない。それは、自転車は女性が乗るものではないという明治の古い女と、女でも自転車に乗っていいという大正の新しい女の文化がぶつかったからだ。明治と大正で、大きな世代間ギャップ
  • 1994:その30(1,765字)

    2024-11-21 06:00
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    ぼくの大学時代は1987年から1991年だ。バブル崩壊が1990年の暮れからだから、ちょうど大学4年の卒業間際に崩壊したことになる。逆にいうと、大学4年生まではバブル絶頂だった。つまりぼくの大学生活はまるまるバブルの中で過ごしていたのだ。

    当然、就職活動期間もバブルの真っ只中、というよりも崩壊直前の絶頂期だった。ニュースではよく、内定に50社や70社受かったという大学生がインタビューを受けていた。ぼくは彼らと同学年だったので注目していた。ただしぼく自身は、就職するつもりはなかったので、就活はしていなかった。だから、内定をたくさん取ったという景気のいいニュースも、横目で見ていたという感じだ。

    ぼくの学部は生徒が17人で、半分が大学院へ進み、半分が就職した。何もしないのはぼくだけだったから、やはり多少目立った。それでも、この頃までにはぼく自身、変わり者というキャラをすっかり確立していたので、誰
  • [Q&A]日本社会でモラル違反、マナー違反が増えていることをどう思うか?(2,144字)

    2024-11-20 06:00
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    [質問]
    詩人の谷川俊太郎さんが亡くなりました。岩崎さんは谷川さんについてはどのような印象をお持ちですか?

    [回答]
    ぼく自身、彼の作品にはほとんど触れませんでしたが、印象に残っていることはいくつかあります。

    まず絵本の編集を始めたとき、谷川さんの『もこもこ』という絵本が子供たちに大人気だということを知りました。ぼくはそれを読んでも全く魅力に感じなかったのですが、子供たちがそれを気に入っていたのは紛れもない事実でした。

    そのときに、ぼくには見えていないものが谷川さんには見えているのだなと知りました。それと同時に、ぼくは絵本の編集者には向いていないのだろうなということも分かりました。谷川さんに見えているものが見えないと、絵本というのは作れないということは分かったのです。

    それで、ぼくと谷川さんは生きるフィールドが違うのだなということを知りました。だから、彼の作品を好きになるということはありま