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これから来る「本物の個人時代」は、どのようなものになるだろうか?
その前提として、まずは「世界中がフラットになる」ということがある。「フラット」とは、同じ言葉を話し、同じ食べ物を食べるという意味だ。
これは、「昔の日本」と「今の日本」の違いを考えると理解しやすい。100年前、青森県民と鹿児島県民は違う言葉を話し、違う食べ物を食べていた。しかし今は、両者とも同じテレビで見た同じ言葉を話し、同じイオンで買った同じ食べ物を食べる。
その一方で、100年前の青森県民同士は、皆均質だった。鹿児島県民同士もそうである。ところが今の青森県民には、いろんな人がいる。鹿児島県民にもいろんな人がいる。
そんなふうに、過去から未来に向けて、地域性が薄れる一方、個人の個性は際立っている。それはトレードオフの関係なのだ。
この現象が、これから世界を舞台に進む。世界中のどの国のどの地域も似たような言葉を話し、似たよう
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以前ハックルさんが、自分の子供はできるだけ同質の環境において育てたいと言っていたのを思い出した。人種差別が悪であるというのは真だけど、子供は肌の色や話す言葉、考え方がまったく違う人に囲まれていると不安になる、もというのもまた真だと思う。この二つは別の事実なんだけど、混同して差別だと騒ぐ人もまたいるんだろうな、と思った。真善美を追求するのはなかなか苦労するだろうなと思う
岩崎夏海(著者)
>>1
教育の平等を説く人は多いですが、現実はそれに大いに抗っていますね。理想よりも現実が先行している感はあります。ぼくは自分の子供の将来は悲観していませんが、逆に大人のねじ曲がった理想に巻き込まれるよその子供たちが心配ですね。