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1995年は、日本にとって大きな転機となった年だ。
速水健朗さんが、webちくまで「1995年」をテーマにした同名タイトルの文章を書いていたのを見て、ぼくも以前から思っていたことを書いてみようと思った。
1995年は、まず戦後50年という節目の年であり、あるいは阪神淡路大震災とオウム真理教事件という、本当に大きなできごとのあった年として記憶されている。だから、それをもって「大きな転機だった」と感じている人も多いのだけれど、速水さんは、それとは違った角度から、この1995年の「転機性」について語っていた。実はぼくも、やっぱり違った角度から1995年は大きな転機だったと見ているので、今回はそのことについて書く。
速水健朗さんが、webちくまで「1995年」をテーマにした同名タイトルの文章を書いていたのを見て、ぼくも以前から思っていたことを書いてみようと思った。
1995年は、まず戦後50年という節目の年であり、あるいは阪神淡路大震災とオウム真理教事件という、本当に大きなできごとのあった年として記憶されている。だから、それをもって「大きな転機だった」と感じている人も多いのだけれど、速水さんは、それとは違った角度から、この1995年の「転機性」について語っていた。実はぼくも、やっぱり違った角度から1995年は大きな転機だったと見ているので、今回はそのことについて書く。
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コメント
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枠組みを保持したまま中身だけを変えようとして、中にある資源を使い切ろうとしているということでしょうか。
岩崎夏海(著者)
>>1
失敗の一番の原因は、「マネジメントを担うべき人」を見誤ったことだと思うんです。戦後は、各省庁の主導で良かった。しかし半世紀が過ぎ、各省庁のトップダウンでは上手くいかなくなった。実体は、現場(教育現場、医療現場))でないと対処できないようになった。だから、マネジメントの権限も現場に委譲するべきだったのです。しかしそれをせずに省庁主導でマネジメントしようとした結果、かえって悪い方向へ行ったということだと思います。