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記事 26件
  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その28(1,783字)

    2016-07-19 06:00  
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    戦後初の本格的な長編アニメ映画『白蛇伝』は、一九五八年に上映された。
    一九五八年といえば、戦後一三年が経過して、復興はほぼ完了し、そろそろ日本の高度経済成長が始まる頃合いだ。
    一方、テレビの勃興に伴って、映画産業そのものは衰退を始めていた。そうしたタイミングで、東映は満を持して長編アニメ映画を制作した。それはまだ、当時「漫画映画」と呼ばれていた。
    この『白蛇伝』は、日本のアニメ産業にとって一つの大きなエポックメイキングとなった。
    まず、これを見た手塚治虫が大いに刺激され、その後アニメ制作に乗り出すきっかけとなる。
    また、当時一七歳だった宮崎駿を筆頭に、後世のアニメ作家たちにも、アニメ業界に参入するきっかけを与える。この頃、アニメといえば外国製のものばかりだったので、ほとんどの人が日本でもアニメが制作できるということを想像していなかった。この映画は、そうした常識を覆したのである。
    ちなみに、

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  • 新しいタイプの被搾取層が誕生したわけ(後編)(2,058字)

    2016-07-18 06:00  
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    前の記事はこちら。
    新しいタイプの被搾取層が誕生したわけ(前編)(1,918字)
    今から30年ほど前の1980年代後半、世の中はバブルだった。
    当時、ぼくは高校から大学に上がったところで、その恩恵をそれほど享受したわけではなかったが、それでもよく覚えているのは、とにかく「就職」が空前の売り手市場だったということだ。テレビでは連日「人手不足」が叫ばれ、就活では「60社、70社内定をもらった」などという猛者も珍しくなかった。
    そう、今は60社、70社「落ちる」のはよくあるが、当時は60社、70社「受かる」というのがあったのだ。なぜそれほどの売り手市場だったかといえば、世の中に仕事が溢れていたからである。
    例えば、建設会社などはたくさんの仕事が舞い込んできていた。しかし人手が足らず、それらを全て受注することができなかった。そのため、経営陣は「もっと人がいたらもっと受注でき、もっと儲かっていたのに

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  • 台獣物語26(2,165字)

    2016-07-16 06:00  
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     ぼくのノックの音で、エミ子は目を覚ました。ベッドに寝転がっているうちに、いつの間にか寝入ってしまったようだ。
     エミ子が部屋から出てくると、ぼくは説明した。
    「みんな、トレッキングから帰ってきたみたい。これから夕方の授業が始まるらしいから、一緒に行こうよ」
     それで、ぼくは寝起きでまだちょっとぼんやりしているエミ子と一緒に、渡り廊下を渡って教室棟へ移動すると、あらかじめ聞いていた二〇三教室までやってきた。二階には四つの教室があって、大きいのが二つと小さいのが二つなのだが、二〇三は小さい方の一つだった。
     ぼくたちが教室に入ると、すでに他の生徒たちも来ていた。ぼくたちが入った瞬間、生徒たちの視線がぼくらの方に集中したが、そのとき、エミ子が「あっ!」と驚いたような声を上げた。
     それで、「えっ?」と振り返ったぼくに、エミ子は言った。
    「あの子!」
     そうして、生徒の一人を指さした。
     

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  • 仕事のやり方がクローズアップされる時代になった(1,754字)

    2016-07-15 06:00  
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    堀江貴文さんが書いたこの記事を読んで、強くインスパイされた。
    最近飲食店経営について考えていること | ホリエモンドットコムブログ
    何が書いてあるかというと、堀江さんの知人の旅館や飲食業の方々が、非常に短い労働時間で大きな利益を上げ、余った時間を勉強や遊びなどインプットに充て、いい循環を生み出しているという話である。
    この話は、ぼくの実感とも深く通じる。近頃、とみに働く時間が短くなった。かといって、仕事がなくなったわけではない。アウトプットは、むしろ以前より増えている。前よりも短い時間(感覚としては半分以下)で、以前の1.5倍くらいの量をこなしているのだ。
    なぜそれが可能になったかといえば、ネットに代表される各種の新しいサービスを使っているからだろう。あるいはスマホなどの最先端機器を駆使している。それで、ぼくだけではなく、ぼくの会社の社員も、非常に短い時間で仕事がたくさんできるようになった

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  • あしたの編集者:その5「素数の謎に興味を持つ方法」(1,494字)

    2016-07-14 06:00  
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    普通は、なかなか「素数の謎」に興味を持てない。なぜ持てないかというと、「素数の謎」が自分に関係あるようには思えないからだ。その逆に、「お金」には多くの人が興味を持てる。なぜなら、お金は自分と深い関係があると思えるからである。だから、「素数の謎」に興味を持つためには、「自分に関係がある」と思えるようになればいい。そして、「自分に関係がある」と思えるようになるためには、素数と自分との実際の関係を探すことだ。それが見つかれば、「深い関係がある」と思えるようになる。では、素数と自分との関係を探すためにはどうすればいいのか?それは、一言で言うと「因数分解する」ということである。因数分解は、別の言葉でいえば「本質を見極める」ということになる。「要素を読み解く」と言い換えてもいい。テーマが「素数」だったら、素数の本質を見極めるのである。あるいは、素数はどういう要素で構成されているか――といったことを考え

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  • [Q&A]仕事を円滑に辞めるにはどうすればいいか?(1,307字)

    2016-07-13 06:00  
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    [質問]法的には2週間以上前にできれば1ヶ月前に申告すれば、社員、バイトなど辞めていい。契約者。労働者の権利としてあります。しかし、辞めると言いにくい。辞めづらい。働きだして間もないなら尚更。しかし、「心」は辞めたいと叫んでいる。もう。嫌だと。やりたくないと「脳」が訴えている無理ですって!ご主人様!日本特有かどうか分からないが何というか「義理」「人情」「恩返し」「武士の情け」「変な罪悪感」が、それを僕の足を鈍らせます。「せっかく教えてもらったのに悪いみたいな。雇ってもらったのに悪いみたいな。ある程度。いないといけないのか?在籍しないと。」「申告するのが恐い」「人がいない。せっかく覚えたのに。入ったばっかりなのに。こちらとしてもそんなんじゃ困るなど。無理に引き留められたら」こちらとしても貴重な時間なんなら「命」を削って捧げています。低賃金でその会社の特有のルールに乗っ取って縛られながら。将棋

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  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その27(1,928字)

    2016-07-12 06:00  
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    再び、終戦直後の時代に話を戻す。
    終戦直後の一九四七年、手塚治虫の『新宝島』が一世を風靡することにより、日本のマンガは新しい時代の幕開けを迎える。
    ところで、この『新宝島』が当時の子供たちには動いて見えた――つまりバーチャルリアリティになっていたことは先にも述べたが、それが動いて見えたことの理由には、裏にもう一つの秘密があった。それは、作者の手塚治虫自身が、それが動いていることをイメージしながら描いていた、ということだ。
    というのも、手塚治虫は幼い頃からディズニーアニメの熱烈な信奉者であった。家に映写機があったため、子供の頃からディズニー映画に、身近に慣れ親しんでいた。そしてこの頃から、将来の夢を「アニメ作家」と見定めるようになる。
    さらに、戦時中には日本製アニメである『桃太郎 海の神兵』に感激したこともあって、彼の表現の根底には常にアニメへの憧憬があった。手塚治虫がマンガ家になったのは、

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  • 新しいタイプの被搾取層が誕生したわけ(前編)(1,918字)

    2016-07-11 06:00  
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    ぼくがお笑い学校で教えていたときの生徒には、いろいろ考えさせてくれる人がいた。何を考えさせてくれたかというと、「知能格差」だ。
    ぼくはそれまで、知能の低い人とあまり触れあったことがなかった。しかし、生徒には知能の低い人が大勢いたので、いろいろ考えさせられることになった。
    中でも取り分け印象的だったのが、バイトが忙しくて宿題ができず、満足に授業を受けられなかった生徒だ。聞けば、その生徒は学校の授業料を払うためにバイトをしているのだという。しかしそのバイトが忙しすぎて、宿題ができない。宿題ができないから、満足に授業が受けられない。結果的に、せっかくのバイト料をそのまま学校に差し出すことになっていた。しかも、それを疑問に感じていないのだ。
    彼に限らず、多くの生徒が多かれ少なかれ、そういう「被搾取者」だった。この搾取構造は、彼らが「騙されている」というよりは、自ら進んで生け贄になっている。そういう

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  • 台獣物語25(2,243字)

    2016-07-09 06:00  
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     ぼくたちは、午前の便の連絡船で、皆生港から隠岐の島へと向かった。
     この時期は、台獣シーズン真っ只中だったから、台獣見物の観光船は混んでいるのだが、反対に、隠岐の島へと向かう観光客はほとんどいなかった。そのため、連絡船はとても空いていて、隠岐の島の住人か、仕事で行く人しか乗っていなかったのではないだろうか。
     船が動き出すと、ぼくらはすぐに甲板に出た。甲板に出ると、さすがに真夏の日差しはきつかったものの、風が心地良かった。空は抜けるような晴天で、遠くには入道雲もかかっており、ぼくらはしばらくそれに見とれていた。
     沖に出て少し経ってから、エミ子がこんな風に尋ねてきた。
    「ね、水着持ってきた?」
     それで、ぼくはきょとんとした後、少し憮然となってこう返した。
    「そんなの、持ってくるわけないだろ。遊びに行くわけじゃないんだから」
    「え、でも――」と、今度はエミ子がきょとんとした顔になっ

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  • 今の世の中とぼく(2,085字)

    2016-07-08 06:00  
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    今回は、今の世の中とぼくとの関係についてを書く。いくらかとりとめのない話になるかもしれないが、しばしおつきあい願いたい。
    「人間の記憶」というものは当てにならない。しかし同時に「記憶の癖」というものもあって、それを把握していれば、そこから逆算して記憶を当てにすることもできる。
    人の記憶には、例えば嬉しかったことは覚えており、嫌なことは忘れる――という癖がある。理由は簡単で、嫌なことを覚えていると精神に対する負荷が強くなりすぎるので、忘れるようにできているのだ。
    それゆえ、過去というのは美化されやすい。これが「記憶の癖」である。だから、人が記憶している過去というのは、たいてい美化されたものなので、それを少し醜くすると、概ねその記憶は信用できるようになる。
    人の記憶の中でも取り分け当てにならないのが、犯罪に対する記憶だ。
    例えば、今は犯罪率がとても下がっている。中でも、子供に対する暴力が減った

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