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[質問]
中学1年ぐらいから30歳ぐらいまで、半分本気、で「死にたい」と思いながら生きてきました。しかし、若さのアドレナリンがなくなって途端に「死」対する恐怖が芽生えだしました。しかし、「死ぬ気になれば何でもできる。」「死ぬことと見つけたり」「メメント・モリ」「死を想え」のような言葉のように、死を恐がって生きていたら思い切った行動や勇気が取りづらくはなると思います。毎日、ニュースで訃報が流れます。人は、そこで自分じゃなくて良かったと「カタルシス」を味わうと思いますがあえて、その訃報が流れる度にそれを「僕」だとある種その訃報に憑依をしたら「また、死んだと」「今日も死んだと」もし、何か勇気が必要な場面に出くわしたら「今の人生は本来ならないはず。オマケみたいなもん。」「気にすることないじゃん。だってもう僕は死んでいるんだから」という考え方はどう思いますかね?
[回答]
いいと思います。死ぬことは
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