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記事 26件
  • 台獣物語22(2,238字)

    2016-06-18 06:00  
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    22
     体育館を出たぼくらは、裏門から学校の外へと出た。すると、そこには白塗りのセダンが停まっていて、ぼくたちが来ると、中から運転手の人が降りてきて後部座席のドアを開けてくれた。
     ぼくとエミ子は、おずおずとそこに乗り込んだ。学は、前に回って助手席に座った。
     そうして、車は出発した。聞くと、その山神という人は、カジノホテルのオーナーの一人ということだった。
     米子市の西隣に、境港市がある。ここは、台獣が現れて以降、米子とはまた違った形で発展していた。
     台獣出現以来、観光都市として発展した米子に対し、獣道から離れている境港は、それに少し後れを取るような格好となった。そうして、地価などは安いままで推移していた。そこに目をつけた外国の投資家たちが、ここにカジノホテルの建設を計画したのだ。
     境港も、台獣到来以降、経済は壊滅的な状況にあった。そのため、これを立て直したいと考えていた市政がこの計

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  • 台獣物語21(2,378字)

    2016-06-17 06:00  
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    第六章「君の瞳に恋してる」
    21
    「――ぼくたちに……用?」と、ぼくは戸惑いながらも尋ね返した。「時田さん……と言いましたか?」
    「はい」
    「あなたは、一体誰なんですか?」
    「ぼくは……ぼくも、あなたと同じ『トモ』なんです」
    「!」
    「といっても、それを知ったのはつい最近のことでして――」
     そう言った時田学は、よく見るとぼくらとそう年は変わらないようだった。ただ、少しだけ大人びていたから、きっと高校生か。黒縁の眼鏡をかけていて、短めの髪は黒。半袖のシャツにネクタイという格好をしていたから、どこかの高校の夏服かもしれなかった。
     学は、なおも戸惑うぼくらに向かってこう言った。
    「……こんなこと、急に言われても困ると思うけど、実は、きみたちに会いたいという人がいてね」
    「会いたい? ぼくたちに?」
    「そう。その人は……何というか、ぼくたちのことを研究しているんだって」
    「研究? 何を?」

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  • あしたの編集者:その1「お願いされる」(1,946字)

    2016-06-16 06:00  
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    ぼくはこれまで放送作家、秋元康さんのアシスタント、サラリーマン、作家などいくつかの仕事をしてきた。その中で編集をしたことはなかった。ただ、作家をしながら何人かの編集者とおつきあいさせていただいた。そして、ぼく自身も作家でありながら、本についての企画やアイデアをいろいろと考えてきた。
    そんなとき、ひょんなきっかけから岩崎書店という児童書の出版社で本の編集を担当することとなった。これは青天の霹靂で、全く予想していなかった。だから、ぼく自身これまで編集について深く考えたり、勉強したりしたことがなかった。それで、最初はできるのかどうか分からなかった。
    しかしながら、実際に編集作業をスタートさせると、自分がこれまで放送作家をしたり、あるいは本を書いたりしながらいろいろ考えてきたことは、その多くが編集の仕事につながっているということが分かった。
    そこで今回からは、本の編集について書いていきたい。
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  • [Q&A]人生。生きていると。(1,726字)

    2016-06-15 06:00  
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    [質問]
    人生。生きていると。
    全てが思い通りにはいきません。あえて選らばなかった人生。仕方なく選べなかった人生。あったりします。
    いっそ。完璧に諦めたら楽になったりしますが、脳裏にへばりついたりします。
    他人と比らべてもどうかと思いますが隣の芝生は青く見える。そういった執着心を抹殺する解放するにはどうしたらいいですか?
    [回答]
    句点の位置が変ですね。送り仮名も独特です。
    それはさておき、執着心を抹殺(というのも変ですが)するには、常にベストの選択をすることです。「ベストの選択」とは、その選択に命を賭けるということです。そうすれば、後々も「あのときベストを尽くしたからあれ以上の選択はなかった」と思え、隣の芝生も青く見えなくなります。
    [質問]
    毒を吐く知人がいます。その光景が何故か滑稽なので何故滑稽なのか、何故毒を吐くのかということを考えるようになりました。毒を吐く場合は大抵、その内容は

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  • 世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その23(1,992字)

    2016-06-14 06:00  
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    マンガの「劇画化」を促進させた川崎のぼるとちばてつやは、同時に劇画の限界をも示すこととなった。そうして一九七〇年代は、旧来からの記号的表現――つまり「漫画」と、新しい写実的な表現――つまり劇画の融合が目指される時代となった。
    そうした時代に、実にさまざまな新しい表現者たちが現れ始めた。この1970年代の後半から、マンガを取り巻く状況は一気に混沌としていく。
    そして、ここに来てようやく、日本は「終戦」、あるいは『新宝島』の影響から逃れ始めた。戦後しばらく経ってから生まれ、『新宝島』をリアルタイムで読んでいない子供たちがマンガ家になっていったのだ。
    その新しい表現者たちの代表的な人物に、大友克洋と江口寿史がいる。
    大友克洋は一九五四年、つまり戦後九年目の生まれだ。手塚治虫の『新宝島』が出た頃にはまだ生まれてないので、マンガは生まれたときからすでに存在していた「マンガ・ネイティブ」となる。
    そし

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  • 「ニッポンの終わり」について(1,545字)

    2016-06-13 06:00  
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    ぼくは「ニッポンの終わり」というのは存外に早くやってくると予想している。
    何がどう終わるかというと、まず日本語が終わるのではないだろうか。
    なぜ日本語が終わるかといえば、日本の大学が価値の低下に歯止めをかけられないからである。今後は日本の企業でも、日本の大学を出た学生は雇わなくなるだろう。なぜなら、日本の大学を出た学生は、アメリカの大学を出た学生より著しく価値が低いからだ。日米の大学の差はそこまで来ている。
    そうなると、気の利いた日本の親は子息をどんどんとアメリカの大学に入れるようになる。もっと気の利いた人は、中学・高校から子供をアメリカにやるようになる。そんなふうに、気の利いた日本の若者からどんどんとアメリカに人材が流出するようになるのだ。
    そうなれば、やがて彼らは日本語を話せなくなる。そうして、日本語というものの価値もどんどんと下落していく。言葉として使い物にならなくなるのだ。
    日本語

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  • 台獣物語20(3,194字)

    2016-06-11 06:00  
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    20
     それを聞くやいなや、朋美は生徒会室を飛び出して行った。そのため、ぼくらも慌てて彼女の後を追った。
     廊下を走りながら、ぼくは並んで走るエミ子にそっと耳打ちした。
    「彼女も――」
    「え?」
    「彼女も、たぶんヲキだよ」
    「ええっ!」
     とエミ子は、思わず立ち止まってぼくを振り返った。それでぼくも立ち止まり、周囲に聞かれないよう小声で言った。
    「――ただ、彼女はおそらく、それを知らない」
    「えっ? そんなことあるの?」
    「『あるの?』っていうか、きみもそうだったじゃないか」
    「あ! ……確かに」
    「……ぼくも、あの後ちょっと調べたんだけど、ヲキであることがちゃんと伝承されていない家というのも、二一世紀に入ってから少なからずあるらしいんだ。おそらく、彼女もその一人かと」
    「どうして分かったの?」
    「さっきの演説さ。きみも聞いたろ?」
    「うん! 確かに、みんな夢中になって聞いていた」
    「あの

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  • 台獣物語19(2,863字)

    2016-06-10 06:00  
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    19
     やがて台獣は、「人類を恐怖のどん底に陥れた厄災」から、「観察して楽しむ人気者」へと、その立場を急変させていった。そうして、台獣観光ビジネスが一気に花開いたのである。
     特に、獣道に隣接した地域は、壊滅状態にあった経済を一刻も早く立て直そうと、そこにあらゆる資源を投入していくこととなった。
     台獣観光ビジネスの中心地として、特に栄えたのが米子だった。米子からは、大山山頂を通過する台獣を見通すこともできたし、また日本海へと出て行く姿を観察することもできた。米子港からは、日本海海上の台獣が姿を消すポイントも近いため、そこへと向かう観光船も定期的に運航された。
     また、八年前にできた米子空港は、アジアにおけるハブ空港の役割を担うようにもなった。というのも、台獣が到来する初夏から秋にかけては、飛んでいる飛行機も台獣の攻撃対象となるため、獣道の上空は飛行が禁止されるようになったからだ。以前、上

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  • ぼくから読者のみなさんに質問したいこと(1,806字)

    2016-06-09 06:00  
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    先日、「教養論」という連載が終わりました。
    「教養論」とは何か?
    それは文字通り、教養についてぼくが論じるということでした。
    「教養論」に限らず、ぼくがこのメルマガで連載しているものは、どれもこれといった計画があって書いているわけではありません。それについて深く考えたいから書いている、という場合が多いです。
    そのため、ほとんどが書きながら何を書くか考えています。書きながら考え、その回の最後になって、次に何を考えたいかということが思い浮かびます。そこで次の回には、それについて書きながら考え、やっぱり最後で次に考えたいことが思い浮かぶ、ということの連続でした。もう考えたいことがなくなったらそこで連載も終了するという感じです。
    こういう書き方をしていると、思わぬ気づきが得られます。思わぬアイデアが浮かんでくるのです。例えば「教養論」の中では、「直感」ということについて深く考えられたのが良かった。

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  • [Q&A]複数の仕事を並行してこなすには?(1,688字)

    2016-06-08 06:00  
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    [質問]
    ある本で人には脳の神経の作り分泌の違いで「外向型」と「内向型」に分かれるそうで。僕はうすうす気づいていたが「内向型」の人間です。
    明石家さんまさんや鶴瓶さんのように明るく社交的で周りに自然と人が集まる人に無い物ねだりで憧れを抱くし、羨ましく思ったりコンプレックスを抱きますが、性質的にしんどい面もあります。僕は「一人の時間」や「孤独」も割りと好きなので、それがないと辛いです。しかし人とは、ある程度交わりたい。しかし、人間関係を円滑にするための「意味のない世間話」苦手です。天の邪鬼です。ハックルさんは、他人と過ごす時間と一人の時間の割合をどう折り合いをつけていますか?
    [回答]
    それでいうと、ぼくは「外向型」になるのでしょうか。さみしがり屋なので、とにかく一人でいるのがつらいというのがあります。
    基本的にはずっと一人でいなくても大丈夫ですね。ですので、なるべく人の近くにいるように心が

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