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記事 22件
  • 庭について:その11(1,601字)

    2022-12-16 06:00  
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    「北欧風庭園」とは何か?
    「キナリノ」というサイトに、こんなふうに説明されている。
    「北欧ガーデンはイングリッシュガーデンの影響を受けつつ、独自の進化を遂げています。整然と作りこまれた庭園のようではなく、まるで森や林の中に住んでいるような、自然と調和する庭造りと、北欧の植物やカラーリングとの絶妙なコラボレーションが特徴的です」
    日本でもできる?憧れの「北欧ガーデン」で映画のような世界を作ろう
    なぜ北欧はイギリス式庭園の影響を受けたのか? そこにはさまざまな経緯があるだろうが、きわめて簡潔にまとめると、18世紀にイギリスで産業革命が起き、この影響で世界中をイギリス文化が席巻した。その一環として北欧にもイギリス文化が流れ込み、そこで庭の文化も継承されたのではないだろうか。
    特に北欧は、北イギリスと景観が似ていたため、庭園形式も真似しやすいということがあった。では、「北イギリス」あるいは「北欧」

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  • お金にまつわる思考実験:その8(1,628字)

    2022-12-15 06:00  
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    人間は宝石に無条件で根源的な美を感じる。だから、たとえばダイヤモンドに魅力を感じない人というのは、逆に狂っている。
    現代人は後天的に「ダイヤモンドに魅力を感じるのは『はしたない』」と教わる。その教えが強すぎて、ダイヤモンドに魅力を感じられなくなっている人がいるのだ。その意味で、変な宗教にハマっているのと同じだ。端的に言って洗脳されている。
    だから、ダイヤモンドを美しいと思えない人は、その洗脳を解いた方が、これからの時代は生きやすくなるだろう。もちろん、宝石の魔力に魅入られて、それで頭をおかしくしてしまう人もいるので感じすぎるのも良くないが、しかし美術館へ行って名画を楽しむくらいには、ダイヤモンドにも魅力を感じておいた方が無難である。
    美術品と宝石というのは、その魅力の本質が同じである。もちろん、人間が作った美術品の方が、宝石を模しているのだ。
    単純化していうと、人間には「美的感覚」がある。

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  • [Q&A]人の目を見て話すにはどうすればいいか?(1,944字)

    2022-12-14 06:00  
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    [質問]
    ハックルさんの他の人があまりしていないマイナーな趣味やくせというものはありますか?
    [回答]
    昔、車の運転をしているときに、助手席に乗った人から、「ブレーキを使わないんですね」と驚かれたことがあります。ぼくは先の信号まで見ていて、赤になりそうだと早めにアクセルを離し、惰性で走ってアクセルやブレーキの使用頻度を下げています。そうすることで、燃費を良くしたりブレーキパッドの減りを少なくしたりする効果があるのですが、多くの人は、そういうふうに燃費を良くしようという努力をしながら車に乗ってはいないみたいです。
    ただ、以前にテレビで見ていたら、自分の車で宅配している人がニュースに出ていたのですが、その人は夏になると燃費をおさえるために冷房を使用していませんでした。それで確かに燃費は下がっていたのでしょうが、体力と寿命は削られるので、ぼくもさすがにそこまではしようと思いませんでした。
    [質問

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  • 令和日本経済の行方:その25(1,855字)

    2022-12-13 06:00  
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    社会の「科学化」は、この先大きなトレンドになるだろう。ちなみに「エビデンス・ベースド」という言葉が以前流行ったが、これは最近廃れつつある。なぜかというと、だいたいそこで用いられる「エビデンス」というものが、実に不確かで役に立たないことが多いからだ。特に社会学で用いられるデータは、取り方に研究者の思惑が強く反映されるため、なおさら信用がおけなくなる。
    「社会の科学化」というのは、このエビデンス・ベースドとは一線を画す。そこでは逆に、人間をデータ(エビデンス)としてとらえるのではなく、むしろ「不確かなもの」としてとらえる。「データではとらえきれない不確かな存在」としてとらえる。その方が、より問題を解決できるからだ。
    例えば、コロナに対して科学的ではなく「お気持ち的」に向き合う人たちがいる。そういう人たちを無知と決めつけて終わりにするのではなく、むしろそれこそが人間なんだ――と肯定的にとらえる。

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  • マンガのはじまり:その10(2,135字)

    2022-12-12 06:00  
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    18世紀のイギリスで、ウィリアム・ホーガスが政治家や上流階級を風刺した絵を描いて人気になる。
    ただ、ホーガスは誇張した絵(カリカチュア)を描かなかった。ところがホーガスの死後、カリカチュアを描く画家が多数現れる。カリカチュアの方が描くのは簡単で、また需要も高かったからだ。そうしてカリカチュアの技法と人気が確立していった。
    19世紀に入ると、フランスで1830年にシャルル・フィリポンが、カリカチュアを前面に押し出した雑誌、その名も『カリカチュール』を創刊する。ここでは、主に政治家の風刺画で人気を博す。
    その人気を受け、フィリッポンは2年後の1832年、さらにカリカチュアをフィーチャーした日刊紙『シャリバリ』を創刊する。これがさらなる人気を博し、オノレ・ドーミエなどのカリカチュール画家が人気となった。
    この『シャリバリ』の人気を受け、今度はイギリスで1840年にカリカチュア誌『パンチ』が創刊さ

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  • 庭について:その10(1,715字)

    2022-12-09 06:00  
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    庭の文化はエジプトから始まった。その後ギリシアを経てローマに受け継がれる。いわゆる「ヘレニズム文化」だ。
    ローマは「建築」と「水道」が自慢だったので、庭もそのまま「建築」と「水道」あるいは「池」が主役となった。それが一つの定番となって、ルネサンス期まで引き継がれた。
    一方、ローマの庭はアラブ世界にも引き継がれた。アラブはローマより乾燥していたので、より「水道」の重要度が増した。水道を引き込み、その水で植物を育てた。
    だから勢い「建築」が主役になった。石が主役になったのだ。そうしてアラブでは幾何学的な庭が流行した。
    また、ローマ式庭園はフランスにも引き継がれた。フランスは国土全体が緩やかな傾斜地なので、イタリアほどに水道を張り巡らせなくとも川から豊富な水を引き込むことができた。そのため植物がよく育ったので、水道や建築は必ずしも庭の主役とはならなかった。それに代わって植物が主役になった。
    ただ

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  • お金にまつわる思考実験:その7(1,840字)

    2022-12-08 06:00  
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    もともと「人間」はネアンデルタールとホモ・サピエンスの2種類がいた(他にもいたが割愛)。そしてネアンデルタールの方が脳は大きかったのだが協力する力はホモ・サピエンスの方が上だったので、ホモ・サピエンスが戦争に勝利し、やがてネアンデルタールを根絶やしにした。
    そうした経緯もあって今の人間(ホモ・サピエンス)は生き方の前提が「協力」になっている。また人間社会はその人間の生き方の前提が組み合わさってできるものなので、「協力」は欠くことのできない要素となっているのだ。
    ただし、協力は人間にとって「アンビバレンツ」な要素がある。それは自分の利益を阻害することだ。非利己的になるということである。
    非利己的になって他者に協力ばかりしていると、やがて個としての存続が危ぶまれる。人を助けてばかりいたのでは命がいくつあっても足りないというわけだ。そうして非利己心が強すぎる個もまた自然淘汰されていった。
    結果、

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  • [Q&A]日本はなぜPKで負けたのか?(2,098字)

    2022-12-07 06:00  
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    [質問]
    いつも楽しく拝読しております。かなり以前ですが、調子が悪くなったら四つん這いで歩き回れば解決。というお話がありました。この話がずっと気になっているので、四つん這い歩きについてハックルさんなりの持論を詳しくお聞きしたいです。
    [回答]
    「四つん這い」ではなく、「ずり這い」です。もしかしたら以前「四つん這い」と言ったかもしれませんが、それでしたらぼくの誤りですので訂正します。
    要は「匍匐前進」です。トカゲのように体を左右に揺らしながら、お腹を床につけて前に進む。これによって、健康がかなり促進されます。まず内臓が適度に揺らされ、体内のしかるべき場所に収まります。しかもこのとき、体幹の筋肉が鍛えられますから、その適切なポジションに内臓を固定しやすくなります。すると内臓の働きが良くなり、健康が促進されるというわけです。
    また、ずり這いをすると四肢の先が刺激されますから、神経が全体に行き届き

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  • 令和日本経済の行方:その24(1,781字)

    2022-12-06 06:00  
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    2022年、世界は一見混沌としているようにも見えるが、しかしその深層をよくよく辿っていくと、不可逆的な「流れ」というものが見えてくる。
    その「流れ」とは、これからより「科学」的な世の中になるということだ。科学の価値が強まるということである。
    ただ、そう聞くと違和感を覚える人も少なくないだろう。というのも、世の中はもうすでに十分「科学的」で、その価値は広く知れ渡っているようにも見えるからだ。だから、「これからの世の中は科学が重視される」と言われてもピンとこない。これ以上どう科学的になるのか、想像しづらいのだ。
    しかしながら、実はそこのところこそ盲点なのだ。というのも、これからの世の中は、人間のその「認識」の認識が、より科学的になっていくからだ。
    違う言い方をするなら、「人間の認識」は、いまだにちっとも科学的ではない。この分野は、まだまだ非科学がまかり通っている。
    なぜかというと、人間は自分の

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  • マンガのはじまり:その9(1,703字)

    2022-12-05 06:00  
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    江戸が終わって明治になると、世の中は再び窮屈になった。今度は「政府」が、幕府に代わって人々を同調圧力で縛り始めたからだ。
    そのとき、まるで救世主のように、日本に2人の「ふざける男」が現れた。渋沢栄一と福澤諭吉である。
    2人はともに、「明治政府」の要人だった。そのため、2人とも公職に就くよう政府から請われたが、これを蹴って野にとどまった。そうしてフリーな立場で活躍したのだ。渋沢は経済の世界で活躍し、福澤は教育の世界で活躍した。
    この2人は、ともにかなり明確に明治政府を批判していた。その縛ってくる態度が気に入らなかったからだ。せっかく江戸の窮屈さが嫌で幕府を倒したのに、再び窮屈にしたのでは元の木阿弥だった。
    それでも、明治政府の権力はあまりにも絶大だった。そのため、2人は表立っては政府と対立しなかった。また、中に入って変えようともしなかった。そういうことをしても、結局権力にねじ伏せられ、望むよ

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