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庭について:その34(1,845字)
2023-06-16 06:00110ptガートルード・ジーキルは1843年、イギリスのロンドンに名家の令嬢として生まれる。しかし5歳のとき(1848年)、ロンドンから南西に50キロほど行ったところのサリー州ギルドフォード郊外に家族で移り住む。以降、1932年に89歳で亡くなるまで、ずっとここで暮らした。
ジーキルは、19世紀後半から20世紀を駆け抜けたガーデナーだ。その意味で、「近代から現代への橋渡し的な存在」といえるだろう。世の中が、生活様式を含めて激変した時代に、その変化に即しながら、新たな庭の様式を造っていった。
歴史を俯瞰すると、ここ1000年は「中世・近代・現代」の3つに明確に色分けすることができる。中世は長らく続いたが、18世紀に起こった産業革命によって幕を閉じる。そこから19世紀の100年間をかけ、テクノロジーの進化と共に、徐々に変化が進行する。その意味で、近代は「産業革命の時代」ということもできよう。
そして「現 -
お金にまつわる思考実験:その33(1,749字)
2023-06-15 06:00110ptここから、「スマート道路のTPS化」について考える。
ところで、ここまで「お金」について考えてきたが、過去・現在・そして未来のお金(経済)は、全て「トランスポート」と深い相関関係にあると分かった。
実際、トランスポートの進化は文明の進化、引いては経済発展や文明の促進をもたらしてきた。また、過去・現在・未来のあらゆる時制において、トランスポートと無縁の人間もいない。
人間は、率直に言ってトランスポートが大好きなのである。それは、もともとはトランスポートが生存にきわめて有利だったからだ。だからこそ、それを好きな人間「だけ」が生き残ってきた。
かつては、「トランスポートが嫌いな人間」もいただろう。また、今の世でもトランスポートが嫌いな人間はいる。
しかし悲しいかな、そういう人間は長生きできない。従って、子孫も残せない。そうして人間社会は、トランスポートが好きな人間の遺伝子しか残らなかった。おかげ -
[Q&A]心に残るプレゼンのコツは?(2,726字)
2023-06-14 06:00110pt[質問]
埼玉でプールでの水着撮影会が共産党のクレームによって中止に追い込まれました。また、少し毛色は違いますがスシローの醤油ペロペロ少年は6700万円の損害賠償を請求されました。今の世の中は、こうしたキャンセルカルチャーが連日報道され、賑わしています。これらの行き着く先は、どのような社会の形成につながるのでしょうか?
[回答]
キャンセルカルチャーはSNS、特にTwitterと深い関係があるように思います。Twitterこそ、キャンセルカルチャーを盛り上げている源です。
そのため、Twitterが廃れれば、キャンセルカルチャーも廃れると思います。そしてTwitterは、すでに廃れつつあるように思います。
というのも、これはぼくが言うのはなんですが、子供の頃から今に至るまで、ぼくが好きなものは流行り、嫌いなものは廃れるんです。それで、Twitterも嫌いになったので、もはや終幕は近いのかな -
アーティストとして生きるには:その9(1,730字)
2023-06-13 06:00110pt人間は面白い生き物だ。「意識」というものが他の動物より発達している。そして人間の大きな特徴の一つは、この意識の発達により、動物にとってとても重要な「無意識」が後景化されてしまった。無意識が隠されてしまっている。ほとんどの人が、無意識を意識できない。このことが、矛盾していて面白い。
人間の無意識も、他の動物と同じで重要であり、また支配的である。実際、人間の活動時間の約7割は依然として無意識状態だという。寝ている時間も含めると、その割合はもっと増える。1日の中で、意識があるのはほんの3、4時間である。あとのほとんどの時間は無意識なのだ。
それにもかかわらず、人間は無意識を意識できない。例えばトイレに行くとき、人間はほとんど無意識である。「どのようにトイレに行こう?」とか、「どのように用を足そう?」などとは考えない。何も考えず、ただ無意識にトイレへと行き、用を足している。
それは、無意識であるが -
石原莞爾と東條英機:その2(1,692字)
2023-06-12 06:00110pt石原莞爾は1889年、明治22年の生まれである。一方の東條英機は、1884年、明治17年の生まれである。二人は5歳違う。
東條英機は東京で生まれた。父が軍人で東京に勤めていたからだ。
英機の父は東條英教といい、1855年生まれである。1855年は明治維新の13年前であり、つまりは江戸時代の人だ。
英機の父・英教は、陸奥盛岡藩藩士、東條英俊の嫡男として、東京の大久保に生まれた。父・英俊が江戸詰をしていたからだ。そして、前述のように13歳で明治維新があり、そこから戊辰戦争が始まる。盛岡藩は幕府側につき、奥羽越列藩同盟を結んで抗戦するのだが、すぐに敗れ、世の中は明治になった。
そして、この奥羽越列藩同盟に「庄内藩」も参加している。庄内の中心は鶴岡で、つまりは石原莞爾の出身地だ。
そんなふうに、東條英機と石原莞爾の父は共に、子供時代に戊辰戦争を体験している。そこで敗者になり、藩を潰されるという屈辱 -
庭について:その33(1,719字)
2023-06-09 06:00110ptウィリアム・ロビンソンは植物園的な「異様に手のかかった庭」に異を唱え、「手間がかからず、自然なままでも美しい庭」を推奨した。彼はそれを『ワイルド・ガーデン」と名づけ、そのままのタイトルで1870年に本も出した。
するとこれが大ヒットし、イギリス中でワイルドガーデンブーム、あるいは手間を掛けない庭造り=ナチュラルガーデンブームを巻き起こした。現代でも、イギリスをはじめ世界中でナチュラルガーデンは人気だが、その原型はロビンソンが造ったのだ。
ロビンソンは、本の大ヒットを受け翌1871年、雑誌「ザ・ガーデン」を発刊すると、こちらも大ヒットさせる。さらに、これらの収益から得たお金を元に1884年、ロンドンから南に50kmほど行ったところの郊外に、広大な庭を備えたお屋敷「グレイブタイ・マナー」を購入する。
そうして、ここにさまざまな植物を植えていくことで、自身が提唱するワイルドガーデンの実験場として -
お金にまつわる思考実験:その32(1,565字)
2023-06-08 06:00110ptここまで長々「道」について書いてきたが、そもそもぼくが「道」を意識したのはトヨタの動画を見たことがきっかけだ。トヨタ公式のYouTubeチャンネルで、「ウーブンシティでスマート道路を開発している」ということを知り、興味を持ったのだ。
その当該動画は、香川照之氏がナビゲーターを勤めていたため、残念ながら今は氏のスキャンダルにより閲覧できなくなっている。が、ウーブンシティ全体の動画なら、こちらが非常に見応えがある。
【Woven City着工取材】Woven Planet 日本橋技術開発編 フルバージョン | トヨタイムズ
これを見ても、トヨタが今、どれほど「道」あるいは「移動」に開発の比重を傾けているかが分かる。もはや鮮明に「脱自動車会社」のイメージを打ち出しており、次世代の移動スキームのみならず、さらに先の変化を自ら作り出そうとしているのだ。
しかも、その作り方が面白く、なんとトヨタ伝統の -
[Q&A]『アンチマン』についてどう思うか?(2,178字)
2023-06-07 06:00110pt[質問]
真面目な人を装って仕事をしていると、時々「本当はそうじゃないんだー!」と思うことがあります。まあ、多くの人はそう思っているのかもしれません。でも、それほどでもないかもしれません。自分は我慢しているつもりでも、そういう心の叫びみたいなものは、漏れ出ているのかもしれません。その人の行動と自己認識のズレというのは、どういう形で表出されているのでしょう?
[回答]
それこそ「病気」となって表出されると思います。特に「癌」という病気は、そういう心の叫びを上げられない人がなる病気ではないかと考えています。
ただ、心の叫びを上げられるかどうかというのは、端から見ているだけではなかなか判別が難しいかと思います。ぼくの先輩の吉野さんも癌で亡くなりましたが、多くの人が一見、吉野さんのことを「豪放磊落な自由人だ」と誤解していました。そして、吉野さん自身も、自分は自由な人間だと勘違いしていたのです。
し -
アーティストとして生きるには:その8(1,760字)
2023-06-06 06:00110pt前回は『ギンギラギンにさりげなく』について書くとお伝えしたが、ここ一週間この曲を『ハイティーン・ブギ』と聞き比べてみて、あらためて後者の破壊力が凄まじいと思わされた。なので、今回はまずそのことからお伝えしたい。
『ハイティーン・ブギ』は、貧困なイメージのチャンピオンだ。貧困なイメージ界の金字塔――とも呼ぶべき存在である。
特に歌詞がいい。作詞者は松本隆である。松本隆は言わずと知れた日本作詞界の巨匠かつ生きる伝説である。書いた名曲は数知れず、そこには『木綿のハンカチーフ』など紛う方なき芸術作品も含まれている。
その一方で、『ハイティーン・ブギ』のように極限まで通俗に振り切った下品な歌詞も書いている。これはすごいことだと思った。しかしよくよく考えてみると、同じ作詞界の巨匠である阿久悠や秋元康も、やはり高尚と低俗との反復運動が凄まじい。こうしてみると、日本の歌謡曲――取り分けその作詞は、貧困なイ -
石原莞爾と東條英機:その1(1,692字)
2023-06-05 06:00110pt石原莞爾と東條英機は面白い。そもそも昭和の帝国陸軍は知ると本当に面白いのだが、なにしろ日本は戦争に負けてしまったため、彼らのことは歴史として素直に語れないところがある。おかげで、よっぽどの国粋主義者や歴史オタクでないと、なかなか石原莞爾や東條英機について知らない。また、知っていても偏った価値観を持っていて、ニュートラルに見られない場合が多い。取り分け、彼らの人間性について考察する人は少ない。
そこでこの連載は、石原莞爾と東條英機はどのような人物だったのか、ということを考察してみたい。また、犬猿の仲だった二人の関係についても考察する。なにしろ、東條英機は石原莞爾を陸軍から追い出した張本人だし、一方の石原莞爾は、一度は東條英機暗殺計画にも加担しているのである。
ただ、確かに仲は悪かったが、分かりやすい喧嘩をしていたわけではない。年下の石原が一方的に東條を侮蔑して、東條はただそれに対して正当に怒
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