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建築の学び方:その37(1,804字)

19世紀の後半から製鉄の技術が格段にアップした。そうした中で鉄骨による建築が作られるようになった。

そのとき、建築史に残る重要な出来事が起こる。1889年のパリ万博で、エッフェル塔が作られるのだ。

この塔は、フランスの「技術力」をアピールする目的で作られたので、建築家ではなく技術者が席巻した。その技術者の名こそギュスターヴ・エッフェルである。

エッフェル塔はあくまでも「技術的な建築」なので、建築家が建てるものではなかった。この頃の建築家は、装飾がメインだった。というのも、建築の技術は石積みしかないので、装飾以外にすることがなかったからだ。

そんなふうに技術者が作ったエッフェル塔は、建った後に建築家から酷評を受ける。「こんな醜いものがパリに建ったとは芸術の都の名折れだ」と、いわゆる炎上状態になる。

ところが、それは主に建築家や旧来からの芸術家が言っていたことで、市民の反応はまるで違
1943年9月、日本は戦況が悪くなってあらためて防御を固める必要が出てきた。特にアメリカの本土空襲に備えなければならなかった。

しかしこれは至難の業だった。なぜなら飛行機は文字通り四方八方から飛んでくることができるからだ。

当時の飛行機の航行距離は短かったので、アメリカ本土から飛んでくることこそなかったが、太平洋に点在する様々な島々から飛んでくる危険性があった。そしてその島々は広大な地域にまたがっていた。

ここに「太平洋戦争」の難しさがあった。日本とアメリカは国土を接しているわけではない。太平洋という地球で最も大きな海を挟んで向かい合っている。だから本来ならば「海戦」がメインになるはずだったが、当時の急速な技術の進歩で、主役は完全に飛行機に移り変わっていた。

そのため「戦艦」というものが時代遅れになっていた。それよりも「空母」が求められた。空母とは、その上から飛行機を離発着できる船
池田高校は日和佐高校にあっさりと負けた。これに監督の蔦文也は激怒した。

ところで「怒り」は、罪悪感や後ろめたさを隠すための防衛本能から来る場合もあるという。人は「自分が悪い」「申し訳ない」と思っているとき、それを自分自身に隠すため、かえって怒りを爆発させることがある。そういう経験は誰にもあるだろう。

このときの文也の激怒も、そうした防御反応からだった。文也は、自分の非を認められないから、防御本能で生徒たちを責めたのだ。

では、文也の後ろめたさとは何か? 彼は何を生徒たちに「申し訳ない」と思っていたのか?

それは自分の勝負弱さである。あるいは人間としての弱さだ。文也は常に、それをコンプレックスとして抱えていた。そして、それとどう向き合うかということについて悩みながら、56歳になるこの年まで生きてきた。

文也の弱さとは何か?

それは、いざというときに舞い上がってしまうことだ。自分を
ハックルベリーに会いに行く

『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。

著者イメージ

岩崎夏海

1968年生まれ。男性。本名同じ。東京都日野市出身。東京芸術大学美術学部建築科卒。 秋元康氏に師事し、放送作家や秋元氏のアシスタントとして17年間働き、AKB48にも関わる。独立後、『もしドラ』を著し41歳で作家に。 ブロマガのタイトルは、大好きなザ・ブルーハーツの「1000のバイオリン」より。

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