-
石原莞爾と東條英機:その78(1,676字)
「出る杭は打たれる」という言葉が昔からある。意味は、日本人は能力の高い人間をよってたかって潰そうとする村社会、という意味だ。従ってイノベーションが生まれにくい。しかし同時に「出過ぎる杭は打たれない」という言葉がいつの頃からかあった。最近ではイチローがこの言葉を使っていたが、日本人というのは不思議なもので、あるところまでは能力者を抑えにかかるが、それを超えると今度はとたんに持ち上げ始める。これは実は昔から日本にあった。近代以前の江戸時代でも、たとえ身分は低くても能力さえあれば重用するという文化はずっとあった。なにしろ幕末の主役たちは皆身分が低かった。西郷隆盛も勝海舟も、武士といえば武士だがほとんど町人と変わらないような身分だった。彼らを島津斉彬や徳川慶喜といった、封建社会におけるトップ中のトップが引き上げたのだ。西郷も勝も「出る杭」だった。だから若い頃はさんざん打たれている。福澤諭吉や -
野球道とは負けることと見つけたり:その20(1,879字)
蔦文也は長い間甲子園に出られなかった。その中で、次第に自分はもちろん周囲にも、文也のある種の「限界」というものが見えてきた。それは精神的なもので、「諦めが早い」ということと「失敗を恐れる」ということであった。文也は、これまでの幾多の経験の中で、失敗は人間にとって必要不可欠なもので、それこそが人格を形成すると考えていた。だからだいじなのは「失敗すること」ではなく、「失敗から学び、再び立ち上がること」だと分かっていた。それでいながら文也は、失敗を何より恐れた。これはもはや本能であって、失敗の構造をいくら理解しようとも直しようがなかった。この矛盾は、周囲が文也の指導力を疑う一番の要因ともなった。普段は落ち着き払って深遠なことを述べるのに、いざ試合で監督をするとなると豹変し、少年の頃のひ弱で怖がりな文也が顔を覗かせるのだ。それは誰より、ベンチで同席している野球部の「部長」が強く感じるところ -
1994:その45(1,931字)
この連載もいよいよ1994年の核心部分に近づきつつある。何度目かの言及になるが、そもそもなぜ1994年をテーマにこの連載を書き始めたかといえば、1995年が時代の大きな転換点だったからだ。そして、その転換点を知るには、転換後の1995年以上に、転換前の1994年を知ることが重要だと思ったからである。1995年は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件も転換の大きなきっかけとなったが、それ以上に大きかったのはWindows95の登場と、それによって広まったインターネットだ。これで一気に世界が刷新された。新たな時代が幕を開けることとなったのだ。そのため1994年は「インターネットがない時代」ということになる。では「インターネットがない時代」がどういうものかといえば、大きくは「近代社会」である。「人口増加時代」であり、「一億総中流社会」だ。あるいは、ジャパン・アズ・ナンバーワン社会、ホワイトカラ
1 / 1068
次へ>