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教育考:その14「器を拡張するということ」(1,831字)
2015-04-16 06:00110pt成長するということは、自分という器の中にさまざまな能力を格納していくことにたとえられる。当然、多くの能力を格納すればそれだけ成長できるわけだが、格納する場所は「器」なので、そこには自ずから容量の限界が存在する。
そして、子供のときの器というものは、その限界が早い――つまりとても容量が少ない。そのため、そこに能力を格納していくと、すぐに満杯になってしまう。容量が全然足りないのだ。そうして、それだけでは生きていくために必要十分な成長を果たせない。
そこで、成長するということの第二フェーズとして「器を広げる」という課題が立ちはだかる。人間が必要十分な能力を有するまでに成長していくためには、「器の能力を増やす」という課題を避けて通ることはできないのだ。
そこで今日は、「ではどうすれば器を広げられるか?」ということについて見ていきたい。
人間がその器を広げるには、一体どうすればいいか?
それにはやは -
[Q&A]嫉妬するくらいの才能を持っている人は誰ですか?(1,066字)
2015-04-15 06:00110pt[質問]
「才能に嫉妬する」という言葉があります。ハックルさんが嫉妬するくらいの才能を持っている方は誰でしょうか? 教えていただければ幸いです。
[回答]
嫉妬はしていないですが、すごい才能の持ち主だと思うのはやっぱり桜井章一さんです。ぼくの心の師匠です。
秋元康さんもすごい才能の持ち主です。ぼくが秋元さんのすごいと思うところは、その「ぶれなさ」です。作っているコンテンツが誰からも受け入れられなくても、けっしてめげることがありません。20年以上近くにいますが、心が折れているところを見たことがありません。これはすごいと思いました。
真島昌利さんの才能もすごいと思います。甲本ヒロトさんもそうですが、ザ・ブルーハーツの歌詞がとにかくすごい。よくこれだけの短い言葉でこれだけいろいろなことの核心を突くことができるな――といつも感心していました。
[質問]
先日、『ゴーン・ガール』を鑑賞した影響もあり -
ライトノベルの書き方:その14「キャラクターの造形方法」(1,755字)
2015-04-14 06:00110ptこれはライトノベルに限らない話なのだが、読者が小説のどこに注目するかというと、まずはなんといっても「ストーリー」である。人はほとんどストーリーに注視して小説を読み進める。
だから、その意味ではシチュエーションもキャラクターも、読者の意識には上ってこない。そしてそれゆえ、シチュエーションやキャラクターはストーリー以上にだいじなのである。なぜなら、読者の無意識に訴えかけるため、ストーリー以上にその小説に対する好き嫌いの感情を決定づけるからだ。
今回は、そんなキャラクターの造形方法について見ていきたい。
といっても、小説のキャラクターには、長い歴史の中で決定づけられた型のようなものがある。そこでまずは、その型から見ていく。
それは、主人公の造形についてである。物語の主人公には、基本的に二つの型しかないといわれている。それは「ハムレット型」と「ドン・キホーテ型」だ。
まず「ハムレット型」だが、これ -
技術の進歩によって逆に技術に浸食されないものの価値が高まる時代(1,870字)
2015-04-13 06:00110pt「映像」というのは古くて新しいメディアである。このメディアの耐用年数は意外に長い。今後、新しいテクノロジーによって浸食される可能性は少ない。いやむしろ、新しいテクノロジーによってますますその価値を高めるのではないだろうか。
今日は、そのことについて書きたい。
最近、映像についてあれこれと考えている。すると、映像というものの「強さ」をつくづく実感する。
映像は、実はその発明初期から未来を悲観されていた。リュミーエル兄弟は、その新奇性が薄れれば誰にも見向きされなくなると考えた。エジソンは、映像は大勢が映画館で見のではなく、個人がキネトスコープで楽しむ趣味的なものになると考えた。
しかし、そうはならなかった。
映像は発明されてから100年経っても飽きられていないし、映画館にもたくさんの人々が押し寄せている。
この100年の間に、映像産業にはいくつかの転機があった。その中でも最も大きかったのはCG -
映画とは何か?(1,805字)
2015-04-10 06:00110pt今日は「映画とは何か?」を考えたい。
中学生のとき、「家族ゲーム」という映画を見た。素晴らしい映画だと思った。
高校生のとき、同じ森田芳光監督の「メイン・テーマ」という映画を見た。ところが、ちっとも素晴らしくなかった。ぼくは「家族ゲーム」が大好きで、主演の薬師丸ひろ子も大好きだったから、「メイン・テーマ」にはすごく期待していた。しかし、結果的に面白くなかった。
このときに、「映画とは難しいものだな」と思った。素晴らしい作品を作った監督と素晴らしい役者が組んでも、必ずしも素晴らしい映画になるとは限らないのだ。
しかしながら、この世には名作を連発する監督がいる。黒澤明やスタンリー・キューブリックがその代表格だ。宮崎駿や小津安二郎もそうだろう。クエンティン・タランティーノもかなり外れのない監督である。一時期のロバート・ゼメキスもすごかった。
では、そういう監督に共通するものは何か?
そこに、「映 -
教育考:その13「成長の概念」(1,711字)
2015-04-09 06:00110pt「成長」というのは、問題解決能力を身につけることと等しい。
では、どうすれば問題解決能力を身につけられるのか?
今日は、そのことについて見ていきたい。
ところで、「問題解決能力を身につける」というのは、その前提として「問題解決能力がまだ身についてない」ということである。そうして「問題を解決できない」ということである。つまり、問題解決能力を身につける時点で、無から有への転換が図られる。
では、無から有への転換が図られるというのは、どういう状態か?
というのは、そもそも人間は「有」である。生まれたての赤ん坊でも、いくばくかの能力がないわけではない。長所だって少なからずある。
例えば、赤ん坊には「かわいい」という長所がある。「守ってあげたいと思わせる」のも大きな長所だ。そういう長所があるからこそ、赤ん坊は生きていける。「かわいい」とか「守ってあげたい」という長所を活かして、親からミルク得ている。 -
[Q&A]悔しさを持続するにはどうすればいいか?(1,810字)
2015-04-08 06:00110pt[質問]
僕の中学、高校時代は死を意識するぐらい暗黒時代でそれを乗り越えたのは人生への反骨心とミスチルが好きなんで、いつか会って仕事とかできたらという気持ちがあったからなんですが、しかし時が流れるに連れてその気持ちが弱くなったり風化していくのも否めません。ハックルさんは過去の自分の思いを汲んであげたい際、持続性をどう保っていますか?
[回答]
ぼくは過去についてはほとんど考えないので、その思いを汲む、という気持ちもありません。ただ、過去に味わった悔しさは持続していて、その悔しさがいろんなことをするバネになっていますね。
ではなぜ悔しさが持続するのか?
それは、執念深いといったらそれまでなんですが、それ以上に、「正しい」ということに対してのこだわりが捨てきれないのかと思います。
ぼくが悔しい思いをしたのは、自分がバカにされたというよりも、ぼくの信じる「正しさ」がバカにされたから……という理由 -
ライトノベルの書き方:その13「シチュエーションの構築法(後編)」(1,764字)
2015-04-07 06:00110ptシチュエーションを考えるときに、描きたい「絵」を思い浮かべる――というのはとても有効な方法だ。では、その「絵」はどう思い浮かべればいいのか?
今回は、そのことについて書いてみたい。
答えからいえば、それは「実際の風景を見る」ということである。ただし、その前提として「風景への感度」を高めておく必要がある。風景への感度を高めた上で、実際の風景を見る。そうして、その「絵」を記憶しておく。すると、いざというときその絵が思い浮かぶので、シーンが描けるというわけである。
例えば、「もしドラ」の表紙がある。あの表紙は、ぼくが思い浮かべた「絵」を元に描かれている。ああいうふうに描いてくださいと、イラストレーターの方にお願いした。
では、あの絵はどうやって思い浮かべたのか?
一つは、小学校時代の記憶による。
小学校時代、ぼくは多摩川の支流の浅川という小さな川が流れる近くに住んでいて、よく遊びに行っていた。そ -
コンテンツのトレンドを読み解く(1,577字)
2015-04-06 06:00110pt「SHIROBAKO」というアニメを途中からだが見ていた。大変話題になっていたからだ。ぼくの近くの人をはじめとして、多くの人が見て、また多くの人が話題にしていた。それで、ぼくも興味を引かれた。見ないわけにはいかなくなった。
そうして見たところ、とても面白かった。これなら話題になるわけだ――ということも腑に落ちた。
では、なぜ「SHIROBAKO」は話題になったのか?
今日は、そのことについて書いてみたい。
今、あらゆるコンテンツを襲っている大きなムーブメントがある。それは、「コンテンツはいかに作られるか?」――その内幕を多くの人が知りたがっているというものだ。みんな、「クリエイション」の話を聞きたいのである。
ではなぜクリエイションの話を聞きたいのか?
それは、現代で最も先鋭的な環境で生きている人がクリエイターだからだろう。それで、彼らが絵になるのである。情報として興味深いのだ。面白いので -
自主制作映画を作った(2,006字)
2015-04-03 06:00110pt自主制作映画を作った。タイトルは「小劇場のボクサーたち」。時間は56分の中編だ。これは、「PFFアワード2015」というコンペティションに提出したので、しばらく公開することができない。
PFFアワード2015作品募集
今回、映画を作ったことによって、映画のことをより深く考えられるようになった。具体的には、「映画とは何か?」ということを考えるようになった。
そこで今日は、「映画とは何か?」ということについて書いてみたい。
映画を作って分かったのは、映画を作るということは、作っているあらゆる瞬間に「映画とは何か?」という問いを突きつけられるようなものだ――ということだ。そして、映画を作るという行為は、あらゆる瞬間に「これが映画です」という答えを出していく――というものなのだ。
脚本を書くとき、撮影をするとき、編集をするとき、常に「どうすれば映画になるか?」という問いがある。そして、そのあらゆる
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