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トヨタ生産方式的に人生のボトルネックを見つける(1,921字)
2021-12-17 06:00110ptトヨタ生産方式のことを書いていたら、たまたまトヨタがEVの新ラインアップを発表して話題になっていた。
トヨタ 電気自動車の販売で新目標 2030年に世界で350万台
これでトヨタはEV戦争の参戦になんとか間に合った格好となったが、よくイノベーションのジレンマを克服できたと思う。今頃、社内には仕事がなくなる人の阿鼻叫喚が渦巻いているだろう。
ただ、実行できたのはテスラのおかげといえよう。2020年にテスラの株が爆上がりし、トヨタは時価総額で追い抜かれた。これが皮肉にもEV化への追い風となった。社内のEVに反対する勢力の声を弱めることができ、EVシフトを加速できた。
そもそも、トヨタように企業を民主的、合議的に経営するとなかなか上手くいかない。それは、無用となる技術に専任している大量の社員と折り合いをつけられないからだ。
このことは、ドラッカーも明言している。「良いマネジメントは必ずしも民主的 -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その35(1,818字)
2021-12-16 06:00110ptマンガの特性として、「人間の奥底に眠るとんでもないもの」が表現できる(表現しやすい)ということがある。マンガは、だからこそジャンルとしてヒットしたのではないか。人は、とんでもないものを見たいという欲求をいつでも抱えている。それを満たしてくれるのがマンガなのだ。
では、人間の奥底に眠るとんでもないものとは何か? その一番分かりやすい例が、宮崎駿の描いたマンガ版『風の谷のナウシカ』だろう。これは、1982年から描き始められ1994年に完結した。その意味で、この連載のテーマともぴったり重なるのだが、宮崎駿の奥底に眠っていたとんでもないものを見せてくれる作品だ。
『ナウシカ考』という本がある。
ナウシカ考 風の谷の黙示録
赤坂憲雄さんという民俗学者が、『風の谷のナウシカ』を一種の民話として――つまり人間の奥底に眠るとんでもないものの集積の一種として読み解いた解説本だ。
岡田斗司夫さんが、マンガ版 -
[Q&A]死をどのようにとらえているか?(2,260字)
2021-12-15 06:00110pt[質問]
障害者アートについて関心を持つ者です。すごくいいと思う作品があります。しかし、作家のスタイルはあまり変化しないという側面もあります。その表現スタイルは、その人らしいオリジナルであるとも思うし、そのスタイルによってその人は守られている気もします。障害者アートについてハックルさんはどのように思われているか、よかったら聞かせて下さい。
[回答]
スタイルが共通するのは、同じ(あるいは同じ考えの)指導者がいて、そういう方向へ誘導しているからでしょうね。障害者といってもさまざまいますが、彼らが始めやすく、かつ見栄えが良くなるというスタイルがあるのです。そういうスタイルが一定の評価を得るという価値観が醸成されているので、「障害者アート」というカテゴリーが成立しているのでしょう。買う方も、「これを障害者が作ったのか」という目で見ると価値を感じられるので、評価しているということもあると思います。 -
生きるとは何か?:その14(1,593字)
2021-12-14 06:00110pt1『アンナ・カレーニナ』という小説は、名前だけなら多くの人が知っているだろう。またトルストイという作家の名も、誰もが聞いたことがあるはずだ。文学史に燦然と輝く巨星、ロシアの文豪トルストイ。その代表作ともいえる傑作が『アンナ・カレーニナ』なのだが、残念ながらこれを読んだことのある人はきわめて少数だ。
しかしながら、今でも日本語訳が発売されているし、読もうと思えば誰でも読める。長いことは長いが、内容そのものは難しくなく、むしろ単純に面白い。
そんな『アンナ・カレーニナ』の2人の主人公、アンナとリョーヴィンが読者に暗示するものは、複雑ながらもシンプルな教訓である。それは、「非人間的な生活を送ると非業の死を遂げるが、人間的な生活を送ると幸せを得る」というものである。
これは、小学生でも受け取れるようなメッセージだが、しかし的を得ていると思う。『アンナ・カレーニナ』における2人の主人公の行く末は、この -
好きなことを見つける方法:その27(2,160字)
2021-12-13 06:00110pt2そもそも、この「好きなことを見つける方法」という連載を始めたのは、世の中に「好きなことが何か分からない」という人が多かったからだ。特に、日本の若者にそういう人が多い。だからそれは、日本の文化に紐付いたものだと考えることができよう。
ではなぜ、日本の若者は好きなことが見つけられないのか?
それは、そういう環境の中で生きているからだ。あるいは、そういう教育を受けてきたからだ。親や学校から、好きなものが見つからないよう指導されてきた。
では、どのような指導を受けたのか?
そうした指導には、大きく二つの方法があった。
一つは、恐怖心を植えつける方法。
子供に、感情を出すことを怖がらせた。そうして、感情を出させないようにした。感情を出せないと、好きなことも見つからない。だから、好きなことが見つからなくなったのだ。
大人たちは、特に学校で、子供たちに感情を出させないようにした。今、学校で感情的になると -
トヨタ生産方式の「自働化」とは何か?(1,690字)
2021-12-10 06:00110ptトヨタは、「機械工業のボトルネック」に早くから気がついていた。それは、「人が機械のケアをしなければならないこと」だ。
機械は、必ずしも「全自動」ではない。見張っていないといけない。それは全自動ではない洗濯機のようなものだ。ボタンを押したら洗い上がる――というのではなく、いちいち洗いボタン、すすぎボタン、脱水ボタンを押したりしなければならない昔の洗濯機のようなものだ。
そういう面倒な工作機械が、昔は当たり前だった。そして、そういう工作機械には人がついていなければならなかった。なぜなら、ミスがあるとすぐに機械を止めなければならないからだ。ミスした状態のまま機械を稼働し続けていると、間違った製品をたくさん作ることになり、それは大いなる無駄になる。その無駄を防ぐために、人間が見張っていなければならなかった。
そのため、20世紀からしばらくは、人間の仕事は「機械を見張ること」だった。今でも、駅員は電 -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その34(2,563字)
2021-12-09 06:00110pt浦沢直樹はなぜ面白くないのか?
これは非常に難しい設問である。なぜなら、浦沢直樹を「面白くない」と思う自分がいる一方、「面白い」と思う自分もまたいるからだ。
浦沢直樹の代表作の一つ、『MONSTER』が1994年にビッグコミックオリジナルで連載が始まったとき、ぼくは雑誌から読んでいたのだが、「これは凄い作品だ」と興奮したことを覚えている。当時のぼくはもう働いており、マンガへの関心は以前ほどにはなかったが、それでもこの作品はビッグコミックオリジナルを買うといの一番に読むようになった。当時粒ぞろいだった同誌の中でも、ダントツに面白かったからだ。
しかし、話が中盤を過ぎた辺りから、次第に面白くなくなっていく。ぼくの興味とは別の方向へ、話の筋が向かうからだ。
筋は、犯人の「内面」に迫っていく。それが、ぼくにはどうでも良くて、徐々に興味を失っていった。
この徐々に興味を失っていく感覚を、当時のぼくは -
[Q&A]日本人の賃金が上がらない理由は?(2,392字)
2021-12-08 06:00110pt[質問]
日本漢字能力検定協会が毎年「今年の漢字」というのを発表しています。ちなみに去年は「密」、一昨年は「令」でした。ハックルさんだったら今年の漢字を何にされますか?
[回答]
「粛」ですかね。今年の日本人はとにかく「粛」を求められたように感じます。そういえば、去年に比べてネットの炎上は減ったように思いますね。バカッターも最近はなりを潜めている印象です。これも粛が影響しているのではないでしょうか。
[質問]
現代において結婚するメリットは何でしょうか?
[回答]
思いつくままに挙げていきます。
まずは世間体がいいこと。ステータスになることですね。
それから安定したセックスの相手が得られるということもありますが、最近はセックスレスも増えているので当てはまらないかもしれません。
子供がいるためには結婚した方が法律的にも税制的にも世間体もいいですね。また子供がいると生きることそのものが喜びに変 -
生きるとは何か?:その13(1,713字)
2021-12-07 06:00110ptそもそも芸術には不思議な力がある。それは未来を予見する力だ。未来を幻視する力である。その時代にはとうてい判明しているはずはなく、また誰も理解できないであろう真理や概念、あるいは価値観を鮮やかにえぐり出す。そういう力が芸術にはある。
例えば『オイディプス王』という戯曲は2400年前くらいに作られたが、それから2300年後の今から100年ほど前に、フロイトが「男の子は母親に、女の子は父親に、奇妙な性的幻想を抱く」という心理状況を発見した。これが『オイディプス王』の内容そのままだったので、この概念の名前を「オイディプス・コンプレックス」と名づけた。いわゆるエディプス・コンプレックスのことだ。今の言葉でマザコンのことである。
今から140年前くらいに書かれた『ハックルベリー・フィンの冒険』という小説の中にも、まだ白人が黒人を差別することが当たり前だった時代に、白人と黒人の「同質性」が描かれている。 -
好きなことを見つける方法:その26(2,087字)
2021-12-06 06:00110pt『ゴッドファーザー』という映画を見て、ぼくは感情の取り戻し方が分かった。この映画に出てくるビトー・コルレオーネの生き方は、ぼく自身の生き方のモデルになった。以降は、この生き方を真似ることで、ぼくは自分自身の得を追求できるようになり、感情的に生きられるようになった。
では、ビトー・コルレオーネの生き方とはどのようなものか?
その根底には、美への揺るぎない信仰がある。「美」というのは、この世における絶対的な美だ。「善性」と言い換えてもいい。
ビトーはキリスト教なので、「真善美」の価値を信じている。そういう疑いのない信仰心こそが、人に感情を取り戻させ、自分の得をまっすぐに追求できるようにさせるのだ。
ビトーは、子供のときに父親を殺された。シチリア島のコルレオーネという村に住んでいたのだが、父が非道を行うマフィアのボスに反抗したところ、その報復として殺されてしまったのだ。
つまり父は、自分の真善美
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