• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 22件
  • 劣化する人:その19(1,703字)

    2024-04-16 06:00  
    110pt
    劣化する人が問題になるのは、格差社会の拡大につながるからだ。
    ぼくは、今の最大の社会問題は「格差」だと考える。そしてぼくは、たいていの社会問題は容認できるが、格差についてだけは、なかなか容認できない。だから、これを是正するに越したことはない――と考えている。
    そうして、ぼくを含めた今を生きる全ての人にとって、「格差是正に取り組むこと」こそ、最大の社会貢献だと考える。また、人は社会貢献をしないと生きていけない。だから、格差是正は、もはや現代を生きる人にとって「義務」といってもいいだろう。
    そうなったとき、我々は何をすべきか? 格差是正の一番の方法は何か?
    それは、格差上位の者が、格差下位の者に正道を「教える」ということである。まず、彼らの誤りを正してやることだ。
    その際、知的能力のない人は、ほとんど問題がない。誤りを教えればその通り、改正してくれるからだ。
    逆に問題となるのが「若いときには知

    記事を読む»

  • 石原莞爾と東條英機:その44(2,107字)

    2024-04-15 06:00  
    110pt
    石原莞爾はスイスから帰国した直後、仙台の歩兵第四連隊長に着任する。これは、心身の疲れから引退を申し出た石原を引きとどめるため、陸軍上層部が用意したポストだった。石原の故郷である山形に近い地で、石原の好きな歩兵たちとの仕事だ。そこで心身の疲れを癒してほしいという狙いがあった。
    ここから分かるのは、このときの陸軍上層部は石原に対して破格の扱いをしていたということだ。それは、満州事変の成功を評価してのものだ。満州事変と満州国の成立は、陸軍としても強く望んでいた、心から嬉しいできごとだった。それを主導してくれた石原に対する感謝の気持ちもあって、この人事になった。
    また、陸軍上層部は石原の「好み」もよく分かっていた。普通のエリートなら田舎の連隊長など絶対に望まない。もし配置されたら、「自分は左遷された」と大いに嘆くところだろう。
    しかし石原は、陸軍に入ってから除隊するまで、一貫して出世を望まなかった

    記事を読む»

  • 庭について:その73(1,728字)

    2024-04-12 06:00  
    110pt
    偕楽園は水戸藩の第九代藩主徳川斉昭が、1833年に作ったものだ。つまり、江戸の末期である。
    斉昭は、優秀な政治家であり、またカリスマ性の強い思想家だった。世の中を良くしようと、徳川家の内側からいろんな改革を実行した。ちなみに、徳川最後の将軍徳川慶喜は、彼の実子である。
    斉昭は、気性が激しいことから烈公と呼ばれた。彼は、祖先でもある水戸光圀が創始した水戸学の強く信奉していた。そうしてこれを、日本中に広めた。
    するとそれは、多くの若者に影響を与え、後に明治維新が起こったり、あるいは教育勅語が起こったりすることのバックボーンともなった。その意味で、斉昭は日本近代化の陰のキーマンともいえる。
    「水戸学」とは、端的にいうと「日本主義」だ。日本という「国(国体)」がとても重要で、何ごともこれを中心に考えなければならない――そういう思想である。
    これの最大の特徴は、日本という存在を徳川や天皇よりも上に置

    記事を読む»

  • 1994:その11(1,790字)

    2024-04-11 06:00  
    110pt
    1994年の男女関係、男女交際はどうだったのか?
    男女の恋愛が大きく変化し始めたのは1980年代に入ってからで、柳沢きみおの『翔んだカップル』に、その傾向が象徴的に見られる。若者が恋愛に悩み、新たな形を模索し始めたのだ。
    それまでの恋愛は、面白いことに型が決まっていた。だから、新たな形を模索するということがなかった。決められた形の中で、どう上手くこなすかという勝負だった。
    『愛と誠』というマンガがあるが、これがまさに人々の間に共有されている理想とされた型をとことん追求するという話だった。
    ただし、この頃からすでに型の崩壊の予兆はあった。それが崩壊しかかり、風前の灯火だからこそ、惜しみ、残そうとする気持ちが、人々の間にあった。
    だから、それを愚直に追求する『愛と誠』がヒットしたのだ。この作品は、1973年から1976年まで連載されている。まさに「70年代」を代表する作品だ。それに対して『翔ん

    記事を読む»

  • [Q&A]なぜSNSへの不適切な投稿で仕事をクビになったりする人がいるのでしょうか?(1,830字)

    2024-04-10 06:00  
    110pt
    [質問]
    教員をやっています。3名で担当する授業があり、3年目にして意見の違いがだんだん出てくるようになりました。統一した方法性は取りづらい芸術系の科目なので、仕方がありません。美術や音楽や身体表現を総合的に表現する科目なのです。それぞれの専門性が違うので、自分の専門に触れる領域に入ると、この表現は許せない、というものが出てきやすいのです。
    しかし、意見の違いとは別の人の授業批判につながる要素を持っているので、そう穏やかではありません。意見が食い違うと言うのは、それぞれが自分の意見を言えるという意味ではいいのでしょうが、この3人には、誰かが中心になって進めていくリーダーがいません。対等に意見を言わないと進められない、ストレスを誰かが溜める、ということになるからです。
    ハックルさんは、複数名で進めていくプロジェクトについてどのようなお考えをお持ちでしょうか? 教えて下さい。
    [回答]
    ぼくは

    記事を読む»

  • 劣化する人:その18(1,691字)

    2024-04-09 06:00  
    110pt
    数年前、ぼくの知人の「劣化する人(劣化した人)」が本当に亡くなってしまった。死因は明らかにされなかったが、おそらく自殺だったと思う。そのときぼくは、その劣化した人が助かる道――自殺しなかった道――はなかったのかと考えてみた。
    しかし、結論としては「なかった」というものになった。その人は自殺するしかなかった。なぜかというと、アドバイスを全く受け付けないからだ。自分を変えようとしない。
    そういう「自分を変えない人」の最大の特徴は、「人当たりがソフト」ということだ。人から何かを言われても、やんわりといなすことができる。
    だから人と衝突しない。おかげで、自分を変えることができないのだ。
    皮肉なことに、コミュニケーション能力が高いゆえ、劣化してしまう。人当たりが良すぎて、自分の深刻な問題を誰もアドバイスしてくれなくなる。
    そう考えると、「劣化する人」というのは概ね人当たりが良く、コミュニケーション能

    記事を読む»

  • 石原莞爾と東條英機:その43(1,568字)

    2024-04-08 06:00  
    110pt
    石原莞爾は事変がなった後、満州での参謀の職を解かれ、日本に戻される。このとき、事変において上司に無断で自らが兵を動かした責任を取り、陸軍の除隊を申し入れる。が、慰留された上に大佐に昇進までさせられて、踏みとどまった。
    このことで分かるのは、石原は満州事変がなった瞬間から、それに必ずしも満足してはいなかったということだ。特に事変がなった直後、さまざまな政治勢力が介入し、混沌とした状況に陥った。だから石原自身は、それを計画・実行した首謀者とはいえ、離れられて少しホッとしたところがあったろう。
    この後、石原は事変をよく知る者として、松岡洋右全権に随伴して国際連盟が行われたスイスのジュネーブまで行く。ただし、このとき日本の方針はすでに陸軍上層部や政府などによって決定していたため、石原の意見が求められることは一度もなかった。
    おかけで石原も、同行はしたものの会議そのものには関心を示さず、もっぱら自分

    記事を読む»

  • 庭について:その72(1,748字)

    2024-04-05 06:00  
    110pt
    岡山の後楽園は、実によくできている。
    まず「物語」がある。昔は戦争のために作られたお堀が、平和になって必要なくなった。そこで放水路を新たに作って水量を減らし、湿地を使える場所にした。
    その大規模干拓工事の際に、ついでに庭を造ろうということになった。それは、干拓工事の記念でもあるが、同時に江戸時代の新しい戦い――すなわち「武」ではなく「美」の戦い――に舵を切るということでもあった。
    また、庭造りは池田綱政の趣味でもあった。そこで遊ぶのが最大の目的だが、同時に接待の道具にもなった。訪問客に、自分の権力や審美眼、デザインセンスを誇示する芸術作品だ。
    そんなふうに、後楽園の来歴にはいくつもの目的があった。それらが折り重なることによって、魅力的な物語を紡いでいるのだ。
    その池田綱政には、良きパートナーがいた。ここまで見てきたように、西洋のすぐれた庭も、たいていが趣味人の貴族が優秀な庭師との共同作業で

    記事を読む»

  • 1994:その10(1,721字)

    2024-04-04 06:00  
    110pt
    2024年の今年、株高になったが「庶民にはその実感がない」ということが話題となった。これと同じで、1994年当時、バブルはすでに崩壊していたが、庶民はまだそれを実感していなかった。
    それを実感――いや「痛感」するのは、1998年になってからだ。長銀や山一証券が破綻して、給料の目減り――というより「増えなさ」が顕著になっていく。ハンバーガーや牛丼の値段が際限なく下がりはじめ、本格的なデフレ社会へと突入していくのがこの辺りだ。
    そのため、1994年はまだまだ世の中は明るかった。バブルはとっくの昔に弾けていたが、庶民にその実感はゼロだった。
    おかげで、むしろバブルの延長戦ともいえるような文化が最後の一花を咲かせていた。1995年には阪神淡路大震災とオウム真理教事件によってその花も枯れてしまうので、燃え尽きる直前の線香花火のように、束の間パッと明るくなったのが1994年だった。
    話を80年代に戻す

    記事を読む»

  • [Q&A]『百年の孤独』の文庫化についてどう思うか?(1,480字)

    2024-04-03 06:00  
    110pt
    [質問]
    最近、ハックルさんが読んで面白かった歴史関連の書籍や作家があれば教えていただけないでしょうか? 私の方は半藤一利さん、みなもと太郎さんが亡くなる中、その御二人が影響を受けたと思われる「吉村昭」という作家が書いた本を読んでいます。
    [回答]
    歴史書ではないですが、最近読んで一番面白かった本は『大地の再生』です。
    大地の再生
    この本は、現代において最も重要といえるでしょう。多くの人が読むべきと思います。
    歴史書でいうと、ストレートなものではないですが、『言語はこうして生まれる』でしょうか。
    言語はこうして生まれる
    これを読むことで、ある意味「言語の歴史」が分かります。それはどんな人類史より、ずっと重要で、生きる上での参考になるかと思います。
    [質問]
    『百年の孤独』が文庫化されるそうです。
    ガブリエル・ガルシア=マルケスの歴史的傑作『百年の孤独』文庫版を2024年6月26日に発売決定

    記事を読む»