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  • Vol.148 結城浩/数学文章作法のスケッチ(5)/手書きノートのスナップショット(11)/

    2015-01-27 07:00  
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    Vol.148 結城浩/数学文章作法のスケッチ(5)/手書きノートのスナップショット(11)/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年1月27日 Vol.148
    はじめに
    おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
     * * *
    結城は最近「数学ガールの秘密ノート」シリーズの第五弾、
     『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』
    の執筆が山場を迎えています。
    本来は昨年末に脱稿予定だったのですが、 体調のトラブルも含めていろいろあったので、 大幅に遅れています。現在は今月末を一区切りとすべく、 がんばって書いており、第4章を仕上げようとしているところ。
    この第五弾は今年の春に出版になる予定です。 ぜひ応援くださいね。
     * * *
    こんな寓話がある(記憶だけで書いています)。
    「何をしているんですか」と聞かれたとき……
     ・Aさんは「釘を打っています」と答える。  ・Bさんは「建物を作っています」と答える。  ・Cさんは「みんなが集う教会を建てています」と答える。
    という寓話である。 主旨は「作業そのものではなく、その先のビジョンに注目しよう」 ということなのだと思う。
    でも、たとえば本を書くときには、 この三つの粒度を自在に行き来できる必要があるのではないだろうか。
    「何をしているんですか」と聞かれたとき……
     ・あるときは「文章を書いています」と答える。  ・あるときは「第4章を書いています」と答える。  ・あるときは「数学を楽しめる読み物を書いています」と答える。
    という三つの粒度である (もちろん、粒度はさらに細分化することができるけれど、一応)。
    実際、本を書いているときの大半の時間は「文章を書いている」と表現できる。 もうすこし言えば「てにをはを直している」や「句読点を直している」 かもしれない。つまりは、大半の時間「釘を打っている」わけだ。
    でもときどき「建物を作っている」ことを思い出し、全体に目を向けることになる。 個々の文章ではなく、構成を確かめたりする。
    そして、仕事に疲れたときや、いやになったときには、読者さんのことを想像し、 「自分は、数学を楽しめる読み物を書いているんだ」と考えるのだろう。 「みんなが集える教会を建てている」ことを思い出し、 次の釘を打ち始めるのである。
     * * *
    ある雨の朝、森を歩いていた。
    雨の森は静かである。
    傘に当たる雨の音が妙に落ち着く。
    歩く。
    傘に当たる雨の音。
    歩く。
    文章はあわてて書くものではないな。
    急いで書いてもいいけれど、忙しく書くのはよくない。
    ある雨の朝、そんなことを思った。
     * * *
    先日、会計のことで疑問が出たので出版社に尋ねようと思った。 あまりいい加減なメールを出すのはよくないので、 過去のメールを確かめて、必要な情報を整理してからメールしようと考えた。
    ところが、情報を整理しているうちに自己解決してしまった。 「そうだ、そういうことだった。忘れていたよ」 情報を整理するのに少し時間は使ったけれど、 自分の理解も深まったし、他人の時間を不必要に奪わずに済んで良かった。 そんなちょっとした仕事の上でのできごと。
    もちろん、疑問が出て即座に「これどうでしたっけ?」 というメールを送るのが常に悪いわけではない。 結果的にはそれでも時間が掛からないかもしれないし、 あるいは私が考えた「自己解決」がまちがっている可能性だってあるし。
    ネットを使っていると、時間を使わず即座の解決を求めることが多くなる。 そして、すぐに解決できないことへのねばりがなくなってきたかも。 Webサーバから20秒返事が来なかったから調べるのやーめた!みたいに。
    無駄に時間を使うのはよくないけれど、あわてたり、 ねばりがなくなるのもよくないよね。 何か物事をなすにはそれなりの時間がかかる。 何か変化を起こすにもそれなりの時間がかかる。 重いものを動かすのに似ているかもしれない。
    その意味では「時間がどれだけかかるのか」 を見極める能力は大事かもしれないな。 それは、重そうなものを見極める能力ということになる。
    一人で仕事をしていると、たいへんなこともあるけれど、 構成要素が少ない点は楽である。構成要素のほとんどは自分だ。 自分だったら何にどれくらい時間がかかるか。 自分だったらどんな失敗をするか。 そういう知識が増えてくると、仕事の改善もしやすくなる。
    まあ、自分が調子が悪いときには、 全体が調子悪くなってしまうのだけれど。
    うまく調整しつつ、あわてず (でもなまけず)がんばりましょうかね。
     * * *
    さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
    今回は、「数学文章作法」の第三弾の執筆をそのままお届けする、 「数学文章作法のスケッチ(5)」です。今回は、 考えていることを目次の形式にまとめていくことについて。
    また、ひさしぶりに「手書きノートのスナップショット(11)」 もどうぞ。Web連載を書くときにどんなことを考えているのかを、 手書きノートと合わせて解説します。
    どうぞ、お読みください!
    目次
    はじめに
    数学文章作法のスケッチ(5) - 目次を考えながらイメージを広げる
    手書きノートのスナップショット(11)
    おわりに
     
  • Vol.147 結城浩/フロー・ライティング - 熱い気持ち/「数学文章作法のスケッチ(4)/

    2015-01-20 07:00  
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    Vol.147 結城浩/フロー・ライティング - 熱い気持ち/「数学文章作法のスケッチ(4)/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年1月20日 Vol.147
    はじめに
    おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
     * * *
    ある朝、ふとこんなフレーズが閃いた。
     今日のあなたは、  自分史上最高に経験豊かであるとともに、  これから出会う自分の中で最も若々しい。
    なるほど。確かにそうだな、と私は自分で思った。
    今日の自分というものは、過去の自分に比べて一番経験豊か。 そりゃそうだ。 そしてまた、未来の自分に比べたら一番若い。 確かにその通り。
    ふむふむ、なかなか元気が出る発想だな、 と私は思ってTwitterでつぶやいた。 しかし、その直後、私は気付いてしまった。
     今日の自分は、  自分史上最高齢であるとともに、  これから出会う自分の中で最も未熟……
    つまり、さっきのフレーズを逆にして考えたわけですね。 ま、まあ、元気が出るほうのフレーズに注目することにしましょう。
     * * *
    ダイエットの話。
    いや、ダイエットというほどではないのですが。 昨年2014年は、食事に注意し、定期的に運動をしてきました。 「習慣の力」を生かそうとしてきたのです。
    その結果、昨年一年間で、おおよそ5キロ体重が減りました。 体脂肪率も少し減りました。体重が毎月どのように変化したか、 グラフで見てみましょう(実際の数字はさておきます)。

    これはiPhoneのRecStyleというアプリで表示したものです。 このアプリは、週単位、月単位の平均でグラフを描いてくれますし、 毎日指定した時刻に「入力しましょう!」と励ましてくれます。
    週平均・月平均でグラフを描いてくれるのはいい機能だと思います。 毎日測っていると、体重は意外に変化するものです。 そして変化があるとつい一喜一憂してしまいます。 一喜一憂するくらいならいいんですが、 つい「今朝は体重が減っていたから、ちょっと多めに食べよう」 という気の緩みに繋がってしまうのです。 その点、週単位のグラフを使って変化をにらむと、 (なかなか減らないので)気が緩むことが少なくなります。
    体重の記録を取るのは、いつも朝の着替えの時です。 私の生活パターンでは、夜に測ると時刻のバラツキが大きくなってしまうため、 朝に測るようにしています。 もっとも、先ほどのグラフによれば、2014年の9月と10月には記録を忘れていますね。
    グラフを詳しく見てみますと、
     ・最初の一ヶ月の体重は微減し、その後にぐっと下がっている。  ・二ヶ月目と三ヶ月目で効果が見えて手応えあり。  ・六ヶ月目で油断したのかいったん上昇した。  ・でもまた二ヶ月かけて減らしていった。
    そんな流れが見えてきます。 はじめの一ヶ月で嫌にならず、六ヶ月目であきらめず、が良かったのかもしれません。 継続は力なりですね。
    結城が一年やってきたことは単純です。
     ・ご飯・そば・うどん・パスタをあまり食べない。   (まったく食べないと言ったら嘘になるというくらいしか食べない)  ・野菜・果物を中心に食べる。  ・特に野菜はいろんな種類をたっぷり食べる。  ・ドレッシングをかけすぎない。  ・筋トレをしっかり行う。   (さもないと、脂肪ではなく筋肉が減ってしまう)   (また、筋肉を増やすと基礎代謝が高くなる効果もある)
    一年で5キロ減だとそれほどつらくはないし、 身体が軽くなるのも実感できてよいですね。 定期的に体重を測り、自分の体調の変化を見るのは、 一種ゲーム感覚でもあります。 いわゆる「育てゲー」に近い感覚でしょうか。
    そのように考えると、ダイエットでも楽しくできるかも。
    なお、健康や命に関わることなので、 この文章を読んで、自分で何かをやろうとする方は、 自己責任でお願いします。
     * * *
    「数学文章作法」シリーズの話。
    「数学文章作法」シリーズは、 ちくま学芸文庫のアマゾンランキングでずっと上位に入っています。 先日は2位、4位、6位でした。 みなさん応援ありがとうございます。
    「数学文章作法」シリーズは、文章をふだん書いている人の「当たり前」 を書いており、文章を継続的に書く人が当然知っておくべき常識としてお勧めしています。 また、文章を指導する立場の人には、生徒に「このくらいは常識として読みなさい」 という感じに使える副読本としてお勧めしています。
    文章を指導する立場の人には、現在注目している分野固有の内容や、 生徒固有の重要ポイントを教えるところに時間を使っていただきたい、 と思っています。つまり、「読者のことを考える」や、 「適切な言葉を選ぶ」といった基礎体力の部分については、 「数学文章作法を読んでおきなさい」としていただければいいな、と願っています。 リアルタイムで先生が生徒に教えるのは人的・時間的なコストがかかるものですから、 先生の時間を有効活用し、個別指導に力を注いでいただけるようにするため、 拙著をお使いいただければと思っています。
     ◆『数学文章作法 基礎編』  http://mw1.textfile.org/
     ◆『数学文章作法 推敲編』  http://mw2.textfile.org/
    そして、今年はこの第三弾を書こうとしています。 今回の結城メルマガではその執筆のようすを「数学文章作法のスケッチ」として、 読み物にしようとしています。どうぞお楽しみください。
     * * *
    ちょっと真面目な話。
    ネットを見ていて、ふと思ったこと。 ネットを見ていると、二つの矛盾した感慨を抱くことがある。
     ・人は互いに絶対分かり合えない。  ・人は深いレベルで分かり合える。
    この両方の例をときおり見かけるからである。
    相手とほんとうに分かり合えたかどうかを知ることはできない。 直接見ることができる心のサンプル数は1だ。 すなわち、人は自分の心しか見ることができない。 他の人の心は想像することしかできない。 しかも、直接見ることができる自分の心すら、いつもふらふら動いている。
    自分と相手とでは、経験したことも、言葉の使い方も違う。 相手との対話で使える時間も限られている。 しかし、ほんとうに分かり合えたかどうかを知ることはできないけれど、 ときおり「分かり合えたかも?」と感じる瞬間がある。 これは奇跡と言えるかもしれない。
    多くの人は、自分を平均的で標準的な存在と思う(のではないかな)。 よくあるのが「自分が育った家庭」というのが「普通」だと思っていたのに、 他の人と話してみたら違っていてびっくり!というケース。
    多くの人は、自分を多数派だと思う。
     ・自分は話が通じる側  ・自分は常識を持っている側  ・自分は正統派に属している  ・自分は普通である  ・自分がいるのは安全な側
    と考える。でも、よく考えてみると分かる通り、そんな保証はどこにもない。 自分がどちら側にいるのか、 そもそも「どちら側」なんてものがあるかどうかもわからない。
    先日ある方から聞いた話。
     会社で、自分はリストラする側だと思っていた。  でも、ふたを開けてみたら、自分はリストラされる側だった。
    自分は大丈夫と笑っていたら、 ぜんぜん大丈夫じゃなくて、会社の同僚から「かわいそうに」と言われたという。 そのときになって初めて「少数派であることのつらさと孤独」を味わう。
    誰でも、健康を崩すことがある。大失敗することもある。 他の人とは違う考えを抱くことだってある。 誰でも、ひょんなことから少数派になる(少数派であることに気付く) 可能性がある。そのとき初めて、 氷のように冷たい「現実という壁」に初めて手を触れることになる。
    そして、そのとき初めて、
     ああ、私があわれみつつ笑っていた、  あの少数派の人たちはこういう気持ちを抱いていたのか。
    ということを知るのだろう。涙とともに。
    そんなことを、ネットを見ながらふと思った。
     * * *
    note(ノート)の話。
    結城はnoteというサイトに文章を書いています。
     ◆結城浩 - note(ノート)  https://note.mu/hyuki
    しかし、このサイトでは「自分の書いた文章の一覧」を簡単に得る方法がありません。 ですので、結城は自分の文章へのリンクを手動で作ってまとめていました。
     ◆結城浩 - note(ノート)  http://www.hyuki.com/note/
    それはそれでいいんですが、 コンピュータが目の前にあるのに手動で作らなくちゃいけないというのがどうも…… どうも、気になります。
    そこで、Rubyとcurlというプログラミング言語を使って、 「指定されたURLから順繰りに過去へのリンクをたどっていき、 各ページのタイトルとURLを表示するプログラムを作りました。 以下です。
     ◆note-prevs  https://note.mu/hyuki/n/ndd1eca584b0e
    細かいところで手抜きをしていますので、 サイトの構成がちょっと変わると動かなくなりますが、 現在のところは、Rubyとcurlがある環境ならば動くはずです。
    ところで、実際にこれを作ったら、もうなんだか満足してしまって、 実際に「自動的に自分のノート一覧」を作る気分が失せてしまいました……
     * * *
    Vimの話。
    結城はメインのテキストエディタとしてVimを使っている。 Vimはちょっとくせのあるエディタで、いくつかのモードを持っている。 コマンドモード(ノーマルモード)では、 入力したキーがそのまま文字として入力されるのではなく、 コマンドとして解釈される。
    たとえば x というキーは「一文字削除」というコマンドになるし、 Dというキーは「行末まで削除」というコマンドになる。 jは「次の行に移動」で、/というキーは「下方向への検索文字列入力開始」である。 nは「最後に検索した文字列をカーソル位置から下に向かって再検索」だ。
    強力なのは . (ピリオド)というコマンド。 これは「最後に行ったひとまとまりの編集を再度行う」というものである。
    たとえば、/textrm[ENTER]と入力すると、textrmという文字列を検索する。 次にcwtextbf[ESC]と入力すると、それをtextbfという文字列に置換する(編集)。 この状態で、nを入力すると「次のtextrmを検索」し、 ピリオド.を入力すると再度textbfに置換する。
    つまり、n.n.n.n.というキーシーケンスで「textrmを検索してはtextrmに置換する」 という編集作業を行うことになる。
    くどくど書いたけれど、編集作業中はこのような操作は半ば無意識に行っている。 適当に編集作業して、n.n.n.n. という具合。
    興味深いのは、こういった決まったキーシーケンスを、 まるで英語のイディオムのように次第に身につけていくということ。
     ・xpで「二文字の交換」を行う。  ・ddpで「二行の交換」を行う。  ・V]:norm .で「現在のカーソル位置から次の空行までを範囲選択して、   最後に行った編集を再度実行する」を行う。
    このようなイディオムは、本を読んだり、他の人のブログ記事を読んだりして知る。 でもときには、自分自身で気付き、見つけ出すこともある。
    編集作業で自分がよく使うイディオムというものは、 Vimに限らずどんなエディタにもあるだろう。 ただ、コマンドモードを持っているVimの場合にはよく目立つように思う。
     * * *
    さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
    今回は、「夢中になって書く」ことについての読み物、 連載「フロー・ライティング」をお送りします。 PDFをダウンロードしてお読みください。
    それから、前回に続き「数学文章作法のスケッチ」をお送りします。
    どうぞ、お読みください!
    目次
    はじめに
    フロー・ライティング - 「熱い気持ち」で書くとはどういうことか
    数学文章作法のスケッチ(4) - 章立て
    おわりに
     
  • Vol.146 結城浩/再発見の発想法/数学文章作法のスケッチ(3)/本を書く心がけ/

    2015-01-13 07:00  
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    Vol.146 結城浩/再発見の発想法/数学文章作法のスケッチ(3)/本を書く心がけ/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年1月13日 Vol.146
    はじめに
    おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
     * * *
    試験採点の話。
    学習院の田崎先生(@Hal_Tasaki)がツイートしていた、 大学生の試験採点と成績の話がおもしろかった。
     https://twitter.com/hal_tasaki/status/547659901552443393
    これによれば、田崎先生は以下のような方針で成績をつけているという。
     ・試験の点数が50点以上あるいは40点未満の場合、素点を成績にする。  ・40〜49点の場合、試験当日までに完全なレポートが出ていれば、   50点を成績にする。
    つまり、こういうことです。 学生が50点以上の「良い点」を取った場合には、そのままその点が成績になる。 学生が40点未満の「悪い点」を取った場合も、そのままその点が成績になる。 学生が40点〜49点の「ぎりぎりで単位を落とす点」の場合には、 レポートによる救済策が用意されていて、単位を得る最低点の50点が成績になる。
    結城がおもしろいと思ったのは、 救済策のためのレポート提出は「試験当日まで」であるという点です。 試験が終わってから「だめだったので助けてくれ」という「試験後の救済」ではない。 「まずい場合に備えて勉強し、レポートを出しておこう」というように、 学生が自分で単位を得る「試験前の保険」を掛けることができる。 これは、勉強させるためのよい方法ではないかと感じました。
     * * *
    教師と生徒の話。
    ある方からこんなメッセージをいただきました。 メールアドレスがなく公開許可が取れませんでしたので、 主旨を変えずに文章は結城が書き直しました。
     中学時代に教師から、  「答えは合っているけれど、式が違う。教えたやり方と違う」  と拒否されました。それから数学は嫌いです。  結城先生は数学を嫌いになる子が出ないように頑張っていますが、  私は数学が嫌いです。
    結城はこのメッセージを読んでとても悲しくなりました。 そして教師の責任というのは大きなものだとも思いました。
    もちろん、ある考え方を生徒に身につけてもらいたいというのは大事なことです。 もしも生徒が我流でばかり考え、 よりよい方法や身につけてもらいたい視点を学ばないとしたら困るでしょう。 しかし、それと同時に、生徒の考え方で正解までたどりついたら、 それに対する一定の評価は必要でしょう。
    それからもう一つ。学ぶ側の発想のことも思いました。 世の中には教えるのが下手な教師や不愉快な教師はたくさんいるでしょう。 でもそれで数学(に限らずある科目)を嫌いになるのはとてももったいないことです。
    メッセージをくださったこの方に限らず、 「教師が嫌いだから、その科目全体が嫌いになった」という生徒は、 とても多いと想像します。でも大人になってもそのような思いに支配されるのは、 結局自分が(広い意味で)損をするのではないかな、と思います。
    この文章を読んでいるあなたには、 「教師が嫌いだから、この科目が嫌い」という科目はありますか。
     * * *
    昨年のクリスマスイブの話。
    ちょうど彼女(家内)に用事が入り、彼女の帰宅が遅いことがわかっていたので、 特にパーティも何もなくイブが過ぎました。 でも、イブに何もないのはどうかとも思ったので、 結城は仕事から帰る途中で、小さな花束を買って帰宅しました。 夜遅く帰ってくる彼女のお出迎え用です。
    花束を持って帰宅した結城に、子供が尋ねました。
    子供「それ、自主的に買ってきたの?」
    結城「自主的って、どういう意味?」
    子供「お母さんに言われたから買ってきたのかどうか、という意味」
    結城「自主的です」
    子供「へえ」
    自分の子供から、こういう観点での質問をもらうとは想像していなかったので、 ちょっと新鮮な出来事でした。
    ちなみに、次の日。 肝心の彼女は花束に喜んでおりました。
    しかしながら、結城が「花束を買ってくる、とても気の利いた旦那さん」 をアピールし過ぎたため、最後にはいささか鼻白んでいましたけれど……
     * * *
    「すべて」と「ある」の話。
    芳沢光雄先生の記事「すべての学生は携帯を持っている」の否定文は? をめぐって「すべて」と「ある」という数学的な表現が話題になっていました。
     ◆【日経】「すべての学生は携帯を持っている」の否定文は?  http://www.nikkei.com/article/DGXMZO81016150X11C14A2000000/
    以下、数学的な表現だとして考えます。
    まずは正解から。
     「すべての学生は携帯を持っている」
    を否定すると、
     「ある学生は携帯を持っていない」
    になります。
    つい、最後に「ない」だけをつけて「すべての学生は携帯を持っていない」 として否定したくなりますが、これは数学的には正しくありません。 「すべての学生は携帯を持っている」わけではないといいたいのですから、 たった一人でも携帯を持っている学生がいれば否定できます。
    ですから、「すべての学生は携帯を持っていない」はいわば否定しすぎです。 たった一人でも携帯を持っている学生が存在すれば否定できるのですから、
     「ある学生は携帯を持っていない」
    でいいのですね。 スローガンとしては「すべて」や「ある」がついたときの否定は要注意、 ということになると思います。
    ここから話は少しずれていきます。 もしも「学生」が世界にたった一人しかいなかったら何が起こるでしょうか。 もしも「学生」が世界にたった一人しかいないなら、 「すべて」と「ある」が同じ意味になるわけです。
     世界に学生が一人なら、  「すべての学生は携帯を持っている」と、  「ある学生は携帯を持っている」は同じ意味。
    ですから否定した文も同じ意味になります。
     世界に学生が一人なら、  「すべての学生は携帯を持っていない」と、  「ある学生は携帯を持っていない」は同じ意味。
    さらに話はずれていきます。 もしも「学生」が世界に一人もいなかったら何が起こるでしょうか。
    世界に学生が一人もいないとしたら、 この場合は「すべての学生は携帯を持っている」という主張は真になります。 そして「ある学生は携帯を持っている」という主張は偽になります。
    おもしろいことに、世界に学生が一人もいないとしたら、 「すべての学生は携帯を持っていない」という主張は真です。 そして「ある学生は携帯を持っていない」という主張は偽になります。
    世界に学生が一人もいないときには、 「すべての学生は携帯を持っている」という主張も、 「すべての学生は携帯を持っていない」という主張も共に偽になるのです。
    ちなみに、Rubyにはall?というメソッドがあります。 これは配列のすべての要素についてtrueであるかどうかを調べるものですが、 このメソッドに要素が0個の配列を与えるとtrueを返します。 つまり、世界に学生が一人もいないとき「すべての学生は……」に対して、 確かに真という答えを出していることになりますね。
    ところで、日本語としては「ある学生は携帯を持っていない」 という表現はあまりこなれていません。 「携帯を持っていない学生がいる」という表現の方が自然に感じます。 これについてもツイッターでいろんな話題が流れていたのですが、 長くなるのでまたいつか。
     * * *
    エゴサーチの話。
    先日「ネットで悪口は言うが、エゴサ→反論は許さない人々について」 というまとめを見かけました。
     ◆ネットで悪口は言うが、エゴサ→反論は許さない人々について  http://togetter.com/li/761758
    以下は、このまとめとは直接は関係ないのですが、 結城が「エゴサーチ」についてどう考えているかを書きます。 あくまで私はどうしているかという話であって、他者に強制する話ではありません。
    結城は、TwitterでもWebでもいわゆる「エゴサーチ」をよくやります。 自分の名前「結城浩」で検索したり、 自分の本のタイトル「数学ガール」で検索したりするということです。
    Twitterで結城の本について感想が書かれていたら、 感想を書いてくださった方にリプライを送ったり、お気に入りに入れたり、 リツイートしたりします。 Webで感想を見つけたら、はてなブックマークに保存します。
    そのように、エゴサーチして見つけた読者の感想に「反応」することはありますが、 読者の意見に対してわざわざ「反論」することは少ない…ほとんどないと思います。 反応の内容はほとんどの場合「感謝」になります。 あるいは「情報提供」の場合も少しあります。
    エゴサーチして見つけた人全員にリプライするわけでもありません。 リプライしても相手が不愉快に感じないだろうな、 という人かを確かめています、いちおう。
    エゴサーチする理由の一つは、 結城の本を買ってくださった方や読んでくださった方に御礼することです。 それ以外にも「こういう方が読んでいるのだなあ」という「読者像を知る」のも 大きな理由です。
    読者像を知るという意味では「本を読んで面白かった」という意見だけではなく、 「こういうところに不満を感じた」という意見も非常に参考になります。 不満を感じたという読者さんにわざわざ「反論」のリプライをすることは、 ほとんどありません。 不満を感じた読者さんに「読んでくださって感謝」 のリプライをすることはたまにあります(少し緊張しつつ)。
    不満を感じた読者さんに「反論」のリプライをしないのは、 本の内容に関する読者の素直な感想に対して、 著者がこう読め、こう感じろというのは無茶なことだと思うからです。 著者はすでに自分の最善と思う表現を読者に渡したわけですから。
    不満を感じたという読者さんに「反論」 のリプライをすることはほとんどありませんが、 だからといって、不満を感じたというツイートをやめてほしいとは、 まったく思いません。 もしもそれが読者さんの素直な感想なら、 その意見を読むことは大事なことだと思うからです。
    まあ、面白かったというツイートもたくさん読みたいですけれどね!
     * * *
    さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
    今回は、「再発見の発想法」のコーナーでモーダルダイアログの話。
    それから「本を書く心がけ」のコーナーでは、 ネットのスピードと雑誌・書籍のスピード感の違いについて。
    そして、今年の大事なお仕事の一つ「数学文章作法」シリーズの 次回作へ向けてのスケッチです。
    どうぞ、お読みください!
    目次
    はじめに
    再発見の発想法 - Modal Dialog(モーダルダイアログ)
    新言語Streemの記事を見て思ったこと - 本を書く心がけ
    数学文章作法のスケッチ(3)
    おわりに
     
  • Vol.145 結城浩/年間目標/心がけと改善ポイント - 仕事の心がけ/Q&A - 蔵書と教育的効果について/

    2015-01-06 07:00  
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    Vol.145 結城浩/年間目標/心がけと改善ポイント - 仕事の心がけ/Q&A - 蔵書と教育的効果について/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年1月6日 Vol.145
    はじめに
    みなさま、あけましておめでとうございます。 今回は新年(2015年)最初にお送りする結城メルマガとなります。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    前回(Vol.144)は体調を崩してしまい、 読者プレゼント号に急遽切り換えるという状況でした。 たいへん申し訳ありません。
    『数学文章作法 推敲編』サイン本の抽選はすでに終了し、 昨日(1月5日)当選者9名様には当選メールをお送りしています。 当選なさった方は、送付先のご住所を返信ください。 外れてしまった方は、申し訳ございません……
     * * *
    体調を崩したため、年末年始のお休みは事実上の「寝正月」でした。 コンピュータにもほとんど触れず、 ほんとうに久しぶりにすべてを忘れてゆっくりと過ごすことができました。 まあ、ある意味、真の休日を過ごしたといえます。 文句も言わずに支えてくれた家人に感謝です。
    記録をたどってみますと、前回体調を大きく崩して結城メルマガが 「読者プレゼント号」になったのは、2014年7月29日号(Vol.122)でした。 半年に一回、というのは健康管理の不徹底ともいえますけれど、 その反面「半年に一度の身体の大掃除」のような感覚もひそかに思っていたりします。
    「身体の大掃除」というのは、ぱたりと寝込んで身体を無理矢理リセットしている、 というほどの意味です。ふだん、それなりに健康には気を遣っているつもりですが、 それでも追いつかないほどの小さなズレの積み重ねをいったん「チャラ」にする。 そういう感覚のことです。
    身体についてはそれでもいいのですが、 文筆業者としては予定していた原稿に穴をあける(休載する)というのは、 決してほめられたことではありません。 体調が悪くて休まなければいけないことや、 どうしても時間が取れないことは起こりうるものですから、 急遽サシカエできる「代替原稿」を準備しておくのがプロというものでしょう。 その点については反省することしきりです (まあ、読者プレゼント企画というのがその「代替原稿」 になっているといえなくはないですが、それはそれとして)。
    寝込んでいる間、たくさんの方からお見舞いメールをいただきました。 ひとつひとつにはお返事できませんけれど、 深く感謝しつつ読んでおります。ありがとうございます。
     * * *
    英語版「数学ガールの秘密ノート」の話。
    昨年末に英語版「数学ガールの秘密ノート」の第三巻(丸い三角関数) が刊行されました。2015年1月5日現在、 Children's Advanced Math Books のベストセラー第一位になっているようです。 しかも二位は第一巻(式とグラフ)ですね。たくさんの方の応援感謝です。
     ◆Children's Advanced Math Books  http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/english-books/2571690051/
    なお、翻訳出版しているBento BooksのWebサイトでは、 PDFでサンプルチャプターを読むことができます。 ぜひご覧ください。もちろん無料、登録不要で読むことができます。
     ◆"Math Girls Talk About..." (Bento Books)  http://bentobooks.com/math-girls-talk-about/
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    電子書籍サイトBOOK☆WALKERの2014年電子書籍ランキング(新書・実用書カテゴリ) で『数学ガール』が第一位となりました! みなさんの応援に感謝いたします。
     ◆2014年の新書・実用部門は『数学ガール』シリーズがトップ!  http://bookwalker.jp/ex/sp/2014_totalranking/genre.html#Nonfiction
    また第九位に『プログラマの数学』もランキング入りしていますね!
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    『数学文章作法 推敲編』の話。
    昨年末に刊行された本書は、ちくま学芸文庫ランキングにもずっと登場し、 書店さんからの反応も、読者さんからの反応もよく、著者としてとてもうれしいです。 みなさまの応援を感謝します。
    「推敲編」は2013年に出版した「基礎編」の続編にあたります。 シリーズものは「新刊を出すと第一巻目も売れる」という特徴があります。 それはよく理解できます。新刊が出て「ああ、こういうシリーズがあるのか」 と認識した読者さんが「それじゃ第一巻から買ってみるか」と思うのでしょう。 「数学文章作法」シリーズも「推敲編」が出て再度「基礎編」が動いているようです。
    ということを考えますと、書き手としては「一冊で終わりとなる本」ではなく、 「きちんとシリーズになる本」をねらった方がいいことになりそうです。 しかしながら言うは易く行うは難しとはまさにこのことで、 なかなか簡単にはいきません(いかないと思っています)。 「数学ガール」シリーズも第一巻目を出すときには、 シリーズになるなんて考えはこれっぽっちもありませんでした。
    最初からシリーズを見込んで考えるのは大事ではありますが、 これは誘惑との戦いでもあります。どういう誘惑かというと、
     誘惑:「このネタは大事だから後の巻に取っておき、今回は使わない」
    という誘惑です。もちろんそれが適切な判断になることもあります。 しかし、おうおうにしてネタを薄め、手抜き作業になる危険があるのです。
     誘惑:「このネタは次回に使う。今回はこの程度でいいや」
    このような誘惑には頑として戦わなければなりません。 言い換えるならば、大事なことは、
     「毎回、全力を尽くす」
    なのです。まあ当たり前のことですけれど。毎回全力を尽くし、 一冊一冊をしっかりまとめていく。その上でシリーズが構成できたならば、 それはすばらしいことといえましょう。
    先ほども書いたように、シリーズには「新刊が出ると、一巻目も売れる」 という特徴があります。ですからなおさら一巻目は重要です。 ところが一巻目を出す時点では、 シリーズが構成できる(ほどの力がある)かどうかは未知数。 なかなかつらいです。
    けれども、だからこそ「毎回、全力を尽くす」しかないのでしょうね。
    そんなことをよく思います。
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    表立って言われることと、言われないことについて。
    電車のつり広告でもテレビでも、いわゆる「サラ金」の宣伝はよく見かける。 でもたとえば学校で「サラ金」というものの存在を教えたり、 「サラ金でお金なんか借りるもんじゃない」ということを教えることは少ない (と想像している)。
    学校では「書かれていることの読み方」は一応教える。 けれど「契約書では小さい文字のところに意外な盲点がある」ということは教えない。 あるいはまた「明示的に書かれていないことに引っ掛けがある場合もある」 なんてことも教えない。
    もちろん、そういう「あまり表立っては言われないけれど、 社会常識として知っておくべきこと」のすべてを学校に担わせようとするのは やりすぎかもしれない。でも、子供はどこでそういう 「表立っては言われないけれど大事なこと」を学ぶのだろうか。
    結城自身を振り返ってみて(自分が社会常識を持っているかどうかは棚に上げて)、 「サラ金に気をつけよ」と教えてくれたのは私の祖母だったと記憶している。 小学生の頃だろうか。テレビで金利の話題が出たときに祖母が、 世の中にはサラ金や高利貸しというものがあって、うっかり借りるとひどい目に遭う、 そんな話をしてくれた。
    「世の中にうまい話は非常に少ない。もしもうまい話だと思ったら眉唾で聞け」 と言ったのは私の父親だった。父親は固い人だったから、 冒険を戒めるバイアスが比較的強かったかな。
    「鳩のように素直に、でも蛇のように賢く」と言ったのは聖書だった。
    しかしながら、改めて「何が良いことであり、何が悪いこと(危険なこと)であるか」 を問うてみると、それほど話は単純ではない。 「これがいい」と信じ、それを貫くことで良い結果が出る場合もあるだろうけれど、 誤った判断を貫くことでかえって悪い結果になることも多いだろう。 当然のことである。
    「自分はこれで大丈夫」という安心は危険の始まりかもしれない。 しかしいつもいつも不安で満ちている生活はそれ自体が何かおかしいともいえる。
    人は、それぞれの生活で「気持ちの落としどころ」を探しつつ歩むのだろう。
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    さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
    今回は、昨年末にできなかった「2014年の年間目標の振り返り」と「2015年の年間目標」です。
    また、「仕事の心がけ」のコーナーでは普段心がけていることと、 改善したいなと思っていることをメドレー風にお届けします。
    さらに「Q&A」のコーナーでは、書籍の扱いについて読者さんの質問にお答えします。
    では、お読みください!
    目次
    はじめに
    2014年の年間目標振り返り(書籍、連載、習慣)
    2015年の年間目標
    心がけと改善ポイント - 仕事の心がけ
    Q&A - 蔵書と教育的効果について
    おわりに