• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 4件
  • Vol.335 結城浩/専門書を選ぶ基準/高校二年生、成績はいいがわからないことが多すぎて不安/大学数学のおすすめの勉強法/いま、書こう。/

    2018-08-28 07:00  
    216pt
    Vol.335 結城浩/専門書を選ぶ基準/高校二年生、成績はいいがわからないことが多すぎて不安/大学数学のおすすめの勉強法/いま、書こう。/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年8月28日 Vol.335
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    先週、「秋めいた」と言いたくなるような涼しい日もありますね……などと書いたのですが、それ以降「とんでもない暑さ」が何度も続いています。
    早く、もっと「秋めいて」ほしい……

    * * *

    結城はpixivFANBOXというサービスで「結城浩のカフェ代支援」という企画を行っています。ひと月200円で、結城の「カフェ代」を支援してね!というものです。
    先日「結城浩のカフェ代支援」をしている支援者さんだけがスマートフォンに表示できる「ファンカード」機能がつきました。
    ◆結城浩の「ファンカード」
    これは画像ですが、実際の「ファンカード」はスマートフォンに表示するとキラキラと動くものになります。
    ◆「ファンカード」についてhttps://www.pixiv.net/fanbox/creator/24344450/post/112253

    * * *

    現在初校ゲラを読んでいる『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』は、刊行が予定より少し遅れて2018年の10月になります。お待たせして申し訳ありませんが、応援よろしくお願いいたします!
    ◆『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』https://bit.ly/hyuki-matrix

    * * *

    それでは、今回の結城メルマガも、どうぞごゆっくりお読みください。
    目次
    専門書を選ぶ基準 - 学ぶときの心がけ
    講演を聞いた後にどう質問したらいいかわからない
    高校二年生、成績はいいがわからないことが多すぎて不安 - 学ぶときの心がけ
    大学数学のおすすめの勉強法 - 学ぶときの心がけ
    「神経衰弱」ゲームを作る
    数学科の四年生、限られた時間で学習を進めるいい方法 - 学ぶときの心がけ
    いま、書こう。 - 本を書く心がけ
    専門書を選ぶ基準 - 学ぶときの心がけ
    質問
    現在高校生です。
    一般に専門書はどのような基準で選ぶのが良いのでしょうか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    これはなかなか難しい質問です。細かく書いていくとたくさん出てきそうなので、ポイントを絞ってお話しします。
    ポイントは二つ。「信用」と「理性」です。
    一つ目のポイント。「信用」というのは、その専門書は誰が書いたか。どんな出版社から出されているか。出版されてから何年経ったか。どれだけ増刷されているか。先生による評価はどうか。図書館に入っているかということです。
    「信用」は、いわば外部にあるネットワークです。あなたが信用できる人、組織、会社、仕組みが「いい」というものを「いい」とみなす。これは大切な判断基準になります。そして、これは専門書以外にも当てはまる話ですね。
    二つ目のポイント。「理性」というのは、その専門書をあなた自身が読んだときにどう考えるかになります。論理の展開に辻褄が合っているか。読んでいてなるほどと思えるか。明らかにおかしなことが書かれていないか。読んでいて抱いた疑問に答えが与えられているか。そのように、あなたがあなた自身の理性に照らし合わせて、その専門書の良し悪しを判断するということです。これも大事なこと。
    「理性」は、いわばあなたの内部にあるネットワークです。一貫性、整合性、過去に知ったこととの無矛盾性。それらに照らし合わせてその専門書の良し悪しを判断するということです。
    「信用」と「理性」という二つのポイントは相補的に働くことに注意してください。
    たとえば、「自分はこの本をイマイチだと思うのだけれど、自分が信用している先生がいいと言ってるから、もう少し読んでみるか」というのは、「信用」を少し優先させた行動になります。
    あるいはまた、「先輩はこの本が役に立たないというけれど、自分が抱いている疑問がきちんと解消されている。いまの私にはぴったりの本だったのだ」というのは、「信用」ではなく「理性」が教えてくれることになります。
    他の人がいいと言ってるからその評判をうのみにするというのは自分の「理性」を効かせていない状態だし、逆に自分にはこれが一番だと言って他人の声を無視するのは「信用」できる外部のチェック機構を持っていない状態ですね。どちらもちょっとあぶないです。
    専門書を読むときの「信用」と「理性」という二つのポイントは、どこかにごろんと完成品が転がっているわけではありません。誰しも自分の中に育てて行く必要があります。
    あなたの「基準」を育てるのはあなた自身なのです。
    自分の基準を自分が育てるというのは、どの分野に関しては何をどのくらい信用するか、自分の理性をどれだけあてにするか、その度合いを自分の中に構築することを意味します。実はこれ、意識しているかどうかはさておき、みんなが自然にやっていることだと思います。「価値観の醸成」とも言えますね。
    世の中には、いろんな人がいます。いろんな考え方があり、いろんな本があります。ネットを見ていてもわかりますが、自分にしてみると驚くべき価値観を持っている人がいてびっくりします。でもその人はその人なりに自分の価値観を醸成してきたんですよね。
    自分が日々接するもの。自分が普段接する人。自分がいつも考えていること。それらを通して自分の価値観は醸成されていきます。
    ぜひ、意識して自分の「基準」を育て、価値観を醸成してくださいね。
    もとの質問から回答がだいぶそれちゃいましたが、ご質問ありがとうございました。
    講演を聞いた後にどう質問したらいいかわからない
    質問
    講演などを聞いたあとの「質問」をどうすればいいのかわかりません。
    しっかり聞いていても質問を思いつかず、他の人からも質問がまったく出なかったときには「ちゃんと聞いてた?」と言われてしまいました。
    ちゃんと聞いていれば質問が出るものでしょうか。
    質問しようと思いながら一生懸命に講演を聞いたことがありますが、お話のあら探しをしているようで嫌な気分でした。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    「ちゃんと聞いてた?」というのは講演者自身からの問いかけでしょうかね。
    「ちゃんと聞いてた?」という問いかけは非難めいたニュアンスを感じますよね。そういうときには空気を読まずに「はい、聞いてました(にこにこ)」などと返すのも一法です。
    「質問をしなければならないけど質問を思いつかない」というときには「質問というわけでもないのですが」と前置きして、ふつうに感想と感謝を述べるという方法もあります。
    純粋なテクニックとしては、講演の中に出てきた適当なキーワードを使って「○○のところがわからなかったので、補足説明をお願いします」のように聞く方法もあります。でもこれは、単なるテクニックであって意味のある行為ではありませんけれどね。それから、講演のメイントピックに対してこのような質問をすると、講演者が「私の講演をさっぱり聞いてなかったってことかい」になるので注意が必要です。
    純粋なテクニックとして質問する方法はいくらでも思いつきます。講演中のややこしそうな話題を拾って「○○に具体例はあるのですか」と聞いたり、「○○は歴史的にいつごろからあったんですか」と聞いたり、「○○を最初に考えたのは誰でしょう」と聞いたり……でも、無理矢理作り出した質問はあまり意味はないですね。
    講演をする側の心理を想像してみます。講演が終わって、会場がしーんとなり、質問も出てこないというのは講演する側にとっては不安になるものです。みんな興味深いと思ってくれたんだろうか。みんな理解できたんだろうか。いや、そもそもみんな聞いてくれたんだろうか。講演後のしーんとなった会場に立つ自分を想像すると「ちゃんと聞いてた?」と言いたくなる気持ちもわかります。
    その心理から考えるに、質問が出るかどうかというのはあまり重要ではなくて、「ちゃんと聞いてましたよ」ということを伝えれば、その場は平和に収まるでしょう。
    もっとも、講演を聞く側が講演者にそれほど気を遣う必要があるかというのは別の問題として残りますけれどね……
    実は、聴衆の反応というのは講演者にかなり見えています。みんなが聞いているかどうか、理解しているかどうか、それらは手応えとして伝わるものなのです。
    結城が講演をするとき、冒頭で「反応がないと不安になるので、おもしろいと思ったら笑ってくださいね。なるほどと思ったら頷いてくださいね」とお願いします。高校で講演をしたとき、生徒さんはこのお願いをすると笑ったり頷いたりしてくれるので、講演者としてはたいへん心強いです。
    以上です。ご質問ありがとうございました。
     
  • Vol.334 結城浩/仕事での質問がうまくできない/本当にそう思っているか/勉強したことを話したくなる/写本に近いノート/

    2018-08-21 07:00  
    216pt
    Vol.334 結城浩/仕事での質問がうまくできない/本当にそう思っているか/勉強したことを話したくなる/写本に近いノート/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年8月21日 Vol.334
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    気がつくと8月も20日を過ぎ、ときどき「秋めいた」と言いたくなるような涼しい日もありますね。
    今週は『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』の初校ゲラを待ちながら、次の本の作業も進めていきたいと思っています。
    あなたの夏の予定はいかがでしょうか。
    今回の結城メルマガも、どうぞごゆっくりお読みください。
    目次
    SE二年目、仕事での質問がうまくできない - 仕事の心がけ
    現在を懸命に生きるということ
    勉強したことをすぐに話したくなる - 学ぶときの心がけ
    発言者は「本当にそう思って」発言しているのか
    写本に近いノートになってしまうことに不安 - 学ぶときの心がけ
    定期試験は満点なのに模擬試験では30点 - 学ぶときの心がけ
    SE二年目、仕事での質問がうまくできない - 仕事の心がけ
    質問
    四月から二年目のSEです。
    仕事で「質問」がうまくできなくて悩んでいます。
    相手から「何がわからないの?」や「どこがわからないの?」と水を向けられても、「わからないからわからないんだよ……」となってしまいます。
    学生時代には「この式はどこから来たんですか」や「どうして答えがこうなるのですか」のように質問できていたと思うんですが……
    よろしければアドバイスをお願いします。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    質問をするというのはなかなか難しいものですよね。あまりにもわからないとどのように質問していいかとまどう人はたくさんいらっしゃいます。質問ができなくて悩むというのも珍しいことではありません。「結城メルマガ」にも「質問の仕方」の質問は定期的にやってきます。
    質問の仕方のアドバイスをひとつ。「これがわからないんですが」のように発言するのではなく「これはわかるんですが」のように発言することを試みるのはどうでしょうか。あなたは困っているとき、ほんとうに「すべて」がわからないわけじゃないですよね。どんなに当たり前のことでもいいですけれど、わかっていることが少しはありますよね。自分が「質問内容を伝える」のではなく「理解の最前線を相手に伝える」というスタンスに立つということです。
    「これがわかりません」とピンポイントで質問できたら、それはそもそもすごいことです。でも、それができないなら「Aはわかります。Bもわかります。Cもわかります」のように列挙してみてください。できれば「Aはわかります。〇〇ということです」や「Bはわかります。なぜなら〇〇だから」のような補足もつけて。
    あなたがすべてをわかっているのではない限り、その列挙の途中のどこかで苦しくなるはずです。そのあたりに《理解の最前線》があるはずです。その《理解の最前線》を相手に伝えるなら、それは質問と同じような効果を生むはずです。
    ところで、あなたの質問を読んでいて、ふと「自明のことや、本来ならわかって当たり前のことは質問したくないのではないか」という印象を受けました。自明のことは質問できない、当たり前のことは質問できない、となってしまうと、質問するためのハードルが急激に高くなります。なぜなら、ある程度わかっていないと、自分の質問が自明かどうか判断できないからです。
    どうしてあなたの質問でそういう印象を持ったかというと「学生時代には質問できていた」という記述があったからです。学生なんだからわからなくてもしょうがないし、自明なことを質問しても構わない。でも社会人となったいまは、自明なことを聞くのはまずい。ちゃんとしなくては……みたいな気持ちがどこかにあるのではないかと感じたのです。
    それは私の勝手な想像ですが、もしもあなたが「自明なことを聞いちゃまずい」という意識を持っているなら、改めた方がいいと思います。
    なお、やや蛇足ですが、あなたの質問中にある
     相手「どこがわからないの?」  自分「わからないからわからない」
    という対話はずれています。
     相手「どこがわからないの?」  自分「どこがわからないかという点からわからないです」
    がずれのない状態です。
    相手に質問するというのは、ある意味では自分の弱いところを相手にさらす行為です。でも、自分の状態を正直に見せられないと、的確な答えは得られません。どうしても質問できないなら最終的に「どこがわからないかという点からわかりません」と教えを請うしかないのではないでしょうか。
    さすがに「どこがわからないかという点からわかりません」とは言いにくいとしたら「ここはわかります」を列挙する方法は抵抗が少ないとおもいますよ(抵抗というのは、あなたのプライドからやってくる心理的抵抗のことです)。
    まだ二年目。あなたの仕事は始まったばかり。質問できるかどうかは大事です。
    がんばりましょう!
    現在を懸命に生きるということ
    季節外れですが、バレンタインデーの話題。
    中学時代、若い教師が授業中、急に「チョコを渡して告白なんかするな。誰かを思う気持ちをそんなに安っぽく扱うな」と言ってたのをふと思い出しました。数十年前のことです。
    そのときには何も言わなかったけれど、いまの私だったら「先生、あなたはまちがってるよ。人を思う人の心に、そんな形で介入するなよ。しかもいま授業中だろう」と言いたくなります。
    人生は変化していくものです。人生には、その時でなければできないこともありますし、その時でなければ抱けない気持ち、その時でなければ言えない言葉だってあります。
    確かに、中学生が中学生を思う気持ちは、大人から見たら幼かったりするかもしれません。チョコに託すなんて安っぽく見えるかもしれません。でもそれは錯覚だと思います。当の本人にとっては、人生のその時にしかできないこと、抱けない気持ち、言えない言葉かもしれないからです。「幼い」や「安っぽい」などと簡単に断じていいとは思えません。
    もちろん、教師としての立場から、あるいは年長者としての立場から、危険なことや大きな損失になることを警告したり防止したりするのは大事なことです。また、自分の思うことを伝えるのは悪くはありません。しかし、人の心の中への介入には最大限の注意が必要になります。
    数十年が過ぎ、当時の「若い教師」も、いまでは(存命ならば)八十歳代でしょうか。人生とは、と思います。
    現在を懸命に生きるという話題を考えるとき、森鴎外の『青年』という物語に出てくる一節を思い出します。以下、引用。

    * * *

    一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
    現在は過去と未来との間に劃(かく)した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
    ◆森鴎外『青年』(青空文庫)http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2522.html

    * * *

    また「現在を懸命に生きる」というテーマでは、この本も思い出します。
    ◆筒井康隆『夢の木坂分岐点』(新潮文庫)https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101171246/hyuki-22/
     
  • Vol.333 結城浩/探し物を減らす/「好き」という感覚/プログラミング学習/手を動かすことが苦手/高校二年生の進学/

    2018-08-14 07:00  
    216pt
    Vol.333 結城浩/探し物を減らす/「好き」という感覚/プログラミング学習/手を動かすことが苦手/高校二年生の進学/
    結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年8月14日 Vol.333
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    結城はカレンダー通りに仕事をしていますが、世の中はお盆休みでしょうか。
    今回の結城メルマガも、どうぞごゆっくりお読みください。
    目次
    「好き」という感覚
    高校二年生、数学科への進学に不安を感じる - 学ぶときの心がけ
    探し物を減らすための情報整理 - 仕事の心がけ
    プログラミング学習と「自分が作りたいもの」 - 学ぶときの心がけ
    「勉強すること」が先か「手を動かすこと」が先か - 学ぶときの心がけ
    木構造 - 再発見の発想法
    「好き」という感覚
    質問
    結城先生にとって「好き」ってどういう感覚ですか。
    回答
    すばらしい質問をありがとうございます。
    私にとって「好き」という感覚は「長い時間を費やしたい」という感覚にとても近いです。
    あることが「好き」ならば、そのことについて長い時間を費やしたいと思う。
    ある人が「好き」ならば、その人と長い時間を一緒に過ごしたいと思う。
    「好き」という感覚が「長い時間を費やしたい」という感覚に近いというのは、そういう意味です。
    あなたの質問を読んで、奥華子さんの「ガーネット」という曲を思い出しました。結城はこの曲を聴くたびに涙がこぼれそうになるのですが、この中に、こんな一節があります。
     好きという気持ちが分からなくて  二度とは戻らないこの時間が  その意味をあたしに教えてくれた
    ◆奥 華子/ガーネット(弾き語り)https://youtu.be/X_Irpw_LL2o
    この曲は2006年の映画「時をかける少女」の主題歌です。「時をかける少女」はタイムリープの物語で、まさに「時間」が物語の重要な要素になっていました。
    私たちは、この世で何かを体験するためには必ず「時間」が必要になります。あの物語の中で主人公は途中「ちょっとしたこと」にタイムリープを繰り返し、私はそこで胸が苦しくなります。
    自分は限られている「時間」を何に使うか。自分に与えられている「時間」を何に費やすか。たくさんあると思っている「時間」は、ほんとうにたくさんあるのだろうか。そんな思いが心の中に浮かぶからです。
    そういえば先月、テレビで「時をかける少女」を放映していましたね。実は結城が『数学ガール』を執筆しているとき奥華子さんの「ガーネット」をよく聞いていたんですよ。なので、2007年に「書籍無料プレゼント企画」をしたときにそのCDも付けたんですよね。もういまから11年前のことです。
    ◆(すでに終了)結城浩『数学ガール』無料プレゼント(「時をかける少女」のCDも合わせてプレゼント)http://d.hatena.ne.jp/hyuki/20070601/girl
    あれから11年という「時間」が過ぎたんですね。私はきちんと「好き」なことに「時間」を注いできたかなあ……
    ご質問ありがとうございました。
    高校二年生、数学科への進学に不安を感じる - 学ぶときの心がけ
    質問
    高校二年生です。
    僕は、ある先生に高校で出会い、数学がとても好きになりました。その先生を見ていると数学が好きなことがひしひしと伝わってきます。その先生に憧れて数学科への進学を考えています。
    しかし、その先生はもちろんのこと、同級生には自分より数学のセンスや才能がある人がたくさんいるように思え、数学科への進学に不安を感じています。
    どうすれば数学ができるようになりますか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    まず基本原則として「自分が何かを学びたい」ということと「自分の能力が他人と比べてどうであるか」ということは、直接は関係がありません。ですから、あなたよりも数学ができる人が同級生にいたとしても、あなたが数学を学ぶことをためらう理由はありません。
    あなたはまだ高校二年生であり、あなたがこれまで出会った数学は、本当に小さな一部分にすぎません。また、あなたがこれまで出会った人々も本当に少数です。そもそも、誰かを見てその人の数学の能力がどうであるかを判定するというのは非常に難しいことです。自分の能力の判定ですら難しいことであり、さらにいうなら高校であなたが体験する「数学の能力」ということ自体も、数学という学問で求められることからすればほんの一部に過ぎません。
    要するに、あなたが考える「同級生には自分より数学のセンスや才能がある人がたくさんいるように思える」という状況判断は、まったくあてにならないといえるでしょう。
    とはいえ、高校二年生で自分の能力に不安を感じるのは無理もありません。また、その不安を学ぶ力に変換できるなら悪いことばかりでもありません。必要以上に不安にならず、力一杯やってみることです。
    自分の状況判断はあてになりませんから、軽々に自分の能力を過小評価したり、何かの学びを断念するのは危険であると思います。
    「どうすれば数学ができるようになるか」に私は直接答えることはできません。そもそもそんな方法は知らないからです。ただし、数学の本をきちんと読み、自分でよく考えることが必要でしょうね。数学の分野はそれはそれは広大なので、「数学ができるようになる」という問いは気が遠くなるくらい広大な問いといえます。「どうすれば数学ができるようになるか」は「どうすれば文章が書けるようになるか」と同じくらい広大な問いに見えます。
    実のところ、あなたの悩みは数学という分野に限った話ではありません。高校時代、大学時代、そしてそれを過ぎても「自分は○○でやっていけるだろうか。自分のまわりには自分よりもはるかに優秀そうな人がひしめいているのに」という不安が完全に消えることはありません。誰しも、ときにその不安に直面したり、不安を回避したり、不安を飼い馴らしたりしつつ、何とか前進しようとしているのです。
    不用意に自分の進路をせばめたりしないように注意しつつ、がんばってください。
     
  • Vol.332 結城浩/高校三年生の夏休み、予定の組み方/勉強のモチベーション/生徒の叱り方/口下手/

    2018-08-07 07:00  
    216pt
    Vol.332 結城浩/高校三年生の夏休み、予定の組み方/勉強のモチベーション/生徒の叱り方/口下手/
    結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年8月7日 Vol.332
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    前回のVol.331の三角関数に関連した記事中、文字化けがありました。丸囲みの1,2,3という機種依存文字をうっかり使ってしまったからです。おわびいたします。
    暑い毎日が続いていますが、あなたはいかがお過ごしでしょうか。夏休みのご計画はどうでしょう。
    今回の「結城メルマガ」は、期せずして「学ぶ」話題が非常に多い回になりました。夏休みの予定の話や、勉強のモチベーションの話など。
    どうぞごゆっくりお読みください。
    目次
    数学オリンピックに歯が立たず本当に悔しい - 学ぶときの心がけ
    勉強のモチベーションを上げる方法 - 学ぶときの心がけ
    高校教師二年目、生徒の叱り方について - 教えるときの心がけ
    口下手で、思ったことを適切な言葉にできない
    高校三年生の夏休み、予定をどう組むか - 学ぶときの心がけ
    数学オリンピックに歯が立たず本当に悔しい - 学ぶときの心がけ
    質問
    高校三年です。
    私は昔から数学が大好きで、高校に入るまではただただ数学が好きで楽しんでいました。数学の成績も負けたことがなく、それに誇りを持っていました。
    しかし、高校に入って数学オリンピックに参加したところ、全く歯が立たずにプライドもズタズタにされ惨敗しました。悔しくて、一年間頑張りましたが、次の年の数学オリンピックも予選で敗退してしまいました。
    そして、最後のリベンジと思って受けた今日の数学コンテストでも思うようにいかず、悔しい結果に終わりました。
    この高校生活を振り返って、私に数学の才能が無いということを痛感させられました。もっとセンスを伸ばすには一体どうすれば良かったのでしょうか。本当に悔しいです。教えて下さい。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    「もっとセンスを伸ばすには一体どうすれば良かったのか」というあなたの質問に私は答えられませんし、そもそもこの質問が、適切な質問かどうかも私にはわかりません。私にはわからないことばかりですが、思うところを書きます。
    数学オリンピックは競技なので、勝つ人もいれば負ける人もいます。そして「数学オリンピックで負けた人は数学の才能がない」という命題は偽です。
    数学オリンピックで敗退したということは、そのときに出された問題をあなたよりもうまく解いた人が存在するということです。それは事実ですけれど、そこからの推論を誤ってはいけません。たとえば「自分に数学の才能がない」というのは典型的な誤った推論であると思います。
    数学は、そして学問はあなたが想像するよりもはるかにはるかに広大で豊かなものです。問題を解くことが数学のすべてではありませんし、そもそも数学オリンピックに出される問題が数学における問題のすべてでもありません。しかもあなたは若い。自分の前にある有益な時間を、誤った推論で濁らせないように注意しましょう。
    あなたが敗退したということは事実で、それは動きません。もちろん敗退すれば悔しいでしょう。その悔しさの大きさは、あなたの熱意を示しています。自分の悔しさをしっかりと受け止めつつ、あなたは、いまあなたのなすべきことを考えましょう。
    あなたが敗退したという過去の事実は動きません。しかし、現在のあなたはこれから大きな活動をしていく存在です。悔しさをしっかり受け止めて、大きく羽ばたいてください。そして未来のあなたが現在を振り返るとき、今回の敗退の意味が変わって感じられるようになるかもしれません。あなたの未来を作るのはあなたです。
    応援しています!
    勉強のモチベーションを上げる方法 - 学ぶときの心がけ
    質問
    勉強のモチベーションはどうやって上げればいいのでしょうか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    モチベーションを上げる方法はよく聞かれます。こまごまとしたコツはあるかもしれませんが、「決定版」となるようなものは思いつきません。
    モチベーションを上げる方法は思いつきませんが、モチベーションを下げない方法は思いつきます。
    モチベーションを下げない方法、それは「誰かにやらされている感」を減らすように心がけることです。
    勉強をやろうかなと思っているけれど、なかなか取りかかれないとき、誰かに「勉強しなさい!」と言われると逆にやりたくなくなりますよね。それは「やらされ感」が増大したからです。誰かにやらされている勉強、特に自分が喜んで指示に従えない人から指示される勉強はモチベーションが下がります。
    「やらされ感」を少なくする方法の一つは「勉強しなさい!」といわれないようにすることです。そのために最もいいのは言われる前にとりかかることですが、それは難しいもの。「やるつもりだった」という自分の心の中の予定は他人には見えませんので、それを可視化するのがいい方法です。自分の予定表を「勉強しなさい!」という人に見せておくというのがベストですね。
    「勉強しなさい!」と言われないようにすること以外にも「やらされ感」を少なくする方法はあります。「やらされ感」というのはその勉強が「自分のこと」と感じられないという現象ですから、そこを変えるのです。つまり、勉強という活動について「自分なりのひと味」を付けるということ。勉強のパーソナライズ、勉強のカスタマイズです。
    具体的には、ノートを自分で選ぶこと。ノートの表紙に自分の好きな絵を描いたり、貼ったりすること。誰かが言った勉強方法や暗記方法であっても「●●流の勉強法」のように自分の名前を付けてしまうこと。そのように「自分に関わること」と勉強の道具や方法を結びつけると「自分のこと」として勉強を考えやすくなります。
    先ほど自分の予定表について書きましたが、自分の予定表を自分で作るというのも大事なことですね。他人から「この予定表でやれ」と言われるよりも、自分で考えた予定表の方が動きやすくなります。他人から渡された予定表であっても自分で書き写して「自分の予定表」にしちゃう手もあります。
    さて、ここまで書いてきたことは「やらされ感」をなくすための細かい工夫です。「勉強しなさい!」といわれないようにすること、勉強のパーソナライズ、そして予定表を自分で作ること。
    でも、それよりもずっと大事なのは「勉強している内容そのものに関心を持つこと」だと思います。いまやっているこの勉強を手早く済ませてしまおうというのもいいのですが、ときには5分でもいいから「これって何を学んでいるんだろうか」と考えることは大切です。機械的に終わらせてしまおうと考えてばかりだと、おもしろくなるはずはなく、モチベーションも下がります。勉強が自分の時間を消費させてしまう悪に見えるからです。
    そうではなくて、一歩でいいから、深く考えてみる。
    何かのタイミングで、学んでいることのおもしろさを感じたならば、モチベーションを意識的に上げる必要すらなくなるかもしれません。
    私は、そんなふうに思っています。
    ご質問ありがとうございました。