-
Vol.231 結城浩/小学生への手紙 - 数式って言葉なんだよ/Web連載の書籍化タイムライン/
2016-08-30 07:00220ptVol.231 結城浩/小学生への手紙 - 数式って言葉なんだよ/Web連載の書籍化タイムライン/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年8月30日 Vol.231
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
この「はじめに」を書いているのは2016年8月29日(月)です。 大型の台風10号の話題があちこちからやってきます。 先日の日曜日は西日本で局所的な豪雨だったもよう。
今回の結城メルマガが配信される火曜日には、 日本に上陸するかという流れになっていますね。 どうぞ、お気をつけて……
* * *
降水ナウキャストの話。
現在の雨の状況を知るサービスとして、 東京では「東京アメッシュ」が有名です。
◆東京アメッシュ http://tokyo-ame.jwa.or.jp
ところで、以下の「高解像度降水ナウキャスト」では、 全国の雨の状況がわかり、しかもこれから一時間《後》の雨までわかるので、 たいへん助かります。
◆高解像度降水ナウキャスト http://www.jma.go.jp/jp/highresorad/
台風の時期に限らず「これから雨なの?」「この雨はどのくらい続くの?」 という気持ちに答えるいいサイトだと思いました。
この「高解像度降水ナウキャスト」は以下のブログ記事で知りました。
◆アメッシュより便利な降雨情報サイトの紹介 〜梅雨・台風への備え〜 http://k5khrs.hatenablog.jp/entry/2015/05/13/111605
* * *
最新刊の話。
『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』がようやく脱稿し、 現在は初校ゲラができあがるのを待っている段階です。 今週末か、来週頭にはやってくるでしょう。 そこからは初校ゲラに赤を入れる毎日が始まります。
今回の「やさしい統計」はタイトル通り、 統計のやさしい内容を扱っています。でも教科書ではないので、 ゆったりした作りで、大事なポイントを押さえる書き方になっています。
最近「やさしい統計」を書いている影響なのか、 「平均年収○○万円……」といったニュースの見出しを見ると、 「中央値は? 標準偏差は?」と考えるようになりました。
中央値は以前から意識していたのですが、 標準偏差を意識するようになったのは最近のこと。 年を取っていても「自分の視点が変化する」 というのはあるものなのだなと、 変なところで感心しています。
後ほど、「本を書く心がけ」のコーナーで、 Web連載を書籍化する際に結城がやったことを、 時系列でお話しします。
* * *
「聖なるもの」の話。
「聖なるもの」といっても、キリスト教固有の話ではありません。 もう少し一般的な話。
あなたは、自分にとっての「聖なるもの」を何か持っていますか。
「聖なる場所」でも「聖なる日」でも「聖なる人」でもかまいません。 その場所、その日、その人に関わるときには身を正したくなる存在のことです。 そういう存在について考えたことがあるでしょうか。
「聖なるもの」というのは「おかしてはならないもの」 とも言い換えられるでしょう。 単純に「大切にすべきもの」というよりも強い意味ですね。 それを大切にすることによって、自分に何らかの影響があるものです。 自分勝手に取り扱えない、自分の理屈でどうこうできない存在。
そのような「聖なるもの」というのは、 必ずしも宗教的なものとは限らず、多くの人が持っていると思います。 自分の身を正す何か。
そしてその「聖なるもの」というのは人によって違うことも多いでしょう。 ある人にとっては「聖なるもの」であっても、 他の人にとっては「とるにたりないもの」なんてことはよくありそうです。
「聖なるもの」を持っている人は、ある意味では不自由です。 聖なるものの前では自分の意志を曲げる必要が生じたり、 自分の生活を変化させられる必要が生じたりするからです。 でも、別の言い方をすれば、「聖なるもの」を持つ人は、 「自分の《外》に基準がある」とも言えるでしょう。
現代では、自分を基準とする人が多いと感じます。 そしてまた、自分を基準とすることをよしとする考え方もあります (特にそれがいけないというわけではありません)。
進路を選ぶときには、自分の好きな道を選ぼうとする。 食べるものは何で、飲むものは何で、どこへ行こうか何をしようか、 どんな人と付き合って、何を読んで、どんなことを考えるか。 そのすべてを「自分を基準」にすることがよしとされる。
それは確かに悪いとはいえないけれど、 「でも、そんなに自分だけを基準にしていていいのだろうか」 という疑問が浮かぶことがある。 そんなに、自分のことを信頼できるのかな。 そんなふうに思うのです。
「自分の行動を自分で決める、決められる」というのは、 圧政からようやく逃れた人や、 横暴な親からやっと逃れた人には福音であり、千金の重みがあります。 そして、その自由の権利をおかすのは間違っているでしょう。
しかし、その一方で、 「自分の行動を自分が決めるなら、自分は幸福になる」 というのは真だろうか、とも思うのです。
私はよく思います。自分以外に基準があるのは良いことではないか、と。 もしも、私が、自分の基準だけで生きたとしたら、 それは大きく道を外した人生になりそうだな、と思います。
あなたは「聖なるもの」や「行動の基準」について、 どう思いますか。
* * *
放物線の話。
NHKの大科学実験で行われた「放物面に物体を垂直落下させると焦点を通る」 というようすの動画が公開されていました。
◆みんなここに集まってくる−ハイライト/大科学実験 http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005300886_00000
パラボラアンテナの表面は放物面(断面が放物線になるような曲面)で、 その曲面の性質から、どの位置にボールがあたっても焦点を通過します。 放物面の(放物線の)その性質を生かして、 パラボラアンテナが電波を効率的に送受信できるのですね。
という理屈は分かっていましたが、 このような動画を実際に見るのはほんとうに楽しいものです。 数学的な理屈と、パラボラアンテナの美しさと、 電波の送受信という実用性。 それらがボールの動画で可視化されている楽しさ。
* * *
本音の話。
先日、ある報道関係者(特派員を名乗る人)が、
「相手の嫌がる質問をぶつけて本音を引き出す」
という取材手法があると語っていました。 結城はそれについて大きな違和感を感じましたし、 私以外にも、違和感を感じていた人がいたようです。
まあ、そのような話はネットではよくあることなので流していたのですが、 私の中にひっかかるものがありました。 それは「本音を引き出す」とはどういうことなのか、という疑問です。
たとえば、私がある人(Aさん)を大嫌いだとします。 私はAさんが大嫌いだけれど、Aさんには恩義がある。だから、 公の場でAさんにはきちんとした応対をしたいと思っている……としましょう。 あくまで仮定の話ですよ。
そうすると、 「私はAさんに礼儀を尽くしているが、Aさんは心の中では大嫌い」 という状況になりますよね。 このとき、ある報道関係者が私に乱暴なことを言い、 つい私がAさんへの文句を言ったとしましょう。 これって、私の「本音」なのでしょうか。
私がAさんに感じている気持ちというのは単純じゃありません。 Aさんは大嫌いだけど大事でもある。 私のAさんに対する「本音」というのは一つではありません。 「大嫌い」も本音だし「大事にしたい」も本音です。
そこまで仮想的な状況を考えてきて少し整理が付きました。 さきほどから書いている報道関係者が語る「本音を引き出すテクニック」 というものはたいへん薄っぺらなのです。 本音を引き出すといいつつも、 自分が記事にする題材を要領良く奪い取るだけの手法にすぎないじゃないか。
もともとの話は、オリンピック選手への乱暴な質問から発していました。 大きな権力を持ち、多数の住民に影響を及ぼす政治家相手なら、 相手が嫌がる質問で「本音」(?)を引き出すのも、 まあわからないでもありません。 でも、オリンピック選手相手にそれはないよなあ、と思うのです。
ある人が大嫌いだけど大事にしたいという気持ちは誰でもありますし、 憎らしいけれど尊敬しているということもある。 報道関係者に求めるとすれば、 懸命に戦ったアスリートを質問で不愉快にさせることではなく、 広い視野と深い洞察&人脈により、 一般人が見逃したり知ることが難しい情報を、 わかりやすく公平に知らしめることではないのかな、と思います。
* * *
方程式の話。
ときどき、
「これこそ成功の方程式」 「うまくいく恋愛方程式はこれだ」
のような表現を見かけます。そして数学読み物を書いている身としては、 「方程式」という言葉にぴくっと反応するわけです。
といっても「方程式というのはそういうもんじゃない」 と目くじらを立てたいわけではありません。 ここでは比喩の一種として使われているわけですから。 むしろそこで、「方程式という用語は、 ここでどういうニュアンスを表現するために使われているのだろう」 と考えたくなるのです。
数学でいう方程式は、たとえば x + 3 = 0 という一次方程式のように、 未知数(x)を含む等式です。 そして、その未知数が満たす数を求める(解を求める) ことが主な関心事になります。 そういう意味では「成功の方程式」や「恋愛方程式」 のニュアンスとはずいぶん違うな、と感じます。
「成功の方程式」や「恋愛方程式」は、
・こんなふうにすれば成功する ・こんなふうにすれば恋愛がうまくいく
というニュアンスで、 しかもそれがゆるがない「法則」であるかのように表現しています。
そこまで考えてくると、 ここで使われている「方程式」という比喩は、 数学の方程式よりも物理学の方程式に近いようです。 物理学の方程式は、たとえば運動方程式F=maのように、 物理学上の法則を等式によって表現したものが多いからです。
……いや、そういう考察をしたからといって 何かが起きるわけではないのですが、 自分の中で「なるほど、確かに」という納得感が得られたので、 よしとしましょう。
* * *
本の話。
おともだちの大上丈彦さん( @otakehiko )は、 メダカカレッジという会社の主宰です。
◆メダカカレッジ http://www.medaka-college.com
「大上」という名前からか、 オオカミのキャラクタがアイコンになっています。
大上さんの「ワナにはまらない〜」という数学の読み物は楽しいです。 タイトルを耳にするたびに、
「『オオカミさん』が『ワナにはまらない方法』を語るのは、 動物の世界的な意味でぴったりだな!」
と思っています。
◆『ワナにはまらない微分積分』(大上丈彦) https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4774155683/hyam-22/
◆『ワナにはまらないベクトル行列』(大上丈彦) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4774176354/hyam-22/
* * *
「がんばる」ことの危険性の話。
本当に賢い人は「自分が考えなくても正しい答えを得る方法」を考えます。 それは、本当にお金を儲けるのがうまい人が 「自分が稼がなくてもお金が入ってくる方法」を考えるのに似ています。 自分の「がんばり」には期待せず、 本当に意味のあることを考え、何を考えるべきかを考える。 それこそが知恵というものでしょう。
その意味で「がんばりさえすればいい」という考え方は危険です。 がんばることが悪いわけではないし、ときにはがんばる必要はあります。 絶対にそういう場面はあります。 でも、がんばる前に「いまはがんばりどきか?ここはがんばりどころか? 自分はしっかり考えたか?」の問いかけも大事です。 やみくもにがんばるのは思考停止であり、 それは全然がんばってないともいえそうです。
「ここでがんばろう」というのは、 「ここに大きなコストをかけよう」という意思表示です。 しかも「自分ががんばろう」というのは、 「自分しかかけられないコストをかけよう」ということです。 自分のがんばりどころはここなのか、 というのは、考える価値のある問題だと思います。
安易な美談の危険性もここにありそうです。 安易な美談は、メリット・デメリットの的確な判断を鈍らせるからです。 その瞬間の感動と引き換えに、多大なデメリットを引き受けてしまう危険は、 誰にでもあると思います。
また、安易な美談や、華麗な問題解決を求める気持ちも危険です。 日々をトラブルなく過ごせるように考えている主婦や事務方や情シスよりも、 炎上している開発案件に颯爽と現れ、 あっという間に問題解決する天才プログラマを優遇する危険性です。
炎上案件を華麗に火消しする様子は誰にでもよくわかります。それに対して、 昨日と同じ今日を大過なく送れているのはいったいなぜか、 それを見抜ける人は少ないでしょう。 それを見抜くためには「目」がいるからです。 さらに言うなら、目を持っていることを見抜くにも「目」が要りますね。
* * *
数学トークの話。
結城はカフェで仕事をしています。 あるとき、 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の原稿を読んでいると、 カフェの隣の席で、高校生カップルが勉強を始めました。
しかし、二人とも参考書を目の前に広げてはいるものの、 さっきからずっとおしゃべりをしています。 クラブの話や共通の先輩の話、ネットの話題に芸能人の話題…… 話はずっと続きます。参考書も問題集もさっぱり進みません。
ねえねえ、きみたち。せっかくカフェで勉強してるんだからさ、 おしゃべりはそのくらいにして、参考書を進めようよ。 ……などとおせっかいなことを言いたくなるほどおしゃべりは続きます。
しかしながら、ふと心から声が聞こえます。
ねえねえ、結城さん。せっかくカフェで仕事しているんだからさ、 隣のおしゃべり聞くのはそのくらいにして、原稿を進めようよ。
まったくその通りだ! と思って原稿を進めたのでした。
しかし、その原稿の中では、 テトラちゃんやミルカさんが「僕」と数学トークを続けています。 結局仕事でも、高校生たちのおしゃべりを聞いているじゃん!
とオチが付いてしまいました。
* * *
では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
はじめに
数学の問題を出す楽しみ(問題編)
『数式って言葉なんだよ』 - 結城浩ミニ文庫
Web連載の書籍化タイムライン - 本を書く心がけ
数学の問題を出す楽しみ(解答編)
おわりに
-
Vol.230 結城浩/数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(3)/終戦記念日/時間・脳みそ・言葉/挑戦状/
2016-08-23 07:00220ptVol.230 結城浩/数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(3)/終戦記念日/時間・脳みそ・言葉/挑戦状/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年8月23日 Vol.230
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
台風が次々に来ています。 このメールマガジンが届くのは23日の火曜日。 そのころにはどうなっているでしょうか……
* * *
新刊の話。
今年の秋に「数学ガールの秘密ノート」シリーズ第8弾、
『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』
が刊行されます。 先日、ようやく原稿ファイルを編集部に送ることができました。 まだまだ編集作業は続きますけれど、まずは一段落。 少しほっとしました。
すべてのファイルを集計してみたところ、
LaTeXのファイル数、29 個。 LaTeXのファイルサイズ、322441バイト(180115文字)。 画像のファイル数、87個。
という感じでした。ただし、これはすべてのファイルなので、 個人的なマクロ定義が入っているものなども含まれています。 章末問題・解答・プロローグ・エピローグなどを除いた本文のみですと、
LaTeXのファイル数、5個 LaTeXのファイルサイズ、229797バイト(121387文字)
という感じになります。平均は24277文字、標準偏差は5476です。
先週の結城メルマガにも細かく書きましたが、 Web連載から第5章を「再構成」するのはほんとうに難産でした。 でも、十分に練ることができたので、いまは大きな手応えがあります。 これから出版までさらに磨きをかけていかなくては。
* * *
画一化と型の話。
先日ある方が、子供の読書感想文に関するツイートをしていました。 その方はもう元ツイートを削除してしまったので、 ここではリンクしません。
ツイートの主旨は、読書感想文の書き方に関して、 学校から渡されたプリントがあまりにも画一的なので、 これではまずいのではないかというものでした。
以下は概略です。 実際にプリントでは各項目に具体例も付記されていました。
・書き出しは、小説の一部を抜き出す。 ・書き出しの続きは、自分の考えを書く。 ・本文1、本を選んだきっかけ、読み始めの感想を書く。 ・本文2、自分の体験を書く。 ・本文3、書き出しに戻り、最初の感想に付け足す。 ・本文4、その本を読んで自分がどう変わったかを書く。
ツイート主は「画一的な読書感想文が生まれる」 という危機感を抱いたようですが、 結城はその正反対で、とてもよいプリントだと思いました。
文章の型を具体的に提示し、 ここにはこういう内容を書きなさいと指導するのは、 文章を学ぶいい方法の一つであると思います。
確かに、文章の型は画一的に見えますが、 もともと「型」というのはそういうものです。 この型に対して書く人が内容を注ぎ込んでいくのですから、 内容まで画一化されることはありません。
型が決められることで、自分の心の中から何を取り出し、 それを文章のどこに入れるかが明確になります。 これによって助かる子供は多いのではないかと想像します。 そしてこのような「型」に従うことは読書感想文に限らず、 論文など多くの文章にあてはまるはずです。
* * *
文明の利器の話。
暑いとクーラーをつけます。 クーラーで涼みながら、 「ああ、クーラーは文明の利器だなあ……」 と思います(思いませんか?)。
ところでふと、
クーラーは文明の利器である
とは考えるけれど、
スマートフォンは文明の利器である
とはあまり考えないな、と思いました。 そんな話をツイートしたら、@akiyama924 さんから、 こんなリプライをいただきました。
-------- 自然に勝利した感覚が薄いからではないか?はと思いました。 https://twitter.com/akiyama924/status/761365640250699777 --------
なるほど、と膝を打ちました。 確かに、暑くて暑くてしょうがないという自然界の状況を、 われら人間は文明の利器たるクーラーをもって改善する。 暑さに勝利! それに対して、スマートフォンは「自然に勝利」した感じがしません。 確かにそうですね……
* * *
藤井さんの話。
ボイジャーのパンフレット『これからの本の話をしよう』2016年版に、 作家の藤井太洋さん(@t_trace)の文章 「世界への挑戦」が掲載されていました。
この「世界への挑戦」には、藤井さんが『Gene Mapper』を 世界で売っていこうとするようすが描かれています。 いくぶんかは技術の問題、いくぶんかは文化の問題、 そしてまたいくぶんかはビジネスの問題として描かれています。 藤井さんがそれらをどう考えて乗り越えようとしたかが、 具体的&簡潔に書かれているのです。
結城はたままたこの文章を読んで、大きなはげましを受けました。 作家を目指す人、文章を書いて生きていくことを考えている人には 特におすすめです。
◆『これからの本の話をしよう』2016年版 http://www.voyager.co.jp/archive/pamphlet/main_pamph_2016_japanese.pdf
* * *
いらいらの話。
ある日、スーパーのレジに並んでいました。 いつもと違って長時間待たされています。 長い列になるのはいつものことだけど、 ふだんはもっとサクサクとお客さんがさばかれていくはずなのに。
少々いらいらしつつ、前の方をながめてみると、 どうやらレジに立っていたのはアルバイトの高校生のようでした。 元気に作業しているのだけれど、どうしても手際が悪い。
ああ、このために待たされていたんだな……と気付くと同時に、 さっきまで感じていたいらいらが、 いつのまにか消えていたことにも気付きました。
待たされる原因がわかったから「いらいら」が消えたのか。 それともアルバイトの高校生を応援する気持ちから 「いらいら」が消えたのか。 本当の理由はわかりませんが「いらいら」が消えたのは確かです。
人間の心は不思議ですね。 状況は変わらないのに「いらいら」が消えたことを興味深く思いました。 待たされることは「いらいら」の原因すべてではないのですね。
* * *
戦争の話。
戦争というと「悲惨な事態」を想像する人が多いと思います。 私もそうです。でも、こんなことをふと思いました。
自国が、ある国に対して戦争を仕掛けたら、自国経済が上向きになるとする。 それとともに国内問題の大半が、短期間できれいさっぱり解決する。 客観的に考えても、確かにそうだと思える。 そのような場合であっても戦争を開始しない勇気が必要ではないか。
要するに、自国に悲惨な事態がまったく起きないと仮定した場合に、 戦争を開始しないのは可能だろうかということ。
現実的な仮定じゃないって? でも、軍需景気というのはよくある話ですよね。
もう少し考えを進めてみましょう。
ある国に戦争を仕掛けたときに、自国の誰も怪我したり死んだりせず、 さらに、相手国の誰も怪我したり死んだりしない場合はどうだろう。 相手国のすべてが自国のものになり、 結果として、相手国の国民が豊かな生活を享受できるという場合、 その場合はどうだろうか。 それでもやはり、戦争は絶対的な悪だとみんなは考えるだろうか。
戦争とは何か、戦争はなぜいけないかに関連した話題は、とても難しい。 命を奪うのはよくない。怪我をさせるのはよくない。 では、命を奪わず怪我もさせないならいいのか。 経済的損害を与えるのはいいのか。 経済的制裁と呼ばれる行為はどうか。 どこかに恣意的な線引きを入れないと何も主張できそうにない。
* * *
経済的初等整数論の話。
先日、パソコンのサポート業務契約の「m年縛り」の話を聞きました。
たとえば「2年縛り」と「3年縛り」を組み合わせると、 解約時の「違約金」を0円に抑えるためには実質「6年縛り」 になるという話です。 「2年縛り」が切れる2年後には「3年縛り」が生きているからです。
これを一般化すると、「m年縛り」と「n年縛り」を重ねることで、 「mとnの最小公倍数」ごとにしか解約しにくい仕組みということですね。
恐るべし、初等整数論を知らないと不利益に気が付かない世の中……
* * *
ペンの力の話。
先日の都知事選挙で候補者の一人が「ペンの力」を信用していない、 という発言をしていました。 この候補者がもともとジャーナリストだったこともあり、 ネットのあちこちで物議を醸していました。
政治的な話はさておき、結城はこの話題を見かけたとき、 「ペンの力」とは何だろう、と思いました。 また「ペンの力を信じる」とはどういうことだろうとも。
もちろん、一般的な比喩として「剣」に対抗する「ペン」、 すなわち武力や権力に対抗する学問や文筆は知っています。 しかしながら、自分の言葉として的確に「ペンの力」 を定義したり説明したりすることは難しいな、と思いました。
考えてみればそれは当然です。メタファーというのは、 複雑な要素が絡み合うものを端的に表現するために使われるわけですからね。 簡単に説明できるなら「ペンの力」なんて持ち出す必要はないのです。
「ペンの力」とは何だろうと考えた理由は何かというと、 最近ずっと『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』 の執筆と推敲を行っていたことにあります。 結城は、文章を書きながら、一つ一つの言葉に対して、
・具体例と共に適切に説明されたか ・読者の中にわかりやすいイメージは伝わっているか ・そして、正確な定義もまた伝わったか
を検討する作業を延々と続けているのです。 そのため、ふと耳にした「ペンの力うんぬん」 という言葉に対しても同じような態度で接してしまったのですね。 頭がいわゆる「推敲モード」になってたわけです。
たとえば、こんなことを考えます。
・「ペンの力を信じる」のと「言葉の力を信じる」は同じか? ・「ペンの力を信じる」のは書く側か読む側か? ・「ペンの力を《信じる》」というのは、 「ペンには力が《ある》」や「ペンには力が《あると考える》」と、 同じなのか?
半分言いがかりみたいな問いかけで構わないから、 自分に対していくつも発して、それに答えてみる。 自分が「いじわるな読者」になったつもりで問いを作り、 それに対して誠実に答えようと試みる。
そのような自分自身との対話を繰り返すと、 一つの概念(たとえば「ペンの力」)を、 自分がよく理解しているかどうか試すことができるのです。 これは、結城が本を書くときに日常的に行っている行為そのものです。
「いじわるな読者」というのはもちろん仮想的な存在です (ええと……そう、願いたいです)。 文章の言葉尻をとらえて、わざと曲解したり、読み飛ばしたりする存在。 心の中にそのような読者を持っている著者は、 推敲のときにたいへん助かります。 書かれた文章の弱い部分を発見することができるからです。
推敲モードの結城は、 一日中ずっと「心の中のいじわるな読者」と対話を続けているようです。
* * *
Kindle Unlimitedの話。
アマゾンでKindle Unlimitedのサービスが始まりました。
Kindle Unlimitedなら、電子書籍読み放題といわれて、 試しに使用開始してみました。ただし読み放題といっても、 「(Kindle Unlimitedとして登録されている電子書籍は)読み放題」 という条件が付きます。
さっそく何冊かピックアップして読もうとしたのですけれど、 読み放題だからといっても、そうそう読めるものではありませんね。 それに何より、すでにお金を払って購入した本(いわゆる積ん読) がたくさんありますし。
結局、何日か利用した後、ぜんぶの本の利用を終了しました。 Kindle Unlimitedで読み放題だからたくさん読める! ……という本の選び方は、どうも私にはあまり向かないようです。
もちろんこれはKindle Unlimitedやそのユーザを批判したり、 非難しているわけではありません。 本の選び方や読み方というのは個人の自由ですからね。
もともと結城は「セールだから買う」という行動を取ることは少ないようです。 私の場合、読書に対する障害は、 時間と読みたい気持ちと能力であることが多いです。 時間がなくて読めない、あまり気が乗らなくて読めない、 難しすぎて読めないという三パターンですね。
読みたい本や読むべき本は、セールだろうがそうでなかろうが、 読みたい気持ちが湧いたとき、すぐに入手しようと心がけています。
読みたいときにすぐ買って読みたい。 電子書籍は、その気持ちを実現させてくれる仕組みだと思います。
先日、調べたいことを急にバスの中で思いつき、 その場ですぐに電子書籍で参考書を購入し、 バスの中で読み始めました。そしてバスが目的地に着く前に調べ物は解決。 こういうことができるのは、電子書籍の素晴らしい点ですね。
Kindle Unlimitedの品揃えが変われば、 以上のような考えはまた変化するかもしれませんけれど。
Kindle Unlimitedが、 アマゾンプライムの1サービスになってくれたらいいのになあ。
とりあえず「無料お試し期間が終了したら課金されない」 という以下の設定をしておきました。
◆【要注意】Kindle Unlimitedの30日間お試し期間以降、 自動更新されないように設定する方法 http://www.danshihack.com/2016/08/04/junp/kindle-unlimited-5.html
* * *
では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
はじめに
数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(3)
終戦記念日に思うこと
イチローと、時間・脳みそ・言葉 - 仕事の心がけ
ロマンティック数学ナイトへの出題、結城浩の《挑戦状》
おわりに
-
Vol.229 結城浩/再発見の発想法/彼女の話/「やさしい統計」の書籍化/
2016-08-16 07:00220ptVol.229 結城浩/再発見の発想法/彼女の話/「やさしい統計」の書籍化/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年8月16日 Vol.229
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
あなたは夏休みでしょうか。 それともお盆休みが明けたところでしょうか。
結城は特に夏休みはなく、 ふだん通り月曜日から土曜日まで、 もくもくと仕事を続けています。
最近、こんな言い回しを気に入っています。
《夏は毎年来るけれど、今年の夏は一度きり》
今日は2016年8月16日。8月の折り返し地点です! 「夏は毎年来るけれど、今年の夏は一度きり」ですから、 今年の夏を後悔しないように、毎日をていねいに過ごしたいですね。
* * *
新刊の話。
現在結城の中でホットな話題は、秋に刊行予定の 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』です。 先週、ほとんどの時間はこの「やさしい統計」の第5章に費やしていました。 ようやく土曜日に第5章本文をレビューアさんに送ることができて一息。
といっても書けているのはまだ本文だけ。 各章の「問題と解答」それに巻末に付ける「研究問題」。 それから「エピローグ」に「あとがき」と、 残り作業は山盛りあります。 今週は何とかこれらを片づけていかなくては。
集中して文章の構成を考え、書き、 そして推敲していると、さまざまな気付きや発見があるものです。 後ほど、それらについてお話しします。
* * *
彼女の話。
結城は自分の妻のことをTwitterで「彼女」と呼んでいます。
私は、彼女の素敵なところを見つけたら、 彼女に伝えるように心がけています。
素敵なところというと範囲が広いですが、 実際のところ何でもいいのです。 私が見聞きして「あ、素敵だな」と感じたら、 できるだけ早くそのことを彼女に伝えます。
具体的には、着ているもの。 お出かけ着でも、普段着でも、ぱっと見て「素敵」と思ったら、 そのことを彼女にそのまま伝えます。 結城はファッションのことはさっぱりわからないのですが、 そんなのはどうでもよくて、 私が「素敵」と感じたままを伝えています。
服だけではなく、アクセサリや髪形、眼鏡(彼女は眼鏡っ娘なのです)、 立ち居振る舞いについても細々と彼女に伝えます。
言葉遣いもそうですね。メールや電話での言葉遣いが「素敵」 と思ったらそのことを伝えます。 言葉遣いに関してはファッションと違い、 少し解説が増えるかもしれません。 特に彼女は人に対する思いやりが深く、 そのことが言葉選びの端々に現れます。そのことにも言及します。
彼女が行う家事などの行動についても「素敵」 と思うところを伝えます。 もちろん「素敵」だけではなく「感謝」という思いも込めて。
彼女の気配りについても「素敵ですね」と伝えることがよくあります。 気配りというものは、言葉や行動に現れるだけではなく、 何も言わず何もしないことに現れる場合もあります。 それに気付いたときは、彼女にそのことをはっきりと伝えます。 これもまた、ときに感謝を込めて。
「あなたはこういうところが素敵ですね」と伝えると、 彼女は喜んでくれます。彼女が喜んでくれると私もうれしくなります。
言葉を彼女に伝えるときには、 《表面に見えている彼女》に対してではなく、 《内側に隠れている彼女》に対して言葉を伝えるように心がけています。
感覚的な言い回しなのでわかりにくいかもしれませんね。 たとえていうならば、相手に言葉のボールを投げるときに、 相手の目の前でぽとんと落ちてしまうような言い方はしないということです。 そうではなくて、相手の内側まで届いてほしいという願いを込めて、 ボールを投げるような言い方をするということ。 余計わかりにくくなりましたが、そういう感覚です。
言葉が目の前でぽとんと落ちてしまうなら、 落としてもかまわないやと思うなら、 言葉をいいかげんな気持ちで使いがちです。 そうじゃなくて、相手に届き、さらには内側まで届くなら、 少しでも自分の本当の気持ちに近い言葉を、 ていねいに相手に送りたいと思うものです。
「素敵だな」と思ったら、彼女にそのことを伝えています。 でも伝えるのはそれだけではありません。 いつも「感謝しています」と言いたいと思っています。 機会をとらえて「ありがとう」と言いたい。
もちろんそれは、 私に対していろんなことをしてくれることへの感謝や、 家庭を切り盛りしてくれることへの感謝なのですが、 それだけではありません。
「してくれる」ことへの感謝だけではなく、 「いてくれる」ことへの感謝です。 彼女が、私のそばに「いてくれる」という「存在」への感謝です。
* * *
では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
はじめに
再発見の発想法 - レスポンスタイム
まちがいを恐れない気持ち
Web連載を書籍化するときにやっていること - 本を書く心がけ
おわりに
-
Vol.228 結城浩/数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(2)/夏休みの読書案内/
2016-08-09 07:00220ptVol.228 結城浩/数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(2)/夏休みの読書案内/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年8月9日 Vol.228
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
暑くて、解けかけています……
* * *
講演会の話。
今週の結城メルマガでは、 先週に引き続き「数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)」として、 講演を読み物にしたものをお送りします。
この講演は筑紫女学園中学校の「夏休み期間の特別授業」 という位置づけになっています。 結城が中学生に講演をするというのは初めてのことなので、 たいへん楽しい時間でした。 企画してくださった先生に心から感謝です。
結城は本を書くことが仕事ですし、 顔出しNGで活動をしていますので、一般向けの講演会は行っていません。 これまでに何回か行った講演は、 ほぼすべてが学校関係者向けのものでした (研究者、大学院生、大学生、高校生、高校教師など)。 今回もその流れではありますが、中学生は初めてですね。
単純にコストパフォーマンス(単位時間あたりに稼ぐお金)でいえば、 講演会というのは割に合いません。 講演会向けの話を考える時間、講演の練習をする時間 (ある程度の長さのお話をするわけなので、必ず練習を何回か行います)、 当日の移動時間などを考えると、どうしても……
しかしながら、若い人へメッセージを送るというのは、 とても大事なことだと思っていますので、 オファーがあると結城なりに調整したり、 ギャラの交渉をしたりして、 何とかいい方向に持って行こうと思っています。 結城を呼んでくださる学校の方は、 数学ガールや結城の活動を熟知しているので、 かなり頑張ってくださっています。感謝です!
でも、交渉ごとは、いったん決まってしまった後では、 あまり意味を持たなくなります。 講演をすることも、本を書くことも、 《読者のことを考える》というスタンスに変わりはないからです。 いったん引き受けたお仕事ならば、 《相手》のことをよく考えて、そこに最高の私を注ぎ込む。 その心意気が大事であると思っています。 仮にギャラが一万円アップしたから、 品質も一万円アップ!なんて器用なことは難しいですしね。
お金はお金に過ぎません。時間は時間に過ぎません。 でも、他ならぬ《わたし》が、 他ならぬ《あなた》に出会う場面というのは、 たぶん一生に一回きりです。その場を最高に演出し、 結城が話す中学生たちに最高の体験をしていただくことは、 何よりも大切なことだと思うのです。
なぜなら、未来を作るのは彼女たちだからです。 自分が老いた後、自分が死んだ後、彼女たちがみずから考え、 判断し、未来を作っていく。だとしたら、 彼女たちに「結城が与えることのできる最高のメッセージを送る」 という態度は、私自身が未来に生き、 間接的に未来を作っているといえないでしょうか。
言い換えるなら、若者によいメッセージを送るというのは、 自分の命を効果的に使っているといえます。 若い人に、若い心に、自分が送ることのできる最高の言葉を送る。 最高のメッセージを伝える。その言葉を、 そのメッセージをどのように具体的に使うかは、若者に託す。 それは、自分の願う最高の未来を作る方法ではないでしょうか。
結城はそんなことを考えながら、講演用のスライドPDFを読み返し、 こまごまと直して当日に臨みました。
これまでの講演会は、みなさんにとても好評でした。 数学の先生にお会いしたときには、講演会後に、 書籍にサインしたり握手したりはげましたり、 お互いにエールを送り合うよい時間となりました。 結城は、生徒に接している現場の先生方を深くリスペクトしているのです。
* * *
ポケモンGOの話。
ポケモンGOが流行しています。
いちおう結城もインストールして少し試しているのですが、 あまり熱心ではないのでレベルがさっぱり上がりません。
先日の講演会から帰ってきたら、 妻が満面の笑顔で「ポケモンGO楽しい!」 と私を迎えてくれたのが印象的でした。 あなた、いつ始めたんですか。
それはそれとして、 確保したポケモンに名前を付けられるというので、 少し数学的な名前を付けてみました。
ちょうどWeb連載「数学ガールの秘密ノート」の「広がる複素数」 を書いているところなので、それに関連して……
◆ドードリオに名前を付けました
* * *
なまけごころの話。
あなたは、
「夏休みは、時間がたくさんある」
などと思っていませんか。それはまちがいです。
夕方には「明日の朝があるからなあ」と思い、 明日の朝になったら「夕方があるからなあ」と思い……
詳しくは徒然草第92段をお読みください。
◆夕べには朝あらむことを思ひ(徒然草 第九十二段)兼好法師作 結城浩訳 https://note.mu/hyuki/n/n3e3340ada890
* * *
割り込みの話。
先日 @naoya_ito さんがこんなツイートをしていました。
----------- Slack や SNS や iPhone の通知そのほかによる割り込みを 自分なりにマネジメントして より長く集中力維持できる自己マネジメントができる人が そうでない人を出し抜く世界は今後も続くでしょう https://twitter.com/naoya_ito/status/756263944780513281 -----------
なるほど。確かに、深く考えたり、集中して作業したりしているときの 「割り込み」というのはとても破壊的です。 たとえば、何かを考えている途中に電話が掛かってくる。 これはちょうど「賽の河原」で石を積んでいるときに鬼がやってきて、 ガッシャーン!と石をひっくり返していくのに似ています (似ていますといっても見たことはないですが)。
自分の方から「どれ、一息入れようか」として中断するのと、 外部からの割り込みによって中断させられるのとでは天地の違いがあります。
幸いなことに現在の結城はカフェで仕事をすることが多く、 外部から割り込みが掛かることはほとんどありません。 メールは自分で取りに行きますし、 メッセンジャーの類いも通知はほとんど切っています。 仕事で私に電話を掛けてくる人は誰もいません。 仕事以外でも、私に電話を掛けてくるのは妻だけです。
結城は午前9時ころから18時〜20時ころまで、 外部からの割り込みをまったく受けずに済む環境で 仕事が出来ていることになりますね。 これはたいへんすばらしいことです。
知的生活者に取って、 集中して考えることができる時間は宝物です。
そのためには、割り込まれないようにする工夫と努力が必要です。 もちろん、仕事によっては、 他の人とのやりとりが不可欠な人は多いでしょう。
しかし、それでも、まとまった時間は必要です。 集中して、思考の品質を高くするための時間がなければ、 アウトプットの品質も高くはならないはずですから。
あなたは、自分が集中して考える時間をどのように確保していますか。 外部からの「割り込み」を防ぐ工夫をしていますか。
* * *
「ハンロンのかみそり」の話。
世の中にはときおり「陰謀論」が流行ります。 「陰謀がない」ことを証明するのは、 いわゆる悪魔の証明になりますので、極めて困難です。
そんなとき、 心の片隅に「ハンロンのかみそり(Hanlon's razor)」 を置いておくのは無駄ではないでしょう。 「ハンロンのかみそり」というのは、
「無知や誤解から起きたことを、 悪意のせいにしてはいけません」
という主張です。陰謀論に適用するならば、
「それは、あいつの陰謀じゃない。 あいつが無能なだけだ」
となるでしょうか。
◆ハンロンのかみそり(Hanlon's razor) - Wikipedia https://en.m.wikipedia.org/wiki/Hanlon%27s_razor
* * *
プログラミング言語の話。
プログラミング言語を学んでいる人はよく感じると思いますが、 世の中には無数のプログラミング言語があり、 それぞれのスピードで進化をしています。
最先端でプログラミングをしている人は、 それらの技術を概観しつつ、 ここぞという大事なポイントでは深く学ぶことを繰り返していると思います。 技術の進化に合わせて言語も変化することがあるからです。
ところで、それとは別の観点もあります。 プログラミング言語は「言葉」なのですから、 長い時間にわたって考えを伝え続けるという役割もあります。
ですので、変化せずに(あるいは変化がゆっくりで)、 長く続いていることもまたプログラミング言語の美徳の一つ。 その意味で、昔生まれたプログラミング言語で、 いまでも使われているものは注目に値すると思っています (C, Lisp, Smalltalkなどを念頭に置いて書いています)。
要するに私は、最新技術を使って大量のコードを生み出すだけが、 プログラミング言語の役割ではないと思っているということです。 自分のちょっとしたニーズを満たすため、 他人にアルゴリズムを伝えるため、 さらには純粋に楽しみのため。 プログラミング言語は、 さまざまなコーディングシーンの基盤となる存在なのです。
* * *
Evernoteに定型文を書き込む話。
プログラミングといえば、 先日 @rashita2 さんがこんな記事を書いていました。
◆対話で進捗を記録し、Evernoteにノートを作る「進捗くん」 http://rashita.net/blog/?p=18588
詳しくは記事を読んでいただく方がいいのですが、 内容はタイトルの通りです。
「実行すると、進捗を問い合わせるダイアログが表示され、 それに答えると整形してEvernoteにノートを作る」というプログラムです。 プログラムといっても、 AppleScriptという簡単なスクリプト言語で書かれているので、 手直しして自分なりのプログラムに改造するのは難しくないでしょう。
ポイントは二点あります。
・対話的なやりとりによって入力を促す仕組み。 ・定型文をEvernoteに書き込む仕組み。
あの記事に書かれている「進捗くん」というプログラムを読めば、 この二点がどのように実現されているかがわかります。
そこで、こういう問いかけができます。 この二つの仕組みが自由に使えるとしたら、 どんな便利な自分用のツールができるだろうか?
進捗の記録というのは一つの応用例に過ぎません。 Evernoteを使っている人ならば、 自分が繰り返し記録している内容に思い当たるでしょう。 「それ」を対話的に実行するツールが作れる (かもしれない)ということですね。
何かおもしろいもの、できないかな。
* * *
表現と関係の話。
たとえば、それは大きな音だ。感動的な愛の告白でもいい。 あるいは視界のすべてを覆う深紅でもかまわない。 とにかく何らかの意味で注目を集めることが必要になる。
何のために?
そのまま続けて見てもらうために。 そのまま続けて読んでもらうために。 そのために、注目を集めることが必要になる。 作り手にとってはね。
本当かなあ。
本当だよ。注目を集めることは、 何らかの方法で受け取り手との関係を作り出すことになるから。 ある作り手は残虐な表現やエロティックな表現で 関係を生み出すことを試みる。 またある作り手は素朴な表現や可愛らしい表現や切ない表現で 関係を生み出すことを試みる。
関係を、生み出す?
作り手と受け取り手の間に関係が構築できなければ、 どんな映像もどんな言葉も虚空に消えてしまうから。
本当かなあ。
本当だよ。しかし大切なことはもっとあって、 それは、生み出した関係が、 刹那的なものなのか継続的なものなのかということ。 大きな音で今回は見てくれるさ。 可愛らしい表現で今回は読んでくれるさ。 でも、次はどうだろう。さらにその次はどうだろう。 継続的に見てくれるか読んでくれるかという問題に、 どう対処すればいいんだろう。
もっと大きな音を出す? もっともっと可愛らしくする?
そんなのは、インフレを起こすに決まっている。 だとしたら、どうすれば、 作り手と受け取り手の間に継続的な関係が結べるのだろうか。
* * *
iTerm2のインライン画像の話。
先日 @mzp さんの以下のツイートを見て、 iTerm2でインラインに画像表示ができることを知りました。
---------- iTerm2のインライン画像表示を試したかったので、 NEW GAME!のコマを検索するコマンドラインツールを作ってた https://twitter.com/mzp/status/756689753412476928 ----------
調べてみると、imgcat(画像表示)、imgls(画像一覧) などのコマンドがすでに公開されているようです。
◆Images - iTerm2 https://www.iterm2.com/documentation-images.html
たとえばimglsは画像の一覧表示(画像版のls)ですが、 中身はスクリプトなので、 自分好みに大きさや表示形式をいじることも簡単にできそうです。 結城はコマンドラインの操作が大好きなのですが、 画像の一覧を得るときだけはFinderを使っているので、 このimglsを改造して自分用のツールが作りたくなってきました。
◆imgls https://raw.githubusercontent.com/gnachman/iTerm2/master/tests/imgls
* * *
円周率の話。
「円周率の日」というと「3月14日」が思いつきます。 もちろん、円周率の近似値である 3.14... から来ています。
ところで先日は別の「円周率の日」というのが話題になっていました。 結城はこれを @hisano_yuki さんのツイートを見て知りました。
https://twitter.com/hisano_yuki/status/756282442428715009
その日というのは7月22日のことです。 「7分の22」という比の値は円周率にとても近いというのです。 実際、
22/7 = 3.142857142857...
ですので、3.14 まではしっかりと円周率の近似値になっていますね。 いわば、22/7というのは「円周率の日」ならぬ「円周率の《比》」と言えましょう。
ところで、結城はふと、 「月と日の比が3.14...になるのってそんなに少ないの?」 という疑問を抱きました。22/7以外にも三つくらいありそうじゃないですか。
ということで、3.1ナントカになる日を計算してみました。 すると、
6月19日 19/6 = 3.166666666666666... 7月22日 22/7 = 3.142857142857143... 8月25日 25/8 = 3.125 9月28日 28/9 = 3.111111111111111... 10月31日 31/10 = 3.1
ということで、 なんと3.14まで正しい近似値になるのは、22/7唯一なのです! ちょっと、驚きです。
なお、この計算は以下のRubyプログラムを書いて行いました。
◆一年で、月と日の比が円周率に近いのはいつか? https://gist.github.com/hyuki0000/adcc535e5faa17af8e9f5995ac1f34e8
* * *
では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
はじめに
数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(2)
夏休みの読書案内 - 数学ガールの次に何を読みましょうか(中学生・高校生へ)
個人的な数学愛好家として数学を学ぶ
賢さを誇るということ
おわりに
-
Vol.227 結城浩/数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(1)/なぜあの人は、いつもああなのか/
2016-08-02 07:00220ptVol.227 結城浩/数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(1)/なぜあの人は、いつもああなのか/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年8月2日 Vol.227
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
もう八月になりました! 毎日暑くて、解けてしまいそうです…
私のまわりには暑さのためか体調を崩している人が多いのですが、 あなたはいかがですか。
* * *
「数学ガールの特別授業」の話。
ちょうど一週間前、2016年7月26日(火)に結城は、 福岡の筑紫女学園中学校で特別授業(講演)を行いました。 夏休みの特別企画として生徒さんに「言葉が持つ力」という話をしたのです。
いつものように当日の講演会は録音してきましたので、 これを文字に起こして加筆修正を行い、 読み物としてこの結城メルマガで配信したいと思います。
数回に分けて配信しますが、今回はその一回目です。 ぜひお読みくださいね。
今回の配信分PDFのURLはこのメールに含まれています。 過去に実施された「数学ガールの特別授業」のようすは、 以下のページにバックナンバーとしてまとめてあります。
◆数学ガールの特別授業 http://www.hyuki.com/girl/lesson.html
* * *
重版出来の話。
『数学文章作法 推敲編』と『暗号技術入門』 の重版連絡が相次いでやってきました。 「重版出来!」はとてもうれしいニュースですね。 どちらの本もロングセラーとして、 この本を必要とする読者さんのお役に立つのを願っています。
『数学文章作法 推敲編』は刊行したのが2015年でしたから、 一年ちょっとでの重版になりました。 基礎編に比べるとゆっくりしたペースですが、 初版の部数がずいぶん多かったことと、 また電子書籍が健闘していることが影響しているかもしれません。
『暗号技術入門』は今回で5刷となります。 こちらも多くの人に大事にされるロングセラーとなっています。
みなさんの応援、いつもありがとうございます。
* * *
新刊の話。
新刊『百年後の詩人』(結城浩著)のあらすじは以下です。
その時代、詩人たちは、 「プログラマに適切な比喩と関数名を与える」 という仕事だけをこなす毎日を過ごしていた。
あるとき、ひとりのカリスマのもとで詩人たちはついに蜂起した。 「言葉は力である」と自覚していた詩人たちが取った革命の方法は、 やがて予想もしなかった未来を生み出していく。
詩人たちがカリスマの助けを得て取った方法とは、 《語義の間隙》をねらう方法だった。 「一つの単語には一つの意味」という《単一語義原則》に慣れたプログラマは、 詩人たちのその仕掛けに足をすくわれる形となる。 プログラマがパッケージ名、モジュール名、関数名、メソッド名、 というそれぞれの名前空間で同じ語句を使ったときに発動する、 《語義の間隙》とは。
主人公のプログラマ「ロゴス」は、 日々の労働に嫌気がさしていた。 生活のためと飛び込んだ企業では、 毎晩のように真夜中過ぎまでの労働が続く。 確かにプログラマは「言葉を並べる仕事」だ。 しかし、自分が思っていたのはこういうんじゃないんだ。
ロゴスの恋人「ラング」は逆だった。 自分にプログラマの才能があると知りながら、 絵本に関わる出版社に勤務する毎日。 自分が書くならまだしも、 わけのわからない絵本作家におべっかを使う毎日。 しかし彼女はコンピュータに関する天賦の才能があった。 その力はまさに《語義の間隙》事件によって開花する。
一ヶ月ぶりに出会い、愛を確かめるロゴスとラング。 しかし、その場で二人は同じプロジェクト「コンテキスト」 に関わっていることを知る。 偶然だね、と笑ったのもつかの間、 ロゴスのクライアントであるチョムスキーが不可解な事故に遭い、 その犯人としてロゴスが指名手配になる。
ロゴスを助けようとするラングの働きは、 ラングと関わりの深い絵本作家ヘボンによって阻止される。 反発するラング。しかし、そこに働いていたのは、 名前空間を支配する謎の組織「メタコンテキスト」の強大な力であった。
ロゴスの疑いを晴らし、 メタコンテキストの野望を打ち砕く方法は「言葉の種」 を見つけることと知ったラング。 しかし、苦労の末に見つけた「言葉の種」は偽物であった。 絶望に陥るラング。しかしその時ロゴスが残したメモに気づく。 そこに本物の「言葉の種」を見出す方法が書かれていた。
苦難の末に本物の「言葉の種」を見つけたラング。 これでロゴスを救い出せると思ったが、 すでにロゴスはメタコンテキストの洗脳にあっていた。 だれの愛も信じられないロゴス。 ラングは「言葉の種」がそのままでは「種」にすぎないことを知る。 芽を出し成長させなくては言葉に意味はない。
それに気づいたラングは、 ロゴスがもとの心を取り戻すために「言葉の種」をすべて費やす。 持っているすべてを失ったラング。 しかし、その腕を支え抱きかかえたのは、洗脳が解けたロゴスだった。 彼はラングの活躍によって、 言葉が固定的なもの・死んだものではなく、 生きているものであることを知ったのだ。
「言葉は、誰かのところで止まったときに死ぬ。 しかし、次の誰かに伝わったときに新たな命を得る」 ロゴスとラングが悟ったのはこのことだった。 メタコンテキストは、言葉を固定することで、 世界を支配しようとしていたのだ。 二人は力を合わせてメタコンテキストのアジトにたどり着く。
しかしすでにもぬけのから。 メタコンテキストの幹部らは、劣勢を悟って逃亡していた。 「言葉は固まってるのに、逃げ足だけは早いな」 と嘯くロゴス。蹴飛ばすラング。
ロゴスとラングの生きた言葉を守る小さなユニットと、 死んだ言葉で世界を膠着させるメタコンテキストとの、 長い戦いがいま始まったのだ。
以上が『百年後の詩人』のプロットになります。 壮大だ!
……という新刊ジョークを考えたんですが、 ジョークとしてプロットを書いているうちに、 私自身も読みたくなってしまいました。
いったい、いつ書くんでしょうね!
* * *
(ほんとうの)新刊の話。
秋に刊行予定の『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』 の執筆が佳境に入っています。7月末までに本文を仕上げるつもりでしたが、 さまざまな理由によりだいぶ遅れています。
現在は第4章に取り組んでいます。第4章と第5章の内容配分で、 あれこれ練り直しを行っていたのがようやくかたまったところ。 だいたい執筆が遅れるときというのは理由があって、 盛り込みたい内容が多すぎるんですよ。
内容が多すぎるために整えるにも時間が掛かり、 全体像を把握して取捨選択するためにも時間が掛かる。 書くのも読み返すのも時間が掛かる。 ですから「どうも進捗が悪い」というときには、 自分の能力を疑う前にページ数を数えるというのは現実的な話。 現実のページ数を把握せずに、自分の理想を追っても、 なかなか進捗せずにいやになってしまいますからね……
……などと他人事のようにいってはいられないので、 ちゃくちゃくと書き進めなくては。
がんばろー!
* * *
表現する話。
Twitterで @51D_Mustang さんが、 『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』 のエピローグに出てきた《微分する機械》をプログラムとして表現していました。
https://twitter.com/51D_Mustang/status/754029211464019968
多項式として表現されている関数の係数列から、 微分した導関数の係数列を得るという処理を行うプログラムですね。 こんなふうに、プログラムを使って《表現する》 というのはとてもすばらしいことだと思います。
プログラミング言語は言葉。 プログラムを書くというのは、文章を書くことに似ていて、 自分が考えたことを「こういうことだよね」と表現する行為です。 しかも、実際にプログラムを動作させて、 「ほら、確かに思った通りに動いた」と確かめることができる。
時代が時代なら、研究者がのどから手が出るほどほしがった計算機資源を、 現代の私たちはたっぷり手にしています。 「プログラミングによって自分の考えを表現する」というのは、 現代ならではの表現方法ですよね。
* * *
疲れているときの話。
結城は、疲れているときやがっかりしているとき、 他の人をはげましたり応援したくなる場合がある。 それは、自分に何か見返りが欲しいという気持ちとは少し違う。 自分が受け取りたいものを、せめて人には渡したいという気持ちなのだ。
よく似ているのは、身体が疲れてこわばっているとき、 妻の肩を揉んだり背中をマッサージしたくなること。 なぜかわからないけれど、 自分が苦しいところを見極めて相手に仕えると、 自分も楽になる。不思議な法則がそこにある。
聖書の「自分がして欲しいことを相手にしてあげなさい」 というのは真理なのだ。
* * *
「連ツイ最前線」の話。
結城は日常的にTwitterでツイートしています。 また、意識的に「自分あてにリプライ」をする「連ツイ」を行っています。
ところで、ある瞬間を切り取ってみると、 複数の「連ツイ」が「書きかけ」になっていることになります。 たとえば結城は毎日「森を抜けて仕事場へ」のツイートを行いますが、 そこには「お仕事の作業記録連ツイ」が続いています。 その他にも、ハイになったときに書く突発的な連ツイがありますし、 特定の話題に関して少しずつ進んで行く連ツイもあります。
そこで、 現在の「連ツイ書きかけ最前線ツイート群」 がわかるといいんじゃないかな!と思いました。 そういう「最前線」が見やすくなっていれば、 「さっきまで考えていたこと」 の続きとしてリプライをそこに繋げることができる。
……と考えたので実際に 「連ツイの最前線ツイート群」が自動的に作られるようにしました。
◆連ツイの最前線ツイート群 http://rentwi.textfile.org/html/latest.html
これで、複数個流れている「結城の連ツイ」スレッドの最前線が 伸ばしやすくなったはずです。 「最近、どんなこと連ツイしてたっけ?」へ答えるソリューションです。
こういうプログラミングしているときって、 すごくワクワクします。アイディアが形になり、 しかも毎日が少し便利になる。これってなかなかいい感じ!
* * *
ゲームの話。
結城はiPhoneでパズルゲームを解くのが好きです。 アクションゲームみたいなのはぜんぜんだめなんですが、 静かに考えて解くタイプのゲームは大好き。
特に今回ご紹介するようなアブストラクトなゲームはすごく好き。 この klocki というゲーム(クロッキーと読むのかなあ)は、 言葉で説明するのは難しいんですが、とにかく「繋げる」パズル。
◆Maciej Targoni「"klocki"」楽しいパズルゲーム https://itunes.apple.com/jp/app/klocki/id1105390093?l=en&mt=8
説明は言葉でいっさい出てこないし、 チュートリアルもない。ただ画面にオブジェクトが表示されて、 「さあどうぞ」といわんばかりにユーザの操作を待つ。
そこに置かれる丸いものはタッチするたびに回転する。 レバーがあったら回すことができる。 触れると色が変わる四角いパネルは、他のパネルと交換できる。 ……といったゲームのルールはいっさい《説明されません》。
ルールを自分で見つけ、求められている最終形態も自分で想像する。 そんな不思議なパズルがklockiなのです。
たとえば、この画面、どんな操作が可能か、想像できますか?
◆klocki(スクリーンショット)
そしてたとえば、この画面。 何をどうすれば「解けた状態」になるか想像できますか?
◆klocki(スクリーンショット)
結城はすでに全面コンプリートしたのですが、 そのミニマルでおしゃれなデザインが好きなので、 いまでもときどき遊んでいます。
それにしてもこういうパズルゲームを考える人の頭の中って、 いったいどうなっているんでしょう!
◆Maciej Targoni「"klocki"」楽しいパズルゲーム https://itunes.apple.com/jp/app/klocki/id1105390093?l=en&mt=8
* * *
Evernoteの話。
先日書籍執筆に関係した調べ物で、Webを検索していたところ、 Evernoteが、
「いま検索した語句と関連しているノート」
というものをチラ見せしてくれました。 それが意外にもたいへん有効で、
「おお、そういえばこれも必要な話だった。ありがとうEvernote!」
という経験に結びつきました。 Evernoteはなかなかあなどれません。
◆Evernoteは関連したノートを見つけ出してくれる(スクリーンショット)
正直な話をしますと、 この機能がいままで役立ったことはほとんどありません。 でも、今回はたいへん役立ちました。
何しろEvernoteに入っている情報は、すべて私の関心事でありますし、 また世界中を検索しても見つからないものである場合も多いのです (当然ながら)。
今回「関連したノート」をチラ見せしてもらい、結城は、 自分の個人的な秘書がそばでささやいてくれたような、 そんな気持ちになりました。
こういう道具をずっと進化させた先には、 未来の知的生活者の道具があるのかしら。
自分が本を書いていると、ときどき、 「ねえ、結城さんが最近書いている文章のことだけどさあ……」 と教えてくれるような知的主体のような存在が。
* * *
では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
はじめに
数学ガールの特別授業(筑紫女学園編)(1)
「なぜあの人は、いつもああなのか」
教師とは何だろうか - 教えるときの心がけ
おわりに
1 / 1