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  • Vol.326 結城浩/数学に熱中するきっかけ/タイムマネジメント/学ぶときの心がけ/本を書く心がけ/

    2018-06-26 07:00  
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    Vol.326 結城浩/数学に熱中するきっかけ/タイムマネジメント/学ぶときの心がけ/本を書く心がけ/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年6月26日 Vol.326
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    新刊のアナウンスです!
    今年の秋に『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』が刊行されます。
    アマゾンでは早くも予約が始まっていますので、ぜひどうぞ!
    ◆『数学ガールの秘密ノート/行列が描くもの』https://bit.ly/hyuki-matrix
    目次
    数学に熱中したきっかけ
    大学一年生のタイムマネジメント
    専門外の人に専門的なことを説明するとき
    「いつも明るい人」に不信感を抱いてしまう
    証明の細部は読者の練習問題とする - 学ぶときの心がけ
    堅固な「理解」を構築するコツ - 学ぶときの心がけ
    「みんなが読みたいもの」と「自分が書きたいもの」をすりあわせる方法 - 本を書く心がけ
    数学に熱中したきっかけ
    質問
    結城先生が数学に熱中したきっかけってありますか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    そうですねえ、小中学生のころに講談社の「ブルーバックス」のような本を読んだ経験は、数学に興味を持つきっかけになっていると思います。いわゆる一般向けの科学啓蒙書でしょうか。
    ところで、いまにして思えば、小中学生のころに読んだ啓蒙書の内容、私は「ほとんど理解してなかった」といえます。ブルーバックスはたくさん買いましたが、理解したのはほんの一部分だけだったんじゃないかなあ。
    理解してはいませんでしたが、読んで「こりゃおもしろい話だ」と感じることはたくさんありました。
    トポロジーの本を読んで、ぐにゃぐにゃした変な形を楽しみました。自分で大きな模造紙にトーラスを描いて遊んだのを覚えています。相対性理論ではローレンツ収縮の話や、ウラシマ効果の話など。その他「ブルーバックス」以外にも、カタストロフィ理論やフラクタル幾何学などなど。さっぱり「理解」はできてませんでしたが「ここにはおもしろい話があるぞ!」という体験はたくさんありました。
    ふと気がつくと自分自身がそのような一般向けの啓蒙書を書く立場になっていることに気付きました。子供のころに私が「ブルーバックス」を楽しんだように、現代の中高生は「数学ガール」を楽しんでくれています。
    ですから、私の書いた「数学ガール」を読んだ小中学生から「数式はさっぱりわからなかったけど、とってもおもしろい話でした!」という感想が来ると「わかる、わかるよ、その気持ち!」と言いたくなります。
    それから、ときどき読者さんから「私は『数学ガール』に興味があるんですけれど、読んで理解できるかどうか心配です(震え声)」というメッセージをいただくこともあります。そんなときには、自分の経験を踏まえつつ「無理に読んで嫌いになられても困りますけど、でも実は、理解できるかどうかというのは、それほど大きなことじゃないんですよ」とお返事したくなります。
    話がちょっとそれちゃいましたけれど、そんなところです。本との出会いは大事ですね。
    ご質問ありがとうございました。
    大学一年生のタイムマネジメント
    質問
    「大学は自由なところだ」という言葉を信じて「大学に入ったら、自分でこんなことを勉強するんだ」ということをモチベーションに入学しました。でも現在、与えられた課題だけで毎日が終わってしまい、自分の勉強したいことにはまったく手をつけられず、悲しく過ごしています。
    こつこつ課題は進めているつもりなのですが「私の作業効率が悪すぎるのか」と凹むこともあります。
    どうしたら、時間をうまく使っていけるでしょうか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    自分で学ぼうという姿勢はすばらしいですね。ぜひその意気を忘れないでくださいね。
    課題は次々に与えられるでしょうから、それをこなすのに時間が掛かると、確かに凹みたくなるかもしれません。
    あなたは「作業効率が悪すぎるのか」と考えていらっしゃるようですが、解決方法を探るためには、まずはデータ収集が必要です。データ収集をし、解決方法を事実に基づいて考える必要があるでしょう。
    データ収集というのは、つまり自分の時間の使い方の調査です。「自分は毎日、何にどれだけ時間を使っているのか」という記録を付けるということ。どんな形でもいいですから、一週間、二週間、一カ月記録を付けてみましょう。まずはそこからですね。
    自分が使える時間(いわば、可処分時間)がどれだけあるのかを考えます。もちろん、勉強だけしているわけにはいきませんから、他の活動をよく考えて自分の時間を何にどれだけ割り振るかを考える必要があります。
    ところで、大学からの課題とは別に、あなたには「自分で勉強したいこと」があるのですよね。その時間は半ば強制的に確保した方がいいと思いますよ。たとえ長時間が無理でも、わずかな時間でいいのです。大事なのはコンスタントに確保すること。毎日、毎週、毎月。どういうペースがいいかはわかりませんが、自分の学びを育てていくことはとても大事です。
    大学で過ごせる時間というのは長いようで短いもの。あっというまに卒業になってしまうでしょう。もちろん大学の課題は大事ですが「自分の外からやってくるもの」だけではなく「自分の内から出てくるもの」にも時間を割り振るのは大事ですよ。
    まとめますと、こんなことに注目してみてはいかがでしょう。
    自分の時間の使い方を調査する
    可処分時間を確認し、活動へ時間を割り振る
    自分で勉強したいことのためにはコンスタントに時間を割り振る
    あなたの学びが豊かな実を結びますように!
    ご質問ありがとうございました。
    専門外の人に専門的なことを説明するとき
    質問
    私は、複雑系科学を専攻しています。
    自分の専門分野は、数物系の大学院生やハイレベルな学部生を除くと世間的な認知度が非常に低く、理解してもらうために毎回苦労します。
    専門外の人に、自分の専門について説明するときに心がけていることはありますか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    「適切な具体例」を見つけるように心がけています。
    ある分野について専門外の人は、当然のことながら専門的な知識や考え方を持ちません。でも、何も知らないわけではありません。ですから、話を聞いてくださる人が知っていることに関連した具体例を使うようにするのはいいことです。
    いくら探してもそのような具体例がない場合には、比喩のような形でもいいです。話を聞く人が頭の中で類推できるような具体例を使って話すのがいいですね。
    よく練った具体例を見つけるのは一朝一夕にはできないことですから、普段から意識して探し、ストックしておくのがいいと思います。
    また「常識に反する知識」を話すと興味を持ってもらえる可能性が高くなります。
    「常識的に考えると、ついこんなふうに考えがちですけど、実はそうじゃないんですよ」という話をすると「へえ!どうしてですか?」という反応を引き出すことができるからです。いわゆる「食いつきがよくなる」ということですね。
    「常識に反する知識」までいかなくても、おもしろい法則、意外な規則、一見すると無関係に見えるような事柄に存在する関係などを伝えると、興味深く聞いてくれる可能性が高くなります。
    専門性が高いものを、そのままの粒度で伝えようとするのは無理があります。ですから、何か一つのことをよく練った具体例で話し、関連することはさらっと流すようにメリハリを効かせるのも有効です。専門家はそのことを四六時中考えているので、たくさん話したくなりますが、非専門家にとっては新しい情報が多すぎて処理しきれない状況になりがちですから。
    その一方で、聞く相手の熱意によりますが、非専門家であっても話を単純化し過ぎない方がいいこともよくあります。話を単純化し過ぎると、かえって興味を失う結果になることもあるからです。
    専門家が非専門家に対して適切に説明する技術というのは、これからの時代で非常に重要だと思います。がんばってくださいね。
    ご質問ありがとうございました。
     
  • Vol.325 結城浩/再発見の発想法/「ひとりSlack」で知的生活のパワーアップ(2)/角の立たない伝え方/書いたものへの攻撃/

    2018-06-19 07:00  
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    Vol.325 結城浩/再発見の発想法/「ひとりSlack」で知的生活のパワーアップ(2)/角の立たない伝え方/書いたものへの攻撃/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年6月19日 Vol.325
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    月曜日(2018年6月18日)の朝、大阪方面で震度6弱というたいへん大きな地震がありました。
    被害に遭われた方へ、心からお見舞いを申し上げます。
    目次
    「自分の得意なもの」を判断する基準
    角の立たない伝え方 - 教えるときの心がけ
    自分が書いたものに対する攻撃への対処 - 本を書く心がけ
    エクスポート/インポート - 再発見の発想法
    「ひとりSlack」で知的生活のパワーアップ(2) - 仕事の心がけ
    「自分の得意なもの」を判断する基準
    質問
    学部三年の者です。
    結城さんは「自分の得意なもの」を判断する基準は何だとお考えですか。
    そろそろインターンを含む就活や院進を意識して動かないといけないのですが、将来何をしたいのか決まりません。
    「何もしたくない」のではなく「やりたいことや興味関心のある分野が多すぎて決められない」という状態です。
    そこで「自分の得意なもの」 を基準に考えてみようとしたところ、今度は自分の得意なこととは一体何なのかという問題にぶつかり先に進めずといった状況です。
    これまで「自分の得意なもの」は何かを探るために、数学、生物、法律、経済、プログラミング、哲学というさまざまな分野に手を出してきましたが、どれも自分では得意だと確信はできません。
    ぜひお考えをお聞かせください。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    まず、「好き・嫌い」が自分で判断するものなのに対し、「得意・不得意」は他人から判断されるものじゃないでしょうか。
    この活動は好き、この分野は嫌い、というのは自分の気持ちですが、得意・不得意というのは他人の判断や評価も大事になるという意味です。
    その意味では、普段からさまざまな種類のアウトプットを出し、他者から何らかの評価を受けておくというのは、得意・不得意を知る上で大切なことだといえると思います。これまであなたは、自分の活動で第三者から評価を受けたことはあるでしょうか。
    わたくしごとで恐縮ですが、結城は周りの人から「説明がうまい」「わかりやすい文章を書くのがうまい」という評価をいただくことがよくあります(感謝)。なので、それが得意なのだなと認識している部分があります。自分自身ではなかなか判断はできないものです。
    ところで、あなたのように、自分のやりたい分野がいっぱいあって決められないというのは結構なことです。多くの人が「やりたいこと」を見つけられないでいます。
    その一方で「どの分野が得意か」に対する自己理解ではなく、もう少し抽象度を上げた自己理解が必要なのではないかとも感じました。たくさん関心があるように見えても、そのコアのところ、核になる部分に「共通の何か」はないでしょうか。
    人は変化するものです。これが不得意だと考えていたのに実際にやってみたら得意だった。あるいは、これは嫌いだと考えていたけれど実際にやってみたら意外に好きだったということもあります。少なくとも表面的な活動に関しては変化する場合があります。でも自分のコアの部分の価値観や興味・関心はあまり変化しないように思います。
    ということで「自分の得意なもの」を判断するときには、
    自分の考えだけではなく、他者からの評価はどうか
    関心のある具体的な分野だけではなく、抽象度を上げたときの「共通の何か」はないか
    を考えてみてはどうでしょうか。この二つをまとめるなら「自分自身を多面的に見る」ということになるわけですけれど。
    あなたが、よい進路を見つけることができますように。
    ご質問ありがとうございました。
    角の立たない伝え方 - 教えるときの心がけ
    質問
    「自分の考えていることを伝えたい」と思っています。
    人と話しているときに「この人とは考えが違うな」ということが多いです。
    そんなとき、うまく自分の考えを相手に伝えたいのですが、伝える時点で相手に反対しているようになってしまい、角が立ってしまいます。
    しかし、結城先生の文章にはそのような印象を感じません。
    先生がご自分の考えを相手に伝えるとき、角が立たないようにされているのでしょうか…
    もしあれば、どのような工夫をなさっているか、教えてほしいです。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    以下はあくまで自分の「心がけ」とご理解ください(つまり、実際にできてるかどうか怪しい場合もよくあるという意味です)。
    結城は「角が立たないようにしている」というよりも「相手を動かそうとしていない」ように思います。
    多くの人は、自分の考えや行動について他人からあれこれ指図されるのを嫌います。「あれしろ、これしろ、こう考えろ」なんて言われたくないのが多くの人の気持ちです。そうですよね。ふだんと違うことを強制されるのは好みません。
    他人からあれこれ指図されたくはありませんが、でもその一方で、自分とは違う人の新しい話やおもしろい話を聞きたいという気持ちも同時に持っているものです。つまりふだんと違うことを求める気持ちもあります。
    ふだんと違うことを強制されたくはないが、ふだんと違うことを求める気持ちもある。そのように、ちょっぴり矛盾しているのが多くの人の状態ではないでしょうか。
    さて、自分の考えを相手に伝えようとするとき、少なからぬ人が「相手に伝える」ではなく「相手を動かす」ことをねらってしまいます。つまり新しい情報を与えて相手が自分から動くことを期待するのではなく、相手を直接的に自分の言葉で動かそうとしてしまうのです。それをやってしまうと相手は自分の身を防衛するような気持ちになってしまいますね。
    書き言葉でも話し言葉でも同じですが、言葉は人の心を浮き彫りにしてしまいます。自分の考えを「相手に伝えたい」だけと思っているつもりでも、心の中に「あわよくば、自分の考えを認めさせたい。相手の考えを変えさせたい」という気持ちを持っていると、それは相手に伝わります。
    人は、誰かから何かを言われて考えを変えることは滅多にありません。たいていは自分で納得して初めて考えを変えるものです。
    また、考えを変えるよりもずっと以前の話として、多くの人は、他人の話を上の空で聞いています。多くの人は、大事だと思う人の話や、自分が「これは重要だ」と感じた話にしか耳を傾けないものです。
    そしてまた多くの人は「他人の話を聞くこと」よりも「自分の話を他人に聞いてもらうこと」を求める場合が多いものです。自分が伝えたいことを受け入れてくれる人を求めるのが人情です。ちょうど、あなたと同じように(そして私と同じように)。
    そのように人間というものを考えてみるならば、自分の考えていることを相手に伝えるには三つのことが大切だとわかります。
    相手の行動を変えようと思わないこと。
    相手に信頼してもらうこと。
    先に、相手の話を聞くこと。
    この三点は、とても逆説的です。
    あわよくば相手の行動を変えたいなら、そんなことは思うな。
    信頼してもらうために自分の考えを伝えたいなら、まず信頼してもらえ。
    相手に伝えたいなら、まず聞け。
    まるで、自分のやりたいことと真逆なことが要求されているようですけれど、よく考えれば当たり前のことです。「自分がしてほしいことを相手にする」こと、そして「自分がされたら嫌なことは相手に対してもしない」こと。それはコミュニケーションの黄金律ですから。それを守るのは大事ですね。
    あなたの質問への直接的な回答ではありませんが、以上です。
    ご質問ありがとうございました!
     
  • Vol.324 結城浩/大切にした人の嫌なところ/連載漫画が描けない/学歴コンプレックス/質問への回答で心がけていること/

    2018-06-12 07:00  
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    結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年6月12日 Vol.324
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    先日Twitterで「美しいと思える小説のタイトル」というハッシュタグがトレンドに入っていました。「これは美しいなあ」と思えるような小説のタイトルをみんなで挙げていくわけですね。とても楽しいハッシュタグです。
    ところで頭が校正モードになっていた私は、ついこのハッシュタグについて考えてしまいました。
    「美しいと思える小説のタイトル」という表現で「美しい」というのは「小説」なんだろうか「タイトル」なんだろうかということを考えたのです。
    (1)「『美しいと思える小説』のタイトル」
    (2)「美しいと思える『小説のタイトル』」
    ふつうに考えると(2)です。でも頭が校正モードになっていると、誤読の可能性をどうしても考えてしまうのです。
    さらに「あなたが美しいと思える小説のタイトル」だったらどうなるかなと考えを進めました。こうすると美しいものの候補として「小説」「タイトル」の他に「あなた」が加わります(!)。
    誤読の可能性をできるだけなくしておきたいと考えるなら、たとえば「タイトルが美しい小説」という表現にする方法があります。
    (A)「美しいと思える小説のタイトル」
    (B)「タイトルが美しい小説」
    たしかに(A)よりは(B)の方がすっと読めて誤読の可能性は減ります。でも(A)が持っている「含み」のようなものは失われてしまいますね。
    (A)の方には「と思える」という言葉が入っているために「他の人はさておき、自分としては」というニュアンス、自分の主観でいいんだよというニュアンスが入ります。(B)の方ははっきり言い切っているので明確ですが、Twitterのハッシュタグとしては(A)の方が親しみを感じられるかも。
    頭が校正モードになると、こんなことを延々と考えてしまうのです。
    ではそろそろ、今回の結城メルマガを始めましょう。
    目次
    はじめに
    目次
    大切にした人の嫌なところが見えてきたら
    読み切り漫画は描けるけれど、連載漫画が描けない
    志望順位が低い大学に進学した大学一年生、学歴コンプレックスに悩む
    質問への回答で心がけていること
    おわりに
    大切にした人の嫌なところが見えてきたら
    質問
    数学ガールが大好きな大学生です。いつも楽しく読ませていただいています。
    つい最近、交際していた方とお別れしました。付き合うまでは、その人の「素敵なところ」だと思っていた性格が、交際を始めてその人と過ごす時間が増えて詳しくなるにつれて、自分にとって「嫌なところ」に思えてきてしまいました。それがきっかけで、その人とうまくコミュニケーションが取れなくなってしまったと今では思います。
    もし、次に、付き合いたいと思えるような方と出会ったとしても、また、その人の長所だと思ってたことに嫌悪感を抱いてしまうようになるかもしれないと思うと怖いです。
    結城先生は、大切にしたいと思える方と親しくなるにつれて、その人の「嫌なところ」が見えてきてしまったときに、どのように思われますか。
    また、どうすればよいと思われますか。
    ご回答いただければ幸いです。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    ひとりの人と「深く」つきあえば、あるいは「長く」つきあえば、ほぼ確実に「嫌なところ」は見つかるものです。どれだけ深く、どれだけ長くつきあっても「嫌なところ」がまったく見つからないなんて人はこの世にいませんよね。
    一回しか会わない人であれば、いくらでもその場でいい顔はできるでしょうし、そもそも情報が少ないので偏りによって全体を誤認することも多いでしょう。長く付き合えばつきあうほど、全体像が見えてくるのは当然のことです。問題はそこでどう判断するかですね。
    全体像が見えてきたときに、その相手に魅力を感じ、大切な存在だと思うことができるかどうか。そしてまた、人間は変化するものですから、いま「嫌なところだ」と感じている部分がまた別のときに魅力に転じることがあるのかどうか。その判断になりますが、なかなか難しい話です。
    長所と思って付き合ったけれど、また嫌悪することになるのではという恐れは理解できますし、実際にそういうことになるかもしれませんが、人はひとりひとり違うものです。あまり人との出会いをパターン化して考えない方がいいですよ。いままでの相手とは違う「かけがえのない、この人」に出会うこともあります。
    そして、あなたにとって「かけがえのない、この人」だとしても、深く・長く付き合ってくるとやはり「嫌なところ」が見えてくる可能性は高いです。そのときに「またか」とパターンに当てはめないように注意が必要です。
    あなたが以前お付き合いしている人と別れたのは最近のことですね。交際していた人と別れるというのは、とても心悩ますできごとだったと思います。まだ時間が経っていないなら、どうしても悪い方に考えがちです。「次に、付き合いたいと思った人と出会っても、また……」のように怖くなってしまうのはしかたがありません。
    自分に対して「心を休めるための時間」をきちんとプレゼントしましょう。他人を愛するためにも、自分を愛してあげなくてはね。
    ご質問ありがとうございました。よき出会いがありますように。
     
  • Vol.323 結城浩/自信/要領を得ない話し方/受け身の人生から抜け出すために/読者に直接売る/結城浩の数学ノート/

    2018-06-05 07:00  
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    Vol.323 結城浩/自信/要領を得ない話し方/受け身の人生から抜け出すために/読者に直接売る/結城浩の数学ノート/結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年6月5日 Vol.323
    はじめに
    結城浩です。
    いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
    六月に入りました。まるで夏のように暑いです!
    実は、暑くなるとつらいのは、暑さではなく寒さです。
    「今日は暑いから」といって薄着をすると、電車やカフェの冷房が強くて震え上がることが多いからです。
    特に電車! 電車の冷房はまだしも扇風機をプラスするのはやめてほしい……
    体調を崩さないように気を付けつつ、今回の結城メルマガを始めましょう。
    目次
    はじめに
    目次
    なかなか自信がつかない - 仕事の心がけ
    自分のことが好きになれない
    言いたいことが言葉にできず、要領を得ない話し方になってしまう
    会社員二年目、受け身の人生から抜け出すために「自分のしたいこと・できること」を探したい
    自分の作品を読者に直接売ることの意味 - 仕事の心がけ
    「結城浩の数学ノート」を作りながら考えていること - 仕事の心がけ
    おわりに
    なかなか自信がつかない - 仕事の心がけ
    質問
    「自信」って、どうやったらつくんでしょうか。
    私は周囲から「スキルがあってうらやましい」と言われます。
    でも、自分自身はどうしても謙遜してしまいます。
    どうすれば、自分のスキルを自信をもって言えるようになるんでしょうか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    あなたの質問の中には「謙遜せずに応対する話」と「自信がつく話」との二つが混じっているように感じました。
    「謙遜せずに応対する話」については、以下のような応対になると思います。
     だれかの言葉「スキルがあってうらやましい」  あなたの返事「そのようにほめてもらうとうれしくなります」
    あなたのスキルに言及したということは、相手はあなたの活動に注目してくれているということですね。また、スキルがあってうらやましいと言うのなら、あなた自身の評価はさておき、相手はあなたのスキルを高く評価しているわけです。
    自分の活動に注目してもらえて、スキルを高く評価してもらえるということを「うれしい」と感じるなら、「うれしくなります」という主張は事実にそった主張ですよね。なのでその気持ちをそのまま伝えればいいのではないかと思いますよ。
    このように「謙遜せずに応対する話」の方は、相手とのコミュニケーションの問題です。でも「自信がつく話」はそうではありません。こちらは自分自身の問題になるからです。
    では「自信がつく話」について。もしもあなたが「現在の自分のレベルよりも、私はもっと上をねらいたい、もっと成長したい」と考えているなら、それはけっこうな話であると結城は思います。進歩したい、成長したい、停滞せずにスキルアップしたい。いいじゃないですか。
    勉強する、練習する、他者から刺激を受ける、経験を積む……あなたが考えている「スキル」が何かはわかりませんけれど、現状に満足せずにスキルアップをはかる道はたくさんあるでしょう。
    あなたの質問で結城がやや引っかかったのは、もしかするとあなたが気にしているのは「どれだけ自分のスキルが上がってもさっぱり自信がついたと思えない」ところではないかという点です。
    自信がない→スキルアップ→まだ自信がない→スキルアップ→まだまだ自信がない→……
    もしこういう状態だとすると気になりますね。もしかすると、自己認識がちょっぴりズレているのかもしれません。
    バランスのいい自己認識を持つことは大事です。バランスのいい自己認識といっても、何も難しいことはありません。要するに「自分のできないこと」と「自分のできること」の両方を認めればいいのです。具体的には次のような感覚です。
    「自分のスキルはまだまだ低い。でも、ここまではできるようになった」
    「自分のスキルではあれはできない。でも、これはできる」
    「自分のできないこと」と「自分のできること」の両方を認めるというのは、自分を適切に評価するともいえます。大事なのは、その時点で他者はあまり関係がないということ。これは自分自身の問題です。
    しばしば「自分のできること」を無視する人がいます。無視までいかないけど軽視する人はたくさんいます。まるで「自分に何かができること」を恐れているかのようにふるまう人です。
    これは結城の想像ですが「自分はこれができる」と認めたり「自分には自信がある」という状態になると「自分は慢心して成長が止まるのではないか」と恐れているのではないでしょうか。「これで自分は大丈夫となったら、自分は堕落してしまうのではないか。怠けてしまうのではないか」ということを恐れる気持ちです。
    しかしながら、「自分のできないこと」と「自分のできること」を事実としていったん認めることは健全な成長のために大切です。「自分のできること」をしっかりと認めないと、それを土台にした次の一歩を踏み出すことが難しくなるからです。慢心するな!怠けるな!と自分を追い立てすぎるのは考えものです。
    「自分のできないこと」だけではなく「自分のできること」もきちんと認めましょう。良い点も悪い点もバランスよく評価しましょう。特に「事実」に立脚することが大事です。
    私が、(出来不出来はさておき)この成果物を作ったという事実。
    私が、(出来不出来はさておき)この発表を行ったという事実。
    あの人が、(私自身の評価はさておき)私のスキルをほめてくれたという事実。
    これまで●●ができなかったけど、(過去や未来はさておき)今回は●●ができたという事実。
    そのような事実を押さえることが非常に重要です。成果物がどれだけの出来かは別の話。まず、成果物を作ったという事実を認めることがかんじんなのです。
    ジグソーパズルを一気に完成させる人はいません。自分が「確かにこれは事実だ」と認めるピースをひとつひとつ押さえていきましょう。そのようなピースが集まって初めて「自分にほんとうに欠けている部分」が見えてきます。「自分のできること」をしっかり認識して初めて自分が努力すべき方向が見えてくるのです。
    自分のスキルは完璧ではないかもしれない。世界一ではないかもしれない。
    しかし、自分が達成した事実をしっかり認めましょう。
    事実を踏まえて歩きましょう。
    そうしていくうちに、健全な自信が身につくと思いますよ。
    ご質問ありがとうございました。
    自分のことが好きになれない
    質問
    他人のことは好きになるのに、自分のことは好きになれません。
    自分のことを好きになるには、どうしたらいいですか。
    回答
    自分を、他人のように扱ってみてはどうでしょうか。
    言いたいことが言葉にできず、要領を得ない話し方になってしまう
    質問
    説明するときも、感想を言うときも、意見するときも、会話のときも、適切な言葉が出てこなくて要領を得ない話し方になってしまいます。
    言いたいことがなぜか直接言葉にできず、適切な言葉にたどり着こうとまわりをグルグルしたり、他の言葉で言い換えようとして失敗したりします。
    言葉がわかっていて言えないというのではなく、言いたい言葉に靄がかかって、その言葉がそもそも出てこないのです。言いたい言葉が何なのかもわからなくなってしまいます。
    言いたいことを端的に、短く、的確に言うことができず、わたわたしてしまってもどかしいです。
    言いたいことは頭の中にあるつもりなのですが、それを言葉にして伝えることができません。感想ひとつ言葉にできないのです。
    思考の言語化を怠っているからでしょうか。思ったことを適切な言葉で文章にして書く練習をすればなおるのでしょうか。
    回答
    ご質問ありがとうございます。
    大きな話なので、あなたにぴったりの回答かどうかわかりませんが、私の思ったことをいくつか書きます。
    まず、適切な言葉をすばやく一発で見つけるというのは、基本的にとても難しいことだと思います。自分を例に挙げて恐縮ですが、リアルタイムの会話はもちろんのこと、ひとりで文章を書いているときですら適切な言葉を見つけることは難しいと感じます。いつもです。だから、時間を掛けた推敲が必要になるわけですが。
    二つのことをお話ししたいと思います。一つは「少しずつフォーカスを合わせていく」という話。もう一つは「自分の気持ちに気をそらされない」という話です。
    まず「少しずつフォーカスを合わせていく」という話。
    あなたが質問の最後に書いていたように、文章を書くことは、適切な言葉を見つける練習になると思います。でも、文章を書くときでも、いきなり適切な言葉が見つかるわけではありませんし、自分の言いたいことをぴったり表した言葉が見つかるわけでもありません。それはとても難しいことです。
    適切な言葉を見つける前に、まずは大枠で「こっちの方向だよ」と指し示すのをお勧めします。最初からフォーカスがばっちり合った言葉を使うのではなく、ぼんやりとしていてもいいのだとまずは考えるのです。「ぴったり合ってはいないけど、方向としてはだいたい合ってる」という言葉を使うのです。
    自分が好きな食べ物の話をするとしましょう。そのときに、自分の好きなリンゴの品種を正確に言おうとするのではなく「果物が好き」と言ってしまうのです。ざっくりと。
    そして「果物が好き」と言ってから「でもパイナップルは嫌い」と言ってもいいのです。そうやって、少しずつ少しずつ、ときには自分の心を探りながら、言葉をつないでいくというのは、決して悪い方法ではないと思います。そのうちに「リンゴは好き」や「リンゴではジョナゴールドが好き」という言葉にたどり着くことを期待しつつ。
    大事なのは「少しずつフォーカスを合わせていく」こと。小さな一歩を進めていくことです。頭の中で「果物が好きだけど、正確にはすべての果物が好きなわけじゃなくて、たとえばパイナップルは嫌いだし、バナナも苦手かな。でもリンゴは好き。でも本当に好きなのは何かというと」とずっと考えていると、何も言えなくなってしまいます。
    いまは例としてリンゴの話を書いたので話が簡単になっちゃいましたが、あなたが適切な言葉のまわりをグルグルするときと似ていないでしょうか。言いたいことにぴったりとフォーカスが当たった適切な言葉を持ち出さなくてもいいのです。適切な言葉が見つからないプロセスも含めて表現してしまった方が、実は相手に伝わりやすくなるかもしれません。
    一つ目は「少しずつフォーカスを合わせていく」という話でした。
    二つ目は「自分の気持ちに気をそらされない」という話です。
    あなたが書いた「言いたい言葉に霞がかかってそもそもその言葉が出てこない」という感覚は、ちょっぴり理解できます。私の場合は「思いつく言葉はあるけれど、ほんとうは《これ》じゃないんだ!」という感覚です。
    自分は何かを言う。でもそれが自分の言いたいこととはズレている。そういう感覚が強いと混乱してしまいますよね。
    自分が何か言葉を言おうとしたとき、自分の気持ちが「違うよ!違うよ!いま口にしようと思っている言葉はほんとの気持ちとは違うよ!」と訴えてくるなら、意識がそちらにそれてしまいます。自分が何とか自動車を進めようとするときに、誰かがいきなり横からハンドルをぐいっと調整してくるようなものです。
    結城の場合には「もともと言葉というのは自分の《言いたいこと》とはズレているものだ」と開き直るようにしています。先ほど話したようにできるだけフォーカスを合わせる努力はするのですが、正確に合わせるにはとても時間が掛かる。あまりにもかけ離れた言葉ではいけないけれど、何とか方向性は合わせ、あとは相手にまかせた!という部分もあります。
    言いたいことをちゃんと言おう、適切な言葉で表そうとするのは大事ですが、自分の気持ちに気をそらされてばかりでは、いつまでも「言い切る」ことができなくなります。話している途中で「私は果物が…いや違うな。うん、パイナップル以外の……そうじゃなくて…」などとふらふらしては、混乱に拍車が掛かってしまいますね。自分の《言いたいこと》にこだわる気持ちを抑えて「いったん言い切る」ことは大事です。
    以上、「少しずつフォーカスを合わせていく」ことと「自分の気持ちに気をそらされない」という二つのお話を書きました。
    何かの参考になればさいわいです。
    ご質問ありがとうございました!