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今『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』を遊ばないのは人生の損失である(2,095字)
2017-03-17 06:00110pt『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』(以下『BotW』)をプレーしている。まだ始めたばかりでそれほど進んではいないが、以下に感想を書いてみたい。
「オープン・ワールド」というゲームの概念がある。文字通り「開かれた世界」ということだ。プレイヤーはそこで自由に遊ぶことができる。
なぜそういう概念ができたかといえば、ゲームは元々「閉じられた世界」だったからだ(厳密にいえば今でもそうだが)。例えば最初の『スーパーマリオブラザーズ』は、右にしかスクロールできないし、上下にも移動できない。これはRPGも同じで、ある区切られたフィールドの中でしか動くことができず、隣のフィールドに移動するには画面が切り替わるのを待たなければならない。いわゆる「シーム(つなぎ目)」が存在したのだ。
しかしこれをなくし――つまりシームレスにし、どこまでも移動できるという現実と同じような空間をゲーム内に再現しようとした -
「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第2回(1,502字)
2017-03-16 06:00110pt1みなさんは「勉強ができる」というと、どういう人を想像するだろうか?
まずは「テストで点数を取れる人」というのが頭に思い浮かぶのではないだろうか。
人間の一生にはテストがつきまとう。学校のテストに始まり、入社テスト、運転免許や弁護士といった資格も、テストを通らなければ取ることはできない。
そう考えると、テストで点数を取ることができれば、人生のいろんな問題も解決しそうだ。だから「勉強ができる」というのは、「テストの点数を取れる人」ということで、あながち問題はなさそうである。
ところで、そもそも「テスト」って何だろう? なぜこの世にはテストがあり、多くの人がそれを受けなければならないのか?
テストには、実は大きく二つの「目的」がある。
一つは、その人がそれを習得しているかどうかを計るために行う――ということ。
例えば学校のテストは、生徒が勉強を習得しているかどうかを計るために行わ -
[Q&A]野球熱は下がっているのか?(2,040字)
2017-03-15 06:00110pt[質問]
最近、いろいろな映画を観て目が肥えてきたせいか、多くの人が面白いと言っていて、アカデミー賞を何部門かでとっているような作品でも満足できない自分がいます。例えば『ラ・ラ・ランド』です。踊りのシーンやエマ・ストーンのオーディションシーンの演技も、二人の恋の顛末も満足できるのですが、何か物足りないのです。よくできていると思う一方で、その映画だけが持っている佇まいのようなものを求めてしまっているのです。でもそういうのは、ちょっと傲慢なのかな? と思ったりもします。このことについて岩崎さんはどうお考えになりますか?
[回答]
傲慢ではないと思います。ぼく自身も、幼い頃にたくさんの絵本を読む中で、絵本に対する目が肥えて、物足りなさを感じてそれに飽きたことが、絵本を卒業したきっかけでした。絵本を卒業したぼくは、『ドリトル先生』という読み物に魅せられて、その後小説家を志すきっかけになりましたし、 -
世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その60(1,835字)
2017-03-14 06:00110pt日本人は「箱庭」が好きである。
「箱庭」とは、狭い空間の中に多様で広大な「世界」を表現する芸術の概念だ。
例えば、日本人は「盆栽」という文化を育んできた。盆栽は、小ぶりな松を巨大な大木に見立て、鉢植えの中に小さな世界を表現するものである。
あるいは、前述した「枯山水」などの庭園も、小さく区切られた世界(庭)の中に、ある種の完全体である「宇宙」を表現しようとする試みだった。
さらに、これは芸術と異なるかも知れないが、日本の伝統的な食文化である「おせち料理」がある。これも、狭い空間の中にさまざまな食材を詰め込んで、ある種の箱庭を表現した試みといえよう。
このように、日本人は小さなスペースに宇宙そのものを詰め込んでしまうような美的感覚を、古来より営々として積み上げてきた。なぜそれが成し遂げられたかといえば、それはひとえに国土が狭い中で豊かな生活を営もうとしてきた結果だろう。土地の狭さを感じさせな -
任天堂の株について:後編(1,986字)
2017-03-13 06:00110pt任天堂の株が乱高下している。特に最近は、既存のゲームハードとスマホが対立するような構造になっているので、多くの投資家の関心事となっている。
投資というのは、価格が動きやすいものとそうでないものがある。投資信託などは滅多に上下しないが、株はドラスティックに動く可能性があり、取り分け任天堂のような人気商売はその上下幅が大きい。
だから、売買していて面白い。なんでもそうだが、変化の少ないものを見ていると飽きてしまうが、変化の大きいものは、たとえ劇的に下がったとしても、見ている分には面白いのである。
ところで、ぼくが任天堂の株を買ったのは、もちろん『ポケモンGO』の成功を予期していたからではない。ただ、任天堂が「面白い経営をしている」というのを知っていたからだ。
ご存じの方はご存じだが、任天堂は岩田聡さんという社長がその直前に亡くなっていた。ぼくが任天堂の株を買ったのは、それが一つの大きな理由とい -
任天堂の株について:前編(1,681字)
2017-03-10 06:00110ptぼくは『もしドラ』が売れる前にあるお金持ちの人から「お金持ちになるといろんな人が寄ってきてお金を貸さなければいけないので大変だ。お金を貸すとお金とともに友情まで消し飛ぶので岩崎さんも気をつけた方がいいよ」ということを言われていた。
それで『もしドラ』が売れて実際お金持ちになったときに誰が来るかと戦々恐々としていたのだけれど、ぼくの場合は一人も友だちが寄ってこなかったのでお金も友情も失わずに助かった。というより、そもそも友だちが一人もいなかったので失う友情もなかったというオチがついたわけである。
それでも寄ってくる人はいてそれは仕事上のつきあいのある人だ。その人がある日証券会社の人を紹介してくれてそれこそつきあいで株を買わなければいけなくなった。
ぼくはそれまで株に全く興味がなかったのだけれど、これがつきあいで買ってみると存外に面白かった。何が面白かったかというと毎日市況を眺めるようになって -
「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第1回(1,573字)
2017-03-09 06:00110pt2ぼくはもともと勉強ができたわけではない。記憶力は平凡だし、頭の回転も速くない。
それでも、多くの競争に勝ってきた。合格した大学は競争率二〇倍の難関だったし、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった秋元康さんの弟子になったのも多くの希望者を差し置いてのことだった。
二〇〇八年には、書いていたブログが、はてなダイアリーという狭い世界の中ではあるが、最もブックマークされたブログになった。またこれをきっかけに、初めて書いた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という本が、二〇一〇年に発売された一〇万種類以上の本の中で一番売れた。
なぜ、こうした競争に勝てたのかといえば、それはあることに長けていたからだ。そのあることとは、勉強ができることではない。ぼくは、勉強はできなかった。しかしながら、「勉強の仕方」はよく知っていた。それを使って、先に述べた競争も勝ち抜くことができ -
[Q&A]変な人に絡まれるのはなぜか?(1,478字)
2017-03-08 06:00110pt[質問]
この前、学会で保育者教育(造形)についての発表をしてきました。質疑の時間に年配の先生が手をあげて、「質問というよりアドバイスになるかもしれないが・・・」と切り出し、後で個人的に話せばいいようなことを語り始めました。知人が「全員にとって有意義な質問をしなければいけないのに。ここの学会はレベルが低い」と言うと、別の人は「美術の分野の人は変わった人が多いから仕方がないのよ」と言い出す始末です。その上、さっきの質問者は後で名刺を差し出して「あの質問が失礼だったらあやまるよ」とか、夜になるとフェイスブックで友だち申請してきたりしました(共通の友人が多く、今後も参加する研修会などで会うことになるので承認しました)。何だか気持ちが悪い人です。昨日の発表で変な質問をされたのは私だけです。一体どうしてこういう人に絡まれてしまうのでしょうか? 自分の何が彼みたいな人を引き寄せてしまうのでしょうか? -
世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その59(1,852字)
2017-03-07 06:00110pt人間というのは、抽象度が高い画像だと、それを想像力で補いながら具象化する。このとき、人間の想像力というのは、ややもすれば実際に体験したことと同じくらいのリアリティで迫ってくる。
それは、人間が実際に何かを体験するとき、多くのフィルターを通してそれを体験していることと、深く関係している。違う言い方をすれば、人間が実際に何かを体験するときも、多くの想像力を動員しているのだ。
目、耳、鼻、舌、肌といった人間の各器官には、たくさんのフィルターがかかっている。なぜなら、フィルターをかけないとすぐに情報量がオーバーフローして、脳がパンクしてしまうからだ。
例えば、目からはさまざまな情報が入ってくるが、それらを全てインプットすると、脳の許容量を大きく上回ってしまう。そこで脳は、それらを全てインプットさせないため、あらかじめフィルターをかけて遮断しているのだ。
この機能があるおかげで、人間は車を運転するこ -
『台獣物語』を書き終わった(2,066字)
2017-03-06 06:00110pt『台獣物語』を書き終わった。
感想は、もっと「感慨もひとしお」になるかと思ったが、あまりそういうものは湧き上がってこなかった。
理由はいくつかあるだろう。
まず、『台獣物語』のストーリーはかねてよりぼくの中ではできあがっていたもの――ということがある。今回の脱稿は、それを文字に起こしただけだ。だから、その分感慨があまり湧き上がってこないのだろう。
ただ、客観的に見ればその区切りは必ずしも小さくはない。なぜなら、これまではぼくの頭の中だけにあったものが、文字を通じて多くの人と共有できるようになったということは、作品が前進するための大きなステップとなるからだ。
それでも、実感としてはやっぱりまだ「道半ば」という意識が強い。『台獣物語』に限らず小説というのは、必ずしも書き上げることがゴールではなく、むしろそこからがスタートとなる場合が多いからだ。特にこの作品は、配信する分を毎週書き足していった「
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