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歴史を調べると学校の不要さが分かる(1,766字)
2021-10-15 06:00110pt1今はマンガの歴史を調べている。マンガの歴史を調べるというのは「『面白い』とは何か?」の歴史を調べることといってもいいだろう。マンガは面白いと評価されたものだけが生き残り、歴史を紡いできた。だから、その系譜を辿れば面白いと評価されるものがどのような流れを構成してきたかが分かるからだ。
そういう視点でマンガの歴史を辿ると、やはり第二次大戦の終戦は大きな契機だったということがよく分かる。手塚治虫は終戦直後にデビューしたが、重要なのは手塚より年下の読者しか面白いと評価しなかったことだ。手塚を支持したのは手塚より当時の子供だけだ。
それは、ここに強烈なジェネレーションギャップが存在するということの証明である。そして、そのジェネレーションギャップの原因は何かと歴史を調べると、答えは簡単に見つかる。それは「終戦」である。そうして、終戦は我々が思う以上に強いインパクトを持ったできごとだったということがあら -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その26(1,938字)
2021-10-14 06:00110pt赤塚不二夫は1958年、秋田書店に『ナマちゃん』というギャグマンガを描く。これが好評で、そこから一気にギャグマンガ家への道を歩み始める。
その後、1962年に植木等の「スーダラ節」をヒントにその名も『スーダラおじさん』というマンガを少年サンデーで描くが、これがさらに好評で、少年サンデーでの週刊連載が決まる。
そこで描き始めたのが『おそ松くん』だった。最初はそれまでの日常系マンガの延長線上で描いていたが、次第に時代のニヒリズム――特に植木的な諧謔主義に寄せていき、小ずるい日本人をバカにするようになる。
赤塚がまずバカにしたのがトニー谷だった。トニー谷は1917年の生まれで、第二次大戦では従軍し、中国を転々としていたという。終戦時に28歳だったが、日本に戻ると日系アメリカ人を模倣して変な日本語(ルー大柴的な)を喋るという芸風を確立し、一躍人気者になった。
ただし、人気者といっても「ヒール」とし -
[Q&A]身長が低いことのコンプレックスはどのように克服すればいいのか?(3,266字)
2021-10-13 06:00110pt2[質問]
20代で背が160㎝ない男性がいます。食事会をしたときに自分のコンプレックスが身長が低いこととそれもあり、もてないという話をしました。対面にいた看護師の女子が身長じゃないといいました。しかし男性はよく聞き慣れたことばらしく、解散したあとにそういう人ほど身長にこだわっているといいました。なるほどと思いました。
身長が低い男子は確かに持てるイメージが少ないです。自分ごととしても上手く乗り切る方法がわかりませんでした。悩んでいる男子も多いので、このコンプレックスを乗り越える方法についてアドバイス願います。
[回答]
コンプレックスを「乗り越える」というのは難しいですね。相当の努力が必要で、それが無理ならやはり「受け入れる」しかないと思います。
ぼくは、高校のときに「女の子と上手くおしゃべりできない」ということがとてつもないコンプレックスでした。それで何をしたかというと、単純に上手くおし -
生きるとは何か?:その5(1,731字)
2021-10-12 06:00110pt1人は、無意識的に生きると幸せになれる。
「無意識的に生きる」とは、ズバリ、ルーティンワークをすることだ。
ところが、ルーティンワークをすると、単調で気が狂いそうになるという人がいる。一方で、ルーティンワークで気が狂わない人もいる。むしろ、心身の調子がよくなるという人がいる。そのため、ルーティンワークには「気が狂うものとそうでないもの」とがあるということになる。
では、「気が狂わないルーティンワーク」とは何か?
今回は、そのことについて見ていく。
気が狂わないルーティンワークの代表は、農業だろう。農業をしていて鬱病になったという話を聞いたことがない。逆に、鬱病だったけれども農業を始めたら快癒したという話なら何度も聞いたことがある。
また、気が狂わない「ルーティンワーカー」の代表はイチローだろう。彼は、選手時代を通じて、ずっと「ルーティン」をくり返していたにもかかわらず、気が狂っていない。むし -
好きなことを見つける方法:その20(1,693字)
2021-10-11 06:00110pt多くの人は、「人間は結局、他人のことを理解できない」と思っている。それはそれで正しいところもある。そもそも、人の心は姿や形がなく、言葉でも表現できないので、記録したり、定義したりすることが不可能だ。
その上、厄介なのは人間の器官や感覚には錯覚がつきまとうということである。そのため、自分自身でさえ、自分の心をしっかりととらえることができない。そんなふうだから、他人の心が分かるはずもない。それで、多くの人は「人というものは基本的に理解不可能」ととらえているのだ。
しかしながら、もう一方では厄介なことに、人間には「理解不可能なことを嫌がる」という性質がある。なぜ嫌かといえば、単純に「怖い」からだ。理解不可能なものに対して、多くの人は「自分の命が脅かされる」というくらいの強い警戒心を抱く。
例えば、「蛇が怖い」という人は多い。ぼくも怖い。どんなに小さく、噛まれても死なないと分かっている蛇でも、見る -
最高の教育とは何か?(1,881字)
2021-10-08 06:00110pt教育というのは、人を悪くすることはできる。しかし、良くすることはできない。その意味で、意味があるとも言えるし、ないとも言える。
つまり、人を悪くする教育は、もちろん悪い教育だが、人を悪くしない教育は、いい教育と言うことができるだろう。
では、「人を悪くする教育」とはどういうものか?
それは、「秋葉原連続殺人事件の犯人」にしたような教育をすることだ。あるいは「連続幼女殺人事件の犯人」にしたような教育をすることだ。つまり、抑圧である。抑圧する教育こそ教育的悪である。実にシンプルだ。
だから、抑圧しない教育こそがいい教育ということになる。抑圧しないとは「自由」ということである。自由教育こそがいい教育だ。つまり、何もしないということが結局一番なのだ。
ところで、自由とは何か?
これはきわめて定義が難しいが、ここではシンプルに考えたい。つまり、とにかく好きに振る舞うこと。これが自由である。
この自由 -
マンガの80年代から90年代までを概観する:その25(1,570字)
2021-10-07 06:00110pt赤塚不二夫は60年代の中頃から後半くらいまでの3年間が絶頂だった。しかし70年の音が聞こえるくらいにはもう衰退していた。
なぜかといえば、まず世の中の雰囲気が一変したということがある。とにかく大学紛争一色に塗りつぶされた。特に69年は東大安田講堂事件もあって受験までもがなくなった。そういう騒然とした雰囲気に、「もはや赤塚不二夫の寛容主義は笑えない」という価値観が世の中に蔓延していった。
それで、代わりに殺伐とした空気が支配するようになった。エゴグロナンセンスが世の中の大勢になった。そこで鮮やかに登場したのが永井豪であり、次にジョージ秋山だった。
永井豪は1945年の生まれ。ジョージ秋山は1943年の生まれで、団塊の世代より少し年上である。2人とも「戦争を知る子供たち」だ。だから、団塊の世代が中心だった大学紛争には与しなかった。2人はむしろ、戦う学生たちを冷ややかな眼差しで見つめる「子供たち -
[Q&A]眞子さまと小室氏のご結婚についての社会の反応をどう思うか?(4,009字)
2021-10-06 06:00110pt1[質問]
ライターとして仕事をしていますが、斜陽産業と呼ばれるようになった今、編集者という仕事は目指さない方がいいんでしょうか?
[回答]
編集者という職種自体は、これからも必要とされると思うのですが、過当競争になることは避けられないため、実力のある人だけが生き残る、弱肉競争の社会となっていくでしょう。しかもそうなると、会社に所属するのではなく、作家のように「独立して営業していく」というスタイルが一般的になると思います。
「実力のある編集者」というのは、とにもかくにも「売上げ」を作れる人です。要素としては、企画力・編集力・宣伝力の3つが必要でしょう。
これからの編集者は、この3つを兼ね備えた個人の時代だと思います。ぼくは、企画力と編集力はありましたが、宣伝力がなくて苦労しました。
[質問]
ここ2、3年、ある業界に転職しようと思い面接を何十社受けても全くダメで落ちます。受かったことはありま -
生きるとは何か?:その4(1,514字)
2021-10-05 06:00110pt5「考えない」とは何か?
「考えない」というのは、無意識に生きる、ということだ。人間は、自然に生きていれば、自然と無意識に生きられる。例えば、朝起きて顔を洗う。電車に乗る。自販機で飲み物を買う。疲れたら寝る。こうした行為は、人はほとんど無意識に行える。
こうした行為が無意識に行えるのは、それがルーティンワークだからだ。人は、ルーティンワークだと無意識に行える。だから、ルーティンワークを行えば行うほど、無意識に生きられ、幸せになれる。
昭和の時代に鬱病が少なかったのは、これが理由だ。仕事のほとんどがルーティンワークだった。鉄道員など、下手をすれば入社してから定年退職するまで、30年間仕事が変わらなかった。ルーティンワークが延々と続いたのだ。
そういう時代に生きていると、人は無意識に生きられ、鬱病にならずに済んだ。しかし、時代はその後、平成に入ってから急激に変化するようになった。特にウィンドウズ -
好きなことを見つける方法:その19(1,665字)
2021-10-04 06:00110pt感覚的な人間か、論理的な人間か――人間には大きくこの二つの傾向がある。ただし、どちらか一つに偏っているというわけではなく、誰でも両方の性質を持っている。そのバランスが、人によって違うのだ。
そして、人は美しいところで育つと感覚的になり、醜いところで育つと論理的になる。感覚的な人間というのは、論理というものを信じず、むしろ自分の直感を信じる。その直感は、だいたい「視覚」に依拠している。つまり、美しいか否か、である。美しいものは直感的に信じ、醜いものは直感的に否定する。
では、「美しいところ」とはどういうところか?
それは、基本的には「美しい空」があるところである。また、美しい空と地球とが作る関係性――つまる「美しいスカイライン」があるところだ。これがあるところで育つと、美的感性が育まれ、感覚的な人間になる。
ちなみに、日本で一番美しいところは盆地である。特に、西側に高い山脈があると、美しさが
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