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記事 22件
  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その56(1,823字)

    2022-06-16 06:00  
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    赤塚不二夫が巻き起こした「ギャグマンガ旋風」はすさまじく、直後にフォロワーが雨後の竹の子のように現れた。おかげであっという間に「ギャグマンガ」というジャンルが確立したほどだ。
    ぼくは1968年生まれだが、物心ついたときにはすでにギャグマンガはジャンルとして確立していた。ぼくが本格的にマンガを読み始めたのは1978年頃のことだが、それはまだ『天才バカボン』の大ヒットからほんの10年ほどしか経っていない。マンガ界では、ほとんど『天才バカボン』一作でギャグマンガというジャンルが勃興し、以降、それが当たり前のこととして定着するようになったのだ。
    赤塚不二夫のギャグマンガを最初に受け継いだのは少年ジャンプ誌ではないだろうか。この雑誌の創刊は1968年で、ちょうど『天才バカボン』の大ブームとかぶっている。だから、まだ色がついていなかった分、乗っかっていきやすかった。フォローしやすかったのだ。
    そこで、

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  • [Q&A]水島新司の評論が遺族から禁止されているのはなぜか?(2,474字)

    2022-06-15 06:00  
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    [質問]
    あちこちで相手の顔色を伺いながら、気に入られようと発言する人がいます。しかし結果的には誰からの信頼も失ってしまうということがあります。そういう人は、先のことを考える力がないのでしょうか? 辻褄を合わせる力がたりないのでしょうか? 
    [回答]
    以前、日本では「今を生きる」みたいな言説が流行しました。
    「今、このときがだいじなんだ」
    「今のこの瞬間は、もう戻ってこない。だから、存分に楽しもう」
    ぼくは、これが流行った当時から胡散臭いと思って無視していたのですが、しかし洗脳された人は相当な数にのぼったのではないかと思われます。きっとその人も、洗脳がまだ解けていないのではないでしょうか。
    [質問]
    ハックルさんもリツイートしていた、
    水島新司さん研究本を4年間出せなかった理由『日本野球はいつも水島新司マンガが予言していた!』
    ですが、買って読んでいます。松井の5連続敬遠の前に、山田も5連

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  • 生きるとは何か?:その35(1,725字)

    2022-06-14 06:00  
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    生きるとは何か?
    それはやはり「流れる」ということになるだろう。比喩的な意味ではなく、物理的・実際的な意味での大きなエネルギーの流れがあって、そこに乗っかって流れていくのが生きるということだ。だから、ひとつの大きな原則としていえるのは、流れに逆らったら大変だということだ。それは不幸や死を意味するだろう。
    しかしながら、「流れに棹さす」という言葉もある。「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」と『草枕』の冒頭に書いたのは漱石だが、この「棹さす」という感覚は面白い。
    我々は、巨大な川に浮かぶ小舟のように流されている。ただ、必ずしも無力なわけではない。我々の手には棹があって、それを流れにさせば、ある程度は向きを変えられる。そうして、大きな流れに逆らいさえしなければ、ある程度の自由を得られる。
    これこそが「生きる」ということの面白さではないだろうか。全体的には不自由だが、その枠組みの中には自由が

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  • 知らないと損をする世界の裏ルール:その19「他者と論理的に話してはいけない」(1,913字)

    2022-06-13 06:00  
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    おそらくほとんどの人が、「他者とは論理的に話した方がいい」と思っている。しかしながら、これは大きな誤りだ。人は、他者と感情的に話した方がうまくいく。
    なぜかというと、実はほとんどの人が論理性を身につけていないからだ。そのため、論理的に話せない。それなのに無理やり論理的に話そうとすると、話そのものが破綻してしまう。しかも、その破綻に気づかない場合が多いから、それが後々大きな問題となる。
    例えば、子供がご飯を残したとする。そのとき親は、以前だったら感情的になって、「残すんじゃない!」と一喝して食べさせた。文字通りの「問答無用」だ。
    ところが今は、子供を怒鳴ってはいけないことになっている。だから、ご飯を残した子供に対して、論理的に諭そうとする。親が論理的に、「ご飯を残してはいけない理由」を語ろうとする。
    ところが、「ご飯を残していけない理由」というのは、きわめて難解な哲学的命題だ。よっぽど論理学

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  • トヨタ生産方式について考える:その22(1,653字)

    2022-06-10 06:00  
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    ぼくは、東京芸大建築科1年生のときに、学校の課題として木製の椅子を作った。しかし今思うと、あれは何の役にも立たなかった。ぼくは、ここまでの53年の生涯で、椅子を作ったことはその一度きりしかない。だから、そこで考えたことや学んだことが、その後役に立つことはなかった。
    また、もし今後椅子を作ることがあったとしても、その経験は役に立たないと断言できる。なぜなら、そこで何を考えたか、今ではすっかり忘れてしまったからだ。だから、もう一度椅子を作るとなったら、あらためてゼロから始めなければならない。その意味でも、大学で椅子を作ったことは全くのムダだった。
    しかしながら、それ以上にムダだったと思うのは、そういう被害に遭ったのがぼくだけではないということだ。全ての生徒が同じ被害に遭っている。その被害の規模が甚大なのだ。単にぼくだけのムダで終わっていない。
    そもそも、日本の教育関係者が分かっていないのは、物

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  • マンガの80年代から90年代までを概観する:その55(1,730字)

    2022-06-09 06:00  
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    ぼくは最近、1970年代後半についてよく考えている。なぜなら、この時代の捉え方が、とても難しいからだ。
    1970年代後半の日本は、オイルショックの暗さから、バブルの華やかさに急転換した。そういう鮮やかな変容は、他の時代にはあまり見ない。
    ただ、それなりに近い1950年代前半に、同じような急転換がある。それは、戦後の貧しさから、朝鮮戦争による特需へと鮮やかに転換したときだ。
    このとき、手塚治虫の『新寶島』が生まれ、マンガ界そのものも急転換を遂げている。
    では、1970年代後半のマンガ界では何が起こったのか?
    その前に、1970年代「前半」のマンガ界では何が起こったのか?
    それは、一言でいえば、「燃え尽き症候群」である。特に、『あしたのジョー』が終わり、また赤塚不二夫も失速したため、マンガが以前ほどの国民的ブームを巻き起こせなくなっていた。
    この頃、学園紛争や浅間山荘事件、オイルショックなどの

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  • [Q&A]インフレの弊害は何か?(2,934字)

    2022-06-08 06:00  
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    [質問]
    先週、すさんだ学校の質問をさせていただいた者です。回答をいただいたおかげで、心を落ち着けて1週間を過ごすことができました。まだ読み始めてはいませんが、杉原千畝の本も手元にあります。なるほど、そういう心持ちで過ごせばいいのか、とすごく参考になりました。
    ところで先週末、理事長と校長に呼ばれて以下のようなことを告げられました。( )に入っている言葉は私の推測です。
    ①「オンラインの授業をまったくしていなかった先生に関しては今度の3月で定年退職だから、今回のことを反省してあと1年やってくれればいい」(だから、内部告発などしないでね)
    ②「サボる先生に対して何の注意もしなかった教頭は、定年ではないけど3年契約の終わる年だから、今度の4月からの契約更新はしない」(だから、怒りの矛先を校長や理事長に向けないでね)
    ③「前から問題だとあなたが言っていた対人関係に問題のある先生も、今度の3月で定

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  • 生きるとは何か?:その34(1,629字)

    2022-06-07 06:00  
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    植物は面白い。植物は、もちろん人類が誕生する前から地球にある。そのため、人類は「植物がある」という環境を前提に生まれ、過ごしてきた。だから、そもそも植物にアジャストするようにできている。植物にアジャストできない性質は、長い歳月の中で切り落とされてきた。
    ただ、人間と植物との関係は(これは土との関係もそうだが)、必ずしも「親密」というものではない。そこには適度な「距離」がある。つかず離れずの関係が、人間と植物(もしくは土)にとって最適な距離感なのである。
    ぼくはいつも不思議に思うのだが、ぼく自身も含め人は、放置された田畑よりも、人の手が入って管理されている田畑の方を美しく感じる。つまり、自然の本質的な姿よりも、人間が手を加えた人工的な自然の方を、本能的に美しいと感じるのだ。そして、より美しくするために手を加えようと、自然と働きかけてしまう。
    この、「手を加える」という営為が、人間と自然との適

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  • 知らないと損をする世界の裏ルール:その18「親を殺さないと自分が殺される」(1,565字)

    2022-06-06 06:00  
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    こういうと物騒に聞こえるかもしれないが、親は殺すために存在している。そのため、親を殺すと、よく生きられる。その逆に、親を殺せないと、よく生きられない。死んだ人生を送ることになる。
    ところで、世の中には一定数の「死んだ人生」が必要である。これも、この世界の裏ルールだ。なぜ死んだ人生が必要かというと、生きた人生を送る人の養分となるからだ。
    この世界では、ホームランを打つバッターを存在させるため、ホームランを打たれるピッチャーを必要とする。そういう、きわめて無慈悲なルールがある。
    これと一緒で、人が生きた人生を送るためには、必ず死んだ人生を送る人を踏みつけにしなければならない。大谷翔平選手がホームランを打つためには、ホームランを打たれてクビになるピッチャーが必要だ。でないと、自分がクビになり、他人の養分になる。
    そんなふうに、社会を持続的に運営していくためには、死んだ人生を送る人が必要だ。だから

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  • トヨタ生産方式について考える:その21(1,706字)

    2022-06-03 06:00  
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    トヨタ生産方式の肝は、社員教育にある。社員を教育し、その成長を促すのがトヨタ生産方式だ。
    社員が成長すると、会社としての生産性が向上する。社員を能力が低い段階で安い賃金で雇い、そこから賃金は微増に抑えながら能力を向上させるため、費用対効果が高くなるからだ。
    その逆に、社員が成長しない組織は「費用対効果の高さ」が見込めない。それに加え、現状維持の組織は、周囲の成長によって相対的に陳腐化する。だから、人が成長できない組織は疲弊を余儀なくされる。
    そんなふうに、成長は企業継続の鍵を握るともいえるのだが、トヨタはそれを効果的に果たすため、「社員教育」という名目に辿り着いた。
    そのため、それを逆に学校に利用するというのは、なかなかにユニークなアイデアといえよう。実際、トヨタ生産方式の考案者・森田耐一のモットーは、「なんでも逆から考えてみる」だった。
    そこでここでは、トヨタ生産方式における「社員教育の

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