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記事 21件
  • 庭について:その58(1,849字)

    2023-12-15 06:00  
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    1339年、天龍寺が建てられたのとちょうど同じとき、夢窓疎石は京都の西端にある西芳寺の作庭も依頼される。ここは、元々は浄土宗の寺であったが、長らく廃墟となっていた。それを、室町幕府の重臣である摂津親秀が再興することになり、同時に臨済宗に改宗された。
    夢窓疎石は、ここでも枯山水を試している。
    ところで、「枯山水」は水がないお寺の庭として重宝され、広まったという経緯がある。ただ、それより以前は「涸山水」と呼ばれ、元々は水があった寺の庭が、なんらかの理由で水が涸れてしまった状態のことを指した。そうした庭が、思わぬ趣を醸し出していたので、面白がられたのが始まりである。そうして後には、はじめから水がない寺にも作られるようになったのだ。
    夢窓疎石は、そんな枯山水を世に広めた一番の功労者である。彼は、元々は後醍醐天皇をパトロンとしており、そのときは公家好みの水のある庭を作っていた。
    しかし時代が武家社会

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  • 偽物の個人時代:その21(1,817字)

    2023-12-14 06:00  
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    小津安二郎は、役者たちに自然な演技をしろ、と求めた。あるいは「普通にすればいい」と言った。「自分のままでいろ」と言った。
    それに対して杉村春子は、「そんな難しいことはない」と言った。自然に、普通に、自分のままでいることこそ、役者にとっては一番難しいことなのだ、と。
    これは、小津安二郎の映画に出ていた全ての俳優が抱えていた共通の難題だった。例えば『東京物語』に大坂志郎が出ているのだが、彼は普通でいることができなかった。どうしても、演技のクセというものが出てしまうのだ。
    大阪は、この映画の中で最も小津からダメ出しをされた。そして大坂志郎がしていた役は、本来なら佐田啓二がするはずだった。しかし佐田のスケジュールの都合で、大坂志郎になったのだ。
    そして小津は、いざ起用はしてみたものの、やっぱり大坂志郎の演技に納得がいかなかった。そうして、これに懲り、二度と起用しなかった。以降は、なんとしてでも佐田

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  • [Q&A]不倫についてどう思うか?(2,082字)

    2023-12-13 06:00  
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    [質問]
    久々に同級生に会うと、若々しい人がいたり、逆に老け込んでいる人がいたりします。ハックルさんは、この差がどういう所から来ていると思われますか?
    [回答]
    ぼくは今55歳なのですが、生活の大半を「体のメンテナンス」に使うようになりました。食事に気を遣い、定期的に運動し、疲れたらすぐ休む。上記のいずれも若い頃にはしていなかったので、今振り返ると「ああ、あの頃は体力があったのだ」と分かります。
    そういう状態で同級生に会ったりすると、若い頃のままの生活をしている人も少なくありません。暴飲暴食し、運動をせず、疲れてもがむしゃらに働く。そういう人の体は、有り体にいってかなり老けているだろうと思います。
    ぼくは、そういうところで若さと老いの差が出ると考えています。これも若い頃の話なのですが、車に乗っていて、メンテナンスするお金がなかったので乗りっぱなしにしておいたら、どんどんと壊れていきました。

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  • 劣化する人:その2(1,875字)

    2023-12-12 06:00  
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    今回は、劣化する人=「教育効果が高い人」について見ていきたい。
    そもそも、「教育効果が高い人」とはどのような存在か?
    それは、子供の頃の教育によって、グンと成長する人のことである。子供の頃から、すぐに頭角を現す人だ。しかも、それが20歳以降も継続する人のことである(ただし40歳以降に劣化する)。
    そういう人には、一つの共通点がある。それは「モノマネが上手い」ということだ。そして、「モノマネが上手い人」は、大成するプロスポーツ選手に多い。
    例えば、サッカーの元ブラジル代表でワールドカップの得点王にもなったロナウド選手は、モノマネが非常に上手かった。彼は、ごく幼いときから、テレビで見ただけの選手のプレーを驚くほどそっくりに真似できた。それも、いろんな選手の真似ができた。
    ロナウド選手の幼い頃は、ネットこそなかったものの、テレビでは世界中のサッカーを比較的豊富に見ることができた。また、そもそもブ

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  • 石原莞爾と東條英機:その27(1,874字)

    2023-12-11 06:00  
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    大正以降(1910年代以降)、新聞による世論形成はいよいよ本格化していった。それに伴い、新聞業界に参入する事業者が増えたため、各紙の生き残り競争は熾烈を極めた。
    そんな中、朝日新聞は1915年(大正4年)、販促の一環で高校野球を始める。するとこれが大当たりし、おかげで朝日新聞は売上げを伸ばし、日本メジャー新聞の一角を占めるようになった。それと同時に高校野球も、日本の伝統行事として定着した。
    ところが、そんな高校野球にはこれまで3度、開催を中止したことがある。一つは記憶にも新しいコロナ、一つは80年前の戦中、そしてもう一つが1918年の米騒動である。これによって、行われるはずだった第4回大会が中止となった。
    そんなふうに、米騒動は戦争やコロナに匹敵するほどの大事件だったのだが、この発生と拡大に大きく関わったのが新聞である。
    まず、新聞を読んだ人々が政府のお米に対する政策に不満を募らせ、盛んに

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  • 庭について:その57(1,997字)

    2023-12-08 06:00  
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    足利尊氏は、公家を重用した後醍醐天皇に反発し、武家を重用する光明天皇を擁立して、北朝を開く。後醍醐天皇は奈良に逃れ、南朝を開く。両者は対立し、いわゆる「南北朝」の時代となった。
    そうして尊氏と後醍醐天皇は敵対関係となるのだが、程なくして後醍醐天皇が崩御する。すると、両者に通じていた夢窓疎石は、尊氏に後醍醐天皇を弔うための寺を建てるよう勧める。
    その勧めに従って建てられたのが天龍寺である。建てられたのは、元々後醍醐天皇の祖父である亀山天皇の別荘があった、京都の北の外れだった。
    そういうふうに、たとえ敵対した相手でも死んでしまえば心から弔うというのが、いかにも「禅」的である。同時に、敵対した相手に最大限の敬意を示すことは、政治的にも大きな効果があるということを、夢窓疎石はちゃんと分かっていた。もちろん尊氏もそれを理解していたから、天龍寺建立にすぐさま同意したのだ。
    この「禅」の教えというのは、

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  • 偽物の個人時代:その20(1,670字)

    2023-12-07 06:00  
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    1
    今の若者には佐田啓二が必要だ。なぜかというと、そこには今の時代に必要な(あるいは欠けている)、一つの「立ち振る舞い」というものがあるからだ。
    ところで、佐田啓二は小津安二郎に多用された。また小津安二郎は、未来に対して鋭敏な感覚を持っていた。彼の作品群は、どれも作られてから60年以上経過するが、驚くほど現代的――つまり当時にとっては未来的な価値観に満ちている。
    小津は、「脱近代」というものに対する深いこだわりがあった。中でも晩年のカラー作品には、「近代」への疑問がそこここに投げかけられている。
    例えば『秋刀魚の味』には、当時豊かさあるいは新時代の象徴だった「会社」「工場」あるいは「団地」に対する微細な違和感が綴られている。それは目をこらさなければ見えないほどに小さなものなのだが、それらへの否定的な価値観が、暗喩的に発露している。
    また『お早う』でも、プレハブ住宅に同種の違和感を投げかけている

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  • [Q&A]自分の価値を高めるにはどうすればいいか?(1,985字)

    2023-12-06 06:00  
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    1
    [質問]
    物価が上がるも給与が上がらないと多くの人が言っていますが、僕も例外ではなくなかなかギャラが上がりません。新しい仕事では以前より高めのギャラで仕事を受けるのですが、昔から付き合いがある人の仕事は買い叩かれてしまいます。ギャラ交渉の必要はあると思いますが、自分の価値をもっと高めていかなければならないとも思います。自分の価値を高めるためにはどのような事をしたら良いでしょうか? ご教授ください。
    [回答]
    ぼくも若い頃にフリーランスの放送作家で働いていましたが、自分でギャラ交渉するのはなかなか難しいところがありました。それで、『もしドラ』が出て以降は、だいたい岡部さんにギャラ交渉してもらっていました。そうすると、驚くほど上手くいき、ギャラも高値で推移しました。
    ギャラ交渉は、自分でするのは難しいです。ぼくは、パートナーやエージェントの存在はとても重要だと思っていて、彼らにギャラを払った方

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  • 劣化する人:その1(1,662字)

    2023-12-05 06:00  
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    2
    「劣化する人」というのがいる。若い頃は輝いていたのに、40歳を境に急に朽ちてきてしまう人のことだ。
    そういう人はたくさんいる。ぼくの近くにもいた。皆、判で押したように40歳が転機となって坂を転げ落ちる。40歳は、昔は「不惑」といわれたが、彼らはちょうどそこを境に老いの世界へと移行する。若々しさがなくなって、目が据わる。生気のない目で、判で押したように同じことを言う。
    だから、周囲に言動を読まれ、飽きられてしまう。しかし本人は、そのことを問題と気づいていない。むしろ鈍感さが増したから動じない。文字通り「不惑」だ。人形のように、機械的な発言をするのみである。機械人間である。
    そういう人が、みなさんの周りにも少なからずいるのではないだろうか。これは、肉体の老化とはあまり関係ない。40歳は、まだまだ老け込む歳ではない。スポーツ選手でもない限り、肉体の衰えを感じるには少し早い。
    ぼくは今55歳だが、

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  • 石原莞爾と東條英機:その26(2,214字)

    2023-12-04 06:00  
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    新聞全体の発行部数は、ちょうど大正に入ったくらいで最初のピークを迎える。そこまでは右肩上がりに成長してきたが、ここで伸びが鈍化し、やがて過当競争の時代に入る。そこから、生き残りをかけた熾烈な部数獲得競争が始まるのだ。そうして各新聞社は、部数獲得のためになりふり構わなくなる。まず何をしたかというと、朝日新聞が高校野球(当時は中学野球)を始める。1915年(大正4年)、掲載する記事の材料として、野球の全国トーナメントを主催するようになるのだ。
    これに対して、読売新聞は少し遅れてプロ野球を始める。1931年に大リーグを招聘し、これを契機に全国から優秀な選手たちを集め、やがてプロ野球チームとして興行を打ち始める。
    また、朝日新聞は近代小説の揺籠ともなった。特に夏目漱石をスーパースターに押し上げ、日本文学史に燦然と輝くいくつもの名作を掲載していく。
    さらに、漫画も強力にバックアップする。時事新報(後

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