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アーティストとして生きるには:その22(1,705字)
2023-09-19 06:00110pt今の時代の問題とは何か?
それは、まず間違いなく今の時代の「豊かさ」の影に隠れている。
例えば、近代化による工業化の時代、人々は物質的な豊かさに恵まれた。しかしその影で、生活の潤いである「美しさ」からは遠ざかった。そういうふうに、問題はたいてい豊かさの影に隠れるのだ。
では、今の時代の豊かさとは何か?
ズバリ言うなら、それは「自由」である。今、人々は昔に比べて格段に自由になった。それこそが、現代における最大の豊かさだ。
精神科医の名越康文氏によると、人間の究極の目的はほぼ2つに集約できるという。1つは「幸福」で、もう1つは「自由」だ。
そしてこの2つは、相反するという。なぜかというと、人は幸福を「人といるとき」に感じるし、人は自由を「人といないとき」に感じるからだ。つまり、幸福と自由は同時には味わえないのである。
ただし、幸福と自由はどちらも絶対に必要なものである。これはほとんど本能的なも -
アーティストとして生きるには:その21(1,640字)
2023-09-12 06:00110ptここまで、アーティストは「困難な状況を打破するためのメソッドを提示する者」ということを書いてきた。ところで、どの時代にも、その時代特有の困難さがある。そして困難さの厄介なところは、たいていの場合、その困難さの解決方法が見えていないのはもちろん、困難そのものにも気づいていない場合が多いことだ。
例えば、近代化が成し遂げられたとき、人々は歓喜雀躍した。それまで苦労していた「物資の不足」から解放され、豊かな暮らしができるようになったからだ。
しかしそのおかげで、美しさからは縁遠い生活となった。周囲は工場で作られた無骨な鉄製品で埋め尽くされ、生活は味気ないものとなった。それでも人々は、道具の「便利さ」に目を奪われ、「醜い物に囲まれた味気ない生活」という問題に気づけないのである。
あるいは、工場の乱立によって「公害」が発生し、多くの人々が病気になった。それでも、人々は近代化を止めようとはせず、病気の -
アーティストとして生きるには:その20(1,668字)
2023-09-05 06:00110pt話はそれるが、ぼくは自分がアーティストだと思ったことがない。意識してアートを作ったことがない。ぼくは、自分はエンターテインメントコンテンツの制作者だと思っていた。俗に言う「クリエイター」だと思っていた。
しかしながら、クリエイションを続けるうちに、次第にクリエイションの中にアート要素を見出すようになった。クリエイションを突き詰めるとアートになったのだ。
例えば、比べるわけではないが宮崎駿監督も、はじめはエンタメの面白さを追求していたはずだ。それなのに、エンタメを突き詰めれば突き詰めるほど、アートになっていった。エンタメのその先に、アートが待ち受けていたのだ。
これは、あらゆる分野で起きる現象だ。あらゆる分野のその先に、「アート」というのは必ず顔を出す。
例えば茶道具だって、はじめはお茶を飲むための道具として作られた。だから、追求したのは「どうすればお茶を美味しく飲めるか」ということだ。とこ -
アーティストとして生きるには:その19(2,031字)
2023-08-29 06:00110ptアートとはつまるところ、「困難な状況を緩和するためのメソッドの提示」ということになるだろう。「ものの見方の新しいコンセプトを提案する」。それが多くの人にハマれば、偉大な芸術になるというわけだ。
そのため、前提としてまず「困難な状況」を必要とする。「必要とする」というのもおかしな話だが、平和なところからはアートは生まれない。そもそも求められていないからだ。
そう考えると、今――2020年代にアートが求められているのだとしたら、それは「平和ではない」からだ。現代は「非平和」である。
では、どう非平和なのか?
ここからは、そのことを考えていきたい。
まず最大の非平和は、「男女の性欲が満たされていないこと」だろう。これは日本で特にそうだが、海外でも次第に顕著になりつつある。セックスをする男女が減って、少子化がどんどん促進している。
なぜセックスをする男女が減ったかというと、一番は「心理的な危険性が -
アーティストとして生きるには:その18(1,826字)
2023-08-22 06:00110ptここまで禁欲とアートとの密接な相関関係について見てきた。すなわち、禁欲的になればなるほど、創作する作品のアートとしての価値も高まるのだ。
ところで、オタク文化は禁欲と分かちがたく結びついている。なぜなら、ほとんどのオタクは他者と性愛関係を上手く取り結べないため、図らずも禁欲生活を余儀なくされているからだ。そのため、全体的にアートの機運が高い。
それは、鑑賞者がまずそうだが、表現者もそうである。オタクコンテンツの制作者も、モテない人間が多く、禁欲的な生活を余儀なくされている。そうして、憤懣をこの上なく溜めている。
それがコンテンツ制作に向けられたとき、偉大なアートになる。特に、アニメにそういう傾向が強いのではないだろうか。
これは、鶏が先か卵が先かというのは難しいところだが、宮崎駿監督の影響は大きいだろう。宮崎監督は、モテなかった。だから、アニメをアートにまで進化させた。
もちろん宮崎駿監督 -
アーティストとして生きるには:その17(1,613字)
2023-08-08 06:00110pt絵画というのは、ほぼ「アート」である。特に男性の描く絵はアートだ。
なぜかとうと、若い頃に絵を描いていてもモテないからだ。それで画家は、たいてい「モテたい」という気持ちを高じさせる。それが絵に独特の芸術性を与え、アートになるのだ。
音楽の場合は、少し違う。若い頃に音楽をしていると、多くの場合でモテる。モテた人は、アーティストにはなれない。だから、音楽はアートよりも耐用年数が短い消耗品が多い。いわゆる「流行り歌」が多くなる。若い頃にモテていた男性は、アート作品が作れないのだ。
しかし中には、音楽をしていてもモテない男性がいる。そういう人は、ある意味絵を描く人以上にモテたいという気持ちを高じさせる。
なぜかというと、絵を描く人は周囲の人もモテないため、「こんなものか」と諦めがつきやすい。しかし音楽をしている人は、周囲の男性がモテているため、「なんでおれだけ」と鬱屈を高じさせやすいからだ。おかげ -
アーティストとして生きるには:その16(1,871字)
2023-08-01 06:00110pt1振り返ると、ここまで「アーティスト」の例として挙げてきたのは全て男性であった。これは偶然ではない。この連載で取り扱っている「アート」は、図らずも「男性の性欲」と深く関係しているからだ。
そして男性の性欲は、女性の性欲とは違う。内的な心性も具体的な表れ方も違うから、アートの様態はもちろん本質も、また異なるものとなるのだ。
ただしこれは、「女性はアーティストではない」と言っているわけではない。女性には女性の得意なアートがある。何よりまず文学が得意である。これは男性よりずっと得意だ。
男性の文学者というのは、そのほぼ全てが女性の心性を身につけた者だ。だから、男性の性欲に基づいていない場合が多く、ここで取り扱う「アート」とは少し異なる。
日本の文学者の代表は紫式部であるが、彼女はもちろん女性である。そして松尾芭蕉、近松門左衛門、夏目漱石、村上春樹らは、いずれも男性で皆偉大な文学者ではあるが、けっし -
アーティストとして生きるには:その15(1,506字)
2023-07-25 06:00110ptTwitterに眠る「真のアート性」とは何か?
推論を言うと、今Twitterに起こっている大変革は、偉大なアートを生み出すための予兆ではないだろうか。また、それを引き起こしたイーロン・マスクは、アーティストの偉大なパトロン的な存在になるだろう。
では、Twitterはどう変革するのか?
これは今まさに進行中で確たることはいえないが、分かっているのはTwitterの名前を廃止し、「X」というブランド名にする。そして、そこで送受金をスムーズにし、経済を含めたコミュニケーションのインフラにしようということだ。
「間もなくTwitterブランドにさよならだ」とマスク氏 「X」の新ロゴデザイン募集中
これを悲しんでいる人は、だいたいが文化人を気取ったスノッブで、特に日本人に多いのだが、彼らが悲しむことこそ、アートの養分になるのではないだろうか。
例えば、以前の「アートの時代」は1920年代と197 -
アーティストとして生きるには:その14(1,674字)
2023-07-18 06:00110pt1以前、「アートの定義とは、豊かな欲望×貧困なイメージ」と書いた。その代表例として、近藤真彦の『ハイティーン・ブギ』を取り上げた。
すると、つい最近、この曲がにわかに脚光を浴びた。それは、ジャニー喜多川氏の性加害事件を、山下達郎氏が擁護したおかげで、派手に炎上したからだ。
山下氏は、ジャニー氏に「恩」があることを広言した。それは、彼がまだ今ほどの評価を獲得していなかったとき、ジャニー氏だけが評価して、積極的に起用してくれたからだ。
そんな山下氏がジャニーズ事務所(ジャニー氏)のために初めて書いた曲こそ、この『ハイティーン・ブギ』なのである。だから、山下氏にとってはとても気合いが入った、思い入れの深い作品だ。
当時の山下氏は、とにかく売れたかった。それは「豊かな欲望」そのものである。
そんなとき、ジャニー氏から作曲の依頼が来た。それは、自分にとっては馴染みのない「アイドル」の曲だった。
そこで -
アーティストとして生きるには:その13(1,622字)
2023-07-11 06:00110pt2020年代の今、「偽物の新時代」が到来している。これが本格化するのは20年後だが、その先駆けとして「偽物」がやってきているのだ。
では、その「偽物の新時代」とは何か?
1920年代は、偽物の「資本主義社会」がやってきた。1970年代は、偽物の「情報化社会」がやってきた。
では、2020年代は何か?
それは、偽物の「個人社会」だ。
これから、個人社会が一般化する。「個人」が際立つのだ。そのため、相対的に「社会」や「家族」の力が弱まってくる。
実際、今現在、社会の力は急速に弱まりつつある。あるいは、家族の力も急速に弱まりつつある。
それは、政治に端的に表れている。「社会主義」の政党は、全くといっていいほど支持を得られなくなった。「共産党」や「社会党」あるいはその流れを汲む「民主党」は、凋落の一途を辿っている。
逆に、「個人」に重きを置いた自民党は、支持を拡大する一方だ。ただ、自民党にも弱点が