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トヨタ生産方式について考える:その25(1,727字)
2022-07-01 06:00110pt工場における小さな変化とは何か?
それは、実際には無数にある。たとえ毎日同じルーティンワークをしていたとしても、昨日と完全に同じということはありえない。そこには少なからず、昨日とは違う変化がある。
毎日同じルーティンワークをしていると、そういう何かしらの変化に気づける。これが、毎日「違うこと」をしていると、全てが変化するため、微細な変化は埋没し、気づけないのである。
そんなふうに、工場においては「毎日同じルーティンワークをする」ということが気づきの土台になる。ところで、毎日同じことをすることを「日常」という。工場は、生産が日常になっている。だからこそ、諸々の小さな変化に気づける。それが、働く人の大きな成長を促すのだ。
ただし、そこには落とし穴もある。それは、人々がルーティンワークに溺れ、思考を停止してしまうことだ。
面白いことに、人間にはルーティンワークにはまり込むと、思考停止して何も考え -
トヨタ生産方式について考える:その24(1,639字)
2022-06-24 06:00110pt2工場は人を圧倒的に成長させる。それは、同じものを作り続けるからだ。そのため、そこで定点観測をすることができる。
定点観測をすると、そこで「気づく」ことができる。気づきは、アイデアの閃きや改善の実行へとつながり、そこでまたフィードバックが得られる。
このサイクル(定点観測・気づき・アイデア・実行・フィードバック)が回り始めると、人は否応なしに成長していく。だから、工場で同じものを作り続けることは、そこに従事する者を自動的に成長させる。そういう、実に偉大な教育装置なのだ。
そう考えると、工場のシステムは成長の要である「気づき」にフォーカスを当てた方がいい。すなわち、より多く気づけるような生産体制にした方がいい。
では、どうすればより多く気づける生産体制になるのか?
それを考えるには、まず「気づき」とは何かということから考えたい。
ぼく自身が、「気づき」といってまず思い出すのは、若い頃の通勤路に -
トヨタ生産方式について考える:その23(1,689字)
2022-06-17 06:00110pt工場は、産業革命によってたまたま生まれ、広まったものだが、しかしこの工場こそが、現代文明を破格に押し上げた一番の立役者かも知れない。
19世紀の後半から20世紀の前半にかけて、科学が急速に進歩した。それによって近代化がなされたように思われがちなのだが、しかし実際のところ、例えば蒸気機関などはもっと以前――18世紀には発明されていた。そのため、それが効果的に活用されるまでには、なんと100年もの歳月を要したのだ。
そう考えると、必ずしも科学の進歩だけが近代化に決定的な影響を与えたのではないと分かる。それと同等かもしくはそれ以上に重要なのが、もしかしたら工場だったのではないだろうか。
なぜなら工場では、そこに働く人々が決定的に変化するからだ。決定的に成長する。近代人として長足の進歩を遂げる。それこそ近代人に生まれ変わる。人類を近代人に生まれ変わらせた場所、あるいは装置こそ、工場だったのである。 -
トヨタ生産方式について考える:その22(1,653字)
2022-06-10 06:00110ptぼくは、東京芸大建築科1年生のときに、学校の課題として木製の椅子を作った。しかし今思うと、あれは何の役にも立たなかった。ぼくは、ここまでの53年の生涯で、椅子を作ったことはその一度きりしかない。だから、そこで考えたことや学んだことが、その後役に立つことはなかった。
また、もし今後椅子を作ることがあったとしても、その経験は役に立たないと断言できる。なぜなら、そこで何を考えたか、今ではすっかり忘れてしまったからだ。だから、もう一度椅子を作るとなったら、あらためてゼロから始めなければならない。その意味でも、大学で椅子を作ったことは全くのムダだった。
しかしながら、それ以上にムダだったと思うのは、そういう被害に遭ったのがぼくだけではないということだ。全ての生徒が同じ被害に遭っている。その被害の規模が甚大なのだ。単にぼくだけのムダで終わっていない。
そもそも、日本の教育関係者が分かっていないのは、物 -
トヨタ生産方式について考える:その21(1,706字)
2022-06-03 06:00110pt1トヨタ生産方式の肝は、社員教育にある。社員を教育し、その成長を促すのがトヨタ生産方式だ。
社員が成長すると、会社としての生産性が向上する。社員を能力が低い段階で安い賃金で雇い、そこから賃金は微増に抑えながら能力を向上させるため、費用対効果が高くなるからだ。
その逆に、社員が成長しない組織は「費用対効果の高さ」が見込めない。それに加え、現状維持の組織は、周囲の成長によって相対的に陳腐化する。だから、人が成長できない組織は疲弊を余儀なくされる。
そんなふうに、成長は企業継続の鍵を握るともいえるのだが、トヨタはそれを効果的に果たすため、「社員教育」という名目に辿り着いた。
そのため、それを逆に学校に利用するというのは、なかなかにユニークなアイデアといえよう。実際、トヨタ生産方式の考案者・森田耐一のモットーは、「なんでも逆から考えてみる」だった。
そこでここでは、トヨタ生産方式における「社員教育の -
トヨタ生産方式について考える:その20(1,591字)
2022-05-06 06:00110pt子供ための自由な環境を作るという教育(以降「自由教育」という)は、すでに世界中で行われている。モンテッソーリ、シュタイナー、そしてアメリカのサドベリースクールなど、みんな同じ教育方針だ。現在の北欧の公教育も、そういう方針で一貫している。特にフィンランドの教育は進んでいて、生徒が自分で学びたい科目を選べるくらいだ。
その具体的な様子は、この映画で知ることができる。
マイケル・ムーアの世界侵略のススメ(字幕版)
このように、自由教育は既知のもので、しかも大いに結果が出ている。それなのに、日本はいまだにそれとは正反対のことをしている。
理由は、明治以降に導入した日本型教育が、あまりにも効果絶大だったからだ。おかげで、その幻影をいまだに引きずっている。
しかし、それが効果絶大だったのは「近代化の導入」という大きな目的があったからだ。もっというと「機械人間を作る」という大きな目的があった。
しかしそ -
トヨタ生産方式について考える:その19(1,608字)
2022-04-29 06:00110pt2これからの子供に必要なのは、学校ではない。研究室だ。そして、研究ならだいたい10歳くらいからできる。
イチローや鈴木誠也が本格的に野球の研究を始めたのも10歳くらいだろう。ちなみに、20世紀最大の天才・ノイマンが学校に通い始めたのは10歳である。それまでは家で勉強していた。ウィトゲンシュタインは発話が遅かったため、14歳まで家で勉強していた。
ノイマンとウィトゲンシュタインには共通点がある。2人ともオーストリア生まれで、20世紀前半にギムナジウムに通っていたことだ。彼ら以外にも、この時期のオーストリア生まれ、ギムナジウム育ちの天才は多い。
なぜこの時期、オーストリアのギムナジウムで天才がぽこぽこと生まれたのか?
理由は一つしかなく、「環境」が良かったからだ。
ぼくは、天才は大きく2つの理由で生まれると考える。この2つとは、言うまでもないが、「才能」と「環境」だ。才能がないと天才にはなれない -
トヨタ生産方式について考える:その18(1,698字)
2022-04-22 06:00110ptイチローという野球選手がいる。彼は1973年の生まれでもうすぐ50歳だが、「新しい子供」の先駆けではなかったか。つまり、「道路で遊べなくなった最初の世代」だ。町が遊び場でなくなった最初の世代である。
そのことが、イチローという選手の偉大さを生んだ。イチロー選手は、彼より年上の野球選手たちとは明らかに違う。野武士のような荒々しさや雑味がない。純粋培養の過激さがある。
だから、あれほどの選手になったのだ。日本史上最強の野球選手になった。それは、彼の純粋培養という養育環境が強く影響していると思う。
ぼくは1968年の生まれだ。同い年には野茂英雄投手がいる。一つ上には桑田、清原、佐々木主浩などがいる。この世代は、ソフィスティケートされている部分もいくらかあるが、しかし野武士的な面が強い。そういうものの最後の世代だ。
それに対し、イチローはソフィスティケート第一世代である。松井秀喜もそうだ。彼は風貌 -
トヨタ生産方式について考える:その17(2,123字)
2022-04-15 06:00110pt最近、『アポロ10号 1/2 宇宙時代のアドベンチャー』という映画を見て感動した。
これは、1960年生まれの監督が、少年だった頃(9歳の頃)の1969年を振り返って作った作品だ。フィクションだが、自伝的要素も強い。監督はテキサスの生まれで、近くにはNASAがあった。父はNASAの職員だった。だから、アポロの月面着陸という史実が、一つの主要なテーマとなっている。
1969年当時、ぼくはアメリカのマサチューセッツ州に暮らしていた。まだ1歳で全く覚えていないが、間違いなくアポロの月面着陸が引き越した喧噪は体験したはずだ。そのせいか、この映画はなんともいえず懐かしい。とにかく、とても良い映画だ。
この映画で印象に残ったのは、「当時は子供たちがたくさんいて、遊び場や遊び相手には困らなかった」という回想が挟まるところだ。これは、監督よりは8歳年下だが、ぼくの体験とも重なる。
1968年生まれのぼくも -
トヨタ生産方式について考える:その16(1,736字)
2022-04-08 06:00110pt11970年代まで、子供たちは放っておかれた。それは数が多かったからだ。大人たちは、とてもではないが子供の面倒を見切れなかった。しかし、それが良かった。数が多いからこそ放っておかれた子供たちは、そこで自由を謳歌し、能力を育んだ。
しかし、80年代に入った頃から次第に大人たちの数が増え、また子供の数が減りだした。おかげで、大人が子供にかまうようになった。逆に言えば、子供は大人から干渉を受けるようになった。それだけではなく、監視されるようにもなった。そうして自由が次々に奪われ、それに伴って能力を育む機会を逸してしまったのだ。
その傾向が、なんと40年経った今も継続している。この40年の間に、干渉の度合いは深まるばかりだ。監視の目は増えるばかりである。
そのため、今こそ子供たちには逃げ場所が必要である。大人たちから干渉されない、自由な空間が必要だ。
だから、本当は学校をそういう空間にすべきなのだ。
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