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記事 21件
  • 野球道とは負けることと見つけたり:その5(1,968字)

    2024-11-15 06:00  
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    いきなりドラマの構成を考えるのはとても骨が折れることなので、その前段階として、第一話に描くエピソードの背景というものをあらためて書き出していきたい。
    蔦文也は徳島商業に入学する。それは徳島商業監督、稲原幸雄に請われたからでもあった。当時の甲子園はまだ小規模で、四国からは一校しか出られなかった。そして四国には高松商、松山商という二大強豪校があった。だから徳島商は、県下一の強豪校ではあったものの、1915年に全国中学校野球選手権大会が始まって以来、一度も甲子園に出られていなかったのだ。
    その負の歴史を覆そうともがいていたのが徳島商業稲原監督だった。稲原は1907年の生まれで、徳島商を卒業後、関西学院大学を経て東京で就職した。しかし1932年、徳商OBから監督就任を強く要請され、これを引き受ける。25歳のときであった。
    そこから稲原の指導が始まるのだが、それは「猛特訓」そのものだった。練習は朝か

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  • 1994:その29(1,723字)

    2024-11-14 06:00  
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    1980年代後半、つまりバブル期の「受験」はどうだったか?
    ぼくは1987年に受験した。つまりバブルのちょうどど真ん中で受験したことになる。当時はまだバブルという言葉もなかったからそんなことはちっとも分からなかったが、今から思うと当時はまだのどかな雰囲気が漂っていた。受験生はぼくから見るとみんな「ゆるく」見えた。命を賭けているという感じはなかった。
    探せばそういう人もいたのだろうが、少なくともぼくの周りにはいなかった。ぼくは東京藝大美術学部建築科にストレートで合格したが、おそらく一番真剣だったのがぼくだった。入学時の成績順は発表されなかったが、ぼくはおそらくトップ合格だったと思う。つまり逆立ちしても入れたような状況だ。逆にいうと、周りは緩かったのだ。それはやっぱりバブルだったからだろう。
    印象的だったのは、予備校の先生がベンツに乗っていたことだ。予備校の先生は藝大建築科の学生なのだが、まだ

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  • [Q&A]ワールドシリーズをどう見たか?(2,246字)

    2024-11-13 06:00  
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    [質問]
    今年は、大谷選手が出場した影響で、ワールドシリーズを気にする人が多かったように思ます。ハックルさんはご覧になりましたか?
    [回答]
    ワールドシリーズは全てYouTubeのダイジェストで見ました。生では見ませんでしたが、やっぱり知らず知らずのうちにドジャースを応援していましたね。ぼくもやっぱりなんだかんだ大谷翔平選手は大好きなんです。野球好きからするとやっぱりわくわくさせられる存在ですね。
    その大谷選手がワールドシリーズで優秀したのだから、これは嬉しいです。しかしそれ以上に印象に残ったのが第5戦で、ヤンキースが5回にエラーを連続したことです。特にピッチャーのコールがファーストのベースカバーに行かなかったシーンは衝撃的でした。あれがなければ0点だったので、この試合の勝敗はもちろん、優勝の行方さえ左右しましたね。
    (コールの凡ミスのシーン)
    ああいうシーンこそ、漫画ではなかなか描けませ

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  • 本質的に生きる方法:その7(1,890字)

    2024-11-12 06:00  
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    使われる人間とは何か?

    それは他人の価値観で生きる人間である。
    では「他人の価値観で生きる人間」というのはどのようなものか?
    それは自分よりも社会との関係性――つまり「和」をだいじにする人間のことだ。
    今度のアメリカ大統領選は日本でも話題になった。そこであぶり出された面白い現象があると思っている。それは、トランプを嫌ってハリスを応援していた人は、それだけでもう「本質的に生きていない」ということだ。「与えられた価値観」で生きている。
    「与えられた価値観」のうち、最も大きいのは「人から嫌われてはいけない」という思想だ。人との和に何より価値を置いている。だから、それを崩す者を唾棄するという思想だ。
    そこでは当然のように「自分」は二の次三の次である。和の方がだいじだからだ。「和を以て貴しとなす」だ。
    20世紀はそういう生き方が幅を利かした。19世紀までは勝手なやつもそこここにいたが、20世紀に入

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  • 石原莞爾と東條英機:その61(1,883字)

    2024-11-11 06:00  
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    相沢事件は1935年8月12日、夏の暑い盛りに起こった。それから半年、皇道派は追い詰められた。永田鉄山の復讐に燃える統制派の画策によって、その主要なメンバーが満州へと派兵されることになったのだ。つまりかなり強硬な敵対工作、弱体工作を講じてきたのである。
    すると皇道派は、窮鼠猫を噛むで、究極の手段に訴える。軍事クーデターである。時は1936年2月26日。東京に記録的な大雪が降った日であった。
    二・二六事件を語るのは難しい。その詳細が微妙で繊細で曖昧だからだ。まず追い詰められた皇道派の青年将校たちは、新たな敵を政府と見定めた。政府が統制派と結託し、天皇をたぶらかして自分たちのいいように世の中を動かしていると考えたからだ。
    それで首相をはじめとする時の大臣や昭和天皇の侍従長であった鈴木貫太郎が襲撃の標的となった。この襲撃された鈴木貫太郎は、日本にとって「運命」ともいえる存在だった。鈴木貫太郎の妻

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  • 野球道とは負けることと見つけたり:その4(1,937字)

    2024-11-08 06:00  
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    第一話「死ねなかった男」構成
    1945年、22歳の蔦文也が酒をあおっている。場所は鹿児島県の知覧。特攻隊の基地があるところだ。隊員宿舎の自室で、文也は一人、どこからか手に入れた酒をあおりにあおっている。
    翌朝。目覚める文也。起きて早々、二日酔いの頭痛を覚える。ふと時計を見ると、大遅刻したと分かる。「ありゃ……」と嘆き、慌てて宿舎を飛び出す。
    川沿いの土手を駆ける文也。すると、その足下に野球のボールが転がってくる。拾って飛んできた方を見る。すると、河川敷のグラウンドを、二人の少年が逃げていく。「こりゃ、待て!」呼び止める文也。「どうして逃げるんじゃ」。すると少年たちは項垂れて、「兵隊さん。敵国アメリカの野球をして申し訳ありませんでした!」と頭を下げる。
    それに対して、文也は相好を崩し「よかよか。よしそこにおれ」と言う。そして、だいぶ離れた少年に向かって、矢のような遠投。ボールは、音を立てて少

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  • 1994:その28(1,629字)

    2024-11-07 06:00  
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    昔は「なぜヤンキーが生まれるのか?」などということは考えたこともなかったが、今なら、それを構造的に読み解くことができる。
    彼らには時間がなかった。中学あるいは高校を卒業すれば働かないといけないという枷があり、遊べる時間が限られていたのだ。
    だからどうしても遊びは過激な方向へ流れた。同級生には大学に進学する者もいただろうから、それが羨ましかった(恨めしかった)というのもある。それで、ハンデを取り戻そうと、しゃかりきになって悪いことをしたのだ。
    同時に、当時の学校教育の矛盾みたいなものもより強く感じていた。受験しない彼らにとって、勉強は何のためにするのか分からない。その「理由が分からないものを強制的に押しつけられている」という状態は、相当なストレスだったろう。
    思えば彼らは、今の子供たちの先駆けだった。意味のない勉強を押しつけられることのストレスで、心身に不調をきたしていたのだ。
    それが校内暴

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  • [Q&A]運動が継続する方法を教えてください

    2024-11-06 06:00  
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    [質問]
    健康のために運動をしたいしたいとは思っているのですがなかなか始められないor長続きしません。ハックルさんは運動をされていますか? またされているなら継続のコツはなんでしょうか?
    [回答]
    ぼくの家の近くにもチョコザップができたのですが、ぼく自身はジムには通う気になれません。なぜかというと、運動のための運動は結局「一つの目的」しかないのでやがて動機として弱くなりモチベーションが枯渇してしまうと考えるからです。
    世の中のうまくいくことはたいてい目的が二つ以上あります。ぼくが運動を持続できているのはまず「庭造り」という目標があって、そのために歩かざるを得ないからです。ほぼ毎日一万歩以上歩いていますが、それは歩くこと、運動をすることを目的とした歩数ではありません。庭作業のために自然と歩いた結果なのです。
    そういうふうに、運動にもう一つ目的を持たせると、運動が継続します。ですので、頭を絞っ

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  • 本質的に生きる方法:その6(1,775字)

    2024-11-05 06:00  
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    AIは愚者に似ている。どこが似ているかというと、誰かが発明したものを利用することで成果を上げる――というところだ。与えられた道具の最適な使い方を考えること。あるいはそれを再編集すること。これこそ愚者の最も得意なことである。
    いわゆる1を10にするというものである。反面、発明やイノベーションつまり0を1にするということには向いていない。なにしろAIは大規模データを学習することによって成果を上げるわけだから、既存の知見の枠組みを出ることはないのだ。
    イノベーションとは既存の枠組みをはみ出ることである。あるとき、アメリカのダイナーで文句ばかり言う常連客がいた。彼は、薄くスライスしたポテトのフライが好きだった。それでいつも、店主に「もっと薄くできないのか?」と文句を言っていた。
    そこで怒った店主は、あるとき限界まで薄くしてやろうと考えて、既存の枠組みを大きくはみ出して、それまで7ミリほどあった厚み

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  • 石原莞爾と東條英機:その60(1,924字)

    2024-11-04 06:00  
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    永田鉄山が相沢三郎に殺された。その報に接したとき、石原莞爾は「なんだ、殺されたじゃないか」と言ったとされる。そして相沢に対しては、「妻子もある40代の男が、命をかけて何かをするということは、陸軍にはまだ見込みがある」と言ったとされる。つまり、永田鉄山の側ではなく、むしろ相沢三郎の側についたのだった。
    しかし同時に石原は、テロリズムを容認する立場ではない。だから、完全に相沢に与するというわけでもなかった。また、相沢が所属する皇道派は嫌っていたから、その意味では相沢の行いの動機は、全く受け入れられるものではなかった。
    それでも、石原は相沢に感情移入し、永田には冷たかった。それはやはり、満州事変以降の陸軍中央の在り方に、石原が強い違和感を抱いていたことによるものだ。その中心にいるのが永田だったから、永田にも複雑な感情を抱くようになっていたのだ。
    しかしその永田が死んだことで、この後、統制派の結束

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