-
生きるとは何か?:その25(1,554字)
2022-03-15 06:00110pt野蛮人として生きるにはどうすればいいか?
若い頃、野蛮人としての生き方を完全に見失っていたぼくは、どうやってそれを取り戻したのか?
離婚をした頃――20代後半のぼくは、心がボロボロだった。しかし、それ以前に生き方が全くなっていなかった。そのことに、当時はなかなか気づけなかった。それで、ずるずると坂を転げるように落ちぶれていった。最終的に2度自殺未遂をし、そこでようやく転落が終わった。
そこから人生が上向き始めたのだが、さすがに2度も自殺未遂をすると、間違っているのは必ずしも世の中ばかりではなく、自分の方にも責任があるのではないかと思うようになっていた。
その頃ぼくは、麻雀に熱中していた。というより、中毒だった。
なぜかというと、麻雀をしている間だけ、この世の憂さを忘れることができたからだ。孤独を癒すことができた。ぼくは、友だちがいなくても孤独と思ったことはないが、妻と子供がいない状態は、こ -
生きるとは何か?:その24(1,717字)
2022-03-08 06:00110pt「野蛮人として生きる」ということの価値は、多くの人が理解できると思う。しかしながら、「情報時代の野蛮人として生きる」ということの価値は、なかなか理解しづらい。まずその意味が、よく分からない。だから、実行するのは至難の業だ。
そんな難しいことをぼくに具体的に教えてくれたのは、やはり桜井章一さんだ。離婚して心に計り知れないダメージを被っていたとき、桜井さんの著作に触れて、目を見開かされた。自分がそれまでいかに間違っていたか――を思い知らせてくれたからだ。
当時、ぼくが死にそうになっていたのは、ぼくが間違っていたからだ。どう間違っていたかというと、情報時代の野蛮人であることを忘れ、非野蛮人として生きようとしていた。そのことによって、自分で自分を殺していたのだ。
ぼくは、大学卒業後に秋元康さんのところで放送作家をしていた。今思うと、初めからぼくには合わない職業だなとは思っていたが、それは多分にぼく -
生きるとは何か?:その23(1,714字)
2022-03-01 06:00110pt前回、「野蛮人とは何か?」ということについて述べた。今回は、その定義をさらに深く掘り下げてみたい。特に、「『野蛮人として生きる』とはどういうことか?」について、具体的に見ていきたい。
野蛮人として生きる上で、まずポイントとなるのは「身体」である。特にそれが「健康」であることが重要だ。身体の健康というものが、野蛮人として生きるには不可欠なのである。
そのため、継続的な「運動」というものが、野蛮人として生きる上での鍵となる。ぼく自身、2018年まで運動からはかなり遠ざかっていたのだが、減量をきっかけに継続的に運動をするようになり、それによって「感覚が鋭敏になった」という経験を持つ。
運動をすると、体中の神経をはじめとする各種センサーが鋭敏になる。眼鏡の曇りがとれるような感じだ。あるいはアンテナが高く立って、電波をクリアーに受信できるような状態である。
センサーの鋭敏化によって何を利するかといえ -
生きるとは何か?:その22(1,694字)
2022-02-22 06:00110pt「野蛮人」という言葉がある。しかし今は、使う人がほとんどいない。
なぜなら、一種の差別用語だからだ。この言葉は、そもそもは文明未開の地で原始的な暮らしをしている人たちのことを指していた。そこから転じて、たとえ文明人であっても、粗野で横暴な人を野蛮人というようになった。いずれにしろ、差別的な意味合いが大きい。
ところで、その昔『野蛮人のように』という薬師丸ひろ子主演の映画があった。1985年の公開で、その年の興行成績2位を獲得した。
1986年 『野蛮人のように』予告編
また、ぼくが最も好きな歌の一つに『情報時代の野蛮人』というものがある。元ザ・ブルーハーツ(現ザ・クロマニヨンズ)のメンバー・真島昌利(マーシー)の歌で、1992年に発売された彼のソロアルバム『RAW LIFE』に収録されていた。
マーシー/情報時代の野蛮人
ぼくは、薬師丸ひろ子もマーシーもとても好きなのだが、両者とも野蛮人と -
生きるとは何か?:その21(1,871字)
2022-02-15 06:00110ptぼくは、大学時代に祖父母の家に下宿していたので、近代的自我と中世的無自我の葛藤に揺れる大正生まれの祖母の姿を間近で見ることができた。そして、それ以前に中世的「無」自我を体現している曾祖母を見たり、また彼女の話を聞いたりすることもできた。それがあったから、いつからか「自分の自我」というものにも疑いを持てるようになったのだ。
最近になって思い出したのだが、ぼくは祖母に一度、「見合い結婚なんて信じられない」と話したことがあった。それは文字通り、「ぼくにはできない」という意味だ。結婚という重要なライフイベントを「他人が決める」などということは、人間の自由を阻害すること以外なにものでもないように思えたのである。
ところが、そのときまで知らなかったのだが、話した当の祖母が見合い結婚だった。そして、ぼくの言葉を聞いた祖母は、「私は見合い結婚だったけどね」と言った。
このとき、ぼくは一瞬「まずいことを言っ -
生きるとは何か?:その20(2,207字)
2022-02-08 06:00110pt時代は移り変わる。そして、同じ時代を共有しながら育った人々を「世代」と呼ぶのだが、日本人はここ150年間、世代の影響力もとても強かった。
なぜなら、学校制度というものがあり、同じ年度に生まれた同世代同士を強制的に一緒に育てるという社会システムになっていたからだ。そのため、ほとんどの日本人が、時代や世代の巨大な影響下で人格形成をし、来し方を決定するようになった。
その意味で、日本人は誰もが「時代の申し子」なのである。そして、ぼくの曾祖母は明治の生まれであったため、明治の申し子だった。彼女は、文字通りの「明治女」だった。
今思い返しても、曾祖母は一般的にいわれる「明治女」のイメージそのままで、とてもプライドが高く、人にも厳しく、きつい性格をしていた。一方で、女の分はよくわきまえており、男を引き立て、そこからはみ出ることはついぞなかった。
しかし、彼女の息子(ぼくの祖父)とその嫁(祖母)は、とも -
生きるとは何か?:その19(1,825字)
2022-02-01 06:00110ptぼくの祖母は1923年の生まれである。大正12年だ。一方曾祖母は19世紀の生まれで、ぼくとは確か75歳違うので、1893年の生まれだろう。明治26年だ。
話は少し飛ぶが、人間は、どんな人でも「時代の空気」と無縁では生きられない。それにどうしようもなく引きずられながら生きている。
そうして、驚くことにほとんどの人が、そのことに「無自覚」である。だから余計に、時代の影響を受けてしまうのだ。
時代というのは、まさに空気のように目に見えない。存在が明らかになるのは、約30年が経過して以降だ。今は2022年なので、今年になってようやく、1992年がどんな時代だったか見え始めてきている。
なぜ「30年」なのかというと、親が子をもうける平均的な年齢だからだ。つまり、平均的な「1世代」である。かつての1世代は25年、つまり四半世紀くらいだったが、それこそ時代の変化で30年くらいになった。
だから「30年」 -
生きるとは何か?:その18(1,951字)
2022-01-25 06:00110pt生きるとは何か?
結論からいうと、それはエネルギーが変位する状態であり、その一過程に過ぎないのだが、人間には意識があり、また思考をするため、立ち止まってふと「生きるとは何だろう?」と考えたりする。
しかし、そもそも「生きている」ということは、人間の思考の概念を超越しているので、なかなかすぐには「状態のことである」という結論には至らない。ところが、面白いことに古代の思想家たちは、そういう結論に達していたし、それ以降も分かっている人はたくさんいた。
ぼく自身が「生きるとは状態である」ということを知ったのは、最先端の科学を学んだからでもあるが、同時に古代人の知見も知っているからでもある。またそれ以上に大きいのは、ぼく自身が実感としてそう思っているということもある。
ぼく自身は、子供の頃の記憶が他者と比べて少ない。一番古い記憶は、祖母の記憶である。幼い頃、祖母の家に行ったこと。祖母と電車を見に行っ -
生きるとは何か?:その17(1,774字)
2022-01-18 06:00110pt「意識」というのは幻である。ぼくは、本を読んでそのことを知るまで、全く気づかなかった。しかし言われてみると、納得するところも大きかった。
というのも、そもそもぼくは「無意識」というものの存在が、ずいぶん前から気になっていた。大学1年生のとき、新歓コンパで痛飲し、気づいたら三鷹駅にいた。次に気づいたときには下宿している小金井の祖母の家の布団で寝ていた。新歓コンパの場所は上野だ。
その間、どうやって移動したのかは分からない。しかしぼくは、確かに自分で移動したのだ。救急車に運ばれたり、誰かの世話になったりしたわけではない。祖母に聞いても、普通に帰ってきて寝ていたという。しかし全く記憶がない。
これは全くおかしなことだった。ぼくが無意識に関心を持ち始めたのも、これがきっかけだった。しかしながら、人に話してみると「それはよくあること」と言う。なんなら「大人の仲間入りをした」などと洒落たことを言う人ま -
生きるとは何か?:その16(1,994字)
2021-12-28 06:00110pt
2 / 4