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記事 39件
  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第29回(1,928字)

    2017-09-28 06:00  
    110pt
    勉強ができるようになるためには、「勉強をした先にいいことが待っている」と予感しなければならない。それが予感できれば、人は勉強に伴う苦労や困難を厭わなくなり、自然と勉強するようになる。だから、勉強の鍵の一つは「予感」が握っているのだ。
    ところで、人はなぜ「予感」するのか?
    どのようなメカニズムで「予感」を抱くのか?
    人が予感を抱くのには、大きく分けて二つの道筋がある。
    一つは、「経験」である。
    パブロフの犬のように、ある音が聞こえてきた後に餌が支給されるという経験をくり返すと、次第にその音を聞いただけで「餌が食べられるのではないか」という予感を抱き、唾液を分泌するようになる。
    それとは別に、そうした経験がなくとも予感を抱くときがある。
    それは、「願望」を抱いているときだ。
    例えば、母親が赤ん坊に「いないいないばあ」をしたとする。このとき、赤ん坊は母親の顔が見たいから、「その手をどけてくれない

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第28回(1,967字)

    2017-09-21 06:00  
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    人が予感を抱くのは、主に二つの方法によってである。
    一つは「経験」による。「パブロフの犬」は、特定の音を聞かされた後に餌を与えられるよう、習慣づけられた。そうすると、やがてその特定の音を聞いただけで、無条件に唾液が出てくるようになる。
    それは、餌が出てくることを「予感」してのことなのだが、その予感は経験に基づく。過去に経験したことが鍵となって、条件反射で予感が引き起こされているのだ。
    実は、多くの人が勉強を苦手とするのも、子供の頃に勉強をして苦痛を味わった経験があるからだ。つまり、条件反射で勉強をしたくないと思ってしまうのである。
    これでは、勉強の進むはずがない。勉強を効果的に進めるためには、まずこの「負の条件反射」を与えないことに最も留意しなければならないだろう。
    その上で、「勉強したら面白かった」という正の条件反射を与えられれば、人は簡単に勉強ができるようになる。誰に言われたわけでもな

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第27回(1,637字)

    2017-09-14 06:00  
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    ヘウレーカの快感を味わうためには、まず「分からない」を通過しなければならない。料理を美味しくする最大のこつはおなかを減らすことだというが、ヘウレーカもこれと同じで、まず「分からない」という煩悶がなければ、快感にはなりえないのである。
    しかしながら、人はその苦痛になかなか耐えられない。「分からない」というのは元来、好奇心旺盛な人間にとっては最大の苦痛ともいえ、それに対する耐性はそもそも備わっていないのである。
    おかげで、ほとんどの人はすぐにそこから逃げてしまう。その逃げるとき、最もポピュラーな方法はいわゆる「酸っぱいブドウ」だ。心理学用語では「防衛機能」ともいうのだが、そこで「知的好奇心を満たす必要はない」あるいは「満たしたとしても対して快感は得られないだろう」と自分自身を騙すのである。自己暗示をかけて傷つかないようにするのだ。
    驚くべきことに、この自己暗示は方法を習ったことのない子供でもす

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第26回(1,686字)

    2017-09-07 06:00  
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    自己肯定感のある人は、自分の中にある深い欲求に耳を傾けることができる。そのため、上っ面の困難を乗り越えていくことができる。しかし自己肯定感が低いと、深い欲求に従えず、浅い欲求を満たそうとする。
    浅い欲求の代表格が、スマホゲームやパチンコなどが発するキラキラとしたイルミネーションを見ることだ。それによって脳内麻薬は出るものの、それは非常に薄味なので、本質的な快楽にはならず、従って満足感もそこそこで終わってしまう。
    それに比べると、知的好奇心を満たすというのは人間の深いところにある欲求なので、満足感が非常に大きい。そのため、これを一度でも経験すると、それに病みつきになって、以降はイルミネーションの浅い快楽では満足できなくなり、くり返し知的好奇心を満たそうとするのだ。
    人間は、知的好奇心が満たされると脳内麻薬が豊富に出て、満足感の大きい快楽を味わうことができる。いわゆる「アハ体験」などとも呼ばれ

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第25回(1,680字)

    2017-08-31 06:00  
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    人は、母親を否定することができれば哲学力が戻ってきて、勉強力を比較的簡単に身につけられる。逆に言うと、母親を肯定している人はなかなか哲学力が身につかない。翻って、勉強ができない。
    だから、我が子に勉強力をつけさせたいと思ったら、母親は子供に自分を否定させてあげる必要がある。しかし、これがなかなか難しい。人間は、たとえ子供であっても――いや子供であるからこそ、自分を否定されたくない。ましてや、現代は自分を否定されることのダメージが大きい。だから、どうしても子供に否定されないようにする。おかげで、勉強力のない子供が増えている。
    では、母親を上手く否定でき、勉強力が身につくとどうなるか?
    まず、自己肯定感が身につく。
    「自己肯定感」というのは、母親を肯定し続けるうちはなかなか身につかない。なぜかというと、母親というのは本能的にもまた職能的にも子供を否定してしまう生き物なので、それを肯定するという

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第24回(1,964字)

    2017-08-24 06:00  
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    勉強力とは、すなわち哲学力だ。なんにでも好奇心を持ち、「なぜ?」と問いを発する(発し続ける)哲学力こそが、勉強力の源泉である。
    しかしながら、ほとんど全ての母親は、すべからくこの哲学力を阻害しようとする。子供の阻害力を削ってくる。そうしてほとんどの子供が哲学力を失い、同時に勉強もできなくなる。
    だから、勉強力を取り戻すには哲学力を取り戻す必要があり、それには哲学力を阻害した母親を否定する必要がある。勉強力を養うことを妨げた母親の教育を否定する必要があるのだ。
    しかし、これが難しい。というのも、子供はすべからく母親を愛するように制度設計されているので、なかなか否定できないからだ。ましてや力のない子供時代は、母親の教育を否定しようがない。
    しかしながら、ぼくは幸いにも幼い頃から母親を否定できた。そのおかげで哲学力を失うことなく今に至るのだが、しかしそれでも、母親を否定したことの罪悪感は小骨のよ

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第23回(1,851字)

    2017-08-10 06:00  
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    子供の頃は、誰でも純粋な好奇心を持っている。何にでも興味を持ち、母親によく質問をする。しかしながら、多くの母親はその質問にやがてうんざりしてくるので、最後には答えなくなる。そればかりではなく、むしろ苛立つようになり、ときには怒ったりさえする。そういう母親と接するうちに、子供はとうとう「質問をしてはいけないんだ」と思うようになる。そして質問を発する元凶となった「好奇心」をも、やがて封印するようになり、次第に何にも興味を抱かなくなるのだ。そうして、哲学力がやせ細っていってしまうのである。それゆえ、哲学力を身につける上でまず乗り越えなければならない壁は、「母親」である。実は、質問をしても母親にうんざりされないというだけで、哲学力は大きく違ってくる。そして、哲学力に伴う勉強する力も、大きく変わってくるのだ。では、母親という壁はどのように乗り越えたらいいのか?どうすれば、哲学力をやせ細らさないようで

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第22回(1,671字)

    2017-08-03 06:00  
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    子供には純粋な「好奇心」がある。幼い頃は「なぜ? なぜ?」と母親に質問を連発する。
    しかし、長じるに従ってそうした質問は影を潜める。好奇心そのものもどんどん減っていき、やがて発露されなくなる。
    なぜか?
    それは静かに、しかし深く傷ついているからだ。そして傷つくたびに好奇心が鈍磨し、発露されなくなるのである。
    多くの母親は、子供の質問を鬱陶しいと思う。そして、それにほとんど答えない。そこで子供は学習する。下手に質問をしても母親の機嫌を損ねるだけで、単に答えが得られなくてがっかりする以上に、母親のイライラや怒りを買う。
    そのため、「質問を発することそのものが良くない」と考えるようになるのだ。そうして、質問を発するに至った根本原因であるところの好奇心というものも、なるべく発露させないようしていくのである。
    おかげで、子供が生まれつき持っている哲学力は、思春期を迎える頃にはたいていの場合失われてし

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第21回(1,669字)

    2017-07-27 06:00  
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    勉強をするには、まず言語力が大切だ。そして、その次に大切なのが哲学力だ。
    「哲学力」とは何かというと、「疑問に持つ力」のことである。自ら、ある事象の中に問いを見出せる能力のことだ。
    勉強を捗らせる上で、最も重要なのは「やる気」である。やる気がなければ、勉強はできない。逆にやる気さえあれば、勉強など簡単だ。勉強を続けるには、一にも二にもやる気次第なのである。
    では、そのやる気はどうやって引き出すのか?
    多くの人は、「精神力」からと考えるが、それは誤りだ。精神力からやる気が生まれたことは、有史以来ないといっても過言ではない。やる気はいつも、「哲学力」から生まれるのである。
    哲学力というのは、先述したように「疑問に持つ力」のことであるが、それは言い換えれば「好奇心」のことだ。「一体どうなっているのだろう?」という好奇心が、そのまま疑問を持つ力――すなわち哲学力につながるのである。
    この好奇心を説

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  • 「きみは勉強ができないんじゃない、勉強の仕方を知らないだけなんだ」第20回(1,708字)

    2017-07-20 06:00  
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    勉強ができるということは、生きていく上でさまざまな有利がある。
    というより、今は勉強ができないと生きにくい世の中になってしまった。少し前までは、むしろ勉強はほどほどな方が生きやすい世の中だったのに、これは大きな変化だ。なぜそうなったかといえば、より個人の能力が問われるようになったからだ。また、なぜ個人の能力が問われるようになったかといえば、それはインターネットができたからである。
    インターネットによって何が変わったかといえば、それは「個人で情報発信ができるようになったこと」だ。有史以来、情報発信は力の源泉だった。情報発信をするということが、社会の中で強い地位を獲得することだった。
    しかし、インターネット以前は、個人が情報を発信できなかった。できたとしても、その範囲は限られていた。だから、情報は組織で発信する必要があり、そして組織の中に生きなければならない以上、むしろ周りに合わせることの方が

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