• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 40件
  • 教養論その30「怒りにブレーキをかけない方法」(1,508字)

    2016-03-24 06:00  
    110pt
    教養を正しく養うためには、正しく怒る必要がある。そうしないと、教養の負の側面に目を向けることができなくなるからだ。では、正しく怒るためにはどうすればいいか?それは、怒りにブレーキをかけないことである。それを上手く解放してあげることだ。では、どうすれば怒りを上手く解放できるのか?今回は、そのことについて考えてみたい。ぼくは、怒りというと一つ思い出す人物がいる。それは、元プロ野球の監督だった星野仙一さんだ。星野さんは、中日の監督だったとき、「闘将」というニックネームがついていた。理由は、いつも怒りをぶちまけていたからである。彼は怒りを露わにする人間だった。しかしながら、彼はそのことによる咎めというものをほとんど受けなかった。彼の怒りはいつもたいていポジティブに受け取られていた。それは一つの長所だったのだ。それであるとき、インタビューがそのことについて尋ねていた。「そんなに怒っていて、よく失敗を

    記事を読む»

  • 教養論その29「教養に必要な怒り」(1,760字)

    2016-03-17 06:00  
    110pt
    教養を正しく育むためには、教養の負の側面に目を向ける必要がある。ものごとを嫌いになったり、憎んだりする必要がある。
    なぜなら、この世には嫌いになるべきもの、憎むべきものというのが存在するからだ。それらをちゃんと嫌いになったり憎んだりしないと、ものごとを正しく評価できなくなる。ものごとを正しく評価できなければ、すなわち教養がないということになってしまうのだ。
    そこで今回は、ものごとを正しく嫌ったり憎んだりする力をいかにして養うか――ということを考える。そこでポイントとなるのは「怒り」である。怒りこそ、ものごとを正しく嫌ったり憎んだりするときに欠かせない感情だ。怒りがないと、毛嫌いや食わず嫌い、逆恨みといった、間違った嫌い方、憎み方をしてしまう。
    手塚治虫の『火の鳥 鳳凰編』で、印象的なシーンがある。それは、主人公の一人である我王が、創作活動に目覚める場面だ。
    物語中、我王は道で死んだ農民と出

    記事を読む»

  • 教養論その28「教養の矛盾」(1,631字)

    2016-03-10 06:00  
    110pt
    教養というのは、一般的にはものごとを肯定的にとらえる力だと思われている。ものごとの正の側面をとらえ、それを伸ばしていける力のことだと。
    例えば、教師でいったら生徒の良いところを見つけ、それを伸ばしていけるのが「教養ある人物」というふうにとらえられる。
    しかし、それは教養の片面に過ぎない。教養には、もう一つ重要な側面がある。
    それは、ものごとを否定的にとらえる力だ。ものごとの負の側面をとらえ、それを解消していったり、場合によっては放置して、そのまま死滅するのを待ったりする力だ。諦めたりする力である。
    近年、「嫌われる勇気」という本がベストセラーとなっているが、この「嫌われる」というあり方は、まさに教養のもう一つの側面といえよう。教養ある人間というのは、単に人から好かれるだけではなく、ちゃんと嫌われることができる。教師でいったら、生徒の悪い面をとらえ、これを否定したり、解消させたり、場合によっ

    記事を読む»

  • 教養論その27「言語能力における美的感覚(後編)」(2,118字)

    2016-03-03 06:00  
    110pt
    今回は、言葉における「概念としての美しさ」と「形の美しさ」について見ていく。
    まず、概念としての美しさ。
    「概念」というのは、その本質のことである。例えば、教養であったら教養の本質――それを概念という。
    そして、「教養」という言葉は教養の本質をどれだけ表しているのか?――それを表していればいるほど、概念として美しいということになる。
    これをなるべく分かりやすく説明してみたい。要は、「言い得て妙」ということだ。もっと砕けた言い方で、「上手いこというなあ」でもいい。
    これの名手は、松本人志だ。松本人志は、概念として美しい言葉をいくつも残しているが、そのうちぼくが好きなものに「一周回って面白い」というのがある。これは、ある現象がつまらなくなりすぎて逆に面白くなっているという概念を指していっているのだが、それを「一周回って」という短い言葉にまとめている。そこに美しさを感じる。
    松本人志は、他にも「

    記事を読む»

  • 教養論その26「言語能力における美的感覚(中編)」(1,754字)

    2016-02-25 06:00  
    110pt
    「言葉の美しさ」というのは、以下の四つの要素から構成されている。1、音の美しさ2、機能としての美しさ3、概念としての美しさ4、形の美しさここで、この四つについてそれぞれ見ていく。まず、「音としての美しさ」。これは、別の言い方をすれば「朗読したときの聞こえ方の良さ」ということになろう。口から音として出したときの美しさだ。その最も代表的なものといえば、「七五調」ということになる。「古池や蛙飛び込む水の音」「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」これらを音読したときの、独特のリズム。また収まりの良さ。そうした要素が、聞く者に音としての美しさを感じさせる。あるいは、七五調でなくとも美しい音の言葉というものはある。例えば、ぼくが好きなのは「百年の孤独」の書き出しだ。「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷と

    記事を読む»

  • 教養論その25「言語能力における美的感覚(前編)」(1,587字)

    2016-02-18 06:00  
    110pt
    「教養」とは、ほとんど「言葉を知っている」ということと同義である。なぜなら、言葉というのは「知識」であり、同時に「思考の道具」であり、さらには「さまざまな事象の概念、本質を表しているもの」でもある。だから、それを知れば知識、思考力、物事の本質という三つの教養にとって重要なことを同時に習得できるのだ。
    それゆえ、教養を高めるには言葉を習得するのが一番なのだが、言葉の習得というのは、主に以下の四つに分類される。
    1、知識力
    2、構成力
    3、想像力
    4、美的感覚
    1の知識力とは、文字通りたくさん言葉を覚えること。2の構成力とは、その覚えた言葉を巧みに構成すること。3の想像力とは、その言葉を使ってやり取りする相手との間に言語外言語での関係を構築すること。そして4の美的感覚とは言葉の持つ芸術的要素である。
    今回は、この4の「美的感覚」について見ていく。
    ところで、「美的感覚」というのは言葉に限らず人

    記事を読む»

  • 教養論その24「言語能力における『想像力』とは何か?(後編)」(1,804字)

    2016-02-11 06:00  
    110pt
    「言語能力がある」ということは、それだけ「想像力が働く」ということでもある。何に想像力が働くかといえば、それは三つある。一つは、話す相手が「どういう人か」。二つは、話す相手が「これまで何をしてきたか」。三つは、話す相手が「これからどうしたいか」。これらに対して想像力が働けば、そこで彼らが話すこと以上のもの――すなわち言語外メッセージを受け取れるので、言語能力があるといえよう。そこで今日は、これら三つに対する想像力の働かせ方について見ていきたい。ところで、最初にお伝えしておきたいのは、上記の三つについて、実はある一つのポイントを観察することによって、同時に想像できるということである。そのポイントとは、相手の「話し方」である。「何を話すか」ではなく、「どう話すか」ということだ。相手が「どう話すか」によって、何が分かるのか?まず、「相手がどういう人か」。ここで理解しておかなければならないのは、人

    記事を読む»

  • 教養論その23「言語能力における『想像力』とは何か?(前編)」(1,788字)

    2016-02-04 06:00  
    110pt
    言語能力における「想像力」とは何か?
    それは「行間を読む力」である。あるいは「空気を読む力」ともいえる。言語外言語を受け取る力だ。
    そういう力のあるなしで、言語能力は大きく変わってくる。また、言語能力が変われば教養も変わってくる。すなわち、想像力を鍛えることは、そのまま教養を鍛えることにもつながるのだ。
    ところで、日本語には「敬語」というものがある。これがなぜ存在するのか、考えてみたことがある。
    そこで分かったのは、敬語には、もう一つの言語外メッセージが存在するということだ。それを受け取れるか受け取れないかで、教養というものも大きく変わってくる。
    では、敬語における「言語外メッセージ」とは何か?
    それは、「相手を敬う」ということだ。「私はあなたを敬っていますよ」というのが、敬語の言語外に込められたメッセージである。
    「なんだ、そんなことは当たり前じゃないか」と思われるかもしれない。「そんな

    記事を読む»

  • 教養論その22「言語能力における『構成力』とは何か?(後編)」(1,981字)

    2016-01-28 06:00  
    110pt
    前回は、言語能力における構成力とは何か――ということを見てきた。
    それは、詰まるところ「相手に伝えたいこと(ゴール)を明確にし、そこからの逆算で言葉全体を構成すること」である。話の構成の下手な人は、この「ゴール設定」ができていないため、構成ができていない。そうして、いわゆる「オチ」のない話になってしまうのだ。

    では、そうした構成力はどうすれば養われるのか?
    言語能力における構成力を養う一番のコツは、まずは言語の構成の「基本形」というものを把握することである。その型を知るということなのだ。

    では、言語能力における「型」とは何か?
    それは、「オチ」を活かすための「フリ」を、しっかり作るということに尽きるのである。


    先述したように、話の構成というものはまずはゴールを設定するところが始める。それは「オチ」を決めるということでもある。
    そして、オチを決めたら今度はそこから逆算して「フリ」を決

    記事を読む»

  • 教養論その21「言語能力における『構成力』とは何か?(前編)」(2,125字)

    2016-01-21 06:00  
    110pt
    言語能力における「構成力」とは何か?
    言語というのは、言うまでもなく「単語の連なり」によって形成される。だから、いくら「単語」を知っていても、それだけでは「言語能力」があるとはいえない。言語能力には、その単語を「構成する力」も含まれているのだ。
    そしてこの構成力というのは、言語能力においては最も重要な能力でもある。
    というのも、たとえ単語を数多く知らなくとも、構成力が巧みであれば、多くの人から「言語能力がある」と見なされるからだ。
    その意味で、言語能力における「構成力」の役割は、「単語を知っている」ということよりずっと大きい。単語を数多く知っているが構成力に欠ける人と、単語を知らなくとも構成力に長けている人とでは、「言語能力」という観点から見ると、圧倒的に後者に分があるのだ。
    この「構成力」というのは、いわゆる「地頭」というものに通じる。
    例えば、言葉を料理人の包丁にたとえると、いい包丁を

    記事を読む»