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  • 一問一答「あなたは思い込みなく現実を正しく見ることができていますか?」【バイアス回避の科学】

    2021-09-14 12:00  
    330pt
    あなたは思い込みなく現実を正しく見ることができていますか?

    かつて、コメディアンのジョージ・カーリンは観客に対してこう質問しました。
    「自分よりゆっくり車を走らせているやつはバカで、自分より速いやつはイカれてる。そう思ったことはないか?」 
    これは車を運転したことがない人でも、多少なりと思い当たる節があるのではないでしょうか。
    自分は周りの交通状況に合わせて適切なスピードで走っているのだから、
    自分よりもゆっくり運転している人は、運転がゆっくり過ぎるに違いなく、
    自分よりも早く運転している人は、早すぎるに違いない、
    自分は正しく現実や状況を見ることができているわけだから、それと異なる見方をする人達は間違っていると思い込むわけです。

    今回は、ゆとり世代が成長するためには何が必要だろうかという相談をもとに、余計な思い込みや印象に惑わされることなく、現実を正しく見て、人間関係での損を避けるためのバイアス回避の科学について解説させてもらいます。

    ゆとり世代が成長するためには何が大切でしょうか?

    まず、ゆとり世代をひとつにくくるのは僕は間違っていると思います。
    もちろん、職人の仕事などであれば別ですが、今の世代の人の方がネットの使い方などには長けていますし、持っている技術が変わっただけだと考えてください。

    そういう意味では、自分の能力や考え方を別の角度から見て、さらに発展を求めたいというのであれば、クリティカルシンキングをぜひ学んでみてください。

    世代などでひとくくりにするのは良くないと思います。社会による刷り込みというものは自分たちの成果にかなり影響を与えるものです。
    『ステレオタイプの科学――「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』という本があり、例えば、女性は数学が苦手だと言われると本当に苦手になってしまうとか、男性はケア職に向いていないと言われると本当にできなくなるし、できないと言われると人間は本当にそちらの方向に進んでしまいます。

    ですから、ゆとり世代は仕事ができないと言われていること自体が思い込みの可能性もありますので、クリティカルシンキングと同時にバイアス解除法を学んでいただけたらと思います。
    それにより一度自分の思い込みをリセットしたほうがいいと思います。ゆとり世代でも、すごいことを成し遂げている人はいくらでもいるということを覚えておいてください。

    ステレオタイプの科学――「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか

    DaiGo師匠のアドバイスは以上のとおりでした。

    人が論理的に判断することは難しい

    師匠はよく根拠になるデータを使って説明したりします。それにより説得力は上がると言われます。
    ところが、実際はデータよりも印象によって人は流されやすいものです。
    合理的、論理的な人たちはその根拠から理解し納得するわけですが、そうでない人たちは印象で左右されやすいわけです。

    そのような、自分の経験がすべてだと思っていたり、感動できるストーリーがあったら、データよりも感情に左右されてそれを他にも当てはめようとする人がいます。
    実際の感覚とデータは異なっています。

    見えないバイアスがかかっているわけです。そのバイアスを取り除いて、知識を皆で使えるようにしようというのが統計であり、それが科学の素晴らしいところです。
    ところが、人間はデータよりも印象に左右されてしまいます。
    ですから、データも大事ですが、印象も大事にする必要があるということでもあります。

    例えば、海鳥の保護の寄付を募る際に、示した海鳥の数によって寄付額は変わるのかという事を調べた実験があります。
    この実験では、2000羽の海鳥を保護するための寄付と、2万羽の海鳥を保護するための寄付、そして、20万羽の海鳥を保護するための寄付と3パターンで寄付額の違いを調べています。

    この実験でもわかったことですが、人は論理的に物事を判断しているわけではありません。
    保護される海鳥の数と寄付額は全く関係ありませんでした。
    結局のところ人は単なる印象によって決めているだけです。

    比較対象や選択肢をデザインすることで人を動かすことができる

    DaiGo師匠が説得のテクニックや大衆扇動の放送で紹介しているように、人は結局のところ自分の印象で物事を判断していることが多いので、ストーリーを持たせたり表現の仕方を変えるだけで相手の判断や行動を変えることができます。

    例えば、​​シーナ・アイエンガー博士が行ったジャムの実験があります。
    選択肢が多くなった方が人間は集まりますが、選択肢が少なくないと購入に至らなくなります。
    試食24種類の時は3%、
    試食6種類の時は30%がジャムを買いました。
    来たお客さんの数は24種類の時の方が多かったですが、売上は6種類の方が8倍高かったということです。

    これは人間はたくさんの選択肢があることに惹かれますが、実際に選ぼうとすると選択肢が多すぎると選ぶことが難しくなってしまうということです。
    ですから、相手を誘導したいのであれば、たくさんの選択肢があることを上手にアピールした上で、相手の選択肢をうまく絞ってあげることが重要です。
    たくさんの選択肢の中から絞り込むことで、相手の行動を促すこともできますし、逆に、選ばせたくない場合や、相手の判断を変更させたくない場合、思いとどまらせたい場合は選択肢を増やせば良いということになります。
    心理学や科学の知識というものは、日常の実践においてはこのように両面で使うことができるということを覚えておいてください。

    思い込みが幸せを決める?!

    シーナ・アイエンガー博士の人間が正しく物事を選択するための方法については、こちらの本が参考になります。

    選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)

    このシーナ・アイエンガー教授は伝統的なシーク教徒の家に生まれました。シーク教というのは、結婚するまで奥さんの顔がわからないという教徒です。
    つまり、家族とか自分の親戚たちなどの話し合いによって結婚相手が決められるわけです。
    結婚相手が決まって、結婚式が終わってから奥さんのベールをめくって初めて奥さんを知ります。

    自己選択、裁量権があることが幸せにつながると言われますが、普通に考えて無神論者だったり、戒律の少ない宗教などの人たちより、シーク教徒の幸福度は低いということになってしまいます。

    このシーナ・アイエンガー教授は、自分の実家がそうだったからまず調べてみました。
    調べた結果、規律の多いシーク教徒のほうが、裁量権に満たされている無神論者たちに比べて幸福度が高かったということがわかっています。

    多くの規律に縛られていても、自分の裁量権は大きいと思っているわけです。
    つまり、この裁量権というのは実際にどのくらい選べるかは関係ないということです。
    自分が、どのくらい選べると思っているかが大事だということです。
    実際に決まっているものではなく、主体的な裁量権、どのくらい選べるのかという皆さんの思い込みが幸せの度合いを決めています。
    これは何が正しいのかという話ではなく、自分で物事を選べるという感覚を持ち、みなさん自身の主体的裁量権を最大化することで幸せな人生を歩むことができるということです。

    多くの人が思い込みで自分と他人を傷つける!

    ここで皆さんに2つの質問します。
    「あなたは、“自分はどうして他の人と同じようになれないのだろう”と考えたことはありませんか?」
    「あなたは、意見の不一致で誰かと言い争ったり誰かを批判したことはありませんか?」

    実は、この2つの問題は同じ思い込みから起きるものです。
    幼い頃やまだ自分がその分野で未熟な時には、自分はなぜ他の人と同じようにできないのだろうかと悩みます。
    「自分のどこが悪いのか」「自分は何か特殊なのか」という方向に思い悩むわけですが、
    いつのまにか、大人になったりある程度習熟している間に、その方向が「周りの人達のどこが悪いのか」に方向が変わってしまいます。

    世の中では論争もなくなりませんし、他者への批判や攻撃もなくなりません。
    これは結局、目の前の現実を正しく見るということを怠り、自分の思い込みで判断したりバイアスに流された結果、自分以外は正しくないと考えてしまうからです。
    データや事実がどうかということではなく、多くの人が自分の目にどう映るかということだけで、物事を判断し自分の行動を決めているためです。

    自分の強みに気づけない「社会的需要の見逃し」

    これは先ほどの質問の1つ目のように、ネガティブなバイアスにとらわれて「どうせ自分なんて・・・」と考えてしまうことで、自分の可能性すら気付けなくなってしまうというものです。
    自分にとっては他愛ないと思い価値なんてないだろうと思っているものであっても、隠れた芸術品のように、もしかすると他の誰かにとっては大きな価値があるかもしれないという可能性を見逃してしまいます。

    自分の強みは何もない、自分に特に価値なんてない、そう思っている人でも、他の誰かにとってはそれが欲しくて仕方がないほど大きな価値を秘めているかもしれません。
    自分の可能性に気づくためには、この社会的需要の見逃しというバイアスの存在を知っておいてください。

    自分ばかりに目が向いているために、この社会的需要の見逃しのバイアスの影響を受けてしまうことがよくあります。
    自分のことを話すのに夢中になっていて、相手がどんなことに興味を持っているのかということに気づけないわけです。

    ひとつのネガティブな要素でその人の全てを否定してしまう「ハロー効果」

    ハロー効果というのは、その人の目立つ特徴により、その人の印象が強く形成されてしまうというものです。
    これはごく限られた特徴により全体を推定しようとするものに基づいていますが、
    これが間違った方向に起動してしまうと、
    「この人は◯◯がダメだから人としてダメだ」となってしまいます。

    自分の相手に対する印象を確定させたいのであれば、少なくともそこに3つの証拠があるのか?ということを考えてみてください。
    誰でもひとつの点だけで決めようとすると全ての人がいい人か悪い人に分類されてしまい、それは人間関係を崩壊させることにつながりかねません。

    客観的な正しさも主観的な正しさも見えなくなる「権利への執念」

    人は自分が信じていることは、相手も信じるべきだと思いがちです。
    これは世の中の常識だから当然誰でも従うべきだとか、これが正しいことだから、みんなもそうするべきだというようなことを言う人がよくいます。
    これは、冒頭のジョージ・カーリンの言葉と同じで、自分こそが正しくそれがすべてであり真実、だからこそみんなもそれを信じるべきで、それが出来ないものは排除するべきだという危険な考えです。

    自分が信じていることが正しいかどうかは分かりません。
    客観的にも科学的にも正しいかどうかは分かりませんし、主観的に見た正しさも人によって違うものです。
    そして、その主観的な正しさというものは議論したり主張しても無駄です。
    もちろん客観的な正しさや科学的な事実というものは重要だと思います。
    科学を信じるのもスピリチュアルを信じるのも、主観的な部分では人それぞれです。
    ただ、それを客観的に論じたり他人に対して押し付けるという行為は危険だと思います。

    少なくとも、主観的な部分においては、自分の信じていることを相手も信じているとは限らないということを覚えておいてください。
    その上で、相手が主観的に話しているのか、客観的に話しているのかということも考えておかないと、議論は無駄に平行線になってしまいます。

    ここから先は、さらに多くの人が陥りがちな自分の可能性を見逃してしまうバイアスや、人間関係の可能性を見失ってしまうバイアスについて解説していきます。
    人間は一度バイアスについて勉強しても、しばらくするとまた元に戻ってしまいます。
    ですから、定期的にバイアスを意識するために、バイアスについての勉強をするようにしてください。
    自分の人生の可能性を無駄にしたくないという方は、ぜひ続きをチェックしてみてください。