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  • 【インタビュー】坂本崇博「〈仕組み〉に乗っかり〈仕方〉を変える」後編

    2018-02-16 07:00  

    コクヨの社員として「働き方改革」をコンサルティングしている坂本崇博さんのインタビューの後編です。日本の企業の「働き方」を変えるためのさまざまな試みや、45歳での「社会的な死」と、その先にある第二の人生。さらに、実践的な「働き方改革」の方法、今あるリソースをフル活用する発想について伺いました。(構成:鈴木靖子)※この記事の前編はこちら。
    別の世界への想像力が自立を促す
    宇野 組織は変えられなくても、自分の「働き方改革」を始めようと考えている人は多いと思います。彼らに対するアドバイスや、上手くいくコツみたいなものはありますか? 
    坂本 基本的には、何でも試してみる精神が大事です。最初から成功させようと思うと萎縮するし、失敗したときはヘコみます。でも、お試しだと思えば、「このやり方では上手くできないという検証結果を発見できた」となる。つまり、失敗ではなくなるのです。  あとは、あまり大きなことから始めない。0から1はそう簡単に生み出せないので、ほかの人がやっていることを取り入れるところから始める。ただし、その中に少しだけ自分のエッセンスを加えるんです。例えば、私は会議や営業ノウハウ本を読んで、少し批判的に捉えて、その本を反面教師に「自分だったらこうする」という一人壁打ちをしています。だから、まず一度は本を読め、セミナーを聴きに行けという話でもありますが、その時常に「自分ならどう話すか、どうやるか」の視点で半分批判的に、つまりアウトプットを想定しながらインプットをすることが大事だと思います。
    宇野 お上は「働き方改革だ!」と旗を振っていますが、それに対して「実態とはかけ離れている」という現場からの批判の声もあります。そこについてはどうお考えですか?
    坂本 「今、流行っているから、とりあえず早く帰れ」というのは改革ではなくて「横並び」であり、それでは従来の働き方と同じです。現状の改革は、全てを一律的に解決しようとしていて、それを受けた従業員の働き方も一律的になってしまう。従業員一人ひとりに、もっと個性を持って動いて欲しいんです。個性を前面に出すことを好まない日本の文化の影響もあると思いますが……。  なぜ、私がそんなことを考えるようになったのかといえば、多分オタクだからです。これまで触れてきた虚構の数が違います。日本の現実社会にはない多様な個性や歴史、思想に触れてきました。現実とは違う世界に自分を置いたり、そのことで自分を客観視してきた経験がある。だから私は、日本人は全員オタクになればいいと思っているんです。どれだけ虚構に触れてきたか、子供の頃にそういう精神世界を持っていたかで、自分自身を確立できるかどうかが、ずいぶん違ってくる。
    宇野 この現実とは別の世界があると思えるか、思えないかですよね。
    坂本 最近「東京イノベーターズ」という異業種交流会を立ち上げたんです。企業内のイノベーターは独立してしまう人が多いんですが、大きな企業に所属しながら頑張っている人もいる。そういう人たちを集めて、「シリアル・イノベーターはなぜ育つのか」を考えていこうという会です。
     実際に社内で改革・新事業創造を進めたことのある10名ほどのメンバーがいて、定期的に「どんな環境でどんな経験をすればイノベーターは育つのか」をテーマにだべっています。面白いことに、メンバーの経歴を聞いてみると、大手メーカー勤務者の場合、6〜7割が労働組合の役員経験者なんですよ。大企業だと一般社員が会社経営に関わるシーンはほとんどありませんが、労働組合の役員になると労使協議会に呼ばれるので、若くても経営陣と話ができる。数字を見せられて会社の経営状態や他部署の状況を知ったり、組合というコミュニティに参加することで、自分の世界はひとつではないことを知る。そういう経験が何かを芽吹かせるんだと思います。  あと、3割の人が何らかの形で死を意識した経験があるんです。地震とか事故とかで。そういう人たちには「人生はめっけもの」「生きてさえいれば何でもできる」「生きているうちに何かやりたい」という感覚があるので、大胆にリスクを取れるのかもしれません。
    宇野 労働組合の役員経験というのは面白いですね。今の労働組合は形骸化していて、昔のようなバリバリの左翼はほとんど残っていませんよね。少額だけど手当が出るとか、たまたまバトンが回ってきたとか、その程度の動機で参加する人が多い。しかし、その機会が、結果的にライフスタイルデザインを自覚的に考えることを促しているわけですね。  今、30代以下の都心のホワイトカラーは、発想や考え方の面では新しいソフトウェアに更新されている人が多い。しかし、会社組織や官僚機構、社会的インフラといったハードウェアは古いままです。そして、彼らはスペック的には優秀であるにも関わらず、なかなか能力を発揮できずにくすぶっている。それは特に大企業に多い印象があって、彼らの中から「自分が変わろう」という人たちがたくさん出てくると面白くなると思います。
    坂本 宇野さんがおっしゃるように、仕組みはそう簡単には変わらないんです。長年の苦労によって、すぐには変化しない構造が作られてきたわけで、簡単に変わるようなら仕組みとはいえない。それは回り続ける巨大な鉄球のようなものです。だったら、その鉄球に乗っかってうまくコントロールすればいい。私の働き方改革のポイントは「今、動いている仕組みに乗っかりなさい」ということです。乗っかるほうが、起動するためのパワーがいらない分、効率的なんですよ。
    宇野 坂本さんは徹底的にハックの思想ですよね。一方で、坂本さんたちの活動の最大の障害、働き方改革の一番の論点は、比喩的に言うと「会社に長く残っていたい人たち」がいることでしょう。会議とは名ばかりの取引先の悪口大会に時間を費やして、生産性は上がらないし問題は1ミリも解決していないんだけど、なんとなく絆が深まった気がする。そういった不毛な時間の使い方が好きな人たちが、この国には多い。これは、正しさの問題ではなくて欲望の問題なので、ここを変えることは難しいと思うんです。
    坂本 まさにそうで、会社に社会を求め過ぎているんですよ。取引先の愚痴なんて、居酒屋で町内会の人たちとしていればいいのに、そういったコミュニティを持っていないから、会社内でやらざるを得ないんです。会社という仕事の場なのに「私事」の部分が多いんだと思います。見方によってはワークとライフの融合と言えるのかもしれませんが、それが今は悪い方に働いていますよね。要は、サラリーマンの「生き様」をもう少し変えないといけないということです。
    45歳の「社会的な死」で第二の人生を生きる
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  • 【インタビュー】坂本崇博「〈仕組み〉に乗っかり〈仕方〉を変える」前編

    2018-02-15 07:00  

    老舗の文具・オフィス家具メーカー・コクヨの社員として、企業や自治体・学校などに「働き方改革」をコンサルティングしている坂本崇博さん。なぜ、一企業の社員が「働き方改革」に取り組むことになったのか。前編では、入社2年目にして新たな営業手法にチャレンジし、自身の残業時間を削減しながら営業成績もアップさせたという、坂本さんの「自分の働き方改革」についてお話を伺いしました。(構成:鈴木靖子)
    自分の働き方を改革した理由
    宇野 坂本さんは、所属されているコクヨ社内における働き方改革をはじめ、数多くの企業の「働き方改革」のコンサルティングを手がけられているわけですが、その「働き方改革」をはじめるきっかけがものすごくユニークだと思います。  まずはいち営業マンだったご自身の「働き方」を改革して、そのノウハウを応用して「働き方改革」のコンサルをするようになった、という経緯について改めてお伺いしたいのですが……。
    坂本 私がコクヨに入社したのは2001年です。コクヨを選んだ理由は、出身である関西から離れたくない、そして誰もが知っている会社で働くことで家族を安心させたいという点でした。そこで本社が大阪にあって、祖母と母が知っていそうな会社を中心にエントリーしていきました。しかも、「ご縁」を大事にしたいので、自分の生活で何か「恩」がある会社に入ると決めていた。そういう意味では、あまり「何をするか」については深い考えがない、「どの会社に入るか」というよくありがちな「就職」ではなく「就社」を目指している就活生でしたね。  まず面接に行ったのは東大阪の某食品メーカーでしたが、就活を始めたばかりの時期だったこともあって、面接では「就活性らしいきれいごと」ばかり並べてしまい、自分の想いや本音を何も話せずに落ちました。それで半分やさぐれて「この際、言いたいこと全部言おう」と心に決めました。そして、次に受けたのがコクヨだったんです。コクヨには「ロングランデスク」からキャンパスノート、さらには就活の履歴書までお世話になっていましたから、恩返しにはもってこいですし。そして当日、グループディスカッション形式だったのですが、何しろやさぐれているものですから、本音丸出しで好き放題に喋りまくって(笑)、「私 対 残りのメンバー」という構図が出来上がって、でも最後にまとめの発表を求められたときに私がすっと手を挙げて、さっきまで敵対していた他の人たちの意見をまとめて「今回の議論の結論はこうです!」と述べてドヤ顔してたら、その日のうちに連絡があり「内定」と言ってもらえて。これでますますコクヨに「恩」を感じるようになって、「コクヨで何か新しいことをやってコクヨの次なる成長に貢献してやろう」という気持ちになったんです。 当時のコクヨは、新たにオフィス通販事業をいくつか立ち上げていたタイミングでした。私の最初の仕事はそこでの営業でした。文具・オフィス家具のコクヨとしては、これまでのお客様からのリピートも多く、そのジャンルでのブランドも確立されていましたが、通販、つまりお客様にとっては「購買システム」をご提案して導入いただくという新しい事業ですので、営業のメインは新規開拓になります。そうすると、効率的にお客様にリーチし、価値を訴求しなければならない。そこでひらめいたのが「会いに行く営業」から「来てもらう営業」への働き方改革です。新規開拓の場合、いかに多くのお客様にリーチして価値訴求できるかが営業にとって勝負になるので、営業は必死に会う数を増やそうとしますが、1日に会えてもせいぜい4〜5人です。もちろん一度お会いするだけでは話は進みませんので、検討の俎上にあがるまで何度も通うことになります。すると、日中の時間は「お客様にお会いするための外出」に全て使ってしまい、事務処理や見積もり作業、ミーティングは残業時間でやることが普通になるわけです。この働き方を皆横並びでやっている以上、残業は減りませんし、他社との価値(生産高)の差は「活動量」の差ということになってしまい、生産性で差別化ができていないと感じていました。なにより、家の面倒も見られないし、撮り溜めている大好きなアニメも観られません(笑)。そこで、「逆にお客様に来ていただくことができたら、倍の人と会えるようになるんじゃないか?」と、セミナー形式でお客さまに来てもらうという営業スタイルを始めてみたんです。
    宇野 そのセミナーはどういう内容だったんですか? 
    坂本 当時のお客様は、会社の消耗品を購入する総務部や購買部の方だったんですが、消耗品というのは品種は多いし頻繁に補充が必要になるので、とりまとめ発注や経費実績管理などの手間が大変なんです。そこで会社として発注先や価格を一元管理できて、実績もデータ化できる購買システムを導入して、ユーザーが各自で発注する仕組みにすれば、大幅な時間短縮と厳密な購買管理の両立ができる。そういった説明を、消耗品購買業務改革セミナーといった形で提案させていただきました。購買業務の働き方改革です。
    宇野 自分の働き方改革を行うことで、定時に帰れるように仕事をハックしたんですね。 それで営業成績は上がったんですか?
    坂本 上がりました。時間も効率化できて、フレックスを活用して16時頃に帰ったりとか。朝のうちに漫画を読みふけってから出社したりもしていました。『最終兵器彼女』を号泣しながら一気に読んだ後で営業に行って、お客様から「何泣いてんの?」って言われたり(笑)。もちろん勉強もしました。セミナーでのプレゼン手法とかロジカルシンキングとか、大学のときもっと勉強しておけばよかったと後悔しながら。仕事に関する勉強をするなら仕事時間に会社が負担してやるべきだという方もいるかもれませんが、私にとっては余暇です。
     私のポリシーは、人とは違ったやり方をすることです。  たとえば、新入社員だった15年前に、個人のパソコンを会社に持ち込んで業務をしようとしました。今流行しつつあるBYOD(Bring your own device)ですね。もちろん怒られましたけど(笑)。じゃあPCの性能あげてくれと交渉材料にしました。
    宇野 15年前の時点でBYODは、かなり早いですね。
    坂本 あとは駅前や公園でプレゼンの練習をしたりもしましたね。ギターもって歌うのではなく、スーツ着てプレゼンするんです。TEDみたい。一応、足元に空き缶をおいて(笑)実はもともとはプレゼンは大の苦手で、人前に立つと震えが止まらない人間だったのですが、数をこなす中で、次第に余裕もでてきて、人に受けるプレゼンとはどういうものかを考えながら演じるようになっていきました。  ちょっと集団からはぐれたことをやって、それで空いた時間を、自分の好きなことに使うのが大好きだったんです。 と、いうかたちで「自分の営業活動の働き方改革」をやったわけですが、私個人の動機はというと、単に早く家に帰りたかったんです。家に帰って好きなアニメを見たかった。また、中二病なもので、誰もやっていない方法で何かをやって、「変わり者扱いをされる」ことが好きなんですね。小学生のころは毎日通学路を変えて探検しながら、たまに道に迷って遅刻したり、怪我もしていないのに腕に包帯巻いてみたり、黒歴史も豊富です(笑)。
    宇野 そういった自由なスタイルで仕事をすることに対して、同僚や上司からの反発はなかったんですか? 
    坂本 何よりありがたいことに、当時は入社して2年目でしたが、上司や先輩に「これをやりたい」と言うと「やってみれば?」という人たちだったんですよね。ある意味放任主義というか、営業も数回背中を見せてあとは「一人で行ってこい」みたいな。だから、自分なりのやり方がやりやすかった。逆に上司がメンターのような形で常に側にいたら、「こうやるんだよ」と教えられてその通りにやっていたでしょうし、新しいやり方を試すヒマがなかったと思います。そして、最初はセミナーを開催しても、なかなか人が来てくれませんでしたが、何人かの先輩営業が「これは面白い」と一緒にお客さんを呼んでくれて、だんだん大きくなっていきました。
    ビジネスモデルの提案から働き方改革の事業へ
    宇野 そこから、どうやって働き方改革のコンサル事業が生まれたのでしょうか?
    坂本 その後、大阪本社から東京の新規事業開発の部署に異動になりました。そこで企画して立上げたのが「ナレッジワークサポートサービス」というサービスです。これは、私自身の資料づくりへのこだわりがベースにあります。プレゼン資料や提案書の質は受注率を直接的に左右します。そのため、考え抜いて作り上げたノウハウを持っていたんですが、そのノウハウをお客様にご提供しようと思いついたんです。まずは私自身がコンサルとして、勝てる提案書作りを請け負ったりアドバイスすることをはじめ、さらにそのノウハウをマニュアル化していきました。そしてそのマニュアルをベースに人を育成し、私自身ではなく、コンシェルジュと呼ばれるメンバーがお客様のオフィスに常駐して資料作成をサポートするアウトソーシングサービスに展開していきます。これはウケましたね。社内にスタッフが常駐して、資料作成の他、いろんなことを請け負う・サポートするというビジネスで、今ではコクヨアンドパートナーズという会社になって、他にも色んなアウトソーシングメニューを拡充して、企業の残業削減や業務品質向上にお力添えができています。
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