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消極的な人よ、身体を解放せよ──いや、そもそも身体なんていらない?|消極性研究会(後編)
2023-03-07 07:00550pt
おはようございます。本日のメルマガは、消極性研究会のみなさんによる特別座談会をお届けします。常に何かしらメッセージを発する「身体」に居心地の悪さを感じる消極的な人にとって、どのようなコミュニケーションが理想と言えるのか。「身体」の情報量をテクノロジーによって制御し、消極的な人でも生きやすくなる人間関係について議論しました。※前編はこちら!(初出:『モノノメ#2』(PLANETS,2022))
消極的な人よ、身体を解放せよ──いや、そもそも身体なんていらない?|消極性研究会(後編)
キャンセルできない存在としての物理的身体をどう支援するか
──ただ、単純に今の世の中では、むしろ逆にわざわざ投稿しないと存在が認識されないSNSやメタバースはめんどくさくて、カフェやコンビニのような実空間の方が、どうあってもキャンセルできない物理的身体が側にあるだけで、つまりただいるだけで消極的な自分でも最低限認識してもらえるので寂しくなくてよいと感じている人たちも多いでしょう。そういう人たちのことも踏まえた上で議論した方が射程の長い話になると思うのですが、消極的に存在していたい物理的身体の側を支援するアプローチというのは考えられないでしょうか。
渡邊 キャンセルできないというのは、身体は脆弱性が高すぎるんです。私自身、いま風邪気味なので、まさに身体に問題があって、ちょくちょく咳が出るんですね。なので、この座談会を収録しているZoomでも咳をすると画面が僕にフォーカスされてしまうからそれが嫌で、マイクをミュートしてから咳するんですけど、そういうツールみたいなのがいつでも使えればいいなと……。音声をミュートにできるというのは本来はマイクのおまけ機能じゃないですか。ふつうは発言するのがマイクの機能であって、消極的な人ほどミュート機能の積極的な使い方をすると思うんですよね。 あと顔の表情とかにも身体の脆弱性って出ますよね。たとえば誕生日プレゼントを目の前で渡されて、開けて微妙なものだったときに「ありがとう」と嘘の表情で言わなきゃいけない感じとかって嫌じゃないですか。これがAmazon ギフトとかで送られて微妙なものだったとしても、LINEでいい感じのスタンプを送ってあげれば済むんですけど、身体がそこにあると全部バレちゃうんですよね。 そういうダダ洩れの身体の脆弱性のある部分が、Zoomのようなネットツールを介すと守られるというか、コントロールがしやすくなるので、うまいカバー方法があるといいですね。
栗原 いまみんなマスクするようになって、すこしいい感じになってきたんじゃないですか? 以前からよくおばちゃんとかが、がっつりサンバイザーをつけてると全然個人性がわからないというのはありましたけど、ああいう感じでもうちょっとテクノロジーでオン・オフできるようにすればいいと思います。自分がいるっていうのをちょっとマスク的なウェアラブルデバイスで調整するというのは昔よりは自然にできるようになったんじゃないかなと思いますけども。
渡邊 そういうものがもう少し細かいレベルで機能的に実装できるはずだし、たぶん物理的な身体をもつ実世界においても、教室の隅に行くというということしか今までできなかったけど、もう少しそういうツールみたいなものを導入してもいいのかなという感じが個人的にはします。そうやって自分の存在感を消すというか、存在感を自分でコントロールできる技術を身に着けられるとすごくいいなあ、と。
西田 でもどうでしょう。物理的な身体のめんどくささとか脆弱性を解決するのって、何かデバイスを身に着けるとかだけでは済まないのでは? むしろそういうデバイスがあることで存在感が消えるどころか、よけい身体に注目が行ってしまうような気がします。 身体をどうこうするには何か理由づけが必要で、ある部分が動かないとか、マスクするのも感染症が広がっているとか、花粉症とか理由がないと納得してもらえないみたいな面があるじゃないですか。テック系の議論だとすごいマスクをどう作るかみたいな話一辺倒になりがちですけど、むしろその技術を使う理由づけも同じくらい重要だと思うんですよ。
渡邊 たとえばZoomでよくあるのが、学生とかが「私スマホで繋いでてネットの帯域を使っちゃうんでビデオオフにします」という理由をつけたりするけど、そういうことですか?
西田 そうです。多くの場合、そういう理由づけは意図せず事後的にできていくものですが、その中に意図的に脆弱な身体を晒したくない人にとって都合のいい理由を作って紛れ込ませていくということもできるのではないかと。 さっき議論した感染症対策というのはまさに現在の世界を覆っている最悪の理由づけなわけですけど、それに代わる「これこれこういうものを身に着けるのは、みんなもやってるし仕方ないよね」というような副次的なルールとかマナーをデザインしていく余地は、結構あるのかもしれません。 たとえば駅の自動改札が進化して、このウェアラブルデバイスを身に着けていると顔パスのようにすっと通過できますよとなったら多くの人が身に着けるようになって、いちいち気にされることがなくなります。そうやってデバイス自体の存在感がなくなることで初めて「存在感をマスクするデバイス」が本当に機能できるようになります。要するに、身体を支援する技術を導入する理由を個々人の身体の側ではなく、あくまでも周囲の環境の側の事情だと納得できるための口実というか、雰囲気づくりまで視野に入れて作っていくのが、消極性デザインとしてのポイントですね。
栗原 なるほど。その先にあるのが、「遅いインターネット」とか「遅いメタバース」を経由して、個々人がそれぞれの身体感覚や他者との関わり方で生きていける「遅いリアルワールド」なのかもしれませんね。
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消極的な人よ、身体を解放せよ──いや、そもそも身体なんていらない?|消極性研究会(前編)
2023-02-28 07:00550pt
おはようございます。本日のメルマガは、消極性研究会のみなさんによる特別座談会をお届けします。「……ができるようになるにはどうするか」と捉えがちな「身体」拡張に対して、「……をしない」ことで得られる幸福というものもあるのではないか? そんな「消極的な身体」と社会との関係をテーマに、消極性研究会のみなさんに議論をしていただきました。(初出:『モノノメ#2』(PLANETS,2022))
消極的な人よ、身体を解放せよ──いや、そもそも身体なんていらない?|消極性研究会(前編)
消極性研究会にとって「身体」とはなにか
──今回、身体についての特集を組もうと思ったことのきっかけのひとつは、乙武洋匡さんの発言です。彼が言うには、「自分は生まれつき、足があった経験がないので、歩きたいと思ったことはない」そうです。つまり、移動さえできれば二足歩行である必要はなく、テレポートできればそれが理想なのだと。にもかかわらず、「OTOTAKEPROJECT」をやっているのは、あくまで社会に多様性の促進を訴えるためのプロパガンダであって、少なくともプロジェクト開始の時点では彼自身の「歩きたい」という欲望はゼロなんですね。 この問題は結構考えさせられることがありました。つまり、多くの身体障害者へのケアの現場やサイボーグ的な技術による身体拡張のアプローチの多くは「できないことを、できるようにする」ものなのではないかと思います。ただ、世の中には別に「できるようになりたくない」とか、むしろ「したくない」という人たちもいるのではないか。可能な限り「しなくていい」社会が理想だと考える消極的な人たちも多いはずで、消極性研究会[1]の皆さんはまさにそういった人々の立場に立って研究と発言を続けてきたユニットだと思います。消極的な人が消極的なままでいることを支援するという消極性デザインの発想からすると、もっと「できないままでいい」という方向での身体へのアプローチがありうるんじゃないか。たとえば、歩かない人が歩かないまま幸せになるという方法の方に、消極性研究会の皆さんの興味はあるのではないか。そう考えて、今回は「消極的な身体」から社会を眺めてみたらどんな課題が見えてくるかという議論をしていただけたらと思います。
栗原 私は身体か精神かで言えば、どちらかというと精神に重きをおいて考えてきたタイプだと思います。ですが、今の世の中は精神の部分が肥大化してしまって、肉体とのバランスが悪くなっているのではないでしょうか。 たとえばSNSで繋がりすぎてしまっているけど、それに対するレスポンスがもはや人間の身体では対応できないくらい情報が流れてしまっているという問題をどうするか、 みたいな問題が顕在化していると思うんですね。 そういう状況に対して、今の宇野さんの問題提起にあった「人間を拡張して超人にするぞ」という方向性で技術を使ったり、ディスアビリティのある人を技術で補ったりするような方向性との間にあるような、もうすこし裾野の広いサイレントマジョリティ的な人々の日常のちょっとした場面で感じる精神的なストレスに対して、技術を使ってどうするかといったことを、私はずっとやってきたと思います。 というのは、「超人を作るぞ」的な方向と、「障害のある人を一般人のように戻すぞ」という方向は、いずれも手をもう一本生やすとか、無い足を作るとか、身体的な拡張になることが多いという印象です。対して我々の消極性デザインの場合は、あまり身体を直接的にケアしたり拡張したりという形式にはならないことが多いように思います。私の場合で言えば、主に道具という形で、どちらかというと人間にない身体機能を付加するというか、むしろ制限することによって人間の精神活動の調整を間接的に支援するといった性格のものをいろいろ作ってきました。 たとえばタクシーの中で運転手に話しかけられるのは嫌だというとき、人はヘッドホンをするわけですよね。そこで本当に耳に蓋をしてしまうと困るし角が立つので、外の音が聞こえている度合いが見た目的にも調節できる「OpennessadjustableHeadset」[2]というヘッドホンを開発しました。 こちらはなるべく日常に溶け込むようなデザインにして使いやすいものを目指したアプローチですが、またはちょっと攻撃的に「こんな身体を作ったらどうなる? とみんなで考えようぜ」と問題提起したいときは目立たせる方向にデザインすることもあります。 向けるとおしゃべりが過ぎる人の発言を聞こえにくくできる「Speech Jammer」[3]はそんな感じで、あえてピストルの形にすることで、「みんなうるさいと思ってるけど、どうする?」みたいなメタメッセージを冗談めかして伝えるという方向性ですね。 こうした精神的な問題を、ある種の身体的な異化作用につなげることで、現実空間で解決するというスタイルが、自分にとっての「身体」へのアプローチだったのかなと思いました。
西田 いま精神と身体の調整という話が出てきましたけど、私にとっての「身体」は精神性みたいなものを強制的に周りに発信させられてしまう、不完全なインターフェースだなという印象が強いです。 たとえば私が太ってきたりすると、周囲の人に「西田さんは我慢強くないんだな」みたいに見られるのが嫌ですね。筋トレとか食事制限に耐えられない精神を強制的に発せられている面があります。逆にすごく鍛えている人が「俺は鍛えているぞ」みたいな精神を日常的に発しているのも嫌だなと思います(苦笑)。 でもマゾいトレーニングとか、食べたいものを食べないとか、耐える心みたいなものってそんなに大事なものかなあ、ともつねづね思っています。人間のテクノロジーって、耐えなきゃいけないこと、やりたくないことをやらなくて済むような世界を実現するために技術開発とか工夫とかが行われていますよね。 われわれ消極性研究会もその一部かなあと思っていて、「嫌なことに耐えられることこそが人間にとって大事だ」というような風潮を解消できればなと。身体性というテーマはそういうところが解決できていない最前線というか、象徴的なものかと思います。 たとえばインターネットがもつ重要性って、Zoomでカメラをオフしたりすることで身体を秘匿できる匿名性を確保できるところにある気がしてるんですね。栗原さんがおっしゃるように身体機能を積極的に拡張しようという方向の技術的アプローチは沢山ありますけど、消極的なままでいたい身体の欲求をかなえる技術がキラーアプリになる可能性はあるのかなあ……というのを今の話を聞いていて思いました。
簗瀨 私がここのところ思うのは、身体のパラメーターが数値化されていないのが人間の生きにくさの一因なんじゃないかということです。 私は最近、頑張ってダイエットして26キロくらい痩せたんですけど、明らかにできることの限界が上がっているんですよね。体力がすごくある感じになって。単純に26キロのおもりを背負っていないから。たとえばこのメンバーの中でもっとも痩せている渡邊恵太さんがこれから毎日26キロのおもりを背負って生活するとしたらすごく大変だと思うんですけど、私は逆にその重りをずっと背負っていて急に離した状態になったので、すごく楽なんです。だからといって、すごく生活がアクティブになったりするわけじゃないんですけど、単純に今までやってきたことが楽にできたり、歩くことが楽しくなったりして、すごくモチベーションが上がるんですよね。ただ、その体験の楽しさは事前にはわからなくて、どれだけ身体に負荷をかければ辿りつけるのかも見当がつかない。これが、たとえば「あなたが歩ける距離の限界は1000ポイントです」みたいにパラメーター化できれば、600ポイント歩けるのはぜんぜん辛くないけど、1500ポイント歩かされるのはたぶん厳しい、といったことがわかるようになる。でもそれって限界を何回か計らないとなかなかわからなくて、その計測する何回かがつらいじゃないですか。 多くの場合、教育の過程で運動にチャレンジさせて、その人がどこまでできてどこまでできないのかを測ると思うんですけど、そこで最初に限界を越えさせようとする過程で、運動そのものにトラウマができてしまうというケースが多いと思います。なので、ゲーミフィケーション[4]に近い発想ですが、なんとかチャレンジを挫折させずに「このへんが限界だな」というパラメーターを常に見える状態にできると、もうちょっと頑張れたりとか、「本来は100できるんだけどいま70しかやってないから毎日が楽だ」みたいな感じでストレスなく過ごせるようになるんじゃないかと。
渡邊 ここまでの話で出てきたような「精神的なものと身体的なものは別」とか「物質的な豊かさから精神的な豊かさへ」みたいなことは、20世紀の終わりごろからずっと言われてきていると思うんです。 そこで議論したいと思ったことは、人間の欲望処理の技術ですね。たとえば移動という手段で車や電車、馬車など、移動は疲れるからより早く遠くまで行きたいという欲望でそういう技術が出てきました。 しかし、今は移動せずともインターネットで多くの人と繋がれますよね。最近はVRにしてみたり、脳を繋いでみたりという話で、よく考えると全然人間が動く方向になってない。メタバースも身体的体験が欲しいだけで、別に身体が欲しいわけじゃない感じがするんですよね。 全体的にテクノロジーの流れを見ていると、身体的な疲労や制約を廃止したい感じがあります。そういうテクノロジーの探索の方向を見ると、「身体、いるのかね?」と。 IoTなどが出てくるのを見ていると、どうやら人間が植物のようなモデルに近づいていく感じのように見えなくもない。植物はセンサーネットワーク的な感じで他の虫たちに花粉を受粉させたりして、ネットワークを広げていきますよね。そういうことを考えると、みんな動きたい体験が欲しいだけで、実際は動きたくないとかそういうジレンマがあるなと感じたりしています。 あとはユーザーインターフェースの進化も、人間の進化の逆みたいな話があります。人間の学習段階はまず身体的に何かを感じ取って、次に視覚的に読み取って、次に記号的に感じ取るという発達順です。逆にユーザーインターフェースやコンピュータは、記号的なところから始まって、視覚的なGUIになり、さらにWiiとかKinect のように身体的なインターフェース[5]が出てきたという流れですね。 ただ、WiiやKinect のような全身運動型のコントローラーは決してゲームデバイスの主流にはならなくて、手指のコントローラーで最小限の動きで済ませよう、というものがほとんどです。結局、テクノロジーの進歩は人間の身体をなるべく疲れないようにする方向にしか向かっていかないのではないでしょうか。よく身体性を回復させようという話があるけど、なんだかんだでなるべく身体をなくしていく方向になっているのが面白いなあと思いました。
コロナ禍は身体をとりまく環境を多層化した
──ここまでの皆さんの認識を伺うと、多くの人々は現実空間における身体と精神の関係に不全感を感じていて、渡邊さんがおっしゃったように基本的に情報技術は物理的な身体性をサイバースペースで無効化する方向に進歩してきたわけです。そして、2020年からのコロナ禍によって、それまではあまりその価値に気づいていなかった人たちまでもが物理的な身体が無効化された社会の快適さ、自由さに気づいていった。少なくとも消極的な人々にとってはより過ごしやすい社会の可能性が示されたとも言えるわけですが、その点については消極性デザインの観点からはいかがでしょうか。
簗瀨 パンデミックの影響で、オンラインの良さというものは多くの人が体験しましたよね。同時に消極的な人の中にも、完全にオンラインになってしまうと窮屈さを感じてしまう人がいて、今は逆に「やっぱりオフラインがいいな」と言いにくくなっている逆の圧力がすごくあるのも予想できるんですよね。 私が必要だと思うのは、オフラインとオンラインに分かれた二つの世界があるという状態ではなく、オフラインとオンラインのグラデーション部分を埋めていく仕組みを作ることで、結局すべての人に対して何かしらプラスの状態を作れるんじゃないのかなということです。消えたい人は消えればいいし、交流したいけどオンラインでいい人はそれでいいし、オフラインを求めたい人はオフラインで交流してくださいという、いかにグラデーションを作るかが重要になってくると思うんですよね。 その意味でコロナ禍は消極勢のなかにも流派があるということをむしろ浮き彫りにしたのではないかという気がします。
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俺より少し弱い奴に会いに行く──消極的な自己研鑽|簗瀨洋平・消極性研究会 SIGSHY
2022-02-15 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は簗瀨洋平さんの寄稿です。終わりそうで、なかなか終わる見通しの立たないコロナ禍の生活。もはや対面とリモートコミュニケーションの環境が共存していくことは避けられないだろうなか、簗瀨さんがハマった格闘ゲームでのオンライン対戦の経験を通じて、これからの社会にふさわしい「消極的な自己研鑽」のあり方を考えます。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第23回 俺より少し弱い奴に会いに行く──消極的な自己研鑽
オンラインとオフラインのグラデーション
みなさんお久しぶりです。消極性研究会の簗瀬です。 毎回、あと数ヶ月もしたらコロナ禍は終わるだろうと思ってこの原稿を書いているのですが、なかなか終わりませんね。それでも今年の1月後半になって第6波が来る前までは、だいぶ収束には近づいてきて、昨年末にはかなり久々に対面形式での学会が開催されていました。同じく消極性研究会の栗原一貴さんも参加されており、2年ぶりの対面はなかなか感慨深いものでした。
一方で、せっかくオフラインでイベントができるようになったのだからもう戻りたくないという意見があるのも重々承知しています。実際私もオフラインの学会に久々に出て感じたのは、他人の目に触れている間は何かしらの体力を消費しているということでした。オンラインの場合、誰かの発表中はビデオもマイクもオフにし、発表を邪魔しないよう気を遣うのが通常ですね。同時に、相手から見えない、聞こえない状態ですので発表に集中していればどれだけぐったりしていても、くしゃみや咳をしていても良いわけです。リラックスして発表を聞けるという点では直接会場にいるよりも良い状態かも知れません。自宅参加の場合は日頃仕事で使う椅子と高さが調整されたデスクを使うわけですからかなり疲れにくいですね。 また、最近はオンライン学会のノウハウもだいぶ溜まっており、私と栗原さんが出席したWISS2021ではそれぞれのセッションに座長(そのセッションの司会者)の他、チャット座長を務める参加者がおり、用意されたSlackのチャンネルから意見や質問を拾い上げて質疑の時間に発表者に伝えてくれます。参加者はリアルタイムに意見や質問を書いておけば良いし、直接手を上げたり前に出たりして質問をするというプレッシャーからも開放されるので便利です。発表者から見ると反応がなかなか見えないのでそこがデメリットとなります。 前回、西田さんが書かれていたようにオンラインで問題となるのはインフォーマルなコミュニケーションですが、WISS2021ではオフライン参加者が休み時間にトイレに行ったりコーヒーを飲んだりしている間、オンライン参加者はさかんに意見交換や議論をしていたようで、それぞれ別なコミュニケーションが発生していました。
このようにそれぞれメリットとデメリットがあるわけですが、今後はオンライン/オフラインという二択ではなくそれらを両極としたグラデーションをすべての人々が選べるようになると良いのではと思います。私自身はオフライン学会をホテルの部屋で聴講し、休み時間になったら部屋を出て議論するみたいなことができるとベストなんじゃないかと思っています。
実際のところ学会でも授業でもオンラインとオフラインのハイブリッドはなかなかたいへんなのですが、そのあたりは機器やソフトウェアの発展によって解消できる部分です。会議室や教室にはカメラとネットワークが標準装備されていて、使う人がわざわざ設定する必要ない状態にしていきたいですね。
テレワーク下でのオンラインコミュニケーション、その後
オンラインでのコミュニケーションという点で、以前の記事に会社のチャット運用の話題を書きました。「ググれと言われず誰でもどんな質問でも書いて良いチャンネル」と「褒めて欲しい、褒めたいことを書くチャンネル」ですね。どちらも未だに活用されており、特に前者はコロナ禍で人が増え続けている弊社にとって良い試みだったなと思っています。後者は私が意図したのとは少々違う方向で他人に対する感謝を述べるチャンネルとなりつつあります。これはこれで悪くはなく、特に活躍が見えにくい方にスポットが当たるのは良かったと思います。「褒めてもらう」という意図で書き込むのは人数が多くなり必ずしも親しい間柄の人ばかりではなくなると難しいのかも知れません。
ただ、必ずしも業務とは関係のない単一用途のチャンネルを作るという文化自体は割と定着しており、私が特に何かしなくても様々なチャンネルが作られるようになりました。 ちょっと気持ちが落ち込んだ、落ち込むようなことがあったときに書き込むと誰かがはげましてくれる(ただしアドバイスは禁止の)「はげましチャンネル」や、自分はこういうことに気をつけていますという「健康チャンネル」、育児で「こういうことに苦労している」というような話をする「育児チャンネル」などです。育児チャンネルはお子さんがいない参加者も多く、私も入っていますが子育て中の同僚にどういう配慮が必要かということも自然と耳に入ってくるので、なかなか有益だと思います。
また、テレワーク化での入社人数が増えたということで社内のイベント配信担当者が非公式なイベントとして自己紹介LT(Lightning Talk)大会を始めました。有志が集まって5分の枠で好きに話すというゆるい内容ですが、入社してから一度も出社したことがないというようなメンバーにとっては特に業務で直接つながりのない同僚を知るのに良いイベントとなっています。なお、弊社はこういうイベントを業務時間中にやって良いことになっています。定時後は家事をしたり家族と過ごしたりする時間ですからね。方向として、インフォーマルなコミュニケーションのために何かをするわけではないけれども、それを作ろうとする試みは邪魔しないというスタンスです。
テレワーク化で忘年会などの飲み会がなくなったことの是非なども議論されていますが、私のいる会社は2021年は忘年会を開催せずにちょっと良いすき焼きの肉を希望者に送ってくれました。これはなかなかのアイディアで、我が家は自宅で家族といただきましたが、みんなで肉を持ち寄って忘年会をしたチームもあったようです。
私はたまたまコロナ禍前からオンラインコミュニケーションが活発な会社にいましたが、テレワークを基本とした会社が増えた今、インフォーマルなコミュニケーションをどうするかという点で組織の個性が出てきそうですね。私自身はまったくないのは嫌と思いつつも、組織にそういったものを押し付けられるのも好まないので、セキュリティの許す範囲で各自のスタンスに任せてくれるような組織が増えると良いと思っています。
e-Sportsへの消極的参加
さて、長く書いてきてようやく今回のタイトルに関わる話なのですが、実はe-Sportsを始めました。そもそもe-Sportsってなんだという話を本格的にするとそれだけでかなり長くなってしまうので簡単に説明すると、多くのプレイヤーがいて大会などがある程度成立し、プロがいるようなゲームをそう呼ぶというのが現状ではないかと思います。
e-Sportsは一つのタイトルの対戦モードなどが長く多くのプレイヤーによって遊ばれることによって成立します。長く遊ばれるためには必勝法などがなく、ある程度の奥深さと駆け引きがある事が重要で、書くと簡単ですが作るのはなかなか難しいものです。 これまでの連載で私はゲームについていろいろ書いてきましたが、ゲームの良さとしてプレイヤーのために作られた世界とキャラクターが徹底的にプレイヤーの行動をほめてくれる、クリアできると保証された目標があって適度な困難があり、乗り越えたときの喜びがあるということを書いてきたかと思います。ただしこれはほとんど一人で遊ぶゲームの話です。
私はこれまで『スプラトゥーン』や『フォートナイト』、『APEX Legends』、『オーバーウォッチ』など世界で多くの人がプレイしている対戦ゲームは一通り遊んでいます。どれも3ヶ月〜半年くらいは遊んでいたので、すぐに飽きてしまうというわけではないのですが、なんとなく対戦ゲームにははまりきれない、やった時間に対してオフラインゲームのような楽しさはないなと感じていました。
そこで出会ったのが『ストリートファイターV』です。きっかけは身も蓋もないですが、仕事でe-Sport漫画『東京トイボクシーズ』の監修を務めるようになったからです。
▲うめ『東京トイボクシーズ』(出典)
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インフォーマルコミュニケーションを考える|西田健志・消極性研究会 SIGSHY
2021-12-22 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は西田健志さんの寄稿です。オンライン会議などリモート環境の弱点として指摘されることが多いのが、予定外の雑談のようなインフォーマルコミュニケーションが取りづらいこと。「決められていない」からこそ発生する豊かな交流の場を、どうすれば意図してデザインすることができるのか。この矛盾した命題を、徹底的に考えます。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第22回 インフォーマルコミュニケーションを考える
リモート環境を不可避的に経験する中で感じる悲喜こもごもについては、オンラインコミュニケーション技術(#6)、チャットツールの活用(#15)、周辺体験のデザイン(#17)、など、この連載でも複数の視点から語られてきました。
私自身も同じような経験をしてきているのですが、同じく消極性研究会メンバーの栗原さんや簗瀬さんよりも輪をかけて消極的な性分だからか、個人的には比較的心穏やかに過ごせている方なのかなとバックナンバーを読み返しながら感じています。大学はオンライン授業になりましたが、COVID-19以前から各種コミュニケーションシステムを利用して消極的な学生からも意見を引き出せるよう工夫して授業をしていたのが功を奏して、その延長線上で慣れ親しんだ授業ができています。
そんな私でもずっと頭を悩ませてきたのがゼミ(研究室)の運営です。週に1度のオンラインミーティングで進捗を共有するだけではちょっとした困りごとの相談などがすぐにできないし、日頃がんばっている様子がお互いに見えていないと一体感が得られないし、研究のペースやモチベーションを保ちにくくなってしまいます。悪い意味でも心穏やかという感じでしょうか。
このような経験をしてきたのは私たちだけではなく、あるいは大学だけで見られた現象でもなく、おそらく一般的によく見られる現象だったはずです。実際、2021年3月に開催された「情報処理学会 インタラクション2021」において発表された「在宅勤務が職場の関係性及びメンタルヘルスに及ぼす影響」という研究では、在宅勤務ではつながりの弱い同僚間のコミュニケーションが減少することやそれに伴って不安感が増大することが報告されています。
インフォーマルコミュニケーションとアウェアネス
リモート環境になっても進捗報告ミーティングや仕事上必ず必要なやりとりなどはなくなりません。ビデオ会議ツールやチャットツールを使えばそれほど不自由しないからです。失われがちなのはインフォーマルなコミュニケーション、つまり議題・スケジュール・参加者などがあらかじめ計画されておらず、偶発的に発生するコミュニケーションです。
実は、リモート環境でインフォーマルコミュニケーションが減ってしまうという問題はコミュニケーション支援技術の研究分野では古くから(少なくとも1990年代から)着目されていて、お互いに今どういう状況にいるかが伝わりづらいせいで話しかけるきっかけがつかみにくいことがその主たる原因だというのが定説になっています。それぞれの人が今どうしているかに関する情報を「アウェアネス」と呼び、リモート環境でもアウェアネスを共有できるようにすることでインフォーマルコミュニケーションを促進しようとする様々な技術が提案されています。
わかりやすい研究事例でいうと、お互いの仕事場をカメラで撮影して随時共有するシステムの研究などは1992年に発表されています(Portholes : Supporting Awareness in a Distributed work Group (CHI 1992))。
ところが、それからおよそ30年後のコロナ禍にあって、こうしたシステムが日の目を見たという話はそれほど聞かなかったように思います。常に自分を映しているカメラがあってそれをどこかで誰かが見ているというのは何か嫌だなと感じた人も多いのではないでしょうか。アウェアネスを共有、つまり相手の状況を知ることの利便性は自分のプライバシーを失うこととトレードオフの関係にあるというわけです。同じ時間に同じ場所にいてお互いに状況を共有している状態は自然と受け入れることができているのに、それがインターネット越し、テクノロジー越しになるとどうも気持ち悪いという問題がなかなか解決できていないままなのです。
この問題に対してのおもしろいアプローチの一つとして、照明やごみ箱などの日用品の状態を遠隔地で同期させる、つまり自分の家の照明を点灯させると相手の家の照明も点灯する、ごみ箱のふたを開け閉めするとそれも連動するSyncDecorというシステムが提案されています。
SyncDecorはその研究目的として遠距離恋愛支援を掲げていたこともあって、かなりプライバシーに配慮した形でのアウェアネス共有を実現できていると思いますが、専用の日用品が必要なことに加え、多人数でのアウェアネス共有には適していません(多人数で照明を連動させたら部屋がディスコになってしまいます)。
共有タイマーによるインフォーマルコミュニケーション支援
これに対して、昨年度、私の研究室で行われたある卒論では、今どうしているかを逐一共有するのではなく、もともと共有しているスケジュールに合わせてみんなで生活するという方法を研究しました。みんなが同じタイミングで休憩するのであれば、いちいち確認する必要もないというわけです。コミュニケーション支援技術研究の流れから言うと逆転の発想という感じがしますが、時間割に合わせて勉強しつつ休み時間には休憩しながら雑談する、誰しも経験したことがある学校生活のようなごく自然な発想だと言えるでしょう。
具体的に実施したのは25分作業と5分休憩の30分サイクルを繰り返す集中方法「ポモドーロ法」を参考に、グループメンバーでオンラインコミュニケーションシステム上に集まってポモドーロタイマーを画面共有しながら各々作業に取り組み、休憩時間になったらミュートを解除するという実験です。
私の研究室ではこの方法を実践しながら1週間のリモート夏合宿を実施し、もう一つ別の研究室でも概ね同様の実験に協力していただきました。
▲ポモドーロタイマーをリモート環境で画面共有する実験のスクリーンショット
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リモートコミュニケーションをハックする|簗瀨洋平・消極性研究会 SIGSHY
2021-03-16 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は簗瀨洋平さんの寄稿です。いまや当たり前になりつつあるリモートコミュニケーションですが、プライベートな姿や部屋の中を見られることに抵抗を感じる方も多いはず。今回は「自分アバター」や音声合成アプリなどを用いて、消極的な人がより気軽に会話に参加できる方法について考察します。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第21回 リモートコミュニケーションをハックする
消極性研究会の簗瀨です。
前回に引き続き今回もリモートワークにおけるコミュニケーションについていろいろと書いていきたいとおもいます。
さて、新年に入ってだいぶ経ちますが、昨年末は会社でオンライン懇親会がありました。懇親会のメインはオンラインビンゴのシステムを使い、社員とその家族、総勢80名ほどで会社や有志から様々な物品やサービスの争奪戦を行いました。それぞれこれが欲しい、あれが欲しいという話が事前にされており、当日は悲喜こもごもでなかなか盛り上がったかと思います。
ビンゴゲームの良いところは毎回の偶然ではなく、ステップを踏んで徐々に当たりに近づいていくというワクワク感ですよね。あと一つでビンゴというリーチ状態になった時はだいぶテンションも上がっているかと思います。 しかしスタートダッシュに遅れると、当たった人たちやリーチがかかった人たちがエキサイトしているのを眺めるばかりでむしろ醒めてしまうということもあるのではないでしょうか。いやありますね。私はまさにそれで、最後の一人がビンゴとなった時にはまだ一つもリーチがないという状態でした。
これを解決するにはどうすれば良いでしょうか? 一つはビンゴと並行して、別なくじ引きを実施することです。参加者それぞれが一つの当選番号を持っていて、引いた数字がそれだったらビンゴの景品とは別な何か軽いもの(例えばAmazonギフト券など)が当たるようにしておくわけです。こうするとリーチが出ていなくても何かが当たる可能性は常に出てきます。
もう一つ考えついたのは、特定の数字(例えば0)が出たらそれまで開けたマスを逆転させるという方式です。つまりリーチ状態だとその列は一つだけ開いた状態、一つもマス目が開いていなければ即座にビンゴということもあります。
あまり前半で出ても意味がないので、半分くらいの数字が引かれたところで逆転数を投入するみたいな運用がいいですね。ほとんど開いていない人はチャンスが出てきますし、逆にリーチになっている人は逆転数が出ないように毎回ドキドキすることになります。全員が最後まで興味をうしなわない、とはならなくても前半で脱落してしまう人は減るのではないでしょうか。 途中でヒエラルキーが覆るルールとしてはトランプの大富豪における革命ルールなどが存在します。
この二つ目のルール、実はこの原稿を書いた時に考えついたのでまだ試したことはありません。物理的なビンゴでは実施がなかなかむずかしそうですので何かしらデジタルなシステムを作る必要はありますが、2021年の懇親会がまたオンラインだったら試してみるつもりです。
オンライン会議で油断を可能にする自分アバター
私はもともとスーツを着て仕事をするスタイルではないのですが、仕事に行く時は襟のある服を着て髭も剃って出かけていました。しかし、昨年の3月から新型コロナの影響で出勤が禁止となり、家で仕事をするようになってからは部屋着のまま仕事をするのが普通です。こうなると毎日なにかしら発生するオンライン会議のために着替えたり髭をそったりするのがなかなか億劫です。弊社は割と緩い社風なので、無精髭にTシャツ、トレーナーみたいな服装でも特に何か言われることはないのですが、私個人としてはあまりプライベートな姿を見せたくないという感覚があったりします。 また、前回も書いたように我が家は会社への通勤を優先した結果として非常に狭く、リビングと寝室しかないため私の仕事スペースはキッチンの一角にあり、玄関を背にしているためカメラに映ると不都合です。Zoomなどは人物を自動的に切り抜いてバーチャル背景を適用してくれますが、そうではないシステムの場合、家族やキッチンが映り込まないよう衝立を使うなどして対処しています。
その手間をなんとかしようと考えたのが「自分アバター」でした。 ZoomやGoogle Meets、Microsoft Teamsなどのビデオ会議システムはカメラを選ぶことができます。さらにWindowsにもMacにもカメラとして振る舞ってくれるソフトウェアがいくつかあります。例えばSnap Cameraなどを使って画面に強いエフェクトをかけるなどは常套手段ですね。私が利用したのはOBS(Open Broadcaster Software)というフリーの録画、配信用ソフトです。もともとはカメラやPC上の映像などをミックスし、録画したり配信したりするためのものですが、Virtual Cameraという機能を使うことによりビデオ会議システムに直接映像を送ることができます。 例えばZoomの会議で身だしなみを整えた自分が人の話を聞いている様子を一定時間記録し、動画ファイルにしてからOBSでループ再生しておけば実際の私がどんな格好をしていようとも、画面の向こうの参加者には私がきちんとした格好で真面目に話を聞いているように見えるわけです。
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周辺体験の消極性デザイン|栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY
2021-01-14 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は栗原一貴さんの寄稿です。年が明けても依然としてコロナ禍による生活環境のオンライン化の圧力が続くなか、急速に失われていっている「周辺体験」。その喪失を多少なりとも軽減するためには何ができるのか、引きつづき消極性デザインの立場から考えていきます。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第20回 周辺体験の消極性デザイン
こんにちは。消極性研究会の栗原です。前回はコロナ禍による社会の急激なオンライン化によってコミュニケーションが劇的に変質し、それに悪影響を受けている人と恩恵を受けている人がいて、また恩恵の影で失われてしまっているにもかかわらず気づきにくいことがある、ということにフォーカスを当て、対策を議論しました。
それから数ヶ月たった今、皆さんの生活はいかがでしょうか。再度執筆の機会をいただいた私は、この数ヶ月を振り返り、新しい話題提供のための構想を練り始めたのですが、ちょっとびっくりしてしまいました。前回執筆時から後、自分の体験したことがらがいまいちぱっとしないというか、嬉々として皆さんにお伝えしたいと思えるようなことがなかなか思いつかないなぁと気づいたのです。
それなりに窮屈なstay home生活の中で試行錯誤し、守りの中での攻めとでも申しますか、私はオンライン開催されるいろいろな「場」に出向き、色々な人と話しました。オンラインはすばらしい。前回語ったようにコミュニケーションは変質し苦労もありますが、感染拡大で深刻な苦しみに見舞われている方々も大勢いらっしゃるなか、個人的には在宅で労働できる境遇に感謝しつつ、これまで諦めていたようなイベントへの参加などが可能になり、充実した日々を送っていたようにも思えたのですが。
ふと俯瞰的に自分の生活を振り返ると、オンライン化により積極的な精神活動が可能になった一方で、身体を持つ動物としての私の生活は、極めて単調な繰り返しになってしまっていることに思い当たりました。そこにある喪失は何なのだろう。それを考えるのが今回のテーマです。
前回に引き続き、安易な懐古主義を嫌っていた自分が、コロナ禍の今、意外にもこんなに懐古的になってしまうのか、という驚きを語るシリーズの続編です。
周辺体験がない!!
我々が失ったもの、それはおそらく、「周辺体験」なのではないかと思い当たりました。普通我々はなにかやらなければならないことがあるとき、それにあてがった時間や労力の100%をその対象に費やすことはできません。たとえば会議をするには、会議の場所まで移動しないといけない。その際、本来しなくてもいいような体験をします。満員電車に辟易することかもしれませんし、街路樹から季節の移ろいを感じたり、まだ行ったことのないラーメン屋の匂いに心惹かれることかもしれません。偶然誰かに出会うこともあります。これらを「周辺体験」と呼ぶことにします。
以前の記事で、引っ越しによって満員電車通勤がなくなって自分のストレスが減って(良かったのだけれど)自分の創造性に対し負の影響があった、ということを書きましたが、そういった周辺体験が正であれ負であれ人に影響を与えることは日々実感しておりますし、皆様にも思い当たるところはあるのではないでしょうか。
オンラインチャットをベースとした仕事はコミュニケーションは、まさに(ありがたいことに)空間を超えて瞬時に人と人をつなぐことができ、それにまつわる移動や偶然の出会いといった余計なものを極端に排除してしまう副作用を生みました。基本的には自分から積極的に求めなければ新しい出会いも雑談も難しいのがオンラインコミュニケーションだと前回も述べましたが、それが人と人だけではなく、人と場所・モノといった有形・無形物との交流の排除にもつながっているのです。
Point:オンライン化は周辺体験を排除する。
やりたいことだけいくらでもできる弊害
そういう生活の「機微」とでも言うのでしょうか、ちょっとした人や有形・無形物との交流というものは、文字通り「微か」であることが自分にとって重要であったと実感します。「フツウ」に生活していれば、どんなに移動や仕事を効率化しても何らかの周辺体験が微かには伴うので、割とそのくらいの分量で私は満足していたのでした。つまり、たとえば「飛行機ですぐ行けるのに、雰囲気を味わうために寝台列車に乗る」のようなある種極端な趣向は個人的には不要だったわけです。
ところが職業生活がオンライン化し、効率的に業務上のコミュニケーションが取れすぎるようになった結果、何が起こったでしょうか。「ついつい朝から晩までオンラインでの会合を詰め込みすぎて疲れてしまう」というビジネスマンの悲鳴はよく聞かれます。強制される会合も多いでしょうが、私の場合は「ついつい自分でやりたいことを詰め込みすぎてしまう」という性質のものも多いように思いました。以前であれば会合の合間の微かな周辺体験が、強制挿入される息抜きあるいは刺激になっていたようで、その割合が激減したことにより、さすがに私のQOLも下がってしまっていたのです。
それで思い知りました。私は、「主目的に伴う、主目的以外のちょっとした活動の充実、つまり遊び心の充足こそが豊かな人生の指標の一つだ」という価値観を持っていて、今それがコロナ禍でダメージを受けてるのだと。
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コミュニティを発生させるリモートワークでのチャット活用|簗瀨洋平・消極性研究会 SIGSHY
2020-11-24 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は簗瀨洋平さんの寄稿です。コロナ禍でリモートワークが定着し、チャットツールでのコミュニケーションが広がりました。その一方で、対面に比べてコミュニティが生まれにくくなってしまうという問題も生じています。自ら「褒めるチャンネル」などを生み出し、社内でのコミュニティ創出を促進してきた簗瀬さんが、チャットツールの活用法について考察します。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第19回 コミュニティを発生させるリモートワークでのチャット活用
消極性研究会の簗瀨です。
私はメンバーの中では唯一の会社員です。組織に属して仕事をする、という点では研究所勤務でも大学勤務でも同じですが、少しは読者の皆さんに近い立場ではないかと思っています。
さて、コロナ禍と言われる状態でだいぶ長い日々が過ぎました。「新しい生活様式」などの言葉も使われていますが、現在の状態を普通の日常と思えるまでには慣れておらず、COVID-19流行以前の状態が戻ってくるとも思えず、先が見えないなんとなく不安な毎日を過ごしている方は多いのではないかと思います。
私自身はもともと週2〜3日程度出社をし、他は講演や学会などに出かけたり在宅で仕事をしたりという生活スタイルでしたが、3月の初旬に会社の海外オフィスで感染者が出てから出張などでの行き来は基本的に禁止となり、世界中のオフィスで出勤も取りやめ、在宅ワークが基本となりました。会社のオフィスはどこの国にいても一定水準の環境で仕事ができるように気を使って作られていますが、住宅環境はそれぞれなので、急に家で仕事をしろと言われても困るスタッフも多くいます。
私自身もその一人です。なぜなら我が家は50平米の1LDKで寝室とリビングダイニングキッチンしかなく、仕事用のデスクはキッチンに置かれており、家でちょっとした仕事を片付けると言うような場合しか想定していなかったからです。なぜそんな環境なのかというと、会社の東京オフィスが引っ越した際に横浜の賃貸一軒家から距離が離れ、通勤に一時間以上かかるようになってしまい、近いところ(ついでに犬が飼える賃貸物件)に引っ越そうと考えたからでした。オフィスまではドア・ツー・ドアで30分程度で、自転車なら20分という好立地なので仕事したかったら会社に行けばよかったわけです。また、私は客員研究員として所属している大学の研究室もありますので気分転換も兼ねて大学で仕事をすることもできました。 これが完全に裏目に出て、会社にも大学にも行けない今、自宅のキッチンですベての仕事をする羽目になっています。 出勤禁止になった時に自宅での仕事環境を整えるために一定額の購入支援が出て、夏にさらに支援が追加されたのでワーキングデスクに棚を追加したりディスプレイやスピーカーを買ったり、椅子を良いものに変えたりということはできましたが、部屋を増やすことはできないので、講演や講義の時にはパーティションを立てて緑の布をかけ、バーチャル背景で乗り切ったり、ごはん時など家族に息を潜めていてもらうのが難しい時には日帰りプランを駆使してホテルの部屋で遠隔講演したりというようなことをしています。
こういった問題はそれぞれの方が抱えているかと思います。Twitterなどを見ていても、リモートワークにしても変わらなかった、生産性が落ちた、むしろ上がったなど様々な意見が溢れています。私自身で言えば、私の仕事はたまたまリモートワーク向きだったという点ではラッキーでしたが、住宅環境がそれに追いついていないというところです。私のいる会社はもともとデンマークで起業され、資金を米国で得て今は米国に本社があります。世界中でコアなユーザーを見つけては現地にオフィスを作るという方式で拠点を増やしてきたため、世界中に少人数のオフィスが散らばっており、仕事をする相手が遠い、時差があるのが当たり前だったためチャット文化が発達しています。今やチャットツールとしてメジャーとなったSlackを使っていて、5,000人のアクティブユーザーが参加し、6,500のチャンネルがあり、1ヶ月で350万以上のメッセージが交わされているようです。 グローバルなチャンネルは英語ですが、オフィスごとに例えば#tokyo-xxxxというようなチャンネルがあり、現地語でのやりとりも問題ありません。社員はチャンネルを自由に作って良いので、カテゴリとして一番多いのはおそらく雑談チャンネルです。こちらもなかなか豊富で、グローバルでも#talk-animeや#japanese-exchangeなど日本のアニメや日本語学習を扱うチャンネルがあり、英語での情報交換が活発に行われています。その他、考えつく限りあらゆる話題のチャンネルがあるようです。
このように自由なのは良いですが、積み上げてきた文化には弊害もあります。それは新しく外から入ってきた人が膨大なチャットチャンネルの中で迷子になってしまうことです。現在、私の会社は拡大傾向にあって、私が入社した時には10人だった東京オフィスも、今や80人となりました。すでに全員の顔と名前は一致していません。ましてや現在、新しく入社してきても東京オフィスの全体チャンネルで人事のスタッフから紹介され、その後は月1の全体ミーティングで挨拶をしただけ、となり放っておくとその後は忘れてしまいます。
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ランダムに決めるというフェアネス|西田健志・消極性研究会 SIGSHY
2020-09-07 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は西田健志さんの寄稿です。日々、デマやフェイクニュース、他人への悪口があふれ、刹那的なトレンドを追いかけ、振り回されてしまうTwitter。その中で、公正な公共コミュニケーション空間を築き、平和を取り戻すためのプロジェクト「Fair Tweeters」をご紹介します。
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第18回 ランダムに決めるというフェアネス
今回は、まさにこれから始めようとしている「Fair Tweeters」というプロジェクトについて書いていきます。このプロジェクトは、戦争と平和をテーマとした『PLANETS vol.10』におけるPLANETS×消極性研究会の座談会をきっかけとして着想したもので、大げさにいえばTwitterに、インターネットに平和を取り戻そうとするプロジェクトです。 (消極性デザインによって、現代の戦争としてのテロリズムを抑制することができるのではないかといった刺激的な議論が飛び交った2年前の対談、まだチェックされていない方はこの機会に本記事と合わせてお読みいただくことをお勧めします。)
Fair Tweeters
Fair Tweetersは、Twitterに/インターネットに公正な公共コミュニケーション空間を築きたいという志を共有するTwitterユーザで徒党を組んで大きな互恵グループを形成しようとする実験的なプロジェクトであり、それによって生み出そうとするグループの名称でもあります。 宇野氏の近著『遅いインターネット』の言葉を借りれば「愚民」と「カルト」に二分されてしまったインターネットの中で、その波に飲まれてしまうことなく地に足のついたツイートを続け、刹那的なトレンドを追いかけることよりもトレンドに表れないユニークなユーザの声に耳を傾けようとするようなユーザを結集させよう、それによってインターネットを少しでも理想の姿に近づけようとする試みです。
Fair Tweetersは次の2つのルールによって成り立ちます。 1. Fair Tweetersのメンバーは、抽選プログラムによって選ばれる1名のメンバー「スター」をTwitter上でフォローする。抽選は定期的に行われ、次のスターが決定したのちには前のスターはフォローし続けてもいいし、解除してもよい。 2. Fair Tweetersのメンバーは、日々Twitterをフェアに利用する。ここでいうTwitterのフェアな利用とは、スポーツで言うところのフェアプレーやスポーツマンシップ精神のようなものである。アンフェアな行為が目立つメンバーは「スター」となる権利を失う。
抽選メディアジャックの民主的な実装とその限界
1つ目のルールは、先に紹介した対談の中で出た「ランダムに選ばれた人がYouTubeを5分間ジャックできて世界中の人に話を聞いてもらえる」というアイデアの民主的な実装になります。現代世界の平和を脅かすテロリストたちが政治的なメッセージ等の発信を目的とするのであれば、平和的に強力なメッセージを発信する機会を与えることがその解決につながるのではないかという発想です。少し待っていればメディアジャック権が当たるかもしれないのであれば、危険を冒す必要も、人の命を奪う必要もなくなるのではないかという発想です。
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オンライン時代のコミュニケーション支援情報技術|栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY
2020-07-16 17:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は情報科学者・栗原一貴さんの寄稿です。新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの生活様式はがらりと変わり、オンラインでのコミュニケーションが拡大しました。自分にとって心地よいペースでコミュニケーションが取れたりと快適になった一方、相手の反応が見えなかったり、雑談が生まれにくくなったりと、オンラインコミュニケーションならではの悩みも生じています。栗原さん自身による大学でのオンライン講義の実践から、やりにくいと考えてしまう原因と、オンラインでのコミュニケーションを促進する方法を考察します。※本記事に一部、誤記があったため修正し再配信いたしました。著者・読者の皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。【7月16日17:00訂正】
消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。第17回 オンライン時代のコミュニケーション支援情報技術
はじめに
コロナウイルス災害により外出自粛、リモートワーク、オンライン講義など、少し前までは想像もできなかった生活様式が始まりました。 「とりあえず会おうぜ! 語ろうぜ! 呑もうぜ!」というような陽気なマインドの人には、さぞや辛い時代になったことと思います。 一方でもともと内向的な性格、穏やかな性格の方からは、人と会わなくてよい生活、自分のペースで過ごせる生活に対して喜びの声も聞こえてきます。
私はと言えば……大学教員として、オンライン講義の運営で難儀しています。 小規模から大人数まで、講義を運営するうえでは何らかの「コミュニケーションの強制」を学生にさせねばなりません。私は消極性研究者を標榜しておりますので、どの程度の負荷を学生にかけるかは、常に苦心しておりましたが、講義がオンライン化して、「適度なコミュニケーションをとること」がさらに難しくなりました。目下、学生とともに手探りで最適解を模索しておりますが、まだ満足のいくものにはなっていません。
今後世界がどうなっていくのか、まだまだ不透明です。もしかしたら、じわじわともとの社会に戻るだけなのかもしれません。しかし少なくとも、コロナ後の世界を知ってしまった我々は、以前よりも柔軟にコミュニケーションについて考えられるようになったはずです。2020年前半の激動を総括して、今後のコミュニケーション支援技術のありかたについて、考えてみましょう。
逃げ道のある道具、ない道具
私は情報技術を用いたコミュニケーションの研究を好んで行ってきました。博士論文は、プレゼンテーションツールをテーマに書きました。プレゼンテーションというコミュニケーション様式は、そのあり方が使う道具(コンピュータ)によってかなり制約されます。それが面白くて、情報技術がどのような制約を人に与え、それがどのようにコミュニケーションに影響を与えるか興味を持ったのです。
私が最初に研究したものは、小中高校生の先生が授業中に使える電子黒板ツールです。特に小中高校の先生にとって、授業とは生徒・児童とのやりとりを通じて作り上げていく、インタラクティブ性と即興性の高い営みです。彼らにとって、一方通行的な情報伝達になりやすいパワーポイントを授業で使うことはとても納得がいかないものでした。そこで私は、より黒板に近い使い勝手を保ちながら、コンピュータならではの魔法的機能を加えられるよう、教育現場の先生方と何年もかけてツールを練り上げていきました。
その際に意識したことの一つは、「使いたい、あるいは使うことが効果的であると思われる局面で使えばよく、それ以外の時には無理に使わなくてよい」という性質を付与することでした。この性質を「逃避可能性」と呼びましょうか。人間、慣れている方法を捨てて全く新しいことをやれ、と言われると困惑し、拒否反応が出るものです。特に現場の先生方は、自分たちの「黒板とチョーク」に絶対の信頼と自信を持っています。それをまるまる置き換えようものなら、全面戦争になりかねません。一方でICT機器を用いることで、教育が実現できる可能性、それに対する期待も、先生方は持っています。上からの指示で学校にICT機器が導入されてきて、どう使っていいかわからない。使うと良さそうな局面は想像できるが、ほどよいタイミングで局所的に利用し、それ以外の時間は慣れ親しんだ黒板とチョークでやりたい。そういう都合の良さを実現すべく、「逃避可能性」を考えながらツールの設計を行いました。おかげさまで、無料公開したそのツールは1万ダウンロードを超える程度には活用されました。それなりに教育のICT化の黎明期に貢献できたかなという思いがございます。
今、コロナウイルス災害でリモートワーク、オンライン作業が席巻している状態は、まさにこの「逃避可能性」が失われた状態です。これまでのリモートワーク支援技術は対面型作業を補完する位置づけで、「便利に思うなら」「気が向けば」という条件付きで、選択肢を広げる意味合いで活用が進んできたのですが、今般、社会の多くの領域が「強制完全オンライン化」されてしまいました。オンラインコミュニケーションにはオンラインコミュニケーションならではの特長や制約があり、人々のコミュニケーションをかなりの部分で変質させます。便利さも確実にある反面、コミュニケーションというのは人間の個性や尊厳に深く関わっているので、そのあり方を特定の方法に強制されるのは、時に耐え難い苦痛となり得ます。
初等教育現場の授業のオンライン化の取り組みの状況については、皆さんも日々のニュースでお聞きのことと思います。先端的な教育を行っている地域では、いち早く授業をオンライン化しました。一方、従来の対面型の授業に対するこだわりと、変化を拒絶する性質から、だましだましオンライン化を先延ばしし、復旧を伺っている地域も数多くあります。どちらがよいのか一概には言えません。エンジニアの観点からは、「逃避可能性」の乏しい新規技術の導入は、たとえこのような国家の緊急事態にあっても拒否反応が強く、大変な混乱を生むのだという壮大な社会実験の結果を見せつけられたように感じています。
Point: ・「いまよりすこし便利な面もある」くらいのコミュニケーション支援新規技術は、逃避可能性のデザインを検討したほうがよい。ヒトは国家の一大事でも、ヒトとの関わり方の変化を拒絶する生き物なのだ。
大学のオンライン講義にみる、コミュニケーションの変容
舞台を大学に移しましょう。教員および学生全員に環境を整備し、かつ覚悟させることが初等教育現場に比べて容易であったからでしょうか、多くの大学は、早々に講義を完全オンライン化しました。私も大学教員として、この動乱の当事者となりました。純粋にほぼゼロからの教材準備となったので、忙しい日々となりました。一方でオンライン講義をめぐる教員と学生の間、あるいは学生と学生の間のコミュニケーションのあり方の変化は、消極性研究者である私にもかなりの衝撃を与えました。これからいくつかの立場の方々のオンライン講義に関する感想を列挙して考察してみます。
「必殺技」を奪われたカリスマ
夜回り先生こと水谷修氏は、オンライン講義について、学生の顔が見えず肉声が聞けない状況を憂い、「これが授業なのか」と完全否定します。彼のことを私はよく知りませんが、熱血教師として不良少年少女と向き合い、更生させてきた活動に敬意を表します。おそらく彼は、「面と向かって全身全霊で人とぶつかり合うこと」に重きを置く、例えるならコミュニケーションにおける、インファイター(ガンガン相手に近寄って殴り合う戦術を得とするボクサー)タイプのカリスマなのだと思います。
複数の人間の呼吸、顔色、姿勢、動きといった非言語情報を瞬時に把握し、判断する。 自分の目つき、表情、声量、ボディーランゲージ、発話するタイミングをコントロールする。 これらによってコミュニケーションのイニシアチブをとっていく能力に優れている人たちが、教員・学生を問わずインファイタータイプだと言えます。
オンライン講義では、zoomなどのビデオチャットでリアルタイムにコミュニケーションを取っていきます。しかしどうでしょう。相手はカメラ映像をオフにし、マイクをミュートし、自分のカメラ映像は見ていないかもしれないし、それがバレない。そして相手の発話ボリュームはお好みの値に調整。
これではインファイタータイプの能力が、壊滅的に無効化されてしまいます。なんとも大変やりにくい状況に置かれていることと推察します。 しかし、実世界での対面講義が復旧するまで、これはどうすることもできません。自身がこの環境に適合し、新しいコミュニケーションの様式を確立するしかないのです。 いうなれば現状は、全員がアウトボクシング(相手と距離を取りながら戦う戦術)することを強制される社会です。
Point: ・コロナで一番困っているのは、対面コミュニケーション至上主義のインファイタータイプ。
オンライン化を福音と感じるコミュニケーション弱者
では逆に、生粋のアウトボクサーの話をしましょう。世の中には、インファイタータイプが苦手な方がいらっしゃいます。コミュニケーションのタイミング、距離感、イニシアチブ。こういったものは、対面コミュニケーションにおいては弱肉強食で、インファイタータイプのような積極的な人がいると、その人にその場を支配されがちです。
そのような方々は、医学的に治療が必要な方から、そこまでではないものの外界からの刺激に敏感なHSP(highly sensitive person)の方、もう少しカジュアルに、ネットスラングで「陰キャ」とか「コミュ障」とか言われており、それを自称している人まで、その程度は人それぞれです。総合して、「コミュニケーション弱者」と呼ぶことにします。
「コミュニケーション弱者」にとって、社会活動のオンライン化はまさに福音です。 彼らは、決してコミュニケーションを否定しているわけではありません。自分にとって心地よいペースと強度でコミュニケーションを取りたいものの、人と交わればそのような自分の希望がいつも叶えられるとは限らないため、消極的選択として仕方なく人づきあいとは距離をおき、コミュニケーションの機会を控えめに調整することで社会に関わってきました。それでも、決していつでもうまくいくものではなかったはずです。 それがどうでしょう。オンライン化したコミュニケーションでは、コミュニケーションへの関わり方を、個々人が自由に選べるようになり、また関わり方にそのような個人ごとの多様性があることを、皆が認識し、許容し、配慮しているではありませんか!
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『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』第16回 対面は最高の体験だろうか?接客レス時代のデザイン(渡邊恵太・消極性研究会 SIGSHY)
2020-03-17 07:00550pt
消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は渡邊恵太さんの寄稿です。宅配ボックスやセルフレジなど、最近増えている人と対面せずにサービスを利用する仕組みについて、その体験としての可能性を考察します。
今回の担当は明治大学の渡邊恵太です。
新型コロナウィルスの影響で対面や集合にリスクがある状況になってしまいました。あらゆるイベントや活動が休止状態になり、リモートワークやWeb技術を利用しての仕事やイベント開催が積極的に行われています。さて今回はそれに合わせたわけではないのですが、人を通じた接客やコミュニケーションを少し考え直してみようというものです。不完全なデジタル技術やソフトウェアの時代では対面、face to faceが最高!という意識がありましたが、それは本当だろうか?と問います。そこで、セルフレジ、無人店舗、宅配ボックス、LINEスタンプを題材に「一見消極的に見える方法が、対面以上に都合のよく計らいのある世界を作ってるのではなか?」というお話をしたいと思います。
一般レジが空いていてもセルフレジへ行く?
人口減少とテクノロジーの発展が相まって、接客サービスの無人化に注目が集まっています。たとえば、身近ではコンビニやスーパーではセルフレジ、ガソリンスタンドでもセルフ給油を導入しています。ユニクロでもセルフレジが導入されています。私の職場の近くのローソンではセルフレジが3台あります。私はセルフレジをよく利用しています。このセルフレジは数年前からあったのですが、最初利用客はまばらでしたが、現在ではセルフレジ側にも客が並ぶようになりセルフレジという方法は一般化しつつあるように感じます。
私自身もやるのですが、一般レジが空いていてもセルフレジを利用する人も出てきています。ここに消極性デザインがあると思います。私の場合、まず「ポイントカードはお持ちでしょうか」と聞かれたり人とやりとりするのが少し億劫なことがあります。さらに接客する店員がもし態度が悪い場合、私が不愉快な気持ちになる可能性があり、そのリスクを回避したいという意識が働きます。他にも買った商品を触られたくない衛生的な気持ち、買ったものと私が紐付いてしまう視線的なものなどが「買う」という行為には含まれています。その点セルフレジは、人に比べれば、毎回同じ挙動をしますし、何を買ったかはシステムは知り得ても誰が何を買ったかの情報は店員は直接体験しません。
またセルフレジ機器自体の設計が以前に比べてより良いものができるようになった状況もあるでしょう。画面は大きく、UIも比較的わかりやすく、バーコードもすぐ認識します。昔々のATMのような反応の悪さや単色の画面みたいなものではなく、ユーザーフレンドリー設計が意識されたフルカラーのものです。ユーザーインターフェース(UI)に改善の余地はたくさんありますが、異常に使いにくいわけではないということがとても大事なことです。
これらの状況が、べつにセルフレジでもいい、何ならセルフレジのほうがいい。という意識を作ります。そしてよくよく振り返ってみると「そもそもなぜ人が接客する必要があったのか?」という状態へ進もうとしているのが現代でしょう。こうした新しい方法が生まれ発展したことで対面以外の方法が選択できるようになると、対面がもっとも素晴らしいコミュニケーションとは限らない状況が訪れています。
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